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2014-12-26

リハビリのために入院していた病院へ

きょうは退院ご1週間だが
術後4週目に入ってのリハビリで
立川の入院していた病院のリハビリを受けに行った。
きのうまでタクシーを頻繁に使って
安全を確保してきたけど
今日から意を決して公共機関を使うことにして
まずマンションからはじめてバスに乗った。
このバスのステップの段差がけっこう大きなハードルだった。
駅で乗るのは歩道と同じくらいの高さなので
問題なかったが道路から乗り込むのはかなりの高さになる。
まあいままで階段をいくつか上がった経験からいえば
問題ないと思っていたがちょっと階段より高いがすんなり乗車できた。

降りるのも歩道なので同じくらいの高さなので
すんなり下車。
以前も同じエスカレターだがこのエスカレターがくせ者で
まだ要領がつかめない。
なぜならさきに健常な足をのせてから
あとで松葉杖をそろえるのか
さきに松葉杖をのせてあとで健常な足をそろえるのかがわからないことだ。

やはり前者のように健常足を先にのせるのがいいのだろう。
どちらにしても健常なときには問題ないけど
子供や老人が迷うようにわからない部分がある。

最寄りの駅は駅も小さいので
少し歩くだけだが
立川駅はまずホームのエレベーターがどこにあるのかわからない。
表示があるのかも知れないがみえない。
やっぱりエスカレーターを使うことになるが不安定。

改札口をでてからバス乗り場までの距離は長く
それ以前にその位置の告知までの距離が長すぎる。
北口広場の案内をみるとエレベーターはかなり隅になる。
エレベーターを降りてから
バス乗り場まで今度はイメージとしては反対側にちかいほど距離がある。
どういうコンセプトでエレベーターが設置しているのだろうか?
タクシー乗り場には近いがそういうこと?

松葉杖を持ってると
SUICAにしても何にしても
いったん松葉杖を使わない状態にしないと
取り出せないので時間がかかる。
バスを乗るときも降りるときも同じだ。

やっと1週間ぶりに病院を訪れることになれるが
まず喉が渇いたので病院の付帯物のようなコンビニに入った。
同じコンビニなのに以前は車椅子目線で
今回は松葉杖でその風景はまったく違う。
ちなみにこの松葉杖もここで買ったのだが。。
ミネラルウォーターを買うのだが
これを棚からレジまで運ぶ手段がない。
ここが松葉杖を使うと「何かを運ぶことがまったくできない」
しようがないから冷たいけどポケットに入れてレジへ。
もちろん支払いをしたらすぐショルダーバックに。



さて病院へはいると
松葉杖の目線からみる風景とはちがう。

リハビリテーション科に向かうが
なにか退院後なので
若干強くなったような錯覚を感じながら入室。
今日のほとんどの目的は
きのうから体重の1/3荷重をかけてよいというのは
リハビリでは具体的にどう教えるのかだけの基本は
聞いておかねばとわざわざ立川まで来た。

ちょっと事前に元整形看護師から聞いたように
ほんとうに両足を別々の体重計にのせて
体重53キロの1/3で
左足がのせる体重をおよそ17キロの感覚を
なんどものせて感覚をつかむのだ。
そして次は歩いているのを想定して
3つの体重計を「歩く」のだ。

じつはこの数日前から骨折足をそっと着地していたそのイメージと同じだったから
自己判断ではあったがまったく同じだった。
ただちがうのは膝をまげないように
足裏を全部使うことだった。
これは足の屈伸が続けてできることを期待するもののようだった。
あという間に所定の時間がすみ
精算も済んだ。

きのうはわが誕生日でことしは自動車運転免許証の更新。
リハビリ終わったら新宿署へ行こうと思っていていたが
ひょっとして立川でも?と更新葉書を見たら
なんと病院の隣の立川署でもいいことがわかって
松葉杖でゆっくり向かった。
ちょうど昼休みで人も少なくちいさなオフィスといった更新所ではあったが
すんなり更新できた。
これはラッキーだった。

バスに乗って立川駅に向かった。
やはり乗り降りにSUICAを出し入れするのが
なかなかまどろっこしい。
立川駅のバス停を確認しようと見ていたら
車椅子の親子がバスに乗るシーンに出会った。
運転手が降りてきて親と共同で車椅子を乗せ
しかも所定の位置に運んでいた。

それを見てから帰るのだがエレベーターまで行って改札口まではかったるいので
近くのエスカレーターを利用したが
やっぱり要領を得ない。
立川駅はほんと広いし人が多い。
それをかき分けるように改札口へ向かうが
人並みに切れ目がなく怖いくらいだ。
改札はいってエレベーターはというと
ここも何かへんぴなところにある。
ほんとなら改札入ってすぐのところに設置して欲しいものだ。
そんなこんなで無事わがホーム駅ビルでショルダーバッグに入る範囲で
買い物をして帰宅したが
バス下車も難なく降りられた。

2014-12-25

初JR・初バス

「 初」と言ってももちろん初詣ではないし手術後の話。。
きのうもわずかな距離でもデパートの入口からサービスカウンターまで歩き
帰りもそこからゆっくりでも人並みに歩道を歩いてタクシーを止めた。
ちょっと街の空気にも慣れたような気がした。
充電に今日も出かける必要があったので
そしてまたあすのリハビリに立川まで行かなくてはならないので
そのカラダと電車のシミュレーションを兼ねてJRを使った。
JRはほとんど問題ない。
エレベーターを使えばいいところよく使うエスカレーターを使った部分があったがこれはちょっと躊躇したが冷静に乗った。気を使うのは両手を塞がれてるのでSUICA1枚すらもてないので改札口の前まで来てポケットからとりだすのが後から通勤で急ぐ殿方の邪魔をしてると言うところだ。それならまだしも残金は入っているはずなのにピンポンと鳴り遮断されるのはいただけない。2回3回とやっても赤ランプ。しかたなく駅員のいるところへいくと、11月30日に入場はしてますが出た記録が残ってないという。え〜不正をした憶えはないしと思い起こしているとよく考えればこの骨折を引き起こした日だ。たしかに古里駅で清算しようとしたらJRの社員がいなくてできないので帰りに降りるときに清算してするように言われたのが、20日後介護タクシーで帰ってきてしまったので記録もへったくれもないのだ。事情を話してやっと通ることができた。
まだバスはステップを使うことには自信がなく行きはタクシーを使ったがそのタクシー代も嵩むので思い切って帰りはシティバスを使った。駅で乗り換えるマンション前までのバスは駅前

ではぴったり歩道につけるのでほとんど段差はない。それでもなんとなく緊張して乗り移ったが、難なく乗れた。ただ降りるときは松葉杖が先か足が先かと一瞬確認した。歩行は足が先に着地していくのだが上りも足が先に一段上に着地していくのだがこの下りは先に松葉杖を着くのだ。頭悪いのでここをこんがらがると辛いし転倒しやすいので確認しなくてはならないのである。
きょうはここのところ2回ほどコンビニ弁当を昼に食べたが、やはりこの大量の保存剤と多めの塩分が入ったシロモノにはギブアップ。今日は折しも誕生日、早くよくなれとレストランのロースカツを自分にご馳走して「勝つ」ことにした。









2014-12-24

今日から体重1/3の荷重

朝起きると右足で立ってることが多いので体重をすべて支えてるせいか右の腰が痛い。
今日から体重の1/3荷重を掛けていいことになってるけど、よくわからない。
きのう元整形科にいたことがあるという看護師にきいたところによると以前は体重計に足をのせて5kgとかだったそうだが
正確にいえば1/3は体重が53キロなので17.6キロになる。
およそ15キロとしても実際にはどんなものかやっぱりわからない。
あさってリハビリに災害医療センターまで行くがリハビリではおしえてくれないだろうな〜
今日は西友ドットコムから膨大な食材が届いた。玄関から冷蔵庫までの移動が今日の大きな仕事となったけど比較的容易で小分けにされていたので3往復あまりですんだ。。余裕があれば日光浴に公園に行けたらと思っていたが吉祥寺に出かける用事がったのでタクシーで出かけたが、1/3オーケーが伏線となって松葉杖もかなり安心して使えるようになった。アトレか丸井かに行きたかったが車椅子の貸し出しサービスがなかったので唯一東急デパートが可能だったのでまっすぐ東急往復。出たついでに食材も買ったので正月をこのまま越せるかも。
「障害者」「足が浮腫んでる人」にはこのシューズのファスナーが
いかに気が利いてるか!!簡単早い!!きょうはイブというがまるで関係がないが、やっと復活した「夕焼け3品セット」とせっかくだが退院後の「初焼酎」だ。やはりビールとは違う「焼酎」だ。ネットスーパーでこれしか吞みたくなく、ほんとうはこれの上ランクの「全量芋」がよかったがとりあえずこれでクリスマスイブ?4品目は「特選ツマ」でほうれん草、栃尾の油揚げ、麹味噌と塩麹(ちょっいとだぶってるかもね)で最後は餃子。長女はfacebookでこれを機会に酒やめたらとメッセージがあったが、このお方「三岳」とか「赤兎馬」「明るい農村」とか高級焼酎呑んだくれてるのに。だが酔っぱらって松葉杖は危険かも。









2014-12-21

浮腫んだ足


■12月21日(日)
入院では消灯時間が早ければ起床時間も早い。9時に寝て6時に起きる。今日は何もすることがないのでとゆっくり起きたつもりが7時。賞味期限切れの卵を使い切るため、冷凍してあった食パンでフレンチトースト。
食事を作ること以外は椅子に座っているのがいい。だが1日ひとつくらいしないと部屋がごちゃごちゃになるので今日は大きなゴミ袋をマンションの集積所まで運んだ。松葉杖はあらためて両手を塞がれているので運ぶという動作がことを確認する。たとえ料理にしてもどんなに軽い皿でも運べないのだ。それはそうだ、自分を移動するのでさえままにならないのだから。ただ料理自身は片足立ちでシンクか冷蔵庫などによっかればなんとかなる。不思議なものでその態勢でいると松葉杖がいかに効果的なものかわかる。
一日中デスクに向かっていると足がパンパンになる。まだ骨折したほうの脚は浮腫んでいて座ってる時間が長いと痛くなるほど浮腫む。しようがなくベッドに横になって足を整体的にほぐす。そういえば友人の整体師が骨が修復するためには日光に当たることといわれている。いずれマンション前には小さな公園もあるから天気のよい日には散歩に出かけよう。













2014-12-20

ひさしぶりのホーム病院での透析



■12月20日(土)

干からびたサラダ菜ととっくに賞味期限切れになった卵と冷凍してあった食パンを食べて降りる。わが部屋は3階ではあるがエレベーターもあるので10メートルくらいの廊下を無事に降りれば1階には行ける。ただエントランス内に2段、外に5段くらいの階段があり退院した病院での階段の松葉杖歩行は1階しかやってない。それも退院の日の午前中に申し訳ついでのようにやっただけ。
一歩一歩慎重におりるしかない。幸い何ごともなく降りられたが予約したタクシーの運転手は5分ほど遅くなって降りてきたわが輩をキャンセルかと不安のように車外に出て待っていた。何ごとも5倍くらいの時間がかかるような気がする。
タクシーに乗ってしまえばもう安全。リハビリもできて透析もできる病院に転院という手もあったが、入院していた病院が急性期を主に対象としているのでこのくらいの骨折だと2〜3週間で転院か退院を余儀なくされ、わが輩の主治医ははじめから自宅療養を言っていた。退院後どんな生活になるのか不安だったのはたしか、ふつうなら出かけることもなく骨が修復するのを時間をかけて待てばいいのだが、わが輩の場合は1日おきに透析に行かなくてはならない。あとでわかったことだが、透析センターに整形科の経験のある看護師がいてリハビリ転院か自宅療養かの采配は医師の年齢など見た目とバリアフリー度に主によるそうだ。ただ透析の通院というのが重くのしかかっていたようで、整形の主治医もわが輩次第ということを何度もいっていた。
わが輩もこれ以上転院したところで入院生活を続けたくなく、必死に松葉杖歩行を習得したという訳である。

この日透析後、病院でもっとも避けたいコンビニ弁当を食べたあと食材がないのでイトーヨーカドーへタクシーで行ってもらった。ネットスーパーには登録していたが、たしか以前店で300円くらいだせば店で買ったものを宅配してくれると店員は言っていた。なのでショッピングも店内用の車いすを借りて膝の間にカゴをはさんで生鮮食品売り場を回った。
このへんなおじさんに子供たちの目を集めていた。ちょうど米もなかったのでこの際宅配だからと5キロ袋を買った。レジをでてサービスカウンターで宅配を願い出たところ住所はどこですかという。答えると「配達エリア外」なのでできないという。たしかにその店は透析センターには近いが自宅からJRにしても3つ目の駅。すまなさそうな店員は、これからどうやって帰るのか聞いてきてタクシーと答えると、ではタクシー乗り場までお持ちしますと食材を大きな紙袋にまとめてくれた。折しも小雨が降っていたの借りた車いすでそのまま漕いだ。40メートルくらいだが、意外と集中的に漕ぐと疲れるしあの目の見えない人用の鋲が妨げとなってうまく進まない。雨にぬれてるわれわれを見かねて若いカップルの女性が傘をさしてくれた。丁重にお断りしたけれど、タクシー乗り場までずっと差してくれた。おそらく自分は濡れていたと思う。ほんと恐縮で
す。想像してたことは、マンション前についても少なくとも7段近くの階段があるということだ。しかも5キロ以上の手提げ袋を持って上がるということは大きな試練。おまけに雨でタクシーを降りたところも濡れていてぼやぼやしてると紙袋は濡れるし、あわてれば濡れた階段に足を取られ転倒する。とにかく慎重に1歩1歩のぼった。しかし、エントランス外の5段はうまく成功したが、エントランス内のあと2段というところでバランスを崩した。両手をついて多少足も着いたかも知れないが、大きなダメージはないと思われちょうど帰ろうとしていた管理人がキーを開けてくれ無事3階まで来た。が、部屋までは10メートル。5キロの米を返品すればよかったなどと悔やみながらゆっくり部屋まで辿り着いた。今夜はゆっくりできるとばかり、250mlのエビスビールと豪華な?食事。










2014-12-19

退院

■12月19日(金) 退院
(詳しくは「めざせ『百日回峰』」)

正午過ぎに自分の部屋におよそ3週間ぶりに無事帰る。部屋は相変わらず、ゴチャゴチャしているいるがその主であるわが輩は3週間まえとずいぶん異なる状況で帰った。部屋に入っても松葉杖が欠かせない。狭い部屋をカニのように横歩きをしなくてはならない。
昼ご飯こそ介護タクシーの運転手さんにお願いしてお好み寿司を買ってくるようお願いしたが、夕ご飯はとりあえず冷蔵庫のものが3週間でどれほど傷んでるのかわからないまま、恐る恐る覗いてみた。たしかに大根、豆腐、きゅうりなどはお釈迦だったがプラ容器の水に差してあったほうれん草やふつうにビニールに入っていたピーマンは強いのか無事だったのでそれで間に合わせた。ピーマンやほうれん草はややクセがあるので強いんだな。
さすがにビールも吞まなく次の日は充電(透析)なのでタクシーを予約して早めに寝た。









2014-12-09

11月30日山歩きで転倒事故 骨折でヘリ搬送 入院〜退院

■11月30日(日)14:45 「転倒」
大塚山を鉄五郎新道で遅い紅葉を愛でながら登ったあと
頂上ではワンタンでエビと大葉を包み茹でゴマだれで楽しんだ。
そこまではよかったが
いつも登り慣れた丹三郎ルートを降りる段で
なぜかルートは工事中で閉鎖され
新しい迂回ルートを余儀なくされた。
このルートまだ踏み固められてなく
黒々とした土で柔らかかった。
あちこちに根も張っていた。
少し大きな段差をこれは注意しなくてはと
気持ち引き締めたにもかかわらず
横向きで足を降ろした瞬間見えなかった根に滑り
方向をV字に転換するところで
その頂点に太い幹の樹がそそり立っていてそれ抱える形。
カラダとその樹の幹の間に足が入り込んで
むこうずねを打って同時にグキッと鈍い音がした。
それでも足を引き出し
骨折してるとわからず激痛に耐えていたが
倶楽部の若いメンバーの肩を借りようと
動かすとクキクキとひびき立ち上がろうにも激痛が走り
どうにもできなかった。
■11月30日(日)15:00 「119番連絡」
倶楽部のメンバのひとりが119番してくれ
50分近くして登ってきてくれた警察に
そえぎとテーピングをされ
遅れて駆けつけた山岳救助隊に担架に乗せられた。
そのまま下るものと思っていたが
隊長の判断で日没まで時間がなかったが
ヘリコプターでの搬送を命令した。
ヘリでつり上げられることのできる
わずかに木々のあいだから空が見えるすきまのあるところまで
担架はロープと人力で引き上げられヘリの来るのを待った。
■11月30日(日)16:30 「ヘリコプターでの搬送」
やがてヘリの音が近づくと
わが輩はローターの激しい風圧から守るためのアルミシートが被せられ
位置を知らせる信号弾が上げられた。
ヘリは位置確認できたが数本の樹が邪魔とヘリから連絡が入ったようで
いったんヘリは離れ
地上の山岳救助隊の手で倒された。
5分後にもどったヘリからロープが下ろされ
わが輩はベルト状のカゴにすっぽり入り
ひとりの隊員にハーネスが取り付けられ
ヘリに吊り上げられた。
おそらくまさに日没の時間で
猶予のない時間で救助隊の命令のもとに
一切が行われていた。
わが輩は足を動かさないようにじっとして吊り上げられたが
360度パノラマの夕暮れの周りの山々が印象的だった。
ヘリ機内に収容されると10分も経たないうちに
着陸したこともわからないうちに近くの基地に着陸した。
救急車に移し替えられ受け入れの病院を救急隊員は探してくれた。
■11月30日(日)17:00 「災害医療センター搬送」
結局その基地から数分の病院へ搬送され
救急センターのベッドに寝かされた。
すぐレントゲン撮影が行われ
ちょっとイケメンなN医師が
その画像を見ながら入院ですと宣言した。
そして治療方針を話した。
こちらは激痛を耐えるのが精一杯だったが
そのぱっかり折れている骨を見て観念して
治療方針だけはしっかり聞いた。
二本折れていたがその一本はそのまま自然治癒
もう一本は金属で固定しする手術を説明された。
まずは骨折してズレてる部分がさらに
筋肉の収縮力でズレが大きくなるのを防ぎ
同時に痛みを軽減するため
踵の骨に穴を開けワイヤーを通して
筋肉の収縮する方向に逆らって
ウエイトで引っ張るものだった。
今思い返してもぞっとするものだったが
左右から麻酔の注射を打って
ドリルのような音がして
軽く二度ほど失敗しながらも
それほどの痛みを感じることなく
完了したようだった。
こういう事態になると家族を呼ぶように言われ
長女に来てもらう電話をした。
この先の手術はすぐにはできず
手術室の予約も翌日以降になり病棟に運ばれた。
消灯時間は過ぎていなかったと思うが
暗い業務用のエレベーターや廊下の天井を見ながら
病棟に運ばれ翌日を待った。
来てくれた長女は手術の説明を受けたようで
遅い時間に帰っていった。
とにかく引っ張れば痛くないはずの足が痛く
一睡もできなかった。
ひっぱてるせいもあるからか
骨折部分も痛いが背骨がいちばん痛い。
しかもワイヤーが通ってる踵も痛い。
ぜったい引っ張る角度が悪いと
看護師に調整をお願いしたが
先生の指示通りだからと
なかなか伝わらない。
それを翌日の回診でほかの医師に訴えたところ
これでは痛いと調整を指示した。
ちなみにこの牽引方法「キルシュナー牽引」というのだそうだ。
■12月1日(月)
手術日が3日と決まったようで
中二日この牽引状態で寝た形で待つしかなかった。
連日のように長女が来てくれ
身の回りのことをしてくれた。
それだけでなくこういう事故があったら難しくなるから
早めにメール送付したものの届いてないと
取引先会社からメールがはいっていて
メール指示し使ったことのないわが輩のMacを動かしてもらって
無事送ってもらえた。
■12月2日(火)
とうぜんこの手術まえにいつもの透析をしなくてはならない。
手術前日に病院内の透析室で透析を受けた。
無輸血手術を頑なに望んでいたわが輩だが
輸血承諾書がないと手術できない
ここの手術室に入れないと言い渡されていたが
この透析室のキャリアがありそうな技師と話すことが出来
手術では輸血に関しては麻酔医が大きな判断をすることを
教えてもらい
その日麻酔の承諾書を説明に来たときに
「無輸血」を極力願ってることを伝えたところ
実際にはどうかわからないが
手術前の朝のカンファレンスで話しますと
快諾してくれ
わが輩も最終的な覚悟ができた。
覚悟が出来ると手術そのものには
あまり不安はなかった。

まったくないとはいえないが
たとえばインプラントを大小あるとはいえ
カラダに埋め込むので
金属アレルギーや抗原抗体反応または感染症になる可能性がないとはいえない。

それらもろもろ
それにこだわれば転院も余儀なくされ
可能な病院を探すことにも時間はかかる。
長女には中学受験をめざす孫がいて
近い日には模試もあり
これ以上長女を振りまわすこともできないと
最初に看てくれたダンディ医師Nに身を預けることにしたし
預けうる信頼もあるような感覚のようなものがあって
最終的な手術説明を長女同席で医師Nから聞き
改めて無輸血をお願いもし承諾書にサインした。

3日に全身麻酔の手術がはじまり
香りのあるエアを吸うと同時に気を失い
呼び起こされたのが二時間半くらいのちだったろうか。
輸血せずにすみましたよ
と朦朧としたなか麻酔医に真っ先にいわれたような記憶がある。
術後のレントゲン画像を見せられたけど
あまりよくは見る余裕はなかった。

病棟に運ばれたが麻酔が効いてるので
足もあまり痛くもないし感覚もない。
ここから一晩翌朝まで血栓が飛びやすいと説明されていたように
その防止のため手術した骨折の左足の反対の右足に
エアマッサージの機器が取り付けられ
枕もなしで水も飲めない食事もできない。
そのかわりに生理食塩水の点滴が続けられ
血圧、心臓の脈波を観察する。
夜の九時ころになると麻酔が解けてきたのか
手術の切り口がチクチクと今までと違う痛みが責める。
耐えられず看護師に訴えると
消灯時間を過ぎた暗い病室の中で
まだ手術着で下はT字帯というふんどしをめくられ
二個の鎮痛の座薬をケツに押し込められた。

あまり効き目はなかったがやや和らいだが
すぐに耐えられなくなり
四時間後くらいにもう一度座薬二錠を入れることになったが
その後数時間寝ることができ翌朝を迎えられた。
痛いには痛いが耐えられないほどではなくなり
エアーマッサージも生理食塩水も取り外され
観察機器もなくなり
食事も水も許され枕も渡された。

ほっとする間もなくこの日は透析で
心配された貧血もHbヘモグロビン8はあったので
透析はあまり心配してなかったが
やはり睡眠不足もあったのか
終盤最高血圧80くらいまで下降した。
ほとんど意識がなくなる寸前ではあった。
それでも足を上げたり透析を中止し
それ以上のことは起こらず病棟に帰った。



2014-11-23

倶楽部山行での料理


最近にはじまったことではないが

倶楽部山行で料理を作ることがやみつきになる。
もともと料理などできなかったけれど
この透析がはじまって
厳しい食事制限を強いられるようになった。
とはいえなかなか守ることはできず
10年経ったいまだに常にリン数値は高いし
カリウムもぎりぎり命がある状態だ。

数値オーバーの原因は
もちろん食べなければという部分もあるが
食べたいという部分もある。
ざっくりいってしまえば
野菜などの食物繊維やビタミン類は食べるようにしているし
タンパク質は食べたい部分ということになる。

居酒屋で吞めばだいたいタンパク質が多い。
否、食堂やレストランでも同じだ。
それでも中華料理は野菜を選択することは
かなりできる。

そんな食事事情だが
セシウム汚染や農薬汚染
保存剤まみれのコンビニ惣菜を検討すると
自分で食材を選び自分で作ることのほうが
経済的でしかも少しは安心できる。

そうなると
おいしいもんが食べたくなる。
よく考えれば生きるのも病気になるのも
毎日の食事が大元。
もちろんデング熱やインフルエンザなど外からの攻撃はあるが
それに抵抗できるのは
いまや薬品メーカーの特効薬ではなく
カラダの中にある免疫力しかない。

そして免疫力を育てるのは
食事と運動しかないと思えると
この食事はやっぱり生命の根幹。
そして透析という厳しい食事制限をきっかけに
毎日の食事のバランスを考えざるを得ない。

最少量で最大の栄養を考えることは
有能な栄養士でもなかなか難しいと思う。
なぜなら最大の効果というのが
実際には手探り状態だから。
論議はいっぱいあるが
だれもそれ以上のことがないと言えない。
いつまでたっても自分が考える最高の時点で
考えていくしかない。

そうやって
食事のメニューを考えると
いつまで経っても明解な答えは出ないにしても
考えは果てしない。

1人の毎日の食事はそうだが
山でヒトに食べていただくのはまた別だが
料理メニューを考えることは
すでにはまってる。
おもしろい。

とはいっても
誰に教えてもらう訳でもないので
手探りだ。

たとえばパエリアを作る。
もともとそこでパエリアを作るというのは
どこかでおいしいのを食べたという舌の記憶がよみがえり
食べたいとか
このあいだ食べたパエリアくらいなら
自分で作れるのではないかというのが出発点。

そこからパエリアの検索でひっかかるネット上のレシピを
10も20も読み解くと
そのレシピの「意味」がわかる。
それがおもしろい。
春だから菜の花を入れたいとか
イタリアンパセリをそこで入れるのはなぜかとか
料理は全部頭を使っているのでとにかくはまる。

だが部屋での毎日の食事は
考えるのは半分で毎日同じものにして
あと半分をある程度応用できるようにしている。
バランスをとるのが楽だからに過ぎないが。

その逆で倶楽部山行では
作りたいものを食べたいものを作ろうとしている。
みんなに食べてもらえれば「怖くない!」でなく
自分一人で食べるとなかなか数値オーバーの結果を生むものも
少し食べるなら食事制限範囲内におさまるというもの。

そういう意味では
作りたいメニューはいっぱいうまれる。
ただザックに担いで行ける範囲内という制限がなかなか厳しい。

次回来週末はなににするか
思いつきで
チーズリゾットがいいかなとか。。
今夜はそう思ったりするのだ。

2014-11-04

体重増加6.3kgと史上最高


先週はカリウム過多で呼吸困難。
今週は体重増加6.3kgと史上最高。
実質の体重も増えてるからと信じたいが
それにしても多すぎる。
水分ならばまた呼吸困難に陥る。
けさもやや息苦しかったが。

なかなか調子がつかめない。
そんなこといってるうちに
命を落としたりかも。

降圧剤アダラートCR20を処方されたが
朝方喉がおかしいと訴えたが
CRでそういうことはないという。
降圧剤としては効いてるので
きょうから朝晩になった。



体重増加も最高なら、『充電』でとりだした水分も4.9kgと最高。

5kgもどこにはいってるんだろう?
だが1.5kgも持ち帰り。トホホ。

2014-10-25

カリウム「HH」と週初めの呼吸困難の件

透析をはじめて来月で11年になる。

月2回の定期血液検査を受けてきたが
透析患者はどの数値もすでにまともではない。
かろうじて生きてるかのようではある。
なので数値は「H」でマークされ
通常の基準値より「高い」ことを表示された項目ばかり。
それはいつものことだけど
今回「HH」とマークされてきた。
はじめてみる。


それもそのはずほとんど
いつ呼吸困難そして心臓停止が起こっても
不思議はないカリウムの数値。
カリウム値7.4。

半日断食がタンパク質の摂取も消費も増やし
結果的にリンの数値も押し上げ腎臓への負担を増やし
石灰化のリスクを高めてきた。
筋肉もタンパク質なら体の筋肉もそぎ落とす結果となり
山歩きではまだ問題にはならなかったが
腰痛がひどくなった。

この腰痛は11年まえに肺に水が溜まり呼吸困難で救急搬送され
そのまま透析導入で1ヶ月入院して退院したとき
カラダの筋肉の衰えを痛感したのと同じだ。
それがきっかけでウォーキングにつながり
山歩きにつながっているわけだが。

というわけで半日断食はとくに透析患者や腎臓に問題がある場合は
避けるべきの結論に至った。
それだけでなく
断食のいくつかの「教科書」にあるように
「心臓に疾患のある場合はひどくなる可能性が場合があるのでおすすめしない」
の通り心臓の軽度の不整脈の「期外収縮」程度は透析終盤にはあったが
半日断食をはじめて頻繁に呼吸困難を感ずる程度の「心房細動」が
頻繁に起こってきた。
人間の記憶は曖昧ではあるので
確かとはいえない部分はあるが
不整脈については経過を見ていきたい。

心臓病のリスクと同時に
血圧上昇の傾向もこの半日断食の影響がある可能性も感じる。
透析患者の場合
基礎体重を人為的に決め
ほぼ体重の変動を日々の体内の水分量としてとらえて
透析機で強制的に排出している。
とはいえ
筋肉量や脂肪量の変動も影響するので
血圧などいろいろな数値の変動を勘案して基礎体重も変える。

半日断食でカラダの脂肪やタンパク質を消費すれば
当然減量してるわけだから
基礎体重も減らさなければならない。
少なくもこの半年くらいでたしか1kgは下げたはずだ。
でもおそらくそれでは足らないのだろう。
血圧は240を示したこともあり200以上が珍しくはない。
カラダのなかの水分量が多いと血圧が高くなる。
もちろんそれだけではなく
違った原因で断食が影響していることも
考えられないわけではないが
ここは水分量が相対的に多くなっていて
血圧がはねあがってと考えることにする。

こういう場合医師は基礎体重を下げるだろう。
それをわが輩は食事をよく摂取して
カラダに脂肪、タンパク質をつけようということにした。

これが週初めの「過食」。
もちろんカリウム摂取についての意識はあったが
ここまでは大丈夫だろうろ無理をしたというのが現実といったところといえる。

半日断食では夜一食たべすぎるほどで
節食のころのペースの感覚を早く取り戻さねばと思うのみ。







2014-10-21

タクシーを予約し早めに病院へ向かった


断食をやめて食事のパターンが変わったけど、
食事の量とかカリウム制限の食材選択を間違えたらしく
朝5時くらいから苦しく呼吸が十分できない感覚と
カリウム過多のせいか手足の先が痺れた。
タクシーを予約し早めに病院へ向かった。
早々体重測定とカリウム測定で
どちらも今まででは最高点。
5.9kgの体重増加で呼吸が苦しいのは当たり前。
カリウムも高くても6台だったが7.1で最悪。
充電はじめてどちらも緩和されあらためて食事調整を一から思い出さねばならないと実感。
無事で良かった。

2014-10-18

「半日断食」中止



およそ半年続けた半日断食をやめることにした。

断食が排毒効果をもたらすこと。
内蔵に変化をもたらすこと。
の期待であった。

しかし
指南本でも腎臓が悪い場合と心臓病がある場合は避ける
もしく医師の管理下で行うほうがよいとあった。

腎臓に関しては
もともと『充電』離脱の目的からはじめた断食だったが
指摘通り腎臓には逆効果のようになった。

それはリンの数値が上がったままであるのが断食による結果と考えられることがひとつ。
断食と同時くらいにはじめたのが低糖肉食であるので
タンパク質の摂取量が増えてる可能性があるのですべてが断食の結果とはいえないが
もともと断食の目的は病巣もふくめて不要なタンパク質を消耗してしまおうという理屈である。

しかしこの間を再考してみるに
タンパク質の消費が多いのが続いているのは体のなかのタンパク質をケトン体に変化させ
エネルギー源にしている可能性が大きい。
リンの数値が高いのもあるが断食をはじめて4ヶ月くらいから
デスクワークして立ち上がろうとすると腰痛で腰がのびない。
あるいは朝の起床の際同じように腰痛に苦しむようになった。
最近まで山歩きが雨で中止などで筋肉が落ちていると考えてきた。
ウエイトをつけて鍛えようとしたが逆効果で2ヶ月近く腰痛はひどくなったままだった。
筋肉を減らすことなく筋力を維持するには断食でタンパク質を消費するので
倍以上の筋力トレーニングの必要性があるのかもしれない。
断糖あるいは低糖には筋力の低下が待ち構え
大腿骨骨折や転倒がおこってると警鐘をを鳴らす専門家も多数見かける。

『充電』では前々から栄養状態が悪くてもリンの数値は上がるといわれてきている。
断食によって十分なエネルギー源が供給されないうえに
低糖が重なって体のタンパク質は枯渇状態で
筋肉のタンパク質も消費してるという現状とみるのが妥当であろう。
さらにここから千日回峰のように激しい運動を続けることが
筋肉=タンパク質を維持する必須条件なのかもしれないが
タンパク質の消費によるリンの排出に腎臓には多大の負担を課すこととなり
腎臓機能障害のわれわれは飽和状態のリンによる石灰化のリスクを背負うことになる。

そういう総括的見解から
少食は維持しなければならないが「断食」をやめることにした。
ただし、時々折を見てするのはむしろいいとは考える。

心臓についても
『充電』終盤におこる不整脈が不規則を通り越して
心房細動となることが最近頻繁にあった。
この心臓と断食の関係については
調べきれていないのでまたにする。
低糖がその原因になるとは考えにくいが
心臓もエネルギーがなければ動かないだろうから無関係ではないかも知れない。
少し調べるにしても
このところの心房細動の勃発から無関係になって
『充電』後の帰宅をただでさえ血圧が下がってぼんやりしてるので
もう少しハツラツと帰りたい。

断食がカラダの飢餓感を呼び起こす的な理屈で排毒をうながす論には無理があると思うが
食事を期待し習慣になって胃液など準備する胃や腸が肩すかしを喰って
酸性の強い胃液ph1そのままではないにしろ腸に移動することで
腸もいつもの環境とは異なる状態になり排毒などにつながるのではないかと考える。
断食の世界では「半日断食」「3日断食」「本断食」とかあるが
それも一つのパターンになってしまうとカラダが慣れてしまって反応しなくなるからと今のところ考える。
だからたとえば毎日「半日断食」をしても効果的ではないのだ。

糖質ダイエットや断糖肉食を謳う専門家の出発点がご自身の肥満からというのではないかという疑いもある。
「炭水化物が人類を滅ぼす」などという著者などは「私だけがやせればいい」とさえいってるし
余分な脂肪をカラダに蓄えている人には効果的かもしれないが
身長170cmで53kgには適当な方法ではないと判断した。



2014-09-02

半日断食で山歩き

猛暑とそのあとの雨で山歩きにでかけるのが3週あいてしまったので
週初めきわめて低い山にでかけた。
そこで熊にも遭遇しました。
そのくだりはブログめざせ『百日回峰』で。

低山を選んだのは
久しぶりの山歩きなのでらくに登れ
余裕がほしかったというのもあるが
この4ヶ月あまりつづけている
半日断食を山歩きの日も試すためだ。

いままで山歩きの日だけは
「しゃり切れ」といって
エネルギー切れの恐れがあり
倶楽部山行では迷惑をかけることも考えられるので
半日断食も中断し
3食あるいはそれ以上にしてきた。

半日断食にしても1日断食にしても
けっして精神主義ではない。
いまやファスティングといって
若い人の間でもブームのようになっている。

わが輩の場合は
慢性腎不全での厳しい食事制限を考えるうちに
ルネサンス時代に「極少食」を実践して
102歳まで生きたという貴族の小文を読んだのがきっかけ。

文化を謳歌したルネサンス時代は
同時に食文化も幸盛をきわめ
いまの日本のように飽食だった。

食べることは生きていくのに必要ではあるが
それは必要以上の過食は
すべて病気の原因となっていく。

言い換えれば
ガンにしても腎不全にしても
病気の原因は食事にある。

そうやって「極少食」を究めて
死を宣告されながら
天寿を全うしたという。

その手記によると1日に300gの食事と
200ml程度の赤ワインが基本とされている。
1日に300gなどありえるのだろうか。

じっさい昨年は試みたがあえなく中断し
なしとげられなかった。
300g以下は無理。
キッチンスケールで計るが700gくらいがふつうだった。
そんなとき1日1食の実践している人がいることを知り
さらに民間医療では断食は
半日断食からはじまり1日断食、本断食と
健康法のひとつとして確立していること知る。

どの断食にしても
◎食事は少なければ胃腸や内臓の負担が少ない。
◎断食による飢餓感と空腹の時間が排便=排毒をうながす。
毎日便通がいい人でも腸壁にはなかなかはがれない黒い宿便があり
断食ではそれらも体外に出す。
という趣旨である。

さて慢性腎不全にかぎらず健康人にとっても有効な断食を
やってみない手はないと今年3月くらいからはじめた。

最初は空腹感を感じるが
空腹感は脳がやや下がる血糖値の低下を察知したもので
であればキャンデー1個で間に合わせることで抑えられる。
なれればそれも必要ないのだ。

1週間くらいで下痢があり黒い宿便もでた。

透析では体重増加が常に問題になるが
1食抜くわけだから比較的楽になった。
それだけでも有意義だ。

ルネサンス貴族の小文でも80歳すぎても
その少食で山登りをしたり狩りをしたりしたとある。
エネルギーを生み出すと考えられている糖とは別の回路として
ケトン体がいわれている。
肝臓に蓄えられてるタンパク質をエネルギー源とするらしい。

長い説明になってしまったが
朝飯抜きの山歩きの前提を書いてみた。
朝抜きとはいえ
にんじんとりんごをジューサーにかけたものはいいそうで
我が家にはジューサーはないので
おろし金ですり茶こしで搾るのだ。
ミキサーは駄目。
繊維質を入れない趣旨なのだそうだ。

低山とはいえ200ml程度のフレッシュジュースだけなので
何か異変があれば
すぐ食べるつもりだったが
何も問題はなかった。
山を登るのはつらい。
それはいつもと同じ。

頂上での弁当がなによりおいしいけっかでした。








2014-08-03

ビタミンD


ビタミンD
食品100g当たりのビタミンDの含有量 単位:μg 
成人男子目安量:5μg
成人女子目安量:5μg
()は100g当たりのカリウム含有量 単位:mg
ビタミンDは、魚に多く含まれます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビタミンDの多い食品ベスト32 (水分が40%以上)
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あんこうのきも    110 (220)
しらす干し(半乾燥)  61 (210)
いわし(丸干)    50 (470)
身欠きにしん    50 (430)
すじこ        47 (180)
しらす干し(微乾燥)  46 (-)
いくら       44 (210)
かわはぎ      43 (380)
さけ(紅鮭)      33 (400)
さけ(しろ鮭)    32 (400)
スモークサーモン  28 (250)
塩さけ        23 (320)
にしん        22 (350)
いかなご      21 (390)
さんま(生)      19 (200)
うなぎのかば焼    19 (300)
ひらめ        18 (310)
まぐろのトロ    18 (230)
数の子        17  (2)
あゆ(養殖/焼)    17 (510)
キングサーモン    16  (400)
さんま(焼)      16 (-)
銀鮭        15 (-)
いさき        15 (300)
たちうお      14 (290)
さんま(開き)    14 260
こい        14 (-)
かれい        13 (330)
まかじき      12 (-)
さば(開き干し)    12 (-)
にじます      12 (370)
さば        11 (320)
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ビタミンDの多い食品ベスト32(水分が40%未満のベスト8)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いわし(みりん干)  53 (290)
たたみいわし   50 (790)
いかなごの佃煮   23 (670)
煮干し       18 (1200)
干ししいたけ(乾) 17 (2100)
わかさぎの佃煮   8 (480)
削り節の佃煮   6 (410)
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ビタミンDの働き
カルシウムやリンの吸収をよくし、骨や歯への沈着を助けます。血中カルシウム濃度を一定に保つ。
ビタミンDの欠乏症
大人では、骨軟化症。
子供では、骨の成長障害が起こり、背骨や足の骨が曲ったり、X脚、O脚、くる病。下顎の骨も弱り、歯がぐらつく。
高齢者や閉経後の女性では、骨粗しょう症 の原因にもなる。
ビタミンDの過剰摂取
摂りすぎると、高カルシウム血症、腎機能障害、軟組織の石灰化障害。
過剰症は、サプリメント等で大量に摂取した場合に起こり、食事で起こることは、ほとんどない。