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2016-12-27

黒色便は「フェネルミン」

体重増加をなんとなく5.5kgまでに押さえようと思っている。
その理由は
5.5kgくらいなら
その週三回の透析で
週末なんとか基礎体重に戻せるというのと
5.5kg程度ならば
肺に水が貯まって
呼吸困難にならないだろうという
単なる想像だ。
これについては
今まで基礎体重が60kgで
体重増加で65kgまでいっても
問題は無かったので
かなり余裕があるとは踏んでいるが
医師の判断で
5kg基礎体重を落としたのだから
一応守ることがベストなので
50kgがすこしきついという状況なので
実質50.5kgを基礎体重と考えている。

しかし
血圧が降圧剤を飲んでも
180あった頃とは違い
いまは130〜150で
以前のように一回の透析で
5kg除水はできなくなり
体重増加を押さえるのが大きなテーマとなってしまった。

クリスマスや誕生日や忘年会が
年末は神経を使う。
ことしは巷では
日曜日に重なり3連休と騒いでいるが
こちらは中二日と重なり
四苦八苦。

24日(土)のイブに出かけて飲んでしまったら
ふつうでもその後の日曜日と月曜日は
余裕がなくともすれば
二日とも昼ご飯を抜いて
やっと5.5kgに収められる。

ところが山行倶楽部の低山部のお世話役として
自分で決めたこの月曜日は
この体重調整には
適当ではない。
まだ低山なので
水分の調整や
食事を抑えることがある程度できるが
登る力にも影響が出ることが考えられる。

25日はわが67歳の誕生日。
にもかかわらず昼ご飯は抜いて
翌日の低山山行に備え
大磯の高麗山という低山行では
極力登りでの水分を押さえ
頂上での食事というか宴会でも
基本のおにぎり一個を食べるも
ほとんど飲み食いしなかった。

帰宅後まず真っ裸になって体重測定。
基礎体重からの増加は
4.8kgに押さえられていたので
夕飯も
基本におにぎり一個を据え
かろうじて200ml缶ビールが飲め
今日の病院での体重測定は
わが想定の50.5kgとなった。

長い「中二日」なのだが
想定内に治まると
なんとなくほっとする。

そしてまた一週間がはじまるのだが。


先週から便が真っ黒だ。
ずいぶんはっとした。
だいたい黒色便は
血便というのが
相場だからだ。
考えてしまう。
とうとう血便が出るようになってしまったのか。
腫瘍やがんの疑いが出てくる。
このところココアを飲んで寝ると
眠りが深いので
ココアを愛用している。
夕べもココアだけは飲んで寝ようとして
あれ?黒色便はココアの色?
となんとなく連想してしまった。
まさか飲んでるココアが
消化を経由してもそのまま便にまで
行き着くはずがないし。
さらにココア以外に
多用しているもんはないかと考えると
そういえば先週から
貧血を少し改善するため「鉄剤」を服用している。
鉄は錆びたりすると
茶色になったり変化が大きい。
ひょっとしたら黒色便の原因が
この鉄剤「フェネルミン」かと
調べると
出てくる出てくる。
今日の回診医にも聞くと
「みなさんそうですよ」
なんと我が輩には
「がん疑惑」でもあったのが
簡単に解決してしまった。
これもほっとする材料だが
薬の注意事項に
書いておけといいたいところだ。

さて中二日が
無事クリアでき
頭の中は
透析後の今日の昼ご飯は何にしようかという
食指だけになっている。


2016-11-30

11月の心胸比57.7%(基準値50%)

11月も今日が最後なので
心臓についての心胸比の変化をメモしておこう。
心胸比は胸幅の中の心臓の大きさである。
50%が基準とされる。

今月の心胸比は57.7%である。

看護師がコメント欄に先月との比較をメモしてくれた。
それに9月を併記してみると

9月の心胸比ーー63.4%
10月心胸比ーー58.5%
11月心胸比ーー57.7%


10月の心胸比は58.5%である。
この時の現実の体重は50.2kgであり
今月11月の体重は51.1kgである。

まあすべての数値の変化を
誤差の範囲内とすれば誤差の範囲内であるが
そうもいってられない。
いちおう数値にしたがった考え方を記そう。

体重数値の増加はほぼそのときの除水の状態で
水分が体内に1kg残っていると考える。
1kgの水分が残っているならば
一般的には心胸比は増えると考えられる。
しかし実際には1.2%減少しているのは
心臓が小さくなっていると考えられる。

つまり
実際の体重が変化なく
痩せたり肥ったりという変化がないという前提で言えば
1kgの水分が残っているにもかかわらず
心臓が小さくなっているということだ。
これは心臓自身が
縮んで締まっていることをいっているのではないだろうか。

まあ伸びたレントゲン写真の心臓を見ると
さあ心臓を元の姿にしたいという願望はある。
だが心臓は単純に風船ではないので
意志を持って機能しやすくなろうと
締まることもあると考える。

主治医はまだ心臓が大きく
基礎体重を下げて水分を抜きたいようだが
もうしばらくこのままで
心臓がどう変化するか見たいと考えている。

2016-11-24

富士山絶景山行


日本一の富士山絶景コースの河口湖畔の霜山山行はどうだったか。


とりあえず富士山がどうだったかは
現在作成中のブログに任せて
体力的とくに心臓はどうだったか。

この1300mある霜山山行のための
4日前の『低山愛でる』孫山山行が
功を奏したと言っていいのかもしれない。
もし孫山山行がなければ
無理だったと言える。

下吉田駅から新倉山・御殿山を経て
霜山に至るのだが
比較的アップダウンはないというものの
とくに最後の霜山山頂への
胸突き八丁は急登で
トラロープの連続だった。
トラロープはいうまでもなく
急登で滑落を防ぐもので
ふつうトラロープは
力を入れることなく
脚で登る差さえ程度で使うことが多いが
ほとんどの体重を腕の力で
引き上げたといってもいいくらいだった。

幹事は短い距離だとも言ったが
とても長く苦しいものだった。
見かねたOさんに
我がザックを取り上げられ
さっさと先に行ってしまった。
この苦しい急登を想定し
山頂料理の準備はもちろん無く
最低限の荷物で軽いはずのバッグで
この体たらくなのである。

透析後の帰り道
血圧が下がると
耳がつーんとなることがある。
電車がトンネルに入ると
つーんとなるのと同じで
苦しくなって立ち止まると
血圧が下がってるのが
回復するのを感じる。
いやそうではなく
多少でも高度が高くなるという理由もあるが
どちらかといえば
脚の筋肉へ血流が集中して
脳の血液が薄くなっていると思った方がいいのだろ。
もちろん脱水症状も
疑う必要はある。

透析患者は
体に余分な水を蓄えているようなものだからといって
油断はできない。
体にいくら水を蓄えていても
血管内の水分が急激に失われれば
とうぜん脱水状態になり
急激な血圧降下をもたらし意識不明にだってなるのだ。

ただ苦しい急登でも
休み休みいけば
どんな高い山でも登れるような気にはなれた。
時間がかかるのだ。

久しぶりの高低差400mに
長いトラロープの急登は
想定したとおり
苦しかったが
Oさんのサポートのお陰もあって
無事完結した。

霜山からの尾根伝いの下山ルートも
体の回復に寄与したのか
それほどの苦も無く
楽しい山行だった。

じつは山行翌日のきのう
ほぼ半日のデリーケートな立仕事だったので
それも危惧していたにもかかわらず
山行の後遺症の筋肉痛も現れず
無事だったことも嬉しい結末だった。

危惧ということでいうと
きのうの早朝5時過ぎに
パーン
パーン
という花火のような爆発音で
たたき起こされた。
まさか目の前の公園でこんな朝早くというか
彼らにとっては遊んでということになるが
また若い奴らの花火かと寝ぼけ眼でいると
その爆発音が止まないので
これは花火ではないと知る。

