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2015-01-25

左足が貧弱に見える

通院に以前は駅まで歩いていたのが
骨折でタクシーからシティバスへと
手段をかえてきた。
まだまだ駅まで歩こうという気にはなれない。

そのシティバスが走るわがマンションの近くには
畑や植栽も多い。
きのうバスが停車したときに
梅の木にじっと輝く新芽が
朝日に輝いていた。
すぐそこに春が近づいてるのかも。

ご存じ骨折リハビリ中の左足。
2ヶ月になろうというのに
まだむくみがとれない。
もともと「充電」で体重が多めの印象。
というより水分の摂取が多く
体重増加が多いことによるのだろうけど
浮腫みやすい上での骨折。

しっかりとソックスの跡が食い込んだようにできる。
水分摂取が多いのと血流が悪い結果
左足はより浮腫む。

パンパンだった手術直後からはややひいてきた。
むくみが引くにつれて
皮下脂肪がもともと少ないので
筋肉が見えてくる。
それを右足と比べると
やはり左足が貧弱に見える。
その分左足には負担がかかってることがわかる。
そして毎日あるいは時間が経つと
筋肉痛とおもわれる痛みの部位が移動する。
あるいは和らいだりする。

こんなのを繰りかえして
もとにもどるんだろうな。


写真=入院当時の写真。これよりはおさまりつつある。

2015-01-23

骨折後「動かして治す」

いままでどちらかというと骨折について
書いたのでこのブログでは
あまり触れてない。
左足を骨折して手術後
七週を過ぎ松葉杖もとれ
骨折した足に全体重をかけてよい
「全荷重」にもなったので
それまでの記録は
『百日回峰』でと記してきたが
「全荷重」を機に
記録をこちらにもってきた。



足が痛い。
痛いのがなぜなのかわからない。
だがわかりきったことで
七週間使わなかった左足の筋肉の悲鳴である。
もちろん万が一のばあいでは
骨の中に挿入してある金属や
手術の縫合部の不具合であることもある。

なので当初はそういう危惧のほうが大きかったが
それから一週間経って
筋肉痛を自覚するほうが大きい。

ふつう筋肉痛というのは
使いすぎてここが痛いとか
あそこが痛いとわかるが
ほぼまったく使わなかったことで
左足喉の筋肉もしぼんだ状態で
ふつうに歩くだけで
その筋肉にとっては
重労働なのであろうことで
足の周り重い。
ギブスでもしたように
ひとまわり全部が痛い。

きのうは『充電』後に
ショルダーバッグに薬の山もいれたが
帰りにスーパーなどでの買い物をして
大根やにんじん、タマネギをいれて
しかもほかにも店を徘徊した結果
今日は動けないほど足が痛い。

歩くだけでこんなにあちこちの筋肉を使うのだということがわかるし
同時に七週でこれほどに
筋肉の能力が落ちるのだと実感する。
今日は午後郵便局へかつてなら10分くらいのところに行くのが
マンションを出た瞬間
この足では行けないんじゃないのかと思ったくらい
痛くて動かない。

だが
「動かして治す」を自分なりの鉄則にしているので
その手前ゆっくりでもいこうとしたら
その鉄則は正しくて
10分くらい歩くと少し痛みも和らぐ。
結局時間的には倍かかったが
公園まで行こうかという頭もあったが
それはさすがにやめてマンションに戻った。

わずか40〜50分だがこのわずかなトレーニングが
少しずつ筋肉を作ることになるのだと実感した。

一日おきに充電のために病院に出かけてはいるが
今日のようにわずかでも散歩すれば
筋肉を作るのは倍になる。
折れた骨はじっとしていればくっつくが
筋肉はじっとしていても太くはならないのだ。

とはいえいままでもそうだが
通院の合間の日に出かけることは容易ではない。
といっても決意の問題だし決心だけなのだが。

極力出かけるようにしたいもの。


写真=散歩で見かけた日だまり。

2015-01-10

一瞬 心臓がとまった

 血圧計のモニターの写真だが
この二つのデータの測定した時刻は10分もたっていない。

まず上は不整脈で苦しくて
目が覚めこれが続けば
死ぬかもしれないというくらい
苦しい頻脈だった。
頻脈で脈拍数が多いのは
1回の脈が浅いからである。
これが続くようなら救急車も呼ぶ必要もあった。
脈が浅い原因のひとつに
貧血によることも
頭をよぎった。

