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2015-10-29

きょう透析12年目。

ほんとうは8月に終わる予定の仕事が
未だに続いているので
ブログアップする時間の余裕がないが
今日が透析開始から12年。
回数で言うと「2067回」。
穿刺で言うと、、、、4200回くらいかな?
意外と血管が太く穿刺しやすいとよくいわれるので。

11年近くお世話になった看護師Iが
配置換えで
他局へいくことなったのでメモ的に。
山歩き「めざせ『百日回峰』」も
百日目を目前にして99回。
これを機に記したいことも多くあり
その時間が来るのがまちどおしい。

2015-06-21

とうとうNさん 車椅子


人は過去の事を自慢するようになったらお終い。
もちろん過去を振り返る事は大切な事だが
ましてや過去の栄光を
とくに他人にとっては栄光でも何でもない事を
聞かされる事ほど苦痛はない。

同じ透析患者Nさん。
母親と同じに近い年齢で
九十歳に近い。
九十歳という年齢を聞くと
もう体力的にはお終いと思うが
おそらく本人もそういう気持ちになるかもしれない。

だが
この世には元気で働いている人は
数多くいるし
マスコミなどで紹介されるのは
九十歳で食堂を続けているとか
マラソンをしているとかが
テーマとしては取りあげられるが
とくに目立った事をしていなくても
長生きで元気な人もいる事は
考えられる。
ただおそらくどんな長生きも
カラダを動かす事に支えられていると思う。

そのNさん
かつて吉祥寺の某銀行の店長だった。
そして
今の吉祥寺の「繁栄」は俺がやったとばかり自慢するのだ。
なんでも当時デパートの伊勢丹も東急も三越もなく
街を活性化するために誘致したというのだ。

いまの吉祥寺は住みたい街ナンバーワンだそうだが
けっしてそうは思わない。
もちろん人が集まれば
何ごとも質が一定上がるかも知れないが
同時に安物も氾濫してくる。
食についてもモノについても同じだ。
若者は集まるかも知れないが
その雑踏に困惑するばかりだ。

まあそれはいいとして
かつて野球の1番バッターだとか
ゴルフで何点だとかとにかく
話せば自慢話ばかり。
もちろん静かにその話を聞く事は
先輩への敬意で怠らない。

ただ話を聞くと
ほとんど動かない生活をしている。
もちろん週3回の病院への通院はしているが
ほとんどがバスと電車だ。
私が山歩きをしていることを知って
うらやましいというばかりだった。
私の山歩きはまだ四年目くらいだ。
四年まえは
Nさんがまだふつうに歩いていた。
Nさんもまだ透析を初めたばかりと思う。

「うらやましい」はそのまま
生活に現れているのだろう。
せっかく住まいの近くに善福寺公園という
二つの大きな池もあり自然豊かな環境でありながら
ほとんど行かないという。
せいぜい2ヶ月に一度くらいに
大阪の女性に会うくらいのようだった。

ここでもその女性が有数の美人だったことを
写真を見せながら自慢していたが
どうやら昨年くらいから
大阪へも行かないようで
あまりその女性ともうまくいっていない印象だった。

そのころから
どんどん歩幅が狭くなる。
ふつう前足と後ろ足の間に
1足分くらいは空く。
Nさんもそのくらいだったのが
つい最近では前足と後ろ足が
その半分くらい重なる歩き方しかできなくなっていた。
これが能や狂言であれば
りっぱなすり足である。

病院内であろうが街の中であろうが
すり足で歩けばつまずいて
ひっくり返る。
不安定になって昨年くらいから
ストックを使っているが
先週くらいなど
いまでは手すりがないところは
歩けないような姿も見えた。

同時に透析開始に血圧が200以上ある。
そしてわずか2キロくらいの水分を
4時間の透析でカラダから取り出すと
血圧が100以下まで下がるほど
血圧が急変する。

脚の筋肉は筋肉の塊だ。
そのなかには多くの血管もあり
血液量も多い。
脚の筋肉が収縮すれば
血液も押し流される。
それが多いほど
血流量も多くなる。
それゆえに脚は「第二の心臓」といわれ
私が山歩きを「延命装置」といって
励んでいるのはそこにある。

一般にも「老いは脚から来る」というが
老いると脚が衰えるというのでなく
脚が衰えると
カラダ全体が衰えるという事なのだ。

まして大きく心臓に負担がかかる「透析」。
カラダの水分が多ければ
それだけ血圧は高くなる。
わずか2キロくらいの水分を
カラダから取り出すと
心臓にはおおきな負担だ。
だから急激に血圧が降下し
80や50ともなると
生命の危険にさらされる。

血圧200をみるとカラダの水分量が多い
血圧80をみると水分が少ない。
患者はどうしても80をみる。
基礎体重を上げて欲しいと主張する。
そしてなかなか上がらない基礎体重(ドライウエイト)に
錯覚をして
じゃあ増えないようにとして病院へいく。
飲まないよう食べないようにと錯覚。

そりゃそうだ。
体重の増加量が血圧を押し上げていると錯覚すると
食べるものも飲むものも控える。

主治医は心臓になにか異常があるかもしれないといい
検査日を指定した。
たしかに異常があれば
こういうことも説明できる部分もある。
しかし
私は医師でもないから傍目でしかみてないので
たしかなことはいえないが
心臓には異常はない。
むしろ心臓検査などという検査自身が
負担をかけるのではないかと心配する。

Nさんに「いまからでも遅くないから
毎日あるくことからはじめましょう」

きのうの帰り言うつもりだったが
そのタイミングを逃した。






このところ急な仕事でブログを書いている余裕がなく
八月くらいまではこれが続きそう、ふーー。

2015-05-02

超常現象でなく本質的なカラダの動き?

前回のブログに書いたように
当日リハビリのストレッチなどをはじめた。

その夜というか明け方
寝てる最中に右足が吊った。
ふくろはぎの下部だったが
右足全体に衝撃が走った。
その日のリハビリは
どちらかというと骨折した左足の筋力を増すためだった。
なのに右足が。
しかもふくろはぎは吊って痛いが
その日感じてた腰痛の箇所ではなく
どちらかというと股関節に近い部分も痛い。
そしてそしてなんと
あんなに痛かったその腰痛は消えていた。

あたかも股関節が動いたような印象だった。
以前整体師が話していたことを思い出した。

ケガをする
あるいは落下するという事故は
ヒトの体が正常になりたいという動きが
大元にある。
歪んだ体をもどすための
無意識の動きだというのだ。

もちろんカラダの働きが活発でなく停滞していれば
なかなかそういう動きにならないから
カラダの全体の流れをよくし
緩んでることが大切で
整体の目標はそこにある
という話を聞いたことがある。