窓から見る限り
公園にも何も見えない。
セーターを羽織って
ベランダにでると
わがマンション隣接する小さな板金工場から
黒煙が吹き出しているではないか。
赤い炎も見える。
工場とわが部屋の間には2部屋と
駐車場への通路があるが
まずは退避の体勢だけはと
避難用のバッグを引っ張り出した。
パソコンのハードディスクは迷ったが
それはもう少し状況を見ることにして
マンションの廊下にでて
黒煙に近づくと
相変わらず連続して爆発があり
その中心は真っ赤だ。
爆発の破片が飛んできたら
危険と思いながら
数枚コンパクトカメラのシャッターを切った。

会話したことはないが
この板金工場ひとりで切り盛りしてるようで
夜中にも仕事をしていることがあるので
うっかり失火してしまったのかなどと
考えながら
その親父が心配だった。

やがて消防車が到着し
ホッとしてるとこんどは地震だ。
今日の仕事は重要な仕事で
すべてが中止になれば問題ないが
どうしても駆けつけなければならない仕事だったので
緊張したが
幸い茨城県震度3でおさまった。





その仕事も無事終えてゆっくりしての
翌朝の福島を中心とする震度5。
東京の揺れも大きく
とうとう来たかと思ったほどだ。





2016-11-17

心臓とののっぴきならぬ関係

快晴の予報は外れたが昨日は
500m足らずの低山を登った。

シャント手術後の
2週間のブランクはやはり辛い。
心肺力を必要とする登りは
当然休み休みの足運びとなる。

やはり次回の倶楽部山行は
この心臓では
とても参加できる余裕もないかもしれない
とつぶやきながら登ることになる。

かたや
透析の主治医も
「山登りはいいのかな〜」という。
循環器の診療部長の誤診のまえには
「こんな状況で山登りする人
聞いたことない」
と全面否定して
それを受けた透析センターの看護師も
しきりに山登りを止める。
循環器科の誤診が明らかになっても
それが変わらない。

大動脈弁置換手術の当面の手術は必要なしとしても
特段心臓機能がよくなったわけではない。
心房細動もあれば貧血だし
左心室の駆出率もボーだーラインに近いのも事実。

誤診だったという弁も実際には
透析主治医からは
「手術の必要なし」としか聞いておらず
「誤診」の言葉も聞いてはいない。
もし直接循環器の診断を受ければ
心臓の機能が低いことを説明され
山は止めるようにといわれるのは
明かだろう。

ふつうの人は山を登りながら展望を楽しみ
草木の佇みを愛でるのが中心だろうが
我が輩はいつも山を登りながらまずは
自分の心臓と向き合ってきたし
そういう循環器の医師の診断もあったので
ますます抜き差しならぬことになっている。

しかし
そんなふうに向き合っていくことは
必要なことではあるけれど
それで山歩きを中断するのでなく
むしろ心臓を適度に負担をかけながら
可能であれば治癒できればと思っているし
でなくとも
カラダがこのていたらくな心臓能力に
適応することを想定している。

きのう辛い登りで息を上げながら考えたことは
ふつうの人が息をあげずとも登れるのを
我が輩はフルマラソンを走っているかのように
息継ぎをしているのかもしれない
と思ったのだ。
それでいいのだろう
と思うのだ。
心臓や肺にかかる負荷は
ひとそれぞれ。
負荷がかかり継続できなければ
カラダは自然と休み止まる。
負荷は心臓や肺を鍛える。
それが求めるところの
自然治癒のスタート地点と信じているのだ。

「無理をしなければ」
心不全になることもない。
この「無理をしなければ」が
心臓とののっぴきならぬ関係だ。





2016-11-15

つぎの週末の日本一の富士山絶景コースに思案巡らす

今週末は倶楽部山行がある。
山名を聞いても初めて聞く山なので
いつものようにネットで調べるしかない。

すると河口湖畔の富士山絶景ポイントだとわかった。
しかもうちの倶楽部の幹事は
どこの山も知り尽くしていて
ましてやこの季節は紅葉で
まず季節を外すことがない。
下吉田駅~新倉山~霜山(1307.1m)~天上山~河口湖駅。

さてどれほどの山で
どれほどの標高差であるのか
気になる。
このところまったく「低山愛でる」で
心臓トラブルがあって以来
シャント手術もあり
比較的高い山行は避けてきた。

シャント手術はいわば
「包帯もとれ」たが
心臓は健全とは言えず
左心房の駆出率
つまり心臓から全身に血液を押し出す力が弱い。
しかも貧血で血液の濃度
いってみればヘモグロビンがこれも薄い。

しかし
このところの心臓トラブルで
心臓に関する心臓エコーなどの検査結果の数値に
振り回されている。

駆出率にしても
以前からそう高くもなく
現状は以前と余り変わりない。
ヘモグロビンの濃度も
10から9.7くらいで
やや下がったかもしれないけど
変わりないといえば変わりない。

「心臓」も「使って治す」は変わりない。
のだが
ほんとうは「低山愛でる」で
様子を見たかったというのもあるのだが。

それよりも
この二週間低山すら登ってない筋肉の衰えのほうが
深刻と言えば深刻なのだろう。

ネットで見ていると
標高差は400mくらいで射程範囲ではあるが
いきなりのトラロープの急登ありとある。

しかし日本一の絶景ともあると
誘惑は避けられない。
低山愛でるでもよいから
昨日か一昨日登っておけばよかった
と反省しきり。

とにかくまだ数日あるので
考える余地はある。
この予定コースの終盤
平行してロープウェイもあるようだから
いざとなったら下りのほんの一部だが
その利用もあるなどとも。

あすの水曜日は天気良さそうだし。。





2016-11-08

シャント手術で解ったことのひとつ

先のブログでも書いたが
ふつうシャント手術をするというとき
執刀医が失敗をしない限り
二カ所にメスを入れることはないだろう。
にもかかわらず
二カ所になったのは全くもって
自分のせいなのだ。

一カ所目が詰まった以前のシャント位置よりは
上ではあったがそれでもやや手首に近いところで
最終的にやり直した位置よりは
血管が細く
そのぶん石灰化になりやすいのだ。

とはいえ
石灰化がすすんでる事実を
思い知らされた。
手術で針や糸が使えないというのだから。
表現は誇張しているだろうが
手術で糸や針を使えば
それだけ脆くなり
いずれ再手術もしなければならなくなり
縫合部にトラブルが起これば
その先の手や指の壊死も考えられるという
手術での医師たちの説明だった。
医師のおそらく十年近くの経験の中で
5本の指に入るほどの石灰化というのだ。
「血管がせんべいのようだ」

これはけっこうショックだ。
石灰化といわれているのに
心臓エコー検査だ。
心臓の石灰化は何度も主治医に言われている。
大いにたかをくくっていた部分がある。

透析患者は血液内のバランスが
健常者に比べて格段に悪い。
週3回の透析器による調整では追いつかないのだ。

タンパク質は教科書的にいうと
血液や筋肉を作るもとだ。
だがタンパク質が消化されると
リンが老廃物として残骸が残る。
直接リンが多く含まれている食事もある。
なかなか日常的には認識が難しいが
しらす干しやプロセスチーズ
鰯や卵黄がその筆頭だ。
(100gあたりの比較)
カラダのリンとカルシウムは
拮抗状態を保っているという。
体にリンが増えると
カルシウムが増えてくるのだ。
骨からカルシウムを放出するという。
結果的に骨のカルシウム量が減り脆くなり
血管を漂うカルシウムは
血管壁にくっついて硬化してしまう。
これが難儀な「石灰化」というわけだ。
骨密度も低下し血管や心臓が
脆くなり手術の医師の言うように
「せんべいのように」なるのだ。

それを食事制限と薬服用で
少しでも健常者に近づけようとするわけだ。

巷では「老いたら米をやめ肉を食え」などという
断糖タンパク質長寿法なるものも流布されているが
こと透析患者には全く無理なのだ。
一時試みたこともあるが
跳ね上がるリンの数値のまえに
あえなく敗北だったのだ。