もともと
不整脈の原因ははっきりしてないが
焼酎を飲み過ぎたときに頻脈になり
また透析の終盤に脈が飛び
ひどいときには心房細動になる。




骨折で入院していて
当然禁酒だったのもあるが
この1ヶ月以上発症していなかったのに
ゆうべ呑みすぎたせいか
発症した。
血液が薄くなれば
運ぶ酸素も少なくなり心臓も
無理を強いられるのかもしれない。
とも思った。

とにかく苦しい。
苦しいのを血圧と脈拍とで見てみようと
計ったのが上の写真だ。

血圧は高いときには190くらいはあるが
117というわが輩の安静時の脈拍数50の倍以上ある。
走っている状況よりそれ以上かもしれない。

で 以前より友人の整体師より不整脈時の
整体的な施し法を教えてもらっていて
以前からツボを探し自分なりにやってきていたが
なかなか手が届きにくい
背中で効果もイマイチで実際には不整脈も
止まったかといえば止まってはいない。

じつは夕べは時間がはっきりしないが
おそらく3時か4時ころにも
頻脈の不整脈があった。
手が届かないなりにツボを押してるうちに
止まらないにしても和らいだのか
眠っていたようだが
ふたたび苦しさで目が覚めた。

それで血圧を計ったのが写真のように
午前5時29分ということになる。
教えてもらった心臓のツボは
ちょうど背中の左肋骨下辺の中央。
いわば心臓の裏側にあたる。

右手で左肩からだとまず届かない。
従来からこの姿勢で届くところまでで
あきらめていた。
もちろん整体では柱を利用したり
背中のツボが押せるようなものを
使ったりする方法を教えてもらっていたが
なかなかその効果はみえなかった。

苦しさあまりほかの部位を押してみようと
こんどは左手をおなじ左背中に
下から回してツボを探っていた。
ああこんなに左手でも背中にいけるんだと
思った瞬間
脈がまったく止まったような感覚があった。
死ぬのかと冗談でなく思った。
それは錯覚でそれまでの
1分間に119回収縮していた心臓が
ペースダウンして80回になった瞬間だった。

こんなにはっきりした効果など
「整体」にあるものとは思っていなかった。
まったくの驚きだ。
次回同じツボが探し当てられるかわからないが
明確なツボが存在することには
間違いないとは言える。
整体おそるべし。






2015-01-09

貧血 一般人の半分の血液濃度

腎不全では貧血がすすむと言われてる。
腎臓はきわめて精巧な仕組みらしく
いろいろな仕事をしていると聞いてきた。
そのひとつ
腎臓では血液を作る指令となる?
言い方を変えれば血液を作るホルモンを出すことで
一定の濃度を保ってるという。

腎不全の場合そのホルモンを出す機能も落ちている。
このホルモンはここは医学のおかげだと言えるのかも知れないが
まがりなりにも人間の手で作ることができてる。
確かではないが5,6年まえ
わが輩の知り得たところでは
この人工的な増血ホルモンは遺伝子組み換えの動物の細胞で
中国で製造培養しているというあたり
すっきりできないものがあるというわけだ。
現在は知らない。

現在その増血ホルモンは「ネスプ」が主流となってると思う。
数年前にネスプになったが
それ以前は「エポジン」だった。
何が違うかといえば
成分的なことはわが輩のようなシロウトにはわからないが
内容は同じだがエポジンは週3回の透析時に投与していたが
それが週1回でよいという。
つまり3回分を凝縮し1回にしたというのだ。

しかし患者の一人としては3回を1回にしなければならないのか
という疑問がある。
投与方法はあらためて穿刺する訳でもなく
透析を終え針を抜く寸前に回路に入れるだけなので
まったく負担はない。
なのに1回に凝縮する理由がわからない。
もちろんスタッフの負担が三分の一になるのは事実だが
投与される患者には負担はないのか?副作用はないのか?
もちろん薬の開発者はそのあたりのことを
詳しく研究した末の製品とは思う。

わが輩も数年前ネスプに切り替えられた。
たしかその日は透析の帰り道に
ラーメンを食べた。
部屋に帰るや
背中に激痛が走る。
この激痛は過去にも経験がある。

すぐ病院へ引き返した。
胆石症と診断された。
かなり大きな胆石ができてることは
毎年のCT検査でわかってる。
即入院で朝から晩まで胆嚢切除の手術をもとめられた。
もちろん原因がなければ
胆石症も起こらないけれど
では胆嚢がなくても問題ないという医学界の「常識」は
信じられるのか?
すでに形骸化された臓器もあるとは思うが
じっさい胆石をためこんで
大きな胆石をつくってしまってる臓器が
形骸化されてると言い切ることはできない。
「形骸化」の言葉があたってるかどうか!?
働いてるからこそ胆石を作ってるのでは?

