ページ

2013-01-31

友人が若くして命を絶った

皆生きるということをテーマにして生きてるようなものなのに
また
友人が若くして命を絶った。



きのう友人である出版社社長から突然電話をいただいた。
「ご存じですか」と
いやな予感。

その社長とふたりで
東京から千葉の誉田という駅まで
たしか一昨年の暮れだったかに
出かけたことがあった。

亡くなった彼はまだ40代と思うが
一流会社のコンサルタント部門で活躍していたが
心身症で通院したり休職してることを
その社長に電話してきた。
その話を聞いていて内容が
かなり深刻だという印象だったので
すぐ翌週くらいだったか
何もできないが
その社長と3人で会うことにした。

夕暮れに誉田駅にクルマで迎えてくれた姿は
比較的元気そうだった。
普段だったら赤提灯でもいい関係だったが
ことがことだけに
ファミリーレストランに座った。

彼はシステム手帳に詳細に発病や
使った薬を記録していて
詳しく説明してくれた。





彼とは寝食を共にして
地方に出かけたことも何度もあり
いろいろな議論もしたこともあった。
大学の哲学科を出ていて
物事を突き詰める傾向はあったが
それが彼自身を
追い詰めたかも知れない。
その理路整然としてるところがわが輩にとっては
かえって興味の対象だったのだが。


レストランで2時間近く話しをして
大きな異変も見ることはできず
少しシフトしてスポーツでもと考え
彼の好きなサイクリングをぜひにと最後に伝えて別れた。

その後
わがブログ「めざせ『百日回峰』」を見てくれてたのか
お礼と行動をうらやむ手紙が届いた。
その手紙が最後だった。

今その手紙を探しているが
見つからない。

社長の話では
昨年の11月逝去の知らせがきただけで
自ら命を絶ったかどうかはいまのところ
定かではない。

だが
どちらにしても
この数年苦しんだとを思うと
悔やまれる。

彼も20代で意気揚々としていた時に
酒を酌み交わしながら議論したことが懐かしい。
伊豆下田で二人で吞みすぎて
終電に間に合わず
下田駅のホームのベンチで寝たのも
つい最近のようの思い出される。

おつかれさまでした。合掌




2013-01-30

アラーム ボロディンの「ダッタン人の踊り」

『充電』に携わる透析機器には
だいたいにおいて
透析終了を知らせるアラームがついている。

きのうも正確に終了を知らせてくれる。
その終了アラームに合わせて
ちょっとだけ口ずさんだ。


我輩の10年の『充電』をしてくれてきたのは
ドイツ製、アメリカ製ときて
現在は国産だが
前者ふたつの終了アラームは
ピーピーピーピーとか
ブーブーブーブーだったが
いまの新しい日本製はメロディなのである。
わが輩が知ってる限り10年前から
国産の透析機器はすでにメロディだったと思う。

メロディは
機器メーカーの善意に違いないが
これがうるさい。

『充電』中のなにか異常を示すアラームが
多少音量も大きく
異常が例えば血液をカラダから取り出す回路や
血液を戻す回路が
外れたりすれば
死に至る事故につながる。
だから
多少うるさくてもやかましくても
我慢できるといいたいが
機器によってこの音質も音量も差があり
これは考えて欲しいところ。

余談だがこの緊急アラームが
腕を動かしただけで
血液の流れが変化し異常を知らせることがある。
このアラームに毎回クレームをつける年配の女性もいるが
毎回スタッフは説明をせざるを得ない。
このやりとりを毎回聞いてるほうが
クレームをつけたくなるが
ま ここは我慢どころではあるが
不快に感じないアラーム音を真剣に考えて欲しいところ。


話を戻すと
誰のための終了アラームなのか
もちろん第一義的には
スタッフに「返血」を促すということは理解できる。
でもそれはブーブーやピーピーでよい。

これが聞きたくもないメロディが
センターのあちこちでなり始める。
おつかれさまです!音楽でも。。
という善意かも知れないが
まったく不快。
もちろん
付加的な装置なので
小さなスピーカーで音質がよいわけがない。
しかも
童謡であったりクラシックであったり
もちろんスタッフの設定で選曲できることはわかるが
オーディオルームではないので
選曲や好みの希望を聞くなどすることはない。
というかそんなことは無理。

たとえ快適なメロディを流したからといって
2分も3分も流すわけでなく
奏で始めればすぐスタッフが駆けつけ
メロディアラームは止める。

こういうことをメーカーにいえば
おそらく設定でいくらでも選択する余地があると
反論するでしょう。
ビービーもブーブーもあるかもしれない。
スタッフに言ってくださいというだろう。

メロディというかサウンドは
なかなか難しい。
カフェでの選曲で集客が増えたり
駅のホームの発車ベルがサウンドに変わったりと
街にあふれるサウンドは
道半ばの感。



この話はここまでにします。
面倒くさい話になるので。


きのうは何気なく機器にあわせて
口ずさんでるとスタッフが
「なんていう曲ですかね〜」と何気なくいうので
答えた。
「へーきのうもスタッフで何という曲なんだろうね?と話していた」というのだ。
透析機器のメロディの題名が
話題になるんだ〜とちょっと
スタッフの会話を垣間見た気がしたりで
となりでやりとりを聞いてた別のスタッフが
「こんな曲を知ってる人がここにいた〜」と。


ひたすら好きな音曲を集めて
その中にあっただけではあるが
メロディに不快だ不快だといいながら
そういわれて
悪い気はしないもの。
ちょっとだけ鼻高々気分。

ちなみに集めてるのは
ブルースやジャズ、クラシックが多く
そのなかでもポルカやワルツなど。

口ずさんだメロディは
ボロディンの「ダッタン人の踊り」だった。











2013-01-29

とにかく朝までは大地震来るな!と

なんとかクリアできた。
大騒ぎして大騒ぎして
いつもの不摂生程度の体重に落ち着いた。
基礎体重まで5.5kg。
今日のところは4.4kgをお願いした。

きのうの昼のパスタも
夕べの親子丼も
食材から計量しながらの調理での
徹底作戦。

それとレコーディングダイエットにつながることだが
ただ漠然と減量してるのは
錯誤も多いし
記録計測することで
意識が高くなるというもの。

食材をひとつひとつキッチンスケールに乗せてみると
意外と日頃いい加減の調理で
けっこう多めに摂取してるようだ。

もちろんどのみち
数グラム単位の差ではあるけれど
小さな積み重ねで
たとえば
親子丼でいえば
タマネギをふつうに切ってみたら
80gくらいあったのを
半分の40gに減量。
鶏肉もいつもの半量くらいにした結果で
何とかクリアなので
時々はキッチンスケールを
使うのはいいかもしれない。

それにしても
中二日で大震災が起こったら
病院もどうなるかわからないので
多少余裕を作っておくことは
つくづく大事だと思ったこの二日間だ。






2013-01-28

血管内の水分満杯で 肺に水があふれ呼吸困難にならない


救急センターは満床ですよ。
先週最後の『充電』の返血でのスタッフとの雑談。

週末に体重調整のために
山登りをするのだ
と一人でも多く話すことで
出かけるまでぐだぐだする気持ちを
出かけやすくするため
返血してもらってるスタッフに話していた。

スタッフによると
なぜかこのころになると
救急センターに運ばれる人が多く
そのなかでも
透析患者が多いので
もし
体重が増えて肺呼吸が困難になっても
わが病院では受け入れできないかもですと
いわれた。

たしかに
わがセンターの半分のベッドも満床で
スタッフもかなりオーバーワークの様子。

もちろん救急患者のすべてが
肺不全ではないが
少なくはないという。





けさ地震があった。
3時42分。
でもなぜか数分前に目が覚めていて
時間を確かめ
朝は寝坊しないで
山登りに出かけなくては
でもまだ早いなという
最中の地震。

ぼんやりと
この揺れは大震災につながるのだろうかと
身構えながら
中2日に大震災が起こったら
どうするのだろうと
漠然と考えながら二度寝。

われわれ『充電』をしてるものにとって
大震災は他の人より大きなリスクを背負うことになる。
もし大震災で一時的に充電できなくなると
生存の危機が訪れる。
ましてや
わが輩のような
体重調整の不良生は
さらにリスクは大きくなる。

平たくいえば
血管内の水分が満杯になり
肺に水があふれ呼吸困難になる。

だから中二日を迎える週末は
基礎体重に持って行くことがベスト。


そんなことを頭の中で思い浮かべながら
二度寝に入ってしまったので
違うシチュエーションで
寝坊して遅刻した夢を見てたらしく
慌てて起きてカーテンの隙間から
外を見るとなにやら白い。


えーーこういう顛末ってあるの?
きのうは上野の王羲之展にでかけていたりで
きょうの天気予報を見てないのだけど
雪の予報があったのか〜

さすがにめげる。
雪の中を山登りというのもあるのかもしれないけど
さすがにそれは。。

こうなると今日1日を食事制限、水分制限で乗り切るしかない。
今日だけはとにかく
じっと。。

だれも吞みに誘わないでください。
応えられません。









2013-01-27

書を芸術にした男 王羲之



テレビの情報力は力を持っていると思う。
こんな美術館とか博物館とか
あまり行かないものに行かせてしまう。

先日気になったNHKの告知で
「書を芸術にした男」というサブタイトルの展覧会の紹介を目にした時
なんと美しい書なんだろうと
一瞬に思ってしまった。

東京国立博物館で開催の
「書聖 王羲之」だ。

ああこんなに美しい字があるんだと惚れて
まずすぐに図書館で
何冊か王羲之の書を借りだした。
同時にぜひ上野の国立博物館に行きたいと思っていた。


きょうなぜか寒いといってたわりには
暖かく上野まで出かけた。

上野は3,4年ぶりくらいだった。
意外と人出が多いのに驚いた。
まあなぜか動物園がこの貴重な日曜日に
休園だったせいもあるのかわからないが
上野公園は賑やかだった。
ツイストというのかロックンロールというのか
ひとつのグループが公演の真ん中で
踊ってるのが
風情としていい形だった。
中年の(しつれい!)おばさまがカラダを小躍りして
観賞しているのも
心温かくなる風景だった。


王羲之展は満員だった。
やはり日曜日は避けるべきだったかも知れない。

王羲之の丁寧な字配りには
やはり感動しかなかった。
おとなしい性格だったようで
その結果としての几帳面な書には
改めてため息が出た。

また少し書に挑んでみたいという気持ちを
持つきっかけとなった。



まっすぐに帰ればいいものを
アメ横を縦断し、、、
そうそうアメ横は
まだ1月だからというのがあるのかわからないが
ひとひとひとでぎっしりだった。


その後地元に帰って
安い焼鳥屋にはいってしまった。

だいたいが
あした山登りをして
透析代わりの除水をしようというほどに
体重お持ち帰りをしているのに。

じつは
ビールを2日間250mlを2本吞まなければ
帳尻が合うだろうに
とも考えていたが
こうなるとどうしても明日は山登りをしなくては。

先週はじめの5.6kg体重が増えた時の病院のスタッフの言葉が新鮮だった。
「苦しくはならなかったですか?」

そうだ
単に体重の数字あわせをしているのでなく
体重が過剰に増えれば
肺が機能不全に陥って呼吸困難になることを
すっかり忘れていた。
それを思い出した。

改めて厳粛に明日は山登りをしましょ!

これからバス便のチェック!
えーーこれで行けるのかな???










2013-01-26

「天然の透析」絶対登るぞ!!

ちょっと半端ない体重増加!

『充電』をはじめて10年目だが
ふつうの中一日で
これだけの体重増加は
はじめてかもしれない。

体重はけっこう自宅でもひんぱんに
計るが
ゆうべの時点で
ヘルスメーターに乗りながら
目を疑った。

先週のようなあらかじめ予定されてる新年会などの時は
事前に食事と水を調整して
何とか当日にある程度ゆったりと
呑めるようにしてきて
それなりにうまくできてきた。

夕べは最近はご無沙汰してた
15年来の店の暖簾を潜ってしまった。
気が緩んだのか
山登りの話でヒートアップして
焼酎ロックを何杯呑んだか
全く記憶にない。

そもそも
今週は部屋でおとなしく仕事をしていたにもかかわらず
体重の調整がうまくいかなかった。

それなりに制限しても
いっこうに体重が減らなかった。
いつもはこんなに減っていて
この体重計は大丈夫なの
と疑うほど
予想より体重増加が少ないことが多い。
今週は予想に反して
増加が多いことの連続だった。

まあ
しっかり食べて
夕べは不覚に呑んでるのだから
思い当たるといえば
思い当たるので
観念して素直に認めるしかないが。

さて
今日の充電での除水は
未経験の世界の4、5kgに挑戦。
それでも600gのお持ち帰り。
これも新記録!

こうなることはわかってたので
今朝は病院に来るまで
そのことで頭はいっぱいだった。

で ふと思いついたのは
いつもは冗談のように
山登りは天然の透析だと言ってきたが
いよいよ
本当の意味で使わなければ
ならないかと思いはじめている。

ウォーキングくらいでは
たいした発汗は期待できない。
サウナやジムという手もあるが
あまり好きではないとくれば
ここは山登りしかない。

優柔不断なので
しかも今週初め登ったばかりのうえに
倶楽部の山行が
2月のはじめに予定されてるので
どうなるかわからないが
これから明日にかけて
山のリサーチをして
準備だけはしたい。


いや、
絶対登るぞ!!








ちなみにめざせ「百日回峰」をアップしました。













2013-01-25

35年まえの写真

これから数日連続で35年前の写真を
ブログ「めざせ『百日回峰』」にアップする予定。

すでにアップした写真もあるが
アップしながらなぜ
この地で撮影していたのか思い出せない。
いやそんなに何かあって訪ねたわけでもないのかもしれない。
それともそれなりにテーマを持って
写真を撮っていたのかも知れないが
途中で放棄してしまったのかも知れない。

35年経ってそんな中途半端な写真を見せられるのは
迷惑千万は承知の助。
それなりにテーマをさがしながら
整理していると
悪い写真ではないと自己弁護。

35年前にシャッターを切った動機は
いま写真の中からいくらでも見つけながら
当時それを意識できなかった曖昧さを
いま形にできるかもと意気揚々。
この数日で
それが確認できるかが問題。
アップした写真を
『充電』しながらゆっくり見ることに。

2013-01-24

「命を余すとこなく生きる決心がついたとき」



おとといのブログで
「透析は充電の役目であって、病気とみない」
話している30年透析をしている人のレポートを
読んだ友人がメッセージをくれた。
「”透析を止めてみた。”

苦しんだんだねー。。
命を余すとこなく生きる決心がついたとき
どれほどの喜びだったんだろうかー。。」




2013-01-23

世界初「iPSから腎細胞に」成功の朗報


なんということだろう!
iPS細胞を発見した山中伸弥氏が
ノーベル医学賞を受賞したばかりというのに
シロウト目には
あの腎臓の尿細管の再生は
心臓や肝臓はすでに作られているそうだが
ほかの臓器より複雑なので
もっとも遅いだろう
10年先くらいかもと考えていたが
研究者はもっともっと先端を探っていたのだと
驚かさせる。

京大iPS細胞研究所の長船健二准教授の快挙だ。
30万人いるとされる人工透析患者とされる。
一挙に解決とは行かないだろうが
確実に再生される日が来ることに
大きな期待が持てる。





*写真はテレビ朝日からのキャプチャー画像










きのうはなぜかカレーの日

「男の料理」
きのうはなぜかカレーの日なのだそうだ。
もう30年前に決められたというが
わが輩にはどうでもいい話。

ほんとは豆腐チゲのつもりだったのに
facebookもテレビもカレーカレーというので
つられてカレーにしたが
いや〜納得できるほどのものになったと
自画自賛しながら撮影。

カレールーは意外と塩分が多いような気がするので
通常の半分程度にして
カレー粉にして
ガラムマサラとカルダモンを
火を落とす直前に振りかける。

調子にのった時は
そのあたりにある山椒まで入れてしまう。
入れないとどうなのか
入れるとどうなるか
その差は定かではない。
ついでにいうと
今日の昼はパスタ。
麺を茹でながら
パスタソースがないことに気がつき
塩味も良いのだが
たらこがあったことを思い出し
突如、初「たらこパスタ」に!
最後に加えたちょっぴりの醤油がよかったのか
これも自画自賛。

2013-01-22

「透析は充電の役目であって、病気とみない」

先週の学校時代の仲間との新年会があったが
そのひとりSからメールが来た。

Sは高校時代からだったか
山岳部に入っていて
その後社会人の倶楽部にも入って
3000m級の山を踏破している
山の大先輩で
わが輩のようなハイキングについても
いろいろ話が聞けた。

そのひとつに
透析しながら百名山を5年で踏破した
というブログがあることを話してくれていた。

メールでそのアドレスを
知らせてくれた。

3つのアドレスを教えてくれたが
そのひとつは
製薬会社がつくるブログだったが
そのなかの1行に痛く同感したもの。

「今、透析は充電の役目であって、病気とみないようになりました」

同じことを考えている人が
いるものだなと
心強く思う。


「日本百名山」は
深田久弥(ふかだきゅうや)という小説家であり登山家が書いた山岳随筆だが
その本を通じて
山の魅力が広まり
日本百名山ブームが続いてるというものだ。

わが輩の倶楽部のメンバーにも
すでに踏破し
さらに二百名山に挑んでいるものもいる。

百名山のなかには
3000mを越える
立山、乗鞍岳、御岳、槍ヶ岳、穂高岳、塩見岳、悪沢岳、聖岳,富士山をも含んでいる。

わが輩には
百名山はあまり関心がないが
というより
そこまでの技量がないということだが
いつかそういう挑戦をしたいと思うかもしれない。
彼の健脚と透析との関係に敬意を表するもの。
ちなみに百名山の中に
ひとつだけわが輩が踏破したものがあった。
大菩薩岳2057m




そのブログの一文は実感が伝わるもので
それなりのご苦労が感じられるものだった。

「移動はマイカー、車中に寝泊まりし、
食事はおもにコンビニ弁当でした。
ひとつ登って降りてきて透析、
もうひとつ登って降りてきて透析です。」





*写真は大菩薩嶺





2013-01-21

山登りの心肺力強化は『充電』にプラス


昨日の山登りのブログをアップしながら
昨年の山登りをはじめて5ヶ月の時
同じ石老山を登った時のデータ
比べてみた。

結論的には
前回は写真を撮ったりの時間がかかり
今回はリュックの食材の重量が大きいので
単純に比較することはできないが
おおかた
2キロ以上重いリュックを背負ってだが
登りは
昨年とほぼ同じタイムだったといっていい。
下りはかなり短縮され
「登りは心肺力、下りは筋力」とすれば
心肺力もやや増し
筋力はかなり補強されたことになる。




ちなみに2キロの内訳を計測してみた。


コンロ 495g
ガスボンベ 350g
アルミ鍋 535g
麻婆豆腐下ごしらえ 250g
豆腐2丁 500g
加水用水 250g

合計 2380g


2キロは軽いようで重い。
前回はマイペースで
写真を撮りながらだったが
今回は倶楽部に迷惑かけないようにと
ひたすら登ったという違いもあるが
それだけ心肺力は増したといっていいだろう。

膝の筋肉が問われる下りは
大幅に短縮され
下山後の筋肉の痛みも
ほとんど起こらないほど
作られたという実感がある。

筋肉は比較的短期で
作られるが
心肺力はそう簡単ではないように思う。
ましてや
1日おきの
『充電』がそうまっすぐの成長を許してないのかも。

だが
山登りにより心臓が鍛えられることは
適度であれば
『充電』によるダメージよりも
長い期間の『充電』を保証できるのではないかと
つまりは延命となると
日々の『充電』の中で感じる。
さらに同時に
脚の筋力の増大は
明らかに第二の心臓の機能向上に繋がり
カラダ全体の血流を良くし
本来の心臓を補強していく。


この山登りのデータが少しずつ短縮していくことが
今後のテーマといえる。





( )が前回の時刻
< >がかかった時間

08:47(09:47)石老山入口バス停
<13分><13分>
08:50(10:00)石老山登山道
<17分><30分>
09:15(10:40)顕鏡寺
<20分><20分>
09:35(11:00)八方岩ルート・桜山展望台ルート分岐
<31分><35分>
10:06(11:35)融合平見晴台
<54分><55分>
11:00(12:30)石老山頂上

13:00(13:00)下山開始
<50分><70分>
13:50(14:10)大明神展望台
<65分><60分>
14:55(15:35)プレジャーフォレスト前バス停





*富士山の写真は石老山頂上から。









2013-01-20

山頂で「男の料理三昧」麻婆豆腐



倶楽部の山登りで石老山へ。
80%が雪道。
みな重いリュックを担いでるのでバランスがとりにくい。
すでに登山口付近で
凍った雪に脚をとられて転倒するものも。
それでも
幸いルートの雪は
深いところで30cmくらいあったものの
凍ってることもなかったので
下山時はアイゼンを
着けたが
登りは何事もなく山頂まで到達。


今回も山頂で麻婆豆腐をつくり
酒宴でお付き合い願った。
褒められると
「素直に!」図に乗るタイプなので
今回も3回目の麻婆豆腐。

ただ豆腐2丁は重い。

まだ山登りで心肺力がついていけないので
登りでは皆から後れをとる。
つらい!

麻婆豆腐をつくることは
おだてられてることもあって
作るのは苦ではないが
この豆腐2丁がなかったら
もっと楽になるのではないか
とリュックの中の豆腐を恨む。

もちろん豆腐だけではない。
前夜
ニンニク、ショウガ、ネギをきざみ
挽肉にトウバンジャン、テンメンジャンの
下ごしらえと
水250mlと重さはわずかだが片栗粉など
さらにバーナー、ガスボンベ、アルミ鍋を
加えると
どのくらいの重さになるだろう。
アルミ鍋などは山用でなく
一般家庭用なのだが
「男の料理」をめざすなら
このくらいは持って登れるだろうと
最初に決めてしまったので
初志貫徹!?

リュックの「麻婆豆腐」の重量が膝に来る。

それでも
後れを取っても
やっとのことで山頂へ。
登ったばかりで
息も弾んではいるが
さっそくバーナーを組み立て
料理に取りかかる。

前回は
片栗粉が足らなくて
ややあの片栗粉の風味が無く
不出来だったが
今回は成功と自己評価。

そして
今回も心優しい倶楽部のメンバーは
豆腐2丁で12人ではわずかしか食せないが
褒め殺し。

また図に乗って
作ることになるだろうが
それにともなって
苦しい山登りとなるやいなや。









2013-01-19

看護師Kから告白された

今日の『充電』開始しながらの雑談で
看護師Kから告白された。


告白は愛の恋の告白がいい。
でも愛でも恋でもなかった。

今朝の穿刺はK。
穿刺しながら
我輩の穿刺はできたら避けたいという。

何で嫌われてるのかな?
こんなに「愛してる」のにと。

うるさくしてることも
思い当たることもないのに、、、。
と訝しんでると
「前回穿刺失敗したからね~」
と言われたが
失敗なんてどってことないと
思ってるから
まだ嫌われてる理由にたどり着かない。

「ロシアンルーレットだって
ブログに書かれっちゃたからね~」
の告白でやっと合点。

看護師Kは
こんなに仕事って大変なんだよって
家族にもブログを見せたり
自分も何度も見たよと。

そうとう落ち込んだわよ。

どうりでそのブログだけアクセス数が
多かったのだ!?

なのだが穿刺の失敗など『充電』に付きもの。
致命的な医療ミスなら問題にしなければならないかもしれないが
もう痛いのも慣れっこ。
悪かった!ブログネタにして。

どうぞ気兼ねなくごゆるりと御失敗してください。
と言いたい。
できるなら
愛のほうで告白願います。




ザンネンながら!
穿刺の失敗もなく開始。




ゆうべは
学生時代につくったグループメンバーとの新年会。

心置きなく呑んで食べて激論。
日吉729というグループ名称は
1972年9月という意味で
その当時は切磋琢磨して生きようという大それた目標だったが
わずか6名でほとんどたいしたことをしてこなかった。

もちろん40年後のいまを想像もしていなかったが
いま皆還暦をすぎ
メンバーのひとりがいうように
「だんだん面倒な人つきあいが面倒になって」きて
この729は我が輩にとっても
もっとも屈託が無い時間なのだ。

都心の料理屋での呑み会。
体重増加も極力抑えてのぞんだので
あまり気にしないでふつうに呑んだが
今日の『充電』の際の体重増加も想定内だったので
終電で帰ってきたにもかかわらず
心地よい。
もちろんどこかに酒量ブレーキはあっただろうが。
ただ料理屋でほかの客に迷惑をかけるような
大騒ぎの酒宴だった様な気がしていて
こちらはあまりブレーキが効かなかった様な。。

ごゆるされませ!です。。


愛の告白はなかったが
看護師Kはいやだといいながら
写真を載せたいという告白に
応じてくれた。
ありがとう。





2013-01-17

大地震の時は回路を

阪神・淡路大震災から18年。

その当日は
マレーシアのランカウイ島に
仕事で行くことになっていて
朝早く
首都高で成田に向かっていた。


ポータブルテレビに映し出されるヘリコプターからの映像。
神戸市街が一面倒壊しあちこちで炎が上がってる。
見たことのないような戦禍のごとき惨状の第1報に
ハンドルを握ってる手も
汗ばんでたのを忘れられない。

こんな状況で
仕事とはいえ浮かれて海外旅行に行く場合かと
後ろめたかった。

ランカウイではマレーシア人から
日本が大変な時に
こんなところに居ていいのか
とも言われた。
東日本大震災からも2年近くになり
明日と言わず次の瞬間に
起こる可能性のある大地震に備えて
改めて比べてみる。



阪神・淡路大震災
(M7.3 最大震度7阪神淡路島一部)
●死者  6434名
●行方不明者 3名
●負傷者 43792名

東日本大震災
(M9.0 最大震度7宮城県栗原市)
●死者 15879名。
●行方不明者 2712名
●負傷者 6126名
(2012.12.26現在)


いつ大地震が起こっても不思議はない昨今。
地震で死ぬイメージを
教訓として描いておくことが
生命を救うことにつながるかも。



阪神・淡路島大震災では
死者の80%が木造家屋の倒壊による圧死で即死が多かった。
とくに1階で就寝中が多かった。
2階の生存率は大きい。

死者の10%は室内家屋の転倒。

東日本大震災では
死者の92.5%が津波による水死と大量の砂、ヘドロ、重油による心肺の不全。

地震の周波数の違いもあって
家屋倒壊は少なかったという。



東日本大震災の際は
東京でもかなり揺れた。
近くの公園でウォーキング中で
難を逃れたが
公園の大きな木がワサワサと音を立て
地面が波立つがごとく揺れた。
帰宅すると
本棚の上にあった本箱が
書物と一緒に床一面を覆い
冷蔵庫の上の大きなオーブンも
落下していて
唖然とした。
それからは
室内にいる時に地震があった場合は
それらの落下の危険のないところを決め
身を潜めることにしている。


週3回の『充電』の病院は
まず倒壊が心配されない。
心配してもしようがないというところか。

できれば『充電』の最中で
回路がつながっていないことを
祈りたい。

回路でつながってる大きな機器は
重いので下敷きにならないことも大事だが
重いのですべり出したらと
想像すると怖い。

回路を握ったくらいでは
ひっぱりには抵抗できない気がする。


機器といっしょにすべればというのは
ギャグではいいのかもしれないが。

とにかく
スタッフの人数も即座に対応できる数ではないので
揺れが収まったときの
回路の血液を挟んで止め
切断する手順のイメージくらいは
描いておかなくてはならない。

血液がだだ漏れでは即死だ。

大地震のくるときは神のみぞ知るだが
来ないことを
心でひそかに願うばかりだ。



明日は新年会なので
きょうは
基礎体重にもっていきたかったが
わずかに残った。

新年会のあとは中二日だが
山行倶楽部の山登りがあるので
それで調整しようと
甘い考えではある。










2013-01-16

青森下北半島〜東京都庁

週末の新年会の会場探しは
難航の末一件落着。

エビスビールはアサヒビールに。
日本橋は新年会時季で満席続出で神保町に。
個室はなし。
ただ北陸の旨いもんが救いになるとよい。


きのうから
大島渚の訃報が伝えられている。

話しはさかのぼるが
雲仙普賢岳火砕流の年だから
1991年に友人が
青森下北のマグロで有名な大間から
東京都庁まで走ると言いだした。

彼はオーストリアで開催した
シドニー〜メルボルン1000kmウルトラマラソンに参加し
カットオフタイムで
途中リタイアを余儀なくされた。

そのリベンジで
青森から東京が同距離というので
5月に走るから手伝って欲しいという。



オーストラリアでは
キャンピングカーとスタッフが伴走し
寝る時間も削って
きびしい時間制限で走るのだ。

日本でも同じ形態でやりたいというので
わが輩は資金を集めスポンサーになってもらい
スタッフを集め
キャンピングカーを無償で借り
マスコミへの広報をと奔走した。
そのころはニュースステーションといっていたが
15日間くらいの密着取材で
ちょっと珍しく長い15分間を
あるいは各局のニュース報道でも
放映,掲載していただいたので
記憶にある方もあるやいなや。

そのときに
スタッフとして手伝ってくれた
早稲田大学の探検部のメンバーに
大島新という頼もしい限りの男性がいた。
それが大島渚の次男ということだった。
それ以降会ってないが
フジテレビを退社し
フリーディレクターとのこと。

立派に仕事をされているようで
心強いが
偉大な父親の死を痛む姿が浮かぶ。

つつしんでお悔やみ申し上げます。



ちなみに
青森から東京を走った友人は
その後
鹿児島〜東京(1647km)と
鹿児島〜北海道宗谷岬日本縦断
を果たした。


2013-01-15

エビスビール



幹事というわけでもなのに
言い出しっぺということで
学校時代の仲間との週末新年会の会場探し。

アクセスを理由に日本橋周辺と決めてるが
行ったことのない店を選定するというのは難しい。

ただし、第1のフィルターはビール。
サントリーモルツしかないところは却下。
これは絶対的。
可能であれば、エビスにしたい。
キリンでもサッポロでも可。


我が家の冷蔵庫には
250mlのエビスビールが
並んでいる。

100mlキリンビールを吞んでいたこともあったが
あまりに少ないので
満たされない。
結局2本飲んで200mlならば
250mlなんて楽勝と
夕食の食前酒はエビスビール250mlとなった。
ただし
山登りからの下山時は350mlを良しとしている。
350mlなどという水分は
山登りでは軽く汗として出ているので
下山ではおいしくいただきです。



新年会は
魚はできれば山陰産。
四国、九州でも可。

と選択は幹事役の特権。




飲みものも食べ物も
多少高価でもおいしいモノを少しのメリハリを。



これに反すれば
体重増加とリンの数値上昇と後悔の
しっぺ返しがやってくる。

まあ1日くらい大丈夫なんだが
もともとリンも体重増加のベースが
高いので
1日くらいとは言ってられない。




エビスビールだの
座敷がいいとか
べらぼうに高いのは無理だの
雰囲気が良いだの
刺身が充実してるのが良いだの
夜が更ける。












2013-01-14

雪のなか タクシー


今日は雪。
窓の外を覗いて想像してたより降ってるのに驚いた。
でも出かけないわけに行かない。
明日は『充電』なので使いものにならないから
用事を今日のうちにすましたい。

トレッキングシューズとダウンで
完全防備。
2時ころでかけて
花屋に行った。
シャッターが半分閉まってる。
完全に閉まってるなら
あきらめがつくが
半分というところがミソだ。

こんな雪では当然お客も来ないと踏んでるかも知れないし
しかも祭日と来てるからさらにだ。

まったく違うよくお世話になる世田谷の花屋に電話したら
こちらも留守電。

もっと早いうちに手配をしとけば良かったと
悔やみながら道路にたたずんでいると
ドサッと雪が傘に落ちてくる。
電線に積もった雪が
我慢しきれないように落ちる。

考えた上で
その半シャッターの庇テントの電話番号に
かけてみた。
店の前にいるのだがと
花束が欲しい旨を伝えたら
快く店主は降りてきてくれた。

バラの花束を注文
無事に準備ができ
JRに乗ろうとすると
運転見合わせの電車があることをはじめて知った。

気にもとめず
目的地に向かったら
世田谷線が運転見合わせていることが
乗り換え駅の上高井戸でわかった。

しかたなく
甲州街道に出てタクシーを探した。
ここではじめて
この雪による交通障害を実感した。

タクシーが来ない。
反対車線はノロノロの渋滞。
雪の轍もずいぶん背が高い。
脇道に入ろうとするクルマが
スリップで入れなく立ち往生。
たまに来るタクシーは回送を掲げて
止まってはくれない。

30分くらいウロウロしながら
やっとのことでタクシーを拾った。
主要道路が雪でスリップしたクルマで
行くことができないかも知れないので
また
積雪で裏道も行ってみなければわからないけど
行ってみますかと。
行けなかったらごめんなさいですよと
運転手に念を押された。

運転手の話だと
もう午後の2時ころには
全車に帰庫指示が出たそうな。

雪の運転に不慣れな上で
道路状況が悪いので
出た指示らしいなのだが
どうりで
タクシーが来ないはずだ。
動いてるタクシーは
運転がうまいといえるのかもしれない。

乗ったクルマも車庫目前だったようだが
幸い渋滞もなく
スムースに目的地に運んでくれ
その技量とコース選択してくれた
運転手殿に深く感謝でした。。





2013-01-13

ブログ「めざせ『百日回峰』」アップした!



きょうは朝から1日パソコンにかじりつき
山登りの写真ブログ
「めざせ『百日回峰』」
写真を整理しコメントを書いた。
それでもまだ未完成ではあるが。

ふー疲れた〜
今夜はもうパソコンは限界です。
なのでこちらをご覧ください。

2013-01-12

カツオ節削り器を若い看護師が

カツオ節削り器というのは
むかしはどの家庭にもあった。

もともとカツオ削り節というのは
パックに入ってるのが普通だと
思ってる人も多いかもしれない。

でもテレビのコマーシャルの影響は大きい。
小学校4年になる孫殿が
あのCMのにんべんの日本橋本店に行きたいと言い出したそうだ。
そして
あのカツオ節削り器が欲しいと言いだした。

じつは私はテレビのCMを見ていないので
想像だが
たしかにカツオ節はおいしく
それにトリコになったようだが
それなら
パックのでいいわけだが
カツオ節削り器がほしいというのは
あのカツオの固まりが
きれいな薄皮のように変身することに
感動したことと勝手に想像した。

いや私の子どもの頃の
感動がそうだったからというしかないが
「○○ちゃん!削り節けずって!」
と母親の夕げの支度のおてつだいで
力も要るし
なかなかうまく削れないことが多く
いやなお手伝いの部類だった。

だがいまでは
あの削る力の入れ具合や
カツオ節の堅さ、刃の切れ具合、刃の出し方の調整など
全部が新鮮な記憶として残っている。

好きこそものの上手なれで
そういうカツオ節が好きだという孫殿に
カツオ節削り器をプレゼントすることにした。

安易な出来合いの時代に
自分で削るなどとは
すばらしいことではないか!

削り器をいろいろ調べて
いまではけっこう大枚を
はたかなければならないことがわかった。
それでも
家庭用金物生産では
有数の燕市の店で買った。
私も孫殿に見習って
追加購入した。

孫殿の日課は
毎日忙しい朝というのに
カツオ節を削り
それをそのまま食べ
残りをみそ汁にというプロセスのようだ。
毎朝学校行く前に
一生懸命カツオ節を削ってる姿を想像すると
ほほえましい。

そのことを孫がつくるブログに載せていたので
『充電』の病院の看護師Kにも
話したことがあった。

それでかどうかわからないが
とつぜん看護師Kが
カツオ節削り器を買おうとしてることを
話してくれた。

そういえば
正月の雑煮は我が家では
山のようなカツオ節をかけるのだ。
雑煮といえば
カツオ節が欠かせないのだ。
なので
我が家でもずいぶん勘をとりもどして削ったカツオ節が
活躍した。

パックで封印されているとはいえ
削り立ての削り節のおいしさ、風味は絶大。
食材のおいしさを引き出すことは
食事制限で少量しか食べられない
われわれ『充電』患者の極意だと思うのだが。