とはいえ
酒のつまみはどうしてもタンパク質がいける。
得てして家飲みが多くなって
焼酎を一杯注ぐと同時に
アテを一品というパターンになってしまった。

当然摂取する水分も増え
同時にリンの数値を上げてきた。
その都度主治医は注意を促してきたが
なかなか顧みることができないできた。

さてコアヒビター騒動で明らかになった胸水のおかげで
5キロの基礎体重設定の減量もあった。
また騒動以前から下がりつつあった血圧が
降圧剤なしで130〜140まで下がり
体にとっては血圧が下がってきたのはいいことだが
以前降圧剤なくて220で
降圧剤で180くらいで
透析時もその血圧を背景に
5キロの除水ができていたと思われる。
それが4キロすら除水ができなくなって
毎回終盤足が吊ったり
血圧が100以下になるという
苦しい状況が生まれてしまった。

無理が利かなくなったというのが実感。

これらを防ぐのは簡単なことではあるが
「酒をやめる」ことでだ。
しかしこれがなかなか。。

この数日
どこまですればどこまでセーブできるのか
頭の中は混乱している。
まったく酒をやめるのは無理としても
セーブしなくては
石灰化と除水の血圧降下は
免れえない。
石灰化は一度なったら
改善されることはなく
進行を止めることくらいしかできないという。

石灰化をとめるのは文字通り
もはや絶体絶命と考えねば
心臓が止まる結果になる。

タンパク質は一般的に過剰摂取。
それはおいしいというだけで
どうしても手が出るというもの。
かといって野菜にシフトすれば
いまでもカリウムの数値は低いと言えず
これ以上高くなれば
即死ということもある。

とにかくここからいえることは
食事と酒量の絶対量を減らすしかないのだ。

そして
日常的に食べていた卵はやめる。
いわし・たらこ・しらすも避ける。。
まぐろ・あじも比較的リンが多いので
頻度を少なくする。

リンの多い食品と、食品のリンの含有量一覧表





2016-11-03

シャント手術最中医師曰く「トラブルがありました」

昨日のシャント手術。

シャント手術は当然透析導入の際に一度やってるので
イメージが分かっているせいか
手術前に緊張することもなく余裕がある。
手術用のあの宇宙船のような形をしたライトの下に
明るくそして
ひんやりした手術台に横たわるときは
少しだけ緊張する。

執刀医と補助の?医師の二人と2人の看護師で
手術が始まる。
さすが手術室でメスを入れられるときは
やや構える。
メスが走る感覚はいやなものだが
局部麻酔なので頭は働いて
メスを入れる部位以外は普通だ。
むしろ麻酔薬を最初に打つ穿刺が痛む。

ポップなCDがうっすら聞こえる。

医師同士がささやきながら会話をしているが
なかなか聞こえない。
しばらくして執刀医が
「トラブルがありました」という。
え!なんか失敗して
動脈を切り損じたとか
何かあったのか?とどきっとする。

すると
事前に説明されていた予定の部位では
シャントが作れないという。
その部位の動脈が石灰化で
医師が言うには
「血管がせんべいみたい」で
シャントを作るために
切ったり縫合しても
むしろ血管が壊れる可能性が高いというのだ。
作ってももろいシャントを作っても
トラブルで手や指が壊死することもあり
腕を切り落とさなければならないことにもなりかねない
というのだ。

ああ
我が輩の血管はもう石灰化でボロボロなのだ
とつくづく思わざるを得ない。
ではシャントも作れなければ
透析もできず先は短い
と一瞬考える。
絶望的。

医師の説明が続く。
予定の部位は石灰化が進んでるけど
少し心臓に近いより太い動脈を使って
シャントを作ろうと思うという。
つまりもう一カ所メスを入れるということだ。

そうか
腕の先に行くほど血管は細くなり
流れが緩慢になり
石灰化しやすいのだ。

もちろん希望があるなら
二カ所目だろうが喜んで承諾するしかない。
手術のリスタートだ。
また麻酔薬の痛い穿刺があって
メスが入れられながら
手術台の宇宙船の光源をにらみながら
「どうしてこんなことになってるのだろう」
と心でつぶやく。

手術台の体は疲れを感じている。
CDから流れる曲がいつのまにか
ベートーベンの「田園」だった。
看護師にボリュームを上げることをお願いした。

我が輩のパソコンには2000を越える曲は
収めてある。
その80%がクラシックで
透析中もまずクラシックを聴いてる。
そのうち20曲くらいを選定し
我が葬儀あるとすればその際はそれを流してほしいと
「終い支度」として文章にしている。

「田園」はその中には入ってはいないけど
手術台で横たわり
流れてくる音符を聞いてると
なにか我が輩の葬儀の状況に近いな〜
と感じることができる。

それを医師につぶやいたら
医師は「不吉な」と笑って応えてくれた。
いやいや手術も終盤だからこういうことが言えると弁解した。

2時間15分手術台に固定されていたものの
なんとか無事に生還。
いまは縫合した糸も抜く必要もないようで
以前のように包帯などでの固定もなく
透明なシール状の保護材を貼られ
出血もなく即退院だった。

13年前のシャント手術の経験からいうと
その夜
しくしくと傷口が痛んで
痛み止め薬をもらった記憶があった。
今回も痛み止めを処方されたが
まったく痛みはなく翌日を迎えられたことは幸いだった。



2016-11-01

14年目の『充電』は波乱幕開け

透析導入は10月30日で
11月で14年目となる。
その14年目の初日の透析。
いつも穿刺のするまえに
スタッフがシャントの音を聴診器で確認して
穿刺となる。
ところが
「私の耳には聞こえないから
他のスタッフに聞いてもらいます」
という。
シャントとは
腕の中心部にある動脈を手術によって
表面に近い静脈と結合してショートカットして
静脈の流れを動脈くらいの流れにし
そこに穿刺をして血液を体外にとりだし
腎臓代わりの透析機を通して
水分および老廃物を濾過するのだが
流量が増して太くなった血管のことを
シャントというのだ。

そのシャントは
血液が流れると動脈のように
ドクドクと脈音がするのが
看護師の聴診器には聞こえないというのだ。
つまり血管が詰まってるということだ。

主治医が駆けつけてくれる。
なにかしたと聞かれていくつか思い出した。
前日はなんとなく痛みがあった。
というより
それよりさかのぼること一週間前の日曜日に
腕をつかまれ
あ まずい
と思ったことがあった。
相手は好意だったのだが
シャントがあるなんて知らず。

その後先週はいつもの3回の『充電』でも問題なく
しかもあえてちょっと違和感があるから
看護師にシャント音を確かめてもらったほどだったが
いつも通りという返事だった。

そして一昨日の低山山行最中
またシャントに違和感があった。
違和感というより痛みといったほうがいいかもしれない。
一昨日は血圧が下がっていたような感覚もある。
耳がツーンとなって
声が出ないことがしばしば。

考えてみれば血圧低下は
シャントにとっては流れが悪くなって
シャントが詰まる可能性が高まる。

詰まって時間が経ってない場合は
ある程度揉めば詰まりが取れると言うことだった。
今となってはどうしようもない。

穿刺をする血管がない。
どうするのだろうと聞く。
14年目にしてシャントが詰まるのも初めてなら
その状況での透析も初めて。

動脈は腕の奥の中心部を流れている。
その深部に針を刺すのだという。
「ダイレクト穿刺」
痛そー
と体中に力が入ってしまう。
全くの手探りではなく
エコー画像を見ながらの穿刺。

体は構えたが
いつもの穿刺と同じくらいの痛みだったので安堵。

さて潰れたシャントはどうするのかというと
詰まったところを避けて
作り直すことになる。
看護師の話によると
ふつう病床が満床のことが多く
その場合いったん
肩にカテーテルを挿入することになり
カテーテルを経由して透析をするというのだが
看護師が言うには
「運がいいね。ベッドが空いているなんて」。
ということで
即入院かつ手術ということになった。

透析センターからそのまま病棟へ入院。

シャント手術は当然13年前にやってるので
良くも悪くも構えてもしようがないので
気持ち的には余裕がある。
病院の食事はおいしくないのは定評で
ましてや透析食は一番おいしいところを
抜いてあるようなイメージ。
案の定
ぬるい・まずい・少ない。