入院しても痛みはかわらず
胆石症の痛みは堪えられない。
その痛みの中で考えた。
なぜ胆石症が発症したのか?
消化器科の医師は油物を食べたかという。
ラーメン?
脂っこい食べ物で胆石症となる事例は多いらしい。
だが同じラーメンは何度も食べてる。
その日だけ「異物」といえる油の可能性はある。

考えてるうちになにか今日いつもと違うことをしたかというと
「ネスプへの切り替え」だ。
通常製薬会社も開発者も担当医師もだいたい否定する。
そういうのは聞いたことがないと。
しかし薬の副作用や事故は頻繁にあるいは必ず発症するものは
製品としては出回るわけではなく
何%に拒絶反応が起こるもので
自分だけがその何%に入らないと思いたいが
そうではない。
同時に開発者や医師が知らない拒絶反応もあり得る。

胆石症の激痛は一晩過ぎたら落ち着いた。
退院を求めたがなかなか認められなかった。
相変わらず胆嚢切除の手術をもとめられた。
消化器科だけでなく腎臓内科の複数の医師にも
おまけに外科の医師からの説得が続けられた。

そのころにはすっかり痛みもなく
その必要もないので
あらためて手術の説得力もなくなっていた。
次に起こったときにすぐ外科手術できるかどうかわからないから
今やっておきましょうという論法で
大きな手術をはいそうですかとはいかない。

ネスプ犯行説を前提に担当医師に従来のエポジンに
戻すことを願い出た。
ないものを求めているのではなく
元に戻すことなので可能性は大と思っていたが
医師のプライドや製薬会社の面目など
いろいろあるので丁寧に話したが
いくつか話をされたが
エポジンに戻していただいた。

今回の骨折入院でいつもの透析の病院とは異なる病院だったが
やはりうちは今は「ネスプ」にしていると同じような場面になった。
その病院はいまは「国立病院」というものがなく「独立行政法人」だが
ある意味「模範的な」病院で
これも丁寧に話して在庫がないのを数日して「エポジン」を取り寄せてくれた。

ネスプが犯人だという確証はないが
ネスプが原因ではないという証拠もない。
こういうのがいまの医学の中にはありすぎる。

結果いまラーメンを食べようが天ぷらやとんかつを食べようが
料理にはオリーブオイルも頻繁に使うが
胆石症になったことは
それ以来ない。

さて今日はそのことを書こうと思ってたわけではなく
(このことは何度も書いてきたかも)
この骨折手術で貧血がいつも問題になってきた。
骨折する直前ヘモグロビンHbは8
(8.6だったか?以降小数点以下省略、ちなみに一般基準値は13〜18)
骨折して搬入された病院でHb=10
手術時Hb=8
手術後5日Hb=7(正確には7.6)
と一般にいわれてるように術後下がった。
骨折前に週2回だったエポジンを3回にするかしようか
つぎの検査で見極める予定だったのが
骨折事故で手術を目前にその透析してきた病院とのやりとりで
週3回に決まって退院まで週3回だった。

そして退院後はじめてきのう採決結果を渡され愕然とした。
Hb=7.8

退院時もHb=7.8だった。
退院後気をつけたのは
骨折の修復のためのカルシウムやビタミンD
増血のためのタンパク質を多少リンが増えても
摂ってきたつもりだ。
それが結果として上昇してないのだ。
しかも多めに摂取したはずのタンパク質なのに
ふつうならその残がいというべきリンPが
いままでより極端に少ないというべきか
健康な人の基準値に近い。
ここがわからない。
食べたらないのかそれとも
タンパク質がほかに使われているのか

それにしても
エポジン週3回にしてもらったはずが
ホームベースの透析の病院へもどって
週2回に戻っていたことがわかった。
もちろん1回増えたから
Hbが急激に増えるとは言えないかも知れないが
そのくらいの連携はきちんとやってほしい。
わが輩がいわなかったらそのままで
Hbが7.8と一般の基準値の半分しかないのも
見落としてることにもなる。

このところの頭は動いていても
体がついていかない
目覚めが悪いというのも
この貧血から来ているような気がする。
看護師に言わせると
めまいや立ちくらみがあるかも。
少し気をつけながらレバでもせっせと食べよう。

今日はそれが言いたかったんだが。
長すぎた〜。

レバーは吞み屋か焼肉屋か?
スーパーでレバーを探したがなかなか無いからね。
ちなみに写真は大昔の話。









2015-01-07

体重の三分の二荷重は「安心」を手に入れた


6時起床早めに8時半Sセンターへ到着。昨夜もう朝かと目が覚めて目覚まし時計をみれば23時半というおまけ付きだがとにかく6時に目覚ましのアラームで起こされ滞りなく病院へ着いた。朝早い時間はシティバスもないので、タクシーに頼るしかないがこのタクシーを手配するのが厄介。もちろんマンション前を通る空車はまずないので、スマホの配車アプリを使ってきたがこの午前中の時間はなかなかつかまらない。何度もキャンセルされてきた。それがパソコンで携帯電話番号やよく使う自宅前などを登録しておくと、ほぼ確実に配車してもらえることがわかった。10分程度待つ場合はすべて自動音声でのやりとりで済んでしまう。近所に空車がなくきょうなど16分程度かかるという場合などは、じっさいにオペレーターがそれでもいいか聞いてくる。ちなみにアプリを「東京無線」と「日本交通」と入れて使っていたがアプリの場合は「東京無線」のほうがヒットすることが多いがやはり確実なのは「日本交通」の電話のようだ。ちなみに「日本交通」の回し者ではありません。今日の診療は整形科とリハビリ科だが、整形といってもレントゲン撮影で骨の状態を確認したら終わりで診察も1分もかからず、あのちょっとクールなダンディN医師「三分の二を今日からやりましょう」と、そっけないものだった。私語をかける間もなくリハビリに。体重の三分の二は私の場合体重53キロで三分の二は約35キロとなるが、それ以上に松葉杖を1本にしてよいことになっているのだ。これは大きい。さて問題です。
「左足が骨折した場合のリハビリで、松葉杖はどちらの一本だけで歩くのでしょうか?」
 
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今日3つの体重計に乗ってわかることは、ふつうに立ってるだけならば松葉杖はいらない。それは当然のことではある。病院が正月休みで体重の二分の一荷重を省略しているが本来この時に松葉杖なしでも立ってるだけならよい時間帯だったからだ。今日それを改めて体感したがこれは嬉しい世界なのだ。いままで松葉杖はカラダから離せないものだったのに、じっとしてるだけなら松葉杖なくてもいいという開放感は格別だ。さらに今日やったことは「松葉杖1本歩行」だ。さてここで先ほどの答えだが
「左足が骨折した足ならば、はずしていい松葉杖は左側で右だけの松葉杖で歩く」なのだ。意外にも。ただこの右松葉杖歩行はやってみればわかるが、バランス軸が右足の外にいくためかなりカラダも右に傾く。骨折した左足が修復できないとなれば、この傾いた姿勢で訓練するしかないが、一週間経つと松葉杖がない段階になりこんどはまた姿勢を戻さなくてはならないので「こういうことも可能」くらいのものだった。でもこの一本松葉杖歩行ができるということは保険のCMではないが、大きな「安心」を担保したようなもの。いままでコーヒーの入ったカップすらひとつ運べなかったのができる世界は大袈裟に言えば世界が違う。これまで一番困ったのがスーパーなどでの買い物でカゴが持てないので野菜などを手持ちのビニール袋にいれていたら知らないうちにガードマンがぴったり後に付いていたことだ。もちろんレジに行って支払いをしたらどこか違う出口へ消えた。日頃よく行くスーパーでそれほど大きくもないのに、ガードマンの制服姿をみるのははじめてだった。裏で防犯モニターで見てるんだな〜。今日は違う店ではあるが、この一本歩行をやってみた。これは快感だね。まあ一週間のお試し期間で常用することはないけれど、「安心」の世界を手に入れたということだろう。佐野実の「支那そば」をすすったあと午後はかなり歩いた。
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2015-01-02

あけましておめでとうございます。

松葉杖では雑踏のなかにも行く気にもなれず
外出モードになれず
きのうも山の友人がヘリ搬送の動画ファイルをわざわざ
マンションのポストまで投函しに来てくれたのに
エントランスまで降りようとしない失礼をしてしまった。

きょうは新年最初の『充電』にもかかわらず
寝坊してしまった。
部屋での動きも松葉杖では自由にとれず
普段ならなんとか間に合う時間でも
動けない自分にイライラもする
あきらめてタクシー喚んだ。

20日近い入院生活でなにかに変化があったのか
血圧も20くらい下がったし
夜も9時間ちかく平気で寝てしまう。
起きてからも眠い。
アドレナリンがでない体質になってしまったのかも。


「めざせ『百日回峰』」にもアップしたが
山の倶楽部の友人が撮影してくれたのを
1本の動画にまとめた。