今回の転倒骨折は目先では
足元の木の根に乗っかり
滑ったのが原因だと思うが
無意識のカラダの動きと見るのは
無理があるかも知れない。

だがその足が吊ったと同時に
それまでの腰痛が治ったというのは
カラダの自発的な動きと見れる。
半信半疑でこの数日過ごしたが
ほんとうに腰痛は消えたので
書き留めることにした。

その日からとにかく右足に重心をかけてる姿勢を
左足に移す努力をすると
カラダはますます快調になってくるのだ。

当分はしっかり腰痛を治してから
山にも出かけようと考えていたにもかかわらず
むしろこうなったら出かけたほうが
いいようにも思えるようだ。

とにかくその整体的な考えはともかく
快調になったカラダに感謝。

近くの繁華街にでかけたあと
打ち合わせで人にあったが
快調なカラダはそのままで
部屋に帰ってそのほんとの復帰に
改めてひとり「ほんとの快気祝い」

ちょっと呑みすぎた感があり
おそるおそる『充電』にきたが
それほどでもなかったので
一安心。

「ほんとの快気祝い」に酔ったのかも知れない。











2015-04-26

いまごろリハビリの重要性を再認識

骨折した左足の痛みは基本的にはとれた。
しかしそれだからこそなのか
あるいは4月はじめの頃重い機材を持って
新宿に出かけたのがいけなかったのか
反対側の右の腰が痛いのが続く。

これを左足を使うようになったから
その重心移動で痛むのか
左足をかばう右足への重心に堪えられなく
その腰が痛むのか
どちらか定かではない。

先日高尾山を往復リフトを使って登ったが
それ以前からなので
治るものが治らないというのはあるかも知れないが
高尾山が原因としては考えにくい。

そこでふと
病院で受けていたリハビリで指導されていたことをやってみた。
リハビリ科は月に1度くらいは
受診していたが
ほとんどこういうリハビリの訓練をやってくださいと
毎回2,3のパターンをいわれてきたが
だいたい数日で続かない。

ただそれをやるときは
左足の筋肉が極端に落ちてることを
痛感することになってはいた。

そこでいま
改めてやってみると
すべて右の腰に通じて痛む。
そうだ。
やはり左足の筋肉と連動している。
と再認識させられる。

無理をしたかどうかは別として
少なくとも左足をかばって
右に重心が移動しているのは確かで
バスルームの鏡で腰の辺りを見ると
向かって右に腰が歪んでいる。
鏡は不思議な物で
自分はまっすぐの姿勢で生活している
あるいはその場に立ってると思い込んでいるが
鏡はそれを裏切り
一瞬にしてしかも大きく歪んでることを見せつける。

リハビリの指導の中に
椅子に座って片足で立ち上がるというのがある。
これが健常な右足ではできるが
左足ではできないのだ。
立った姿勢からゆっくり座るのも
右足ではできるが骨折した左足ではできない。

もしこれをみてやってみるという人は
やってみると自分の脚力がわかるけど
転倒しないようにはじめは
テーブルなどを支えにしていただきたい。

これをやってると重心に対する意識が集中し
腰の痛みが変わるような気がする。
この指導はもう二ヶ月まえからいわれているが
その頃はまだ痛みがあってそれどころでなかった
というのもあったが
いまになってありがたい指摘だと
痛感している。

ほかにも片足ずつ踵を浮かすというリハビリも
左足は足の甲に負担を感じる。
これも歩くのに必要な筋肉のようで
続けることが必要なんだろう。

いまごろになって
リハビリをはじめるのもなんだが
これをやらないとどんどん腰痛は酷くなり
右に傾いた姿勢は固定化され
一生腰痛モチになることは目に見えている。

日常生活を漫然としていると
無意識に右に重心がかかっている。
意識すれば
たとえば歩くときは左足で歩く意識を持つとか
はできればいいがなかなかそんなに持続できるものでもない。
なので集中的に日課的にリハビリをすることに励む。



青空にハナミズキ


2015-04-17

A大学に行けず

facebookで フォローリクエストが来たので
そのフォロアーのプロフィールをみると
同郷でしかもわが輩が受験して合格したけれど
行かせてもらえなかった大学出身だった。
それで40年以上昔の20歳を
いろいろ思い出してしまった。

というか
日頃から意識無意識の中にそのことはある。
ただ過去のこととしての思いではなく
いまの生活が少し異なることになっていたかもしれない
という思いなのである。
それは性格的なことも含めてである。

この受験生の成績はあまりいいとはいえなかった。
背伸びしてようやく合格した高校だったので
高校生活も劣等生ではあったが
東大合格を含む受験校だった。
勉強してももともと頭が悪いので
二浪してやっと2校に合格したそのひとつがA校だった。
2校に合格したのに大学には行けなかった。
母親は合格したもうひとつのB校へ行くなら
学費を出すが
わが輩が行きたかったA校へは行かせてはくれなかった。
この両校の違いは大きかった。

A校は文系で社会学だった。
B校は工学部だった。
浪人を重ねるうちに社会的な構造に
関心が移り将来の仕事も
そういう分野でやりたいと思ったので
合格したときにはA校しか考えられなかった。
しかし親は納得しなかった。

ほどなくとりあえず
就職もしたが黙って家を出た。
家出というやつだ。
職は二転三転したが東京の専門学校を受け
入学した。

入学金は叔母にお願いし借りることができたが
その後の学費はバイトに頼るしかなかった。
夕方から深夜2時までのタクシー専門の
燃料ガス充填のスタンドのバイトだった。

睡眠は五時間くらいで学校に行くことになるので
それが続きカラダには辛く
しばしば欠席しやがてギブアップ。
夜間に転籍もしたが
やはり学費は捻出できなかった。
それに疲れが溜まると
背中のある部位が耐えられない痛みに
襲われたことが辛かった。

これは上京前のバイトでも
仕事がきついときにもしばしば発症していた。
思えば早朝3時出勤の魚市場のバイトも辛く
しばしば背中の激痛に悩まされていた。

東京でのタクシーのガス充填のバイトから
1年余りタクシーの運転手に転職もした。
やがて専門学校でほとんど勉強もしてないのに
学友からその専門分野でのある仕事を任された。
そのころ結婚もし子供も生まれ。
その学友にはいまでも感謝している。
その娘も40歳になる。

いまから思えば辛い仕事の連続だった様な印象で
それがいまの透析の結果なのかもと思うことがある。
そして大学に行けずバイトと体の痛みの連続で
ひとりで生きてきたことが
人との関わりに臆病な性格になってしまったような気もする。
もともとが幼少からの親の教育が
偏狭だったことから来てるとも思うのだが
大学生活があれば人と関わることで
いろいろ学ぶだろうし是正できたとも時々妄想するのだ。

仕事等で出会った人は数多いるとしても
唯一専門学校のときにグループを作って交流してきたが
40年経ったいまもそれだけが嬉しい友だ。

長々と述懐的に書いてしまったけど
おつきあいありがとうございました。

その究極的な完成度には届いていないかもしれないが
曲がりなりにもその専門分野で
どうにか歩いてくることができたと自負している。

たとえ1日おきの透析という結果になってしまってはいるが。。

ただ母親は孫やひ孫を溺愛しているが
わが輩の仕事には無視しかないことが残念である。

なんのお陰かわからないが
背中の激痛は透析を始めて12年目ではあるがない。
それは心地よい。
透析導入する遙か昔から
どこか内蔵に疾患があったのも知れない。
1度だけ5年くらいまえに胆石症で発症はしたが
いつも疲れるとなっていた激痛は何だったのだろうかと思うと同時に
激痛に襲われない日々に感謝もする。
その1度だけの胆石症も透析での新しいホルモン投与の際におこって
その投与をやめてもらっているのでそれ以降いままでないのである。




2015-04-11

逍遙青梅街道のスタート

おとといから今朝にかけて
食事調整をきちんとしたら
体重増加が3.8キロと
模範的な数値になった。
この調子でも中二日となると
5キロ近く
あるいはそれ以上になってしまう。
まあビールや焼酎をやめれば
可能かも知れない。
ま無理だろう。

1週間くらい前から
考えていた平地リハビリをはじめた。
といってもまだその日1日だけで
いっこうに進んでいない。

思った撮影機材をそろえてでかけたら
左の骨折した足がやはり重くなり
それをカバーしていると思うのが
右足でその負担がほとんど右の腰にきた。
その腰の痛みが
きょうあたりまで継続している。
その日部屋に帰って
バッグや機材の重量を量ってみると7.5キロあった。

山歩きをしてちょっと筋力を使いすぎたというときも
1週間はおおげさだが
数日痛むが
それを過ぎると新たな筋力がついた感覚があり
実際に筋力はついていると確信する。
ひとつイベントをすると
数日痛むのはやむを得ないとして
回復を念じるしかない。

その平地リハビリの一端は
ブログめざせ『百日回峰』を。
そのカラー版を一部ここで。

そうこうしているうちに
来週末に花見山行の知らせが届いた。
あきらかにわが輩の快気祝いをも兼ねて
可能であれば実際に歩くこともできるが
ケーブルカーを使っても良い設定で
これもリーダーのわが輩への配慮で
いたく感謝するばかり。

それに応えるというわけではないけれど
むしろ山歩きではなく
「山頂料理人」らしく!?
料理だけにかけようかと今は思っていて
そのメニュー算段に今週は
力を入れることになりそう。







写真上=新宿御苑
写真中=新宿御苑界隈
写真下=元大木戸 田安稲荷神社

2015-03-31

痛みからの完全解放を祝ってくれる満開の桜

きょうで転倒骨折から丸4ヶ月だ。
予定されてたように痛みから完全解放された。

数日前から痛みが無くなったと
このブログでも書いてきたけれど
半信半疑。
これまでも裏切られたことが
何度もあったけれど
今回はほんとうのようだ、

きょうの『充電』の通院も
いままでマンション近くシティバスに乗ったり
それ以前はタクシーを呼んだりしていたが
シティバスも使わず
最寄りのJR駅までかつて歩いていたときと
同じくらいの速度で歩いても
なんの違和感もない。

ホームへの階段も歩いて上る。
確かめるようにややゆっくりだが。
車内ではこの1ヶ月同様に
空席があっても座らない。

到着駅でもホームから地上改札口まで
階段を使う。
下りは足への負荷が大きいので
慎重に。
しかも今朝は病院での着替えを
後ろに背負ったザックにどっしり抱えてるし。

そして病院まで15分くらい歩く。

昨日今日東京は桜が満開。
先週土曜日にはまだ5分咲きまでいっていなかった
病院に咲く桜も満開だった。

痛みからの完全解放を祝ってくれているかのようだ。
思わずスマホを取り出し撮影した。






2015-03-29

やせ細った筋肉

前回痛みがなくなったと書いた。
これまでもその確信を
裏切るように次の日歩くとやっぱり痛みがある
を繰りかえしてきた。
まあ骨が再生するには紆余曲折は当たり前だが
気が焦る。
そんな話を山の友人が聞きつけて
吞み屋に誘われたら
山の仲間がずらりと待ち構えて
励ましてくれたことも
まだ二週間前のことだ。
店に行ってその顔ぶれに驚きもしたし
仲間というのはそんなにも暖かいものだと感じた。
それより遡ること1ヶ月前には
千葉から学生時代の友人が
わざわざ杉並まできてくれ
酒を交わしてくれた。

さて話を元に戻すと
数日前から痛みがとれた。
その後もそれに変化はないので
このまま行けるような気がしている。

これからは痛みで使えなかった
あるいは全面的に使いはしなかった左足の筋力をたかめるしかない。

痛みが取れて歩数も増えたからなのか
いままで『充電』で週末基礎体重にまでいっても
むくみはとれていなかったのが
今朝ふと見るとむくみがまったくない。
もっとも週末きのうの『充電』あとに
足が激しく吊った。

『充電』で足が吊るのは
体内の水分を排出しすぎるとなる。
つまり基礎体重まで水分を排出するのだけれど
その想定している基礎体重があっているのかという問題でもある。

で むくみが気になって見た訳だが
骨折した足のむくみがなくなって
やせ細った姿があらわになった。
え え ここまで細っているのか〜
この4ヶ月ひたすら働いてくれたもう一方の足と比べると
その貧弱さがよくわかって
これもかなりショックだった。

さて今週からカラダにとっても新しいテーマを課そうと思っている。
そのなかでじっくり筋力を養う。







写真=3月28日

2015-03-28

やっと骨折したところの痛みがとれた



けさで2回目だが
駅から病院までもふつうに歩いても痛みはない。
わずか12,3分ではあるが。
筋力がまだこれからなので
不安定感はあるが問題なく歩ける。

自然に治ることはわかっていても
気が焦ったときもあって
じっさいに痛みがとれるとうれしいもので
さあ筋力をつけよう
と歩数も増え心から自分のカラダに感謝。

おとといも病院と駅往復
自宅と駅往復で10000歩越え。

さて来週からリハビリを次の段階に
ステップアップする予定である。
その予定の準備も楽しみであり
乞うご期待といったところ。















2015-03-24

歩く→痛み→筋力アップ→歩く→痛み→筋力アップ


20日の診察のあとリハビリに行ったわけだけど
リハビリはその名のごとく回復するためなので
自分一人だとやはり痛みがあれば避けるストレッチも
少々無理しても動かす。
あとであまり痛くなってもね〜といわれながら。。

リハビリはストレッチだけではなく
骨折した左足の筋力の低下の具合も知るきっかけにもなる。
右足でできることでも
筋力の落ちた左足ではできないことを
明らかにしてくれる。
つくづく選り好みをして
骨折した左足を守っているのを知ることになる。

病院への行き帰りも歩いた。
そして20分程度の筋力アップのストレッチ。
すると2,3日経つと腰も含めて痛みが出るが
それを過ぎると足腰がしっかりするような印象。
で、きょうは骨折以降4ヶ月はじめて『充電』の通院にも歩いた。
整形外科とリハビリのS病院までと
同じくらいなのだから可能であるけれど
ここは気持ちの問題ではある。
シティバスに乗ってしまっていたのを
天気もよく週初めでもあり心を入れ替えて歩いた。
足も痛みや負担を感じることなく新鮮な気持ちで歩けた。

歩く→痛み→筋力アップ→歩く→痛み→筋力アップ

を持続しなければならないと痛切に感じる。


























2015-03-20

整形外科診察に

今日は1ヶ月ぶりの整形外科の診察の日。
診察といってもほぼレントゲン撮影したものを診るだけだが。
うっすらとゼリー状の「仮骨」が
骨折したところを覆っているのがわかる。

それにしても4ヶ月にしてこんなものかという思いで
医師に順調なんでしょうか
と聞くと順調ですの返事。
まあ切り傷とは違う骨なのでかかるのだろう。


それで山登りはいつ頃かと問うと
次回の診察のときと先送りとされた。
「順調」に経過していることで
今日は前回から1ヶ月あいだがあるが
これから間隔を空けるとし5月末ということになった。

え〜
5月まで山へは行けないのか〜。
まあケーブルカーが設置されているところから
ゆっくりはじめることかな。



骨折時のレントゲン写真(前から)
手術直後のレントゲン写真(横から)


 今日(3月20日)のレントゲン写真(横から)

                 (前から)


  



2015-03-17

「希望的予想」=山歩き開始もそう遠くない

山登りの倶楽部のメンバーの一人Yさんが
前からの計画らしく
海岸線を辿り日本一周をしようという。

それにつけて日々の記録を残し
安否情報ともなるようにブログという形で
アップロードしたいというので
ブログ作成のお手伝いをすることになった。
昨年からブログ作成講座を吞みながらもしたのだけれど
いっこうすすまない様子で
業を煮やして
だいたいYさんの作りたいイメージを聞いていたので
こちらで勝手にひな形をつくり
手直しをするために先週ご自宅にうかがって
おおよそ完成した。

とはいえ
やはり旅先でブログアップするのは携帯電話では
こころもとないし
かといってパソコンを担いでいくのは得策ではないので
PADをすすめた。
Yさん 携帯とパソコンしか触ったことがないので
翌日は渋谷のAppleStoreに同行することとなった。

ご自宅は国立で余り縁がない駅で新鮮だったが
ご自宅まではバスでうかがったが
帰りは突然「歩きましょう」といい
まだ骨折部分が痛く
しかも『充電』おわったすぐで躊躇したが
そんなことおかまいなく
Yさん さっさと前を行く。

多少痛みを感じながら
ようやく駅に着いた。
それから大型家電店を下見し
お疲れさんでしたということで
居酒屋へはいったあと
恒例のハシゴ。
結果ふつうこのところの歩数が5000歩くらいだったのが
10000歩近かった。

ところが次の日は
整体の治療もあって治療院まで20分近く往復したあとに
場違いのようにYさんと渋谷ハチ公前で待ち合わせ。
ipadminiを手に入れると
そそくさと喧騒の渋谷をあとにして地元に帰った。
そしておきまりのように居酒屋ののれんをくぐった。
しかも4軒のハシゴ。
歩数は連日にもかかわらずとうとう20000歩を越えた。
もう足も肝臓もグッタリだった。

予想通り中二日を迎えながら
体重は基礎体重から6キロを超えていた。
やむをえず通常4時間の『充電』を1時間延長してもらって
やっと基礎体重にもどすことができた。

さてそれほど酷使した足だったが当初から期待もあった。
筋肉も使うと痛みが次の日出るが
時間が経つと痛みはなくなり
筋肉はしっかりする。

同じように骨折部分も骨と同時に
筋肉も関わっていて
この酷使で痛みが遠のくかも知れないという「希望的予想」もしていた。
もっとも先週に入ってから痛みが激減していたのは確かで
おとといときのうは休ませようと
どこにも出かけなかったが
今日の『充電』のために出かけようと玄関を出ても
いつもの痛みがほとんどない。
きょうは5000歩いってないけれど
自宅に帰るまでほとんど痛みが意識になかった。

JRの駅階段も使ったけれど同じだった。
もちろんまだ筋力は左右均等ではないので
安定はしてないけれど
このまま痛みが遠のいてくれれば
山歩き開始もそう先のことではないような気がしてきた。
このままいっておくれと祈るばかりなのだが。





写真上=12日木曜日 『充電』後国立へ
写真下=13日金曜日 整体治療院と渋谷へ










2015-03-09

誰にも会わない日々

骨折して以来この3ヶ月
『充電』と整形外科の通院以外
ほぼ家を出ない生活になってしまった。
吞みに出かけることもなく
狭い部屋に閉じこもったまま。
医師や看護師には会うことがあっても
人に会わない生活。
余り望ましいことではないと思いながら
ほかに踏み出すこともない日々。

つまるところ
クラシックを聞き
料理レシピを開拓し
ネットをさまようしかないのである。

山行倶楽部のリーダーから
励ましのメールが来た。
嬉しいかぎりだ。

もう少し歩けるようになればと
その思いばかり。
そして
今日の昼ご飯にグラタン。


2015-03-08

不整脈が消えて2ヶ月 しかも血色素濃度HG9に上昇

ブログを辿ってみると
1月の10日に不整脈が起こっているが
それ以降約2ヶ月発症してない。

いままで期外収縮から心房細動へと移行していたが
期外収縮すら起こっていない。
これであした起こったら笑えるが
少しこれまでの対策を思い起こしてみようと思う。

意識的に考え実践してきたことをいくつか揚げてみると

1ースマホを体からなるべく離し身につけないで、電話はガラケイを使用。

2−電子レンジを使わない。

3−電磁調理器を使わない。

4−ドライヤーを使わない。

5−一時酒量を減らした。これは最近は以前より増えてるかも知れない。

6ー『充電』(=透析)による除水量をなるべく減らす。つまりは体重増加を抑える。
  
7ー血圧を安定させ少しレベルを下げる。

8−整体治療を受ける。

9−8の整体治療の指針の下に日常的に整体的ストレッチに心がける。



だいたいこんなもんだろうと思われる。
ただこれらすべてが効果を奏してるかと言えば
そうは考えにくい。
なぜなら12月はほぼ骨折による入院やら
生活自身が「おとなしい」ものだったといえるし
11月までは発症している。

このなかで実感としてもっとも可能性があるのは9だが
もちろん前提として1〜8があってこそなのかもしれない。

整体をいままで受けるものと思い込んでいた部分があった。
つまり
治療院へ行って治療を定期的に受けていれば変化するものだと
していたような気がする。
いつも治療に行って
ここをこうしてくださいという
自分でするいわばストレッチやマッサージのようなことを
指示されてきたにもかかわらず
ほとんど何もしてこなかった。

骨折をして入院は20日間だったが
松葉杖生活や折れた左足をかばうための
体勢の変化であちこちの筋肉が痛むのと同時に
腰の痛みもあった。
腰回りの痛みがあるところを意識している間に
なんとなく指示されていた整体的ポイントと重なってることを発見。

1月の治療の際
体を横にするときにいつもより体が硬くなっていることを自覚して
「きょうはガチガチですね」といったら
整体師は「きょうは?」と返してきた。
あまりそういう意識はなかったのだけれど
いつもガチガチだったのだと認識した。
それからカラダのこわばりを解消することが
これから骨折した部分が繫がり
筋力をつけこれまでのように
まっすぐ歩けるようにするには必要だと考えた。

カラダのこわばり
わが輩の場合は左半身のこわばりが顕著で
これが不整脈の一因でもあるようだ。
左の半身をいろいろ触っていると
それをずいぶん感じることができるようになり
それらを整体的ストレッチなどでゆるめることを
この2ヶ月近く自然にしてきたような気がする。

整体は局所的にここをどうするというのではなく
ここをどうこうして
カラダ全体がよく機能することを
めざしていることがよくわかる。

ともかくも落ちた筋力をつけるのは当然だが
この整体的ストレッチをつづけ
「正しい」筋肉のつけかたをしていくことを
今はしていこうと思う。


ちなみに骨折の手術後
HG6台まで落ちた血液濃度は
3ヶ月かかって9.5まで上昇し
ほぼ半日断食前のレベルまで回復した。
これも肉やさかな
あるいはレバ、あさり、ほうれん草など
増血に関わる食事をあさるように
摂取してきたし
増血ホルモンを増やしたことによると
思われるが
ひとまず一安心といったところ。
これで数日前から飛躍的に骨折部分の痛みが
軽減しているので
それこそ「正しい」筋力がつけば
骨折以前よりいい状態が生まれるはずなのだが。。













2015-03-05

画期的!はじめて一日痛みなし

明日のことはわからないが
少なくとも今日は飛躍的に骨折の痛みが感じられない。
きのうまで歩くと骨折部分が痛かった。
それは精神的にはこのままずっと続くのではないかという感覚に陥ると
ずいぶん落ち込む。
居酒屋に吞みに出かけようかと考えても
その気力もなくなり
負のスパイラルに落ちていく。
その結果
家飲みではあるが
吞みすぎる。

きのうまで立ってるぶんには何の痛みがなかったのが
歩き始めると痛んでいたのが
今日は『充電』にでかけ
多少いつもより歩数は少ないが
マンションへ帰るまで痛まなかった。
これは画期的な感動だ。
「治る」という実感が少しだけ感じられる。
マンションのエントランスを入ると
エレベーターが点検中で使用不能だった。
わが部屋は3階だが
筋力はまだまだではあるが
少なくとも痛みなく部屋についた。

痛みがなくなればこっちのもんだ。
本格的に山にのぼる前の
「企画」もできてる。
一週間このままだったら
「企画」進行となろう。

2015-02-25

レコードとシチュー


このところ気持ちの置きようがない状態になるが
きょうは少し落ち着いている。

やはり骨折したところの痛みが発信地で
今日は痛みがあまりないところから来てるのかも知れない。

もう少し突き詰めると
体重増加がきのうなど中二日で6kg。
それも部屋から動かない結果の焼酎が原因かも知れない。

自重が53kgの上に6kgの負荷が骨折部分にかかっているはずで
それが痛みのもとだろう。

そして、それなりに堪えた次の日は6kgに堪えた足も開放感をあじわっていると考えられる。

一週間ごとのその繰り返しのうちに
完治することを願うばかり。

落ち着かない気持ちをどこかにと。
壊れていたアンプに代わるものを
といっても同じくらいの骨董品をヤフオクでゲット。
安いだけあって難ありだけれど
音はいいので同じ頃の
1980年ころ?の。

狭い部屋を模様替えして
やっと据え置き
レコードプレーヤーと接続でき一仕事。

きのうはビーフシチュー。
きょうはテレビでクリームシチューをやっていたので
さっそくつくりコーヒーとクリームシチューとレコード。
シベリウスのフィンランディア。







2015-02-13

松葉杖がとれてからの進捗がみえない。

時間が止まってしまったような感覚。

1日おきの『充電』も
もはや習慣のようなもので
何も考えることもなくでかけるだけ。

左足が使えないときは工夫する「楽しみ」はあった。
そして使えるようにはなったが
充分に機能していない。

ずっとこのまま
あるいは何か不都合な状況が残って
いくのではないかという不安。

そうわかっていることだが
焦っている。

松葉杖がとれるまでは
一週間単位ですすんできたので
それはそれで見える形の回復だった。
松葉杖がとれてからの進捗がみえない。

さてどうする?



























2015-02-06

まだ「仮骨」は未成熟

きょうは骨折のほうのチェックで
立川のSセンター整形外科の診療。

あのばっさり折れた足の骨。
もう全荷重をかけてもいいといわれ
痛いけどふつうに歩いているが
レントゲン画像を見ると
まだほとんどそのまま。
ふつう「仮骨」という第1段階の骨のような組織が
骨折した間を埋めるが
まだそれが成長してなく
折れた間がくっきり見える。

角度を変えると多少成長しているのが見えるが
なかなか。
心配してこの間をいずれ埋められるものか
医師に聞いたが
「いずれくっつく」という明快な答え。
まあそれを待つしかない。

膝に近い骨折しても何もしていない部分は
たしかに「仮骨」が包んでいた。

今回画像をもらい忘れたので
骨折当初のものを載せた。

リハビリ科にも行ったわけだが
いろいろ話していると
日頃の痛みが骨折から来てるのか
筋肉痛が来てるのかが
少しずつわかってくると
ずいぶん安心できる。

これが不安の連続だと
いらぬところをカバーして
カラダの歪みも矯正されず
歪んで回復してしまう。

痛くて次の日歩けないようではまずいが
多少の痛さをくりかえしながら
筋肉や筋のこわばりを回復していくのだという。

ほんとうにここは時間がかかるし
痛いしのくりかえし。
この分だと半年はかかるのかもしれない。


2015-02-05

貧血の数値 ヘモグロビンHbは8.8でややアップに喜んだ

今週初めの血液検査のデータが出た。

あれほど考えあぐねた貧血に
よい兆候が現れた。

12月の骨折手術以降
7.8以上に上がらなかったヘモグロビンHgの数値。
それが8.8まで上がった。

もちろん鉄分の多い食物をあえて食べた。
けっこうこれはカリウムもリンも多く含んでることが多く
リンはまあいいとしても
カリウムは過多の場合死につながるから気をつけた。

鉄分も吸収されやすいヘム鉄と非ヘム鉄とがあって
非ヘム鉄はあまり期待できないとあって
レバー・赤身の肉・レバー・卵・アサリやシジミに期待してきた。

それと増血ホルモンのエポジンを
1500mlを週3回。

それに歩いて体を使うことも血液を作るという。

しかし、わが輩の印象ではそれらをやってきたけれど
「エディロール」という薬のせいではないかと思っている。

エディロールは骨折時に手術をした病院で処方されたものだ。
ネットで効能を見ると骨粗鬆症に効くとあるが
まあ骨折した骨を再生するのに必要ということなのだろうか?

しかし同じビタミンDの薬なのに
エディロールは高カルシウムになるので
もともとの透析の病院へ戻ると
以前から処方されている「ホーネル」にして
エディロールは休薬するようにいわれた。

このへんの専門的なことはわからないが
骨折手術をした整形で処方されたのか
臨時のその病院の透析室で処方されたのかはわからないが
病院によってあるいは医師によって
見解が違うというのは
まあありそうなことだが
患者としてはどうなってるのかと思ってしまう。

前病院で処方されたのが約1ヶ月分だったので
1月後半まで飲んでいた。

その話とは別にネットでエディロールの副作用を見ていたら
「貧血」というのがあった。
このへんの貧血が起こる仕組みもわからないが
一瞬このせいで貧血も改善しないのではないかと疑った。
副作用として掲げてあることは
実例があるから「副作用」としてある。
しかし処方する医師はだいたいが
どんな薬でも副作用はあるから
それとどう付き合うかだという。
もちろん軽い副作用ならよいが
どうも解せないものだ。

前病院でエポジンが週3回にしてもらっていたのが
現病院へもどったときに週2回にもどっていたことにわが輩が気がつき
すぐに増やすようにお願いしたことはこのブログに書いたが
ふたたび3回にしてもらった時期と
エディロール休薬と
期を同じくしているので
決め手はないがエディロール休薬で貧血がやや戻ったような気がするのだ。

もちろん透析患者のレベルでもHgは10をめざすわけだが
とりあえず7.8から8.8へのアップは喜んだ。





2015-01-25

左足が貧弱に見える

通院に以前は駅まで歩いていたのが
骨折でタクシーからシティバスへと
手段をかえてきた。
まだまだ駅まで歩こうという気にはなれない。

そのシティバスが走るわがマンションの近くには
畑や植栽も多い。
きのうバスが停車したときに
梅の木にじっと輝く新芽が
朝日に輝いていた。
すぐそこに春が近づいてるのかも。

ご存じ骨折リハビリ中の左足。
2ヶ月になろうというのに
まだむくみがとれない。
もともと「充電」で体重が多めの印象。
というより水分の摂取が多く
体重増加が多いことによるのだろうけど
浮腫みやすい上での骨折。

しっかりとソックスの跡が食い込んだようにできる。
水分摂取が多いのと血流が悪い結果
左足はより浮腫む。

パンパンだった手術直後からはややひいてきた。
むくみが引くにつれて
皮下脂肪がもともと少ないので
筋肉が見えてくる。
それを右足と比べると
やはり左足が貧弱に見える。
その分左足には負担がかかってることがわかる。
そして毎日あるいは時間が経つと
筋肉痛とおもわれる痛みの部位が移動する。
あるいは和らいだりする。

こんなのを繰りかえして
もとにもどるんだろうな。


写真=入院当時の写真。これよりはおさまりつつある。

2015-01-23

骨折後「動かして治す」

いままでどちらかというと骨折について
書いたのでこのブログでは
あまり触れてない。
左足を骨折して手術後
七週を過ぎ松葉杖もとれ
骨折した足に全体重をかけてよい
「全荷重」にもなったので
それまでの記録は
『百日回峰』でと記してきたが
「全荷重」を機に
記録をこちらにもってきた。



足が痛い。
痛いのがなぜなのかわからない。
だがわかりきったことで
七週間使わなかった左足の筋肉の悲鳴である。
もちろん万が一のばあいでは
骨の中に挿入してある金属や
手術の縫合部の不具合であることもある。

なので当初はそういう危惧のほうが大きかったが
それから一週間経って
筋肉痛を自覚するほうが大きい。

ふつう筋肉痛というのは
使いすぎてここが痛いとか
あそこが痛いとわかるが
ほぼまったく使わなかったことで
左足喉の筋肉もしぼんだ状態で
ふつうに歩くだけで
その筋肉にとっては
重労働なのであろうことで
足の周り重い。
ギブスでもしたように
ひとまわり全部が痛い。

きのうは『充電』後に
ショルダーバッグに薬の山もいれたが
帰りにスーパーなどでの買い物をして
大根やにんじん、タマネギをいれて
しかもほかにも店を徘徊した結果
今日は動けないほど足が痛い。

歩くだけでこんなにあちこちの筋肉を使うのだということがわかるし
同時に七週でこれほどに
筋肉の能力が落ちるのだと実感する。
今日は午後郵便局へかつてなら10分くらいのところに行くのが
マンションを出た瞬間
この足では行けないんじゃないのかと思ったくらい
痛くて動かない。

だが
「動かして治す」を自分なりの鉄則にしているので
その手前ゆっくりでもいこうとしたら
その鉄則は正しくて
10分くらい歩くと少し痛みも和らぐ。
結局時間的には倍かかったが
公園まで行こうかという頭もあったが
それはさすがにやめてマンションに戻った。

わずか40〜50分だがこのわずかなトレーニングが
少しずつ筋肉を作ることになるのだと実感した。

一日おきに充電のために病院に出かけてはいるが
今日のようにわずかでも散歩すれば
筋肉を作るのは倍になる。
折れた骨はじっとしていればくっつくが
筋肉はじっとしていても太くはならないのだ。

とはいえいままでもそうだが
通院の合間の日に出かけることは容易ではない。
といっても決意の問題だし決心だけなのだが。

極力出かけるようにしたいもの。


写真=散歩で見かけた日だまり。

2015-01-10

一瞬 心臓がとまった

 血圧計のモニターの写真だが
この二つのデータの測定した時刻は10分もたっていない。

まず上は不整脈で苦しくて
目が覚めこれが続けば
死ぬかもしれないというくらい
苦しい頻脈だった。
頻脈で脈拍数が多いのは
1回の脈が浅いからである。
これが続くようなら救急車も呼ぶ必要もあった。
脈が浅い原因のひとつに
貧血によることも
頭をよぎった。

もともと
不整脈の原因ははっきりしてないが
焼酎を飲み過ぎたときに頻脈になり
また透析の終盤に脈が飛び
ひどいときには心房細動になる。




骨折で入院していて
当然禁酒だったのもあるが
この1ヶ月以上発症していなかったのに
ゆうべ呑みすぎたせいか
発症した。
血液が薄くなれば
運ぶ酸素も少なくなり心臓も
無理を強いられるのかもしれない。
とも思った。

とにかく苦しい。
苦しいのを血圧と脈拍とで見てみようと
計ったのが上の写真だ。

血圧は高いときには190くらいはあるが
117というわが輩の安静時の脈拍数50の倍以上ある。
走っている状況よりそれ以上かもしれない。

で 以前より友人の整体師より不整脈時の
整体的な施し法を教えてもらっていて
以前からツボを探し自分なりにやってきていたが
なかなか手が届きにくい
背中で効果もイマイチで実際には不整脈も
止まったかといえば止まってはいない。

じつは夕べは時間がはっきりしないが
おそらく3時か4時ころにも
頻脈の不整脈があった。
手が届かないなりにツボを押してるうちに
止まらないにしても和らいだのか
眠っていたようだが
ふたたび苦しさで目が覚めた。

それで血圧を計ったのが写真のように
午前5時29分ということになる。
教えてもらった心臓のツボは
ちょうど背中の左肋骨下辺の中央。
いわば心臓の裏側にあたる。

右手で左肩からだとまず届かない。
従来からこの姿勢で届くところまでで
あきらめていた。
もちろん整体では柱を利用したり
背中のツボが押せるようなものを
使ったりする方法を教えてもらっていたが
なかなかその効果はみえなかった。

苦しさあまりほかの部位を押してみようと
こんどは左手をおなじ左背中に
下から回してツボを探っていた。
ああこんなに左手でも背中にいけるんだと
思った瞬間
脈がまったく止まったような感覚があった。
死ぬのかと冗談でなく思った。
それは錯覚でそれまでの
1分間に119回収縮していた心臓が
ペースダウンして80回になった瞬間だった。

こんなにはっきりした効果など
「整体」にあるものとは思っていなかった。
まったくの驚きだ。
次回同じツボが探し当てられるかわからないが
明確なツボが存在することには
間違いないとは言える。
整体おそるべし。






2015-01-09

貧血 一般人の半分の血液濃度

腎不全では貧血がすすむと言われてる。
腎臓はきわめて精巧な仕組みらしく
いろいろな仕事をしていると聞いてきた。
そのひとつ
腎臓では血液を作る指令となる?
言い方を変えれば血液を作るホルモンを出すことで
一定の濃度を保ってるという。

腎不全の場合そのホルモンを出す機能も落ちている。
このホルモンはここは医学のおかげだと言えるのかも知れないが
まがりなりにも人間の手で作ることができてる。
確かではないが5,6年まえ
わが輩の知り得たところでは
この人工的な増血ホルモンは遺伝子組み換えの動物の細胞で
中国で製造培養しているというあたり
すっきりできないものがあるというわけだ。
現在は知らない。

現在その増血ホルモンは「ネスプ」が主流となってると思う。
数年前にネスプになったが
それ以前は「エポジン」だった。
何が違うかといえば
成分的なことはわが輩のようなシロウトにはわからないが
内容は同じだがエポジンは週3回の透析時に投与していたが
それが週1回でよいという。
つまり3回分を凝縮し1回にしたというのだ。

しかし患者の一人としては3回を1回にしなければならないのか
という疑問がある。
投与方法はあらためて穿刺する訳でもなく
透析を終え針を抜く寸前に回路に入れるだけなので
まったく負担はない。
なのに1回に凝縮する理由がわからない。
もちろんスタッフの負担が三分の一になるのは事実だが
投与される患者には負担はないのか?副作用はないのか?
もちろん薬の開発者はそのあたりのことを
詳しく研究した末の製品とは思う。

わが輩も数年前ネスプに切り替えられた。
たしかその日は透析の帰り道に
ラーメンを食べた。
部屋に帰るや
背中に激痛が走る。
この激痛は過去にも経験がある。

すぐ病院へ引き返した。
胆石症と診断された。
かなり大きな胆石ができてることは
毎年のCT検査でわかってる。
即入院で朝から晩まで胆嚢切除の手術をもとめられた。
もちろん原因がなければ
胆石症も起こらないけれど
では胆嚢がなくても問題ないという医学界の「常識」は
信じられるのか?
すでに形骸化された臓器もあるとは思うが
じっさい胆石をためこんで
大きな胆石をつくってしまってる臓器が
形骸化されてると言い切ることはできない。
「形骸化」の言葉があたってるかどうか!?
働いてるからこそ胆石を作ってるのでは?

入院しても痛みはかわらず
胆石症の痛みは堪えられない。
その痛みの中で考えた。
なぜ胆石症が発症したのか?
消化器科の医師は油物を食べたかという。
ラーメン?
脂っこい食べ物で胆石症となる事例は多いらしい。
だが同じラーメンは何度も食べてる。
その日だけ「異物」といえる油の可能性はある。

考えてるうちになにか今日いつもと違うことをしたかというと
「ネスプへの切り替え」だ。
通常製薬会社も開発者も担当医師もだいたい否定する。
そういうのは聞いたことがないと。
しかし薬の副作用や事故は頻繁にあるいは必ず発症するものは
製品としては出回るわけではなく
何%に拒絶反応が起こるもので
自分だけがその何%に入らないと思いたいが
そうではない。
同時に開発者や医師が知らない拒絶反応もあり得る。

胆石症の激痛は一晩過ぎたら落ち着いた。
退院を求めたがなかなか認められなかった。
相変わらず胆嚢切除の手術をもとめられた。
消化器科だけでなく腎臓内科の複数の医師にも
おまけに外科の医師からの説得が続けられた。

そのころにはすっかり痛みもなく
その必要もないので
あらためて手術の説得力もなくなっていた。
次に起こったときにすぐ外科手術できるかどうかわからないから
今やっておきましょうという論法で
大きな手術をはいそうですかとはいかない。

ネスプ犯行説を前提に担当医師に従来のエポジンに
戻すことを願い出た。
ないものを求めているのではなく
元に戻すことなので可能性は大と思っていたが
医師のプライドや製薬会社の面目など
いろいろあるので丁寧に話したが
いくつか話をされたが
エポジンに戻していただいた。

今回の骨折入院でいつもの透析の病院とは異なる病院だったが
やはりうちは今は「ネスプ」にしていると同じような場面になった。
その病院はいまは「国立病院」というものがなく「独立行政法人」だが
ある意味「模範的な」病院で
これも丁寧に話して在庫がないのを数日して「エポジン」を取り寄せてくれた。

ネスプが犯人だという確証はないが
ネスプが原因ではないという証拠もない。
こういうのがいまの医学の中にはありすぎる。

結果いまラーメンを食べようが天ぷらやとんかつを食べようが
料理にはオリーブオイルも頻繁に使うが
胆石症になったことは
それ以来ない。

さて今日はそのことを書こうと思ってたわけではなく
(このことは何度も書いてきたかも)
この骨折手術で貧血がいつも問題になってきた。
骨折する直前ヘモグロビンHbは8
(8.6だったか?以降小数点以下省略、ちなみに一般基準値は13〜18)
骨折して搬入された病院でHb=10
手術時Hb=8
手術後5日Hb=7(正確には7.6)
と一般にいわれてるように術後下がった。
骨折前に週2回だったエポジンを3回にするかしようか
つぎの検査で見極める予定だったのが
骨折事故で手術を目前にその透析してきた病院とのやりとりで
週3回に決まって退院まで週3回だった。

そして退院後はじめてきのう採決結果を渡され愕然とした。
Hb=7.8

退院時もHb=7.8だった。
退院後気をつけたのは
骨折の修復のためのカルシウムやビタミンD
増血のためのタンパク質を多少リンが増えても
摂ってきたつもりだ。
それが結果として上昇してないのだ。
しかも多めに摂取したはずのタンパク質なのに
ふつうならその残がいというべきリンPが
いままでより極端に少ないというべきか
健康な人の基準値に近い。
ここがわからない。
食べたらないのかそれとも
タンパク質がほかに使われているのか

それにしても
エポジン週3回にしてもらったはずが
ホームベースの透析の病院へもどって
週2回に戻っていたことがわかった。
もちろん1回増えたから
Hbが急激に増えるとは言えないかも知れないが
そのくらいの連携はきちんとやってほしい。
わが輩がいわなかったらそのままで
Hbが7.8と一般の基準値の半分しかないのも
見落としてることにもなる。

このところの頭は動いていても
体がついていかない
目覚めが悪いというのも
この貧血から来ているような気がする。
看護師に言わせると
めまいや立ちくらみがあるかも。
少し気をつけながらレバでもせっせと食べよう。

今日はそれが言いたかったんだが。
長すぎた〜。

レバーは吞み屋か焼肉屋か?
スーパーでレバーを探したがなかなか無いからね。
ちなみに写真は大昔の話。









2015-01-07

体重の三分の二荷重は「安心」を手に入れた


6時起床早めに8時半Sセンターへ到着。昨夜もう朝かと目が覚めて目覚まし時計をみれば23時半というおまけ付きだがとにかく6時に目覚ましのアラームで起こされ滞りなく病院へ着いた。朝早い時間はシティバスもないので、タクシーに頼るしかないがこのタクシーを手配するのが厄介。もちろんマンション前を通る空車はまずないので、スマホの配車アプリを使ってきたがこの午前中の時間はなかなかつかまらない。何度もキャンセルされてきた。それがパソコンで携帯電話番号やよく使う自宅前などを登録しておくと、ほぼ確実に配車してもらえることがわかった。10分程度待つ場合はすべて自動音声でのやりとりで済んでしまう。近所に空車がなくきょうなど16分程度かかるという場合などは、じっさいにオペレーターがそれでもいいか聞いてくる。ちなみにアプリを「東京無線」と「日本交通」と入れて使っていたがアプリの場合は「東京無線」のほうがヒットすることが多いがやはり確実なのは「日本交通」の電話のようだ。ちなみに「日本交通」の回し者ではありません。今日の診療は整形科とリハビリ科だが、整形といってもレントゲン撮影で骨の状態を確認したら終わりで診察も1分もかからず、あのちょっとクールなダンディN医師「三分の二を今日からやりましょう」と、そっけないものだった。私語をかける間もなくリハビリに。体重の三分の二は私の場合体重53キロで三分の二は約35キロとなるが、それ以上に松葉杖を1本にしてよいことになっているのだ。これは大きい。さて問題です。
「左足が骨折した場合のリハビリで、松葉杖はどちらの一本だけで歩くのでしょうか?」
 
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今日3つの体重計に乗ってわかることは、ふつうに立ってるだけならば松葉杖はいらない。それは当然のことではある。病院が正月休みで体重の二分の一荷重を省略しているが本来この時に松葉杖なしでも立ってるだけならよい時間帯だったからだ。今日それを改めて体感したがこれは嬉しい世界なのだ。いままで松葉杖はカラダから離せないものだったのに、じっとしてるだけなら松葉杖なくてもいいという開放感は格別だ。さらに今日やったことは「松葉杖1本歩行」だ。さてここで先ほどの答えだが
「左足が骨折した足ならば、はずしていい松葉杖は左側で右だけの松葉杖で歩く」なのだ。意外にも。ただこの右松葉杖歩行はやってみればわかるが、バランス軸が右足の外にいくためかなりカラダも右に傾く。骨折した左足が修復できないとなれば、この傾いた姿勢で訓練するしかないが、一週間経つと松葉杖がない段階になりこんどはまた姿勢を戻さなくてはならないので「こういうことも可能」くらいのものだった。でもこの一本松葉杖歩行ができるということは保険のCMではないが、大きな「安心」を担保したようなもの。いままでコーヒーの入ったカップすらひとつ運べなかったのができる世界は大袈裟に言えば世界が違う。これまで一番困ったのがスーパーなどでの買い物でカゴが持てないので野菜などを手持ちのビニール袋にいれていたら知らないうちにガードマンがぴったり後に付いていたことだ。もちろんレジに行って支払いをしたらどこか違う出口へ消えた。日頃よく行くスーパーでそれほど大きくもないのに、ガードマンの制服姿をみるのははじめてだった。裏で防犯モニターで見てるんだな〜。今日は違う店ではあるが、この一本歩行をやってみた。これは快感だね。まあ一週間のお試し期間で常用することはないけれど、「安心」の世界を手に入れたということだろう。佐野実の「支那そば」をすすったあと午後はかなり歩いた。
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2015-01-02

あけましておめでとうございます。

松葉杖では雑踏のなかにも行く気にもなれず
外出モードになれず
きのうも山の友人がヘリ搬送の動画ファイルをわざわざ
マンションのポストまで投函しに来てくれたのに
エントランスまで降りようとしない失礼をしてしまった。

きょうは新年最初の『充電』にもかかわらず
寝坊してしまった。
部屋での動きも松葉杖では自由にとれず
普段ならなんとか間に合う時間でも
動けない自分にイライラもする
あきらめてタクシー喚んだ。

20日近い入院生活でなにかに変化があったのか
血圧も20くらい下がったし
夜も9時間ちかく平気で寝てしまう。
起きてからも眠い。
アドレナリンがでない体質になってしまったのかも。


「めざせ『百日回峰』」にもアップしたが
山の倶楽部の友人が撮影してくれたのを
1本の動画にまとめた。