売店に行って買い出し。
病院食をまずいといっておきながら
ジャンクな菓子やカップラーメンに
ちょっと後ろめたさを感じながら。




2016-10-29

抗凝固剤コアヒビターと血液検査CRPについて

NHKテレビで100歳に及ぶ長寿の人の研究で
長寿の人の血液検査で
CRPが非常に低いことを
NHKスペシャルの予告の形で報じていた。

ん?CRPってどこかで聞いた。
そういえば
この夏の血液抗凝固剤のコアヒビターで
呼吸困難と高熱で
救急外来に行った時に
異常に高い数値だったのがCRPだった。
CRPー4.46(基準値0.3以下)

CRPはカラダの「炎症度」で
長寿の人はこれが低いということなのだ。

救急外来では
このCRPが高いというので
「肺炎」を疑っていたが
シロウトにも肺炎であれば
白血球が高いはずなのに
正常値なので肺炎の疑いはあまりないと判断したのだ。

改めてネット上で情報を探していたら
ちゃんと報告されているではないか。
2008年とちょっと古いが
明らかな副作用の報告だ。



以下引用ーーーーー
メシル酸ナファモスタット (nafamostat mesilate : NM) は出血傾向を有する患者や術後などの血液透析の際に, ヘパリンに代わる抗凝固薬として使用されている. 比較的安全性の高い薬剤であるが, 近年NMによる重篤なアレルギーも報告されている. われわれは, NMを抗凝固薬として用いた血液透析の際に異なった症状のアレルギー反応を示した2症例を報告する. 症例1は54歳女性. ループス腎炎による末期腎不全のため血液透析に導入され, 透析歴は24年であった. 変形性頸椎症の手術前の透析でNMを使用した後に38度台の発熱がみられた. 症例2は64歳女性. 腎硬化症による末期腎不全のため血液透析に導入され, 透析歴は9年であった. 増殖性網膜症に対する硝子体手術後の透析でNMを使用した際にアナフィラキシーショックを発症した. 両者とも過去にNMの投与歴があったが, その際に明らかな異常はみられていなかった. これらの2例と過去に報告された35例を合わせて, 体外循環に関連するNMアレルギーの特徴を検討した. 透析導入の原疾患や透析歴, ダイアライザーなどに明らかな特徴はなかったが, 記載されている限り全症例で過去にNM投与歴があった. さらに, アレルギー症状別に特徴を検討したところ, ショック群では好酸球増多が少ないがリンパ球幼若化試験がほとんどの症例で陽性であり, 発熱群では透析歴が有意に長く, CRPの陽性率が高かった. さまざまな透析の状況で, NMの使用機会は増えているが, 現時点ではアレルギー発症の予測は困難であり, NM使用の際には常に注意が必要である.

ーーーーーーーーーーーーーーーー
引用元
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsdt/40/11/40_11_913/_pdf
ーーーーーーーーーーーーーー

この文章の後半に「CRPの陽性率が高かった.」とある。
そのCRPの数値が高くなる原因は
10年前には(2008年)明かではないのか
記載がないが
いまでは解明されているのだろうか?
コアヒビターは製薬会社の名称で
メシル酸ナファモスタット (nafamostat mesilate : NM)が正しい。

もちろんこういう事例が
そのまま我が輩に当てはまるかどうかは
検証しなくてはならず
それはシロウトの我々にはできる範囲を越えている。

ただ担当主治医はこういう可能性を知っていたのか
勉強不足で知らないのかわからないが
コアヒビターの副作用を主張し続けた
我が輩の体感的な主張は
どこかに行ってしまい
心臓の疾患と診断され
「大動脈弁狭窄」を宣告された。
その根拠を我が輩なりに検証しているうちに
もっとも重要なデータを根拠にしているのではないことを
突き止め
そのデータを検討させたところ
あっさりその「大手術」の必要性を取り下げた。
くりかえしになるが
一体手術の危険性を承諾する確認書に
サインするように言われたのは何だったのだろうか。
こちらが異議を唱えていなかったら
その「大動脈弁置換手術」は行なわれ
その手術での後遺症や副作用に
悩まされる日々を迎えていたと思うと
大きな疑問を感じざるを得ず
気持ちが収まらないのである。

医療的な過誤の可能性はどこにでもいつでもあるのだ。



2016-10-11

昨日の山行での水分ペースのメモ

昨日の山行での水分ペースについて
メモをしておくと

出発時点の体重は 53.5kg

摂取したペットボトルの水  0.8kg
昼食 おにぎり2個ほか  0.3kg

帰宅後の体重  53.5kg

結果的には 1000ml=1kg
の水分がカラダから出て行った。

もしこれが部屋に閉じこもっているとすれば
摂取する水と昼食で500g程度ですむだろうか。
夕食前の体重は  54kg

となる。

この季節なかなか涼しくて
ましてや極めて低山では
汗をかくのも少ないが
それでもプラスマイナスしても
500gの水分が
山歩きしないよりカラダの外に出て行ってる。

この500gを目ざして
毎週末に山歩きをすることは
それなりに意味がある。

きのうは元々単独行のつもりだったが
いつもの山の倶楽部のリーダーが
周知メールをしたところ4人もで集まった。
極めて低山にもかかわらず
出かけてくれた仲間に感謝。
しかも
この低山散策を定例化するという意見もでて
我が輩の毎週末の山歩きの習慣化企画も
実現するかもしれない。

500g=500mlは大きい。
余裕でビール1杯くらい呑めるのだ。


もっとうれしいのは
不整脈や
心臓トラブル騒動以来
なかなか心臓について
確信が持てないところがあったが
今回の復活2回目で
かなり確信が持てたことだ。
心臓にまったく違和感もなく
少なくともこの低山に限って
以前の状況とまるで変わりがない。

またゆっくり考えてみようと思っているが
心臓トラブル騒動で
なんと血圧が
降圧剤を飲んでも160くらいあったのが
(飲まなければ220)
降圧剤を飲まなくて130くらいになった。
その影響が体感的にあるかということも
テーマであったが
まったく何事もなかったかのように
カラダは動いているのだ。
それだけでも健康に近づいているかのように思うのは
錯覚ではないと思う。







2016-10-09

思いつき「週末山行の習慣化」できるか?

一日おきの透析が
中二日のときの体重増加は教科書的に言うと6%なのだ。

基礎体重を5キロ減らして教科書的に言うと
以前は55kgで6%だと3.3kgが
50kgで6%は3kgということになる。

しかも心臓の状態は
まだはっきりしないので
以前は3.3kgといいながら
5kgいくこともあったが
いまは3kg厳守で
多くても4kg以内に収めるのが理想だろう。

理想は理想で昨日も
4.3kgの増加でオーバーしている。
しかも中一日でのこと。
中二日はほぼ食事を何回か抜かなければ
大きくオーバーは必至。

食事を抜くくらいならば
低山でも
水分補給に注意をしながら
毎週山を歩けば
解決するような気がする。
もちろん
毎週のことなので
経済的にも根気的にも
よほどの計画性が必要である。
雨天の場合はどうするというのもある。

しかし
ジメジメと食事を抜くより
意を決して出かけた方が
健康的でも気分いい。

とりあえず
明日は山行倶楽部のメンバが
低山ハイキングコースに
ご一緒していただいて
武蔵五日市から弁天山。。

来週は倶楽部主催の山行があるが
まだとても全行程はムリなので
幹事が提案してくれた部分参加を
目論むことにしよう。

週末の山行を習慣化。。


2016-10-04

繰り上げての透析

きのう突然の透析をお願いして
今日から中二日で
なかなか食事も水分摂取も
怖くて手が出ないといいながら
ビールも焼酎も恋しいのだ。

突然の透析とは
ほんらい火木土の透析日で
月曜日は透析日ではない。
にもかかわらず
体重増加も比較的多く
胸がつかえたような
呼吸がふつうではない
ような気がする。
ような気がするとは
この間の出来事で
呼吸困難もあったので
ふたたびそれになりたくないと
カラダが神経質になっている。

このまま火曜日の通常の透析まで待つと
月曜日はまた夜座位で
寝なくてはならなくなるような恐れがあった。

それを素直に病院へ訴えたら
午後の透析を認めてくれた。
夜中に救急外来を訪ねるよりは
日中無理言った方がよいとの判断。


13年近く透析してきて
体調が理由で
透析を繰り上げてもらったのは
初めてで恐縮ばかりだが
快く引き受けてくれた。

といって
次の透析日までは中二日で
しかもさらに基礎体重を下げようというのだから
食事のペース
水分のペースがなかなかつかめない。


2016-10-03

イレギュラーで透析 食事のペースがつかめない!

きょうは今
透析日でもないのに
透析をしている。

中二日で呼吸できないほどではないが
このままいけば
今夜は一睡もできない予感がしたから
透析センターに電話して
無理言った。

心臓トラブル騒動以来
若干神経質なってるのもあるが
ちょっと胸が張るだけでも
すでにキャパに近いのではないかと
思ってしまう。

透析センターの計測時点で
4kg増加であるので
すでに多いというのもある。

心臓にトラブルがあって以降
基礎体重も5キロ近く減らしてきたので
食事のペース
水分摂取のペースがとれないのと
5キロではまだカラダの余分な水分が多く
中二日の増加分に対応できないようだ。
かつての心臓の力はないのも感じる。

基礎体重は現在51kgであるが
今週中に50kgとすることを
医師と合意した。

依然と同じように
単純に基礎体重を下げればいいのではなく
やはり心臓かほかの部位にしても
変化があったのかもしれない。
心臓が以前より弱ってきてるか
それこそ大動脈弁が以前とは同じではないのかもしれない。

まず基礎体重はギリギリ下げる。
ボリュームは少ないほど心臓への負担も少ない。

つぎに食事のペースをリセットする。
全体の量を最低限に減量する。

この二つ。



2016-09-28

リハビリ第1歩は新宿図書館まで8920歩。

心エコーの数値が出て
大動脈弁狭窄手術から解放される前から
体感的な心臓の状態は悪くはなかったので
数日前から低山巡りの計画を
立てはじめたが
かなりのブランクがあるので
いきなり山へ向かう勇気が無く
今日は延長延長で
どうしても手続きで
新宿中央図書館へ行かなくてはならないので
適当に大久保駅から降りて
往復歩いた。

筋力や心肺力は別として
心臓には違和感や異変はおこらず
いつものように歩けた。
ザックにはパソコンと図書館で借りている全集本が入っていて
帰ってみて体重計に乗ってみたら
5kgだった。
もう9月末というのにとにかく
暑かった。


リハビリ第1歩は8920歩。

2016-09-27

循環器診療部長いい加減に大手術を迫るな。大動脈弁置換手術は遠のいた

数値というのは変動する。

循環器での診断で
重度の大動脈弁狭窄とされたのは
9月11日のブログで書いた。

循環器の診療部長は
心房細動が電気ショックで
是正されたなら
すぐにでも大動脈弁置換手術を
しなくてはならないと
診断していた。

しかし
我が輩はそのブログでも
記したように
ただ一つの数値
「PG」の変異だけで
大動脈弁狭窄とすることに
疑問を感じていた。

なぜなら心臓は
心房細動や山での酷使などの状況で
体感的にいつも変異していることを
感じていたからである。

「PG= 平均大動脈弁圧較差」の
昨年2月と12月の数値がそれぞれ
「2015年2月26日 18.8mmHG
2015年12月15日 41.6mmHG」
の二つの数字による変移をもって
循環器の診療部長は大動脈弁置換手術という大手術を
いとも簡単にすすめ
しかも
医療事故も起こる可能性があるという承諾書を
渡されサインを求めてきた。
いったいなんだったんだろう。
もちろん手術に至る前に
予備の検査はあるだろうが
それにしてもだ。。。


なぜか
循環器の診察を受診した前後の「PG」の数値がない。
受診したのは数日前の話だ。
2016年8月のPGが知りたいのは当然。
あるいは9月の心エコー検査でもよい。

透析の技師Kに雑談で話してみたことがあったが
心房細動などの状況下では
PGも算出できないこともあるようですよという。
心強い言葉ももらった。
いつも細々した疑問が浮かんでくると
それが単に趣味的なことにしても技師に
ぶつける。
技師さんは即座に
丁寧に答えてくれる。
即答できないのは
翌透析日に必ず教えてくれる。
医療的なことは
我々にとってなかなか知り得ない。
医療の世界を
丁寧に教えてくれる技師の知力に
どれほど元気づけられるか。


とにかく
しぶとく何度も複数の医師や
透析の主治医に「PG」の数値を
教えてくれるように
しかも最近のをお願いしてきたが
今日やっと示してくれた。

昨年以降
18.8mmHG
41.6mmHGときたから
重症といわれる50mmHGを
越えてるかと思いきや

「22mmHG」

これだ〜

よい方向に想像していたとおりになったにはちがいない。

「重症ではない」
「数値は変動する」
「計測時の状況で変わる」

透析主治医はいうが
そんな数値だけをもとに
大手術をすることを勧め
家族の承諾を得るように言い
本人の手術承諾書にサインを求めてきた。
診察の翌週には
予備の胃カメラの検査や
心房細動に対する電気ショックの手術の検査日や
そのための投薬など
決めてきた。

それらすべて強引な診療方針・手術の根拠に
疑問に感じたのですべて留保した。

診療部長の言い分は
「苦しんでしょ」

もしあの場で応諾していたら
いまごろ人工呼吸器を装着しての
大手術が執刀されていたと思うと
ぞっとする。



診療部長が手術の根拠として
説明に挙げた
「PG」について
調べようとしたが
少なくともいまは2016年なのに
昨年の2月と12月のデータしかない。

複数の医師にお願いしても
ある医師は「ないようです」
もっとも推定値らしいので
しっかり出てない可能性もあったが
そんな最も新しいデータもださないで
大手術を迫った
しかも
結果的に手術はしなくてよいとなった経緯を
循環器診療部長には
説明を求めたい。

いい加減に大手術を迫るな。




とにかく少なくとも
大動脈弁置換手術は遠のいた。

心臓にこの間
整体的な対応もしてきた。
その効果もあるともいえよう。

少し元気が出てきたが
今朝のように体重増加が
4.5kgともなると
カラダを動かすと苦しいのは
なんとかしなくてはなるまい。

また一から考えることになるか。










2016-09-25

日に日にいい気分

循環器科診療部長の治療方針はこうだったと思う。


●専門用語ではないかも知れないが
胃カメラでの心臓の造影画像を得る。
胃カメラを胃から入れて
心臓の壊れ具合を「裏から」撮影するというものだ。

●心房細動があるかぎり
大動脈弁の手術に取りかかれないので
まず心房細動を取り除く手術をする。
方法としては「カウンターショック」という手術だ。
ふつう電気ショックなら
心電図をとるように電極を胸につけて・・とか
AEDのでかいものかなとか想像するが
たしかに電極にはそれほど違いはないかも知れないが
全身麻酔をして、胸の前から背中に
直流電流を流すという大がかりな手術。
誰の心房細動も原因がわかっていない。
原因がわかっていない心房細動に
直流電気を流せば電流が正される
あるいはカテーテルアブレーション手術にしても
電極を切除するという
ずいぶん乱暴な
ほぼあてずっぽうの手術に賛同はできない。
たとえ95%の成功率でも80%の成功率でも
5%20%に入れば本人にとっては
意味はない。
友人も某有名な心臓クリニックで治療を受けているが
手術を繰りかえしている。

おそらくこの心房細動の治療で時間が過ぎていくのだろう。
もしせっかちならば
それを無視して大動脈弁の手術にうつるかも知れない。
あるいは心臓が機能しなくなくなって
切羽詰まってメスを入れなければならなくなるのかも知れない。

●大動脈弁狭窄は
心臓から全身に血液がわたる出口の弁が狭くなっていることだ。
弁には意志がないので
外と中との血圧の差で開いたり閉じたり
ぷらぷらしている弁が何らかの理由で
閉じたままというのだ。
弁は3枚あるそうだ。
その弁を人工のものに取り替えるという大手術だ。
もちろん一時的に人工心臓に置き換えなければならない。
人工弁と言っても
動物のものもあれば新素材のものもある。
とくに新素材のものであれば
一生ワーファリンという血液を防ぐ薬を飲み続けなければならない。
ワーファリンは脳梗塞などの既往症がある場合は
処方されわが輩も一時飲んでいたが
とうぜん歯間からの自然な出血もあり
歯間だけならいいが
これを全身で考えた場合
出血させるという現象がつまり
血液の本来の働きを疎外しているわけだから
ほかに良くない結果
副作用などが起こる可能性もあると
いろいろ考えた末休薬させてもらった。


この方針に従っていれば
すでにこの既定路線にのって
いろいろ出てきたであろう。


さてわが輩は留保した。
ではカラダはどうか
心臓はどうか。

この1カ月で基礎体重を5キロちかく
下げたことによって
体調はいい。
降圧剤を飲まないと220あった血圧も
降圧剤をのまなくとも130を示す。
これは基礎体重を減らしたからでなく
心臓がそれだけ働かなくなったのかもしれないし
逆に発熱騒動で心臓が正常に働き始めたのかも知れないが
真相はだれもわからない。

心臓への負担はなみなみならぬものだったのか
心臓弁もよくなっているかのような感覚だ。
呼吸の違和感もまったくなくなったし。
もちろん感覚だけだろう。
だが
それはそれで他の機能が補完していくことも
信じている。


きょうも仲間は山へ登っているが
追いかけてもいいくらいだ。
まあそれは気持はとしながら
いきなりそれなりの山にのぼることができなくても
きわめて低山に登ることはできる。

コアヒビターでの呼吸の困難と違和感が
どんな形であったのか誰も解明できないが
少なくともそれから1カ月以上経って
今日などはまったく呼吸は明瞭だ。
あれは何だったのかつくづく考える。
そして
その違和感にしたがって
手術と検査の連続の日々に
突入していたら悲惨だっただろう。

いま平成になってみて
もちろん大動脈弁が
自力で(自然放置ではなく整体など働きかけ)少しでも
修復していけばと考えているが
このまま動かなくても
日常生活にはまったく差し支えない。

いずれ近いうち試みるが
運動したり山登ったりすると
息が弾むのかも知れない。
それでもそれと同居しながら
だましだまし生きていくのがいいのではないかと
今日は考えた。






2016-09-22

13年?カラダに余分な8キロの水分を抱えて心臓は壊れた

コアヒビターでの39度の発熱をきっかけに
まずレントゲン写真を見た主治医は
慌てて基礎体重を下げた。
それ以降1ヶ月たっていないのに
以前より4kg下げた51kgに
今日設定した。

これは何を意味するかというと
カラダに常に余分な水分が4kgあったということだ。

それは何よりも
カラダのどこに負担をかけるかと言えば
心臓に他ならない。

その通り心臓は悲鳴を上げて
心房細動という不整脈どころか
「大動脈弁狭窄」という心臓が
血液をカラダに送り出す力を溜める「弁」を壊してしまったのだ。

もちろん原因が直結しているか
そんなのは証明できないかもしれない。
4kgといえば
4リットルの水だが
洗面器でいうと
こんな洗面器一杯の水が
カラダに貯留していたというものだ。

もちろんすべてが血液中と心臓にあるわけではなく
細胞にも膜間に浮遊していたのだろう。
さらに尿は出ないので
透析したあと摂取した水分と
食事の分(食事のほとんどが水分となる)が
次の透析までカラダに貯まり続ける。
これが夏の間は汗として排出されるが
暑さで飲む水も多い。

透析は基本週3回一日おきで中二日を挟む。

4kgも余分な水分があった上に
この中一日や中二日は
同じ4kg前後は溜め込んだ。
ある意味8kgの水分を
抱え込んで生活していたということだ。

8kgの荷物を持つって容易ではない。
もちろん透析が開始された13年前からずっと
同じ状況ではないとは思うが
かといって最近突然そういうことになったわけではない。

心胸比が60%を越えたのは最近だが
だからといって
いままでも50%後半を
ずっと示していた。
心胸比は心臓にどれだけの
血液が入っているかという「目安」で
胸の幅に比して
心臓の大きさを示したもの。

正確に言えば13年間で
だんだん心胸比は増えてきた。
最初は52%という数値もおぼろげに記憶がある。

かといって心胸比だけで
基礎体重が決まるものでもない。
そのさじ加減が難しい。
血圧
しかも
透析前後の血圧の落差
透析後半で足が吊るといった症状など
いろいろ加味して
その体重がベストだとされる。
この設定が甘かったのである。

この基礎体重の設定は
もちろん透析治療では重要な位置にあるが
医師やスタッフが一方的に決めるものでもなく
とくに我が輩は自分なりに考えて
積極的に意思表示をしてきた。
医師やスタッフの原則的な基準を
指し示されても
往々にして納得しないことが多かった。

それがすべて仇になった形になった。
先月の心胸比計測でたしか
58%を示したときも
主治医は基礎体重を下げるよう提案があったのも
承諾しなかった我が輩だ。

我が輩の意思はどこにあったかというと二つあって
なるべくカラダは水分欠乏になりたくないというのと
スポーツをしている心臓は
一般人より心臓が大きいのではないか
というのだった。
たかが月何回かの山登りなのに。

それがすべて裏目にでたわけだ。

体重設定の問題でなく
心臓に何かが起こったと主治医はいったが
体重設定の甘さが
心臓を壊したのは明白。
もちろん
コアヒビターの副作用も
壊れるきっかけとはなったに違いないが
ベースは心臓に大きな負荷をかけ続けた結果だろう。













2016-09-14

あらためて「脚の筋肉は、第二の心臓」 を考える




このイラストは動画ではないが
引用しているブログの心臓の右脚ブロックの動画はイメージを喚起する。
http://www.cardiac.jp/view.php?lang=ja&target=rbbb.xml

















心臓の動画を見ながら考えると
いろいろなイメージが浮かぶ。

この小さな筋肉のかたまりに
問題が山積し集中していると言うことだ。

1.たしか数年前のCT撮影では

「心房中隔欠損症」の診断もあった。

2.そこに今回の

「大動脈弁狭窄」の診断。

3.「右脚ブロック」


そんな欠陥だらけの心臓なのに
生きていられるものだとも思う。
ある意味心臓が圧力をかけても
スカスカに抜けてるようなものだ。

■1.
全身から返ってきた血液は
「右心房」が拡張して吸われる。
■2.
「右心室」は収縮して
「右心房」からの血液を
肺に送り出す。
■3.
肺で酸素を取り込んだ血液は
左心房に返ってくる。
■4.
「左心室」から全身に血液は送り出される。


この「左心房」にせっかく肺から浄化された血液が返ってくるのに
隣の「右心房」との間が筒抜けで
全身から戻ってくる酸素が少ない血液と混合してしまう。

まして「大動脈弁狭窄」で
「左心室」から押し出そうとすると
出口を絞られて
出ようにもでられないというわけだ。

さてなぜ
手術手術というのか。

右脚ブロックを解放するのは
心臓の収縮をさせて
血液を「肺」に
そして「全身」に送らなければならないからだ。

「大動脈弁狭窄」に
人工弁に代替えして
送りやすくしなければならないから
ということになっている。

このブログでも何度も

「脚の筋肉は、第二の心臓」

と謳ってきた。

それは日常的にも
脚の筋肉の収縮で
脚という末端の毛細血管から
心臓の「右心房」に血液を返す力を発揮するはずだからだ。

もちろん脚の筋肉だけではないかもしれないが
脚の筋肉がもっとも体積は大きいのではないか?

心臓が悪いと
心臓から血液が送れないから
負担になると考えるが
じっさいは逆なのではないか。

先日
低山の高尾山陵を登った。

「ぶらり」が予想外の長丁場 南高尾山稜 

どの山もそして「誰もが」そうであるように
登りの最初の30分が苦しい。
それは末端まで血流が追いついていないからだ。
そして
「誰もが」と書いたが
ここでこだわれば
「心房中隔欠損症」であり「大動脈弁狭窄」であるわが輩は
30分が40分かも知れないし
無理すれば息が続かない。

だが全身を血液が廻るようになれば
歩けば歩くほど楽なのだ。
それは言い過ぎを許してもらえば

「脚の筋肉が心臓」なのだ。

簡単に言えば

心臓は血液を循環すればいいのだ。

誰もがその30分を40分を過ぎると
心臓だけの力だけでなく
筋肉も総動員して
血流をつくる。

それが120回低山ではあるが
登ってきた実感であり
それが快感でもあるのだ。

「心房中隔欠損症」であろうが
「大動脈弁狭窄」であろうが
日常生活に困ることはない。

多少息切れはするが
それは逆説的ではあるが
歩かないと息切れは止まないのだ。


心臓のイラストを見ながらそんなことを考えた。

脚の筋肉にそれだけ頼っていいものかな。。







2016-09-11

循環器科診療部長の診断

透析の主治医の勧めで
循環器科の受診を受けることになって
先週の9月8日に受診した。

朝一番9時の予約だったが
実際に受診で入室したのは
11時近かった。

わが輩は
もともと今までの症状とは違うのを
経過から言って
8月9日のコアヒビター投与からと
訴えてきた。
主治医はレントゲン写真の心胸比と
心臓や肺の画像から判断して
体重設定が甘く
余分な水分がカラダにあふれていると判断して
それ以降体重は3kg減らした。

もちろん体重設定を下げたことで
何かが変わったけれども
それでもある息苦しさに変わりがない。
主治医はこれまでの心臓エコー検査をみて
「あまりよくないので
循環器の受診を受けるように勧めたのだった。

診断は
「右脚ブロック」
「大動脈弁狭窄」
だった。

原因は「老化」とその診療部長はいう。

とつぜん「老化」で
「大動脈弁狭窄」がおこるものなのか。
もしたとえ「老化」がベースにあって
コアヒビターでの一撃が
そのきっかけになったことは
確かだ。

しかし
そんな原因を探っても
意味がないことだ。
あえて探すとすれば
もう一度「コアヒビター」を使ってみることになる。

それよりもいまは
右脚ブロックという「心房細動」と
「大動脈弁狭窄」にどう対処するかというところだ。

循環器科の流れは
すぐに
心房細動に対応する薬を処方し
(たしかアンカロン)
電気ショックを与える手術を施す。
心房細動が止まらないと
大動脈弁狭窄の手術は
できないとする。

いままでのわが輩の認識から言うと
この心房細動対応の薬物などは
成功率は極めて低いと
認識している。
それだけならいいが
思わぬ副作用で返ってくる可能性がある。
こんな薬で治るものなら
友人がなんどもカテーテルアブレーション手術を
何度もしなくてすむはずである。
とにかく薬の投与と
電気ショックでだめなら
次の手術ということで
次から次へと検査と手術が続くが
あたかも暗中模索の如しで
どれも成功する確証がないのと同じだろう。

そして
万が一心房細動が治療できたとして
待っているのは「大動脈弁狭窄」の大手術だ。

いまはどんな手術か説明はせず
とにかく心房細動を治すところからはじめることを
説明するが
いずれは心臓を開けて
心臓に三枚の人工弁を取り付ける
大手術になるのである。


その循環器科の診察で
電気ショックの予約をいれていいですか
にオーケーをすれば
ながーいながーい
通院と入院の生活が始まることは
目に見えている。

しかも
大動脈弁狭窄と判断している心エコー検査の数値は
2015年2月26日 18.8mmHG
2015年12月15日 41.6mmHG
2016年8月23日 ?

のみである。
山歩きで心臓を酷使し
心臓の変化をいつも感じながらを
している。
山から下山すれば数日
心臓は疲れを感じる。

さて2015年2月26日はわが輩は
山での骨折事故で
まだ再開してない状態で
疲労を感じる機会はないのである。
正常と言えば正常になるのは当然で
悪い数値が出る要因は
まず考えられない。

では2015年12月はといえば
2015-12-5ムギチロ903m(高低差640m)を
登っている。
その10日後の数値がそのまま信用できるのだろうか。

そんなことを考えて
まずはこのまま手術と検査と投薬の承諾を留保したということだ。


ひとつだけ
一週間くらいまえに南高尾山陵を歩いたときも
そのまえの相模湖・嵐山を歩いたときも
もっといえば
おととい仕事で重い機材を担いで地下鉄の階段を
上り下りしたが
どれもはじめは息が上がるが
しばらくすると
何もないかのようになるのはなぜだろう。
当分山歩きは封印しようという基本はあるが
この推移がなにか
これからのヒントになるような気がする。
もう少し「整体」を含めて
探ることにしようと考えている。

その上で
診療部長の言うように
「脳梗塞」になるというなら
それはやむをえない。
もう13年前に「脳幹梗塞」に罹っているからといって
免疫があるという訳ではないから
やはり御免被りたい。
むしろ自分のためより
それは家族のために避けたいので
用心深く毎日を過ごすしかない。


追記

酒量は減らしてはいるが
酒を呑むと
あるいはふとしたときに
心房細動を感じないことがある。
今回の様々なトラブルを
自律神経の乱れということもあるので
その点についても様子を検証することも
必要であり
この流れを食い止める一つのヒントでもあろう。



そしてその心は

「ヒトのカラダは、そのカラダに応じて修正していく」

という自己修正能力であり

「自己治癒力」である。

もちろん悪い態勢に安住すれば
突発的な事故や病気に陥るので
用心深く生活することを
自分のカラダのすべてに気を巡らせることは必要だ。











2016-09-06

主治医が「今までのような体重の設定の問題ではなく、心臓になにかあった」と

久しぶりに主治医が顔を出した。
夏休みが入っていたので
しょうがないといえばしょうがない。

現在の心臓について
はじめて
体重の設定の問題じゃなくて
心臓に何かがあったと
はっきり言った。

頻脈
拡張期血圧が高い
などが
真っ先に気になるところであるが
この頻脈は
我が輩が言ってきたことだが
「今までとは違う不整脈」で
息苦しいのだ。

体重調整を行うことは
やぶさかではないので
下げることに異論はない。

その頻脈は
まったくコアヒビター使用で
高熱と同時に息苦しくなって
救急外来で診察をうけたとき以来続いている。

それを何度もブログ等で訴えてきたが
病院の誰もがもちろん肯定的に
話を聞いてくれたことはない。

まだコアヒビター使用が原因と認めたわけではないが
状況判断ではあるが
それが起こったのと同時である以上確信的だ。

こうなると
原因はともかく
心臓になにが起こっているか
もう心臓の働きが減退するだけなのか
いつも死との境目にいなくてはならないのか。
とにかく
状況は知りたい。

その程度を知るための
循環器科の検査を受けることは
やぶさかではない。





朝7時病院へ

朝7時だけど
すでにタクシーで病院へ到着。

いったい自分のカラダがどうなってるのかわからない。
室温31度の熱帯夜に
扇風機のみの一夜はむずかしいのか。
透析での体重も
調整不足かもしれないし。

単純に言えば
余分な水が貯まっているのだろう。
先週のレントゲンをみると
およそ体重が53kgで(透析後)
心胸比が62%あるという。

2kg体重を落とし
余分な水分を体外に出したにもかかわらず
62%あるということは
細胞や血管以外にあふれてる水分が
血管内に取り入れ
また血管や心臓に満たされてしまっているということになる。

おそらく
基礎体重が55kgのとき
増加を含めると
59kgか60kgあったが
今の52.5kgを基準にすると
6.5kgか7.5kgの余分な水が
溢れていたのを
心臓はそれに応えようと
無理をしていたのかもしれない。

したがって血圧も降圧剤を飲まなければ
220か230あるのも不思議はないのかもしれない。

コアヒビターの一件をきっかけにして
血圧は急激に落ち着いた。
BNPが異常な数値で
放出されていたのも
その変化の一端かもしれない。

しかし頻脈が続く。
頻脈も不整脈の一種だと言えば一種だが
血液を送り出す拍動は収縮期血圧160前後あるので
問題ないが
拡張期が110とかで下がらない。
これは不整脈によって
血圧計がきちんと計れてないのか
それとも拡張期の心臓の壁が
十分拡張してないのか。

どちらにしても
しばらくカラダの余分な水分が
いかほどのものか
見極める必要がある。
そうしたときに心臓がどう働くのか
やはり不整脈が起こるのかを
みることか。


それにしても
この心臓の状況をして
この熱帯夜のノーエアコンは
ひょっとしたら命取りになるのかもしれない。
夕べはおかゆ
今朝はまったく朝食抜き。
部屋では呼吸が苦しい。
水が溢れているのか
暑さで息苦しいのか
わからないがとにかく病院にタクシーできたが
サロンスペースは快適だ。
カラダは参ってるのか。。

2016-09-05

おかゆ

単純に2.5kgの減量だが(基礎体重=ドライウエイトを下げられた)
食事のペースが元に戻せない。
元に戻すというか
食事をきちんと摂るという姿勢に戻すことが
なかなか捕まえられない。

どうしても食事を減らして
ビールや焼酎を吞んで来た結果
痩せたと言うことになってる。

酒量を減らすことは
なかなか困難だ。
このなかふつかにしても
きのうビールの小瓶と
焼酎ロック2杯飲むと
もう一杯一杯だ。

しようがなく昼はヨーグルトとビールですませ
夜はおかゆ。
おかゆも水分が多いので
400gのみ。
およそ明日朝食抜きなら3.6kgで
朝食食べれば4kgの増加になる。

しかも不整脈はいまだあるのか。。

2016-09-01

経過記録  コアヒビター副作用

整理しておきたい。


●2016年8月9日(火)
透析日。
採尿にて出血が認められることから、
透析時に使用する抗血液凝固剤をいままでのヘパリンから
コアヒビターに変更した。
(採尿検査では、3回の検査の結果原因不明また悪性ではないとして終了)
透析終了し帰宅後に異常な体の熱っぽさを感じながらも
気温(34度)が原因かと認識し
体温も計測せず。
いつもと違う不整脈を感じていた。

●2016年8月10日(水)
前日の異常な熱っぽさはなかったが、酷暑を感じていた。

●2016年8月11日(木)
透析日。コアヒビター使用。
体がだるく
いつもと違う不整脈。
ムーバスで駅まで行くが降りてから体がだるくいつもの不整脈で
歩けないので、しばらく図書館前のベンチで座っていた。
気温はおそらく30度以上であったにもかかわらず
震えに襲われ足が震えた。
それでもなんとか帰宅。
食事もとらずすぐ寝た。
相変わらず不整脈。
血圧も収縮期で特別高くもなく低くもない。
体温計が壊れているのか計測不能。

●2016年8月12日(金)
不整脈は相変わらず。
降圧剤を全く飲んでいないにもかかわらず
収縮期で120と極めて低い。
もともと降圧剤を飲まなければ
220や230の血圧で
降圧剤を飲んでも160〜180だったので
体も異常を感じる。

●2016年8月13日(土)
透析日。コアヒビター使用。
朝の血圧も収縮期で119と異常に低い。

透析後帰宅後ふたたび息苦しく
異常な不整脈とほてりに
体温計をコンビニで購入計測すると
38.5度。

夜間救急センターに駆け込む。
38.9度。

血液検査では
BNPが 1842.9(基準値 18)
CRPが   4.46(基準値 0.29以下)
が異常値ということで
レントゲン撮影となり
撮影の結果
白い影が「肺炎」の疑いとのことで
培養血液検査を実施することで
体温もたしか37度代に下がり
呼吸困難もやや和らいだので
帰宅する。
なおこのレントゲン撮影をもとにした心胸比は55.9%(体重55.5kg)
なお肺炎の影はその後の撮影にも写らず
培養血液検査にても出てこなく
全くのシロと言うことになった。

●2016年8月14日(日)
●2016年8月15日(月)
一日安静。
不快な不整脈が続く。
血圧は不整脈のせいで測定不能がおおいが
たまに計れたときの収縮期120代は低い。

●2016年8月16日(火)
透析日。コアヒビター使用をやめるように申し出る。ヘパリンに戻す。
透析後体重55kg?
主治医は不整脈と呼吸困難を基礎体重が高いと判断し
しかしこの日はたしか55kgくらいまでしか除水できず。

●2016年8月17日(水)
相変わらず不整脈。
血圧測定不能または低い。収縮期110の数字は?

●2016年8月18日(木)
透析日。
透析開始前の心胸比66%(体重57.6kg?)
基礎体重を53kgとすることに。

●2016年8月21日(日)
低山(相模湖嵐山)だが山に登る。
相変わらず不快な不整脈がある。

●2016年8月23日(火)
透析日。
透析前に心電図・心臓エコー検査。

●2016年8月25日(木)
正式な循環器の医師の所見はまだだが
心臓はかなり悪いと主治医。

●2016年9月1日(木)
透析日。
透析後レントゲン撮影で心胸比を。
今日の時点で心臓エコーなどの検査結果は出ていない。











2016-08-31

自分のカラダがどこにあるか 自分なりの位置づけができない。

台風一過の晴天で
どこにも行かないのはないでしょ。
と思いつ夕べも寝られず
MacBookの iTunesを抱いて寝た。

とにかく8月は頭から体調を崩してから
自分のカラダがどこにあるか
自分なりの位置づけができない。

もちろんそんなことも関係なく突進したいという気分があれば
そんなことを気にしなくて
やりたいことをやるのだろうけど
そんな気分ではない。

とにかく新宿図書館で借りている
谷川健一全集の1巻が
返却期限で新しく貸し出しをするために
出かけた。

大久保から歩くとけっこうある。
あの新大久保周辺の台湾かと思う街を
歩くのは苦痛だった。
歩けるのか。

大久保から新宿中央図書館までは歩けた。

まあそのあとは
新宿まではバスに乗ってしまった。
怠け者かも知れない。
まずは病人ではないと思う。

医師の
「相当心臓が悪い」という言葉のマジックに
かかっているのかもしれない。

相当悪くても
どうこうするするつもりはないし
あえていえば
それなりに「相当悪い心臓」と付き合うしかないと
決めている。
だから無理はできないが
そして
山の仲間に迷惑もかけられないが
初心に帰って
自分に付き合うしかない。

こうやって
いろいろ考えていても
病院はさらなる検査をそして手術をすることしか考えていないことは想像できる。
もしそういうことを言ってくるなら
なるべくそのことで消耗はしたくない。
とくにきのうのような
若僧の医師に
検査をしないと危ないですと
絶対言って欲しくない。
消耗だ。





2016-08-30

医師が患者に向かって「話が聞こえない」はないでしょ!!

今日は台風上陸の予想で
ほとんどの患者が透析を昨日済ませていた。

がらんとしているのはいいが
普通2本の穿刺で
血液を出して入れるのが
2本の穿刺失敗で
計4本を穿刺される羽目になった。

透析13年目になるが
はじめて。
このまま何本射しても
失敗が続いたら
どうなるんだろうと思った。

しかも
1本は看護師
1本はベテラン技師なんだから
不安になってくる。

まあ永遠に続くことはなかったが
若い医師が何だか絡んでくる。
けんか腰である。
現在基礎体重を下げていることは確かだが
ひとまず2キロ減らしたので
次回のレントゲン撮影による
心胸比をみたいというのを
今日は残さないで
ドライまでやれという。

今のドライを下げるつもりはないのかという。
そしていろいろなやりとりをしているうちに
ここはこうだといっていると主張すると
「話がきこえない」ととつぜん言う。
たまたまその場に看護師係長もいて
話の流れを知っていたので
帰りにクレームをつけたら
「いや 僕もあれはと思った」という。

話が聞こえなければ
もう一度話してください。
なり方法はいくつでもある。
あたかも
その医師のいうとおりにしない患者のいうことは
聞かないとでもいう感情的な表現だった。

こちらはきちんと話しているのに
先ほど話したでしょというと
自分の言うことを押し通すために
医師が患者に向かって
「話が聞こえない」はないでしょ。
聞こえなかったら
聞き直せ。

とにかく今日は気分悪い!!






2016-08-28

骨折のように「機械的」にはいかない内臓疾患

今月入ってからの体の変調も
やっと落ち着くとこに落ち着いて
カラダが元に戻ったような
感覚がある。

迷走する大型台風が来襲するまえに
山歩きのリハビリをしたいところだが
重い空をみると
今日はおとなしくