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2017-10-28

今日で透析14年2190回。感謝!!


きょうの透析で丸14年。
回数としては2190回。
で、こんな感謝のポストカードで
お世話になってる看護師やスタッフ・医師に
感謝を伝えた。


写真はモロッコの上空から撮影したもの。
数十年前のことで記憶が曖昧ではあるので
記録を調べてみた。
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1973 ナホトカ・ハバロフスク(旧 ソ連)東 ベルリン(旧東ドイツ)
1988 京(中国)1989 ジャ カルタ・バリ(インドネシア)
1990 ドニー~メルボルン(オーストラリア)/ク アラルンプール(マレーシア) 
1991 ンコク(タイ)ロ ンドン(イギリス)
1992 ルサイユ・パリ(フランス) 
1993 ポー トランド・ワシントンDC・ラクソン・ポツダム・ニュー ヨーク(アメリカ) ルセロナ(スペイン)タ ジール・フェズ・ラバト・マラケシュ・カサブランカ(モ ロッコ)パ リ(フ ランス)/シ ンガポール/フィ レンツェ・ローマ(イタリア)
1994 リー ル・ パリ(フランス)
1995 マレーシア(ランカウイ)コ ペンハーゲン(デンマー ク)
1995 ンコク(タイ)シ ンガポール 
1996 京・瀋 陽・広 州・上海・石 家荘(中国)
1997 ノルル(ハワイ)マ ニラ(フィリピン)
1998 ウル・慶州(韓国) 
1999 北・花蓮(台湾) 京(中国)バ リ(インドネシア)
2000 京(中国)
2002 海(中国)ロ ンドン(イギリス)ロ サンゼルス・サンフランシスコ(アメリカ)
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これを見ると
1993年だということになるから24年前で43歳。
アメリカのポートランド、ワシントンDC、ニューヨークなどの仕事のあと
パリでの仕事まで1週間くらいのインターバルがあったので
そのままパリに直行するのもナンだし
かといって東京にいったん帰るのも時間の無駄と考え
いろいろ考えた末
モロッコ旅行を考えたものだ。













といってもアメリカからモロッコへの直行便はなく
ヨーロッパからの便しかなく
いったんスペインのバルセロナ空港へ降りた。

スペインから船でモロッコに渡ることを考えていたので
スペインの滞在時間があまりなく
それでもせめてガウディのサグラダ・ ファミリアだけはと
思いつきのようにスーツケースを空港の片隅に置いて出かけた。
100年かけて完成するというサグラダ・ ファミリアの偉大さを
ひしひしと感じ空港に戻るとスーツケースがない。
もちろんチェーンキーを手すりにくっつけていた。
盗まれた
と思い込みガードマンに訴える。

スペイン語はもちろん英語もほとんど単語をつなげてくらいの語学力で
ここは必至に話してみる。
すると空港の別棟の倉庫のようなところに保管されていた。
爆発物かもしれないというような説明をジェスチャー交じりのスペイン語で聞いた。
今から考えればそれも至極真っ当だといえる。


無事手元に戻ったスーツケースを引いて
真新しく印象的だったバルセロナ空港をあとに首都マドリッドへ。
なぜだかバルセロナからマドリッドへの記憶があまりなく
列車だったのか飛行機だったのかも不明。
バルセロナ空港での出来事があまりにも衝撃的だったからなのかもしれない。

想像では空路だと思うが
マドリッドから地中海のジブラルタル海峡を渡る船を目ざして
列車に揺られた記憶がある。

その都市名も忘れたがジブラルタルだったか
朝早く列車の窓から見える点在する白い建物が印象的だった。
眠い目で見つけた港のカフェでの温かいエスプレッソが
カラダに染み渡った記憶が残っている。


地中海を渡る船なので
想像より大きめの客船だった。
海峡はその日は静かで揺れることなく
翌朝モロッコのタンジールに着岸。

タンジールでの記憶は鮮明にある。
なぜかといえば
お金はないので小さな絨毯をクレジットカードで買って
東京の自宅に送ることにした。
ところが帰国後クレジットカード会社から来た請求書は
一桁増えていた。
手書きの売上伝票では可能といえばそうだ。
もちろんクレジットカード会社まで出向き
事情を説明して解決した。
それからはクレジットの場合
用心するようにしたのはいうまでもない。

タンジールからフェズへバス。
フェズは落ち着いた街という印象だった。
インターネット情報があるわけではない時代で
もっぱら「地球の歩き方」だけで不安はあった。
「地球の歩き方」迷子という噂もあったが
おおむね迷うことなくモロッコ放浪ができた。
英語はもともとあまり話せないが
モロッコはフランス領だった関係上
英語では通じずフランス語だ。








そしてまた喧噪のマラケシュへバス移動。
マラケシュは大きな市場が中心で
モロッコの大地の中央でもあった。
たしか小さなホテルに泊まった。
翌朝そのホテルから空港までのバスがなく
途中までであとは空港まで歩くことにした。
デカいスーツケースを抱えて
舗装もしてない砂利道を歩くことは
ハンパなく難儀だった。




時計をみながら間に合わないかと
へとへとになりながら歩いていると
一台のクルマが横付けしてきた。
片言の英語で
「空港へ行くのか?」
と乗るように言ってきた。
こういうときは通じるものなんだ。
感謝しながらスーツケースを載せ
助手席に座ると運転しながら話をしてくる。
どうやらこれから乗ろうとしている飛行機のパイロットのようだ。
たしかにクルマも車種は忘れたが
モロッコではトラックがほとんどなのに
上品な乗用車で人柄も温和で品があった。
パイロットといえばエリートだろう。

おかげで空港へ無事に着くことができ
丁寧にあいさつをして別れた。
クルマが朝の光に輝いていたのを今でも思い出す。

そんなに大きくない飛行機の窓際の席に身を沈めた。
離陸と同時に機体はらせん状に高度を上げていった。
そんならせん状に上がる航跡の飛行機は
航空ショー以外ではいまもってみたことがない。

らせん状に上昇する機体の窓からは
まっすぐモロッコの褐色の大地が見える。
必至にカメラのシャッターを切った。
その時の一コマがこの冒頭の
「ThankYou2190」
の写真。

いまでもあのパイロットの心意気で
撮影しやすいアングルで空港を飛び立ったのだと
いまでも確信しながら思い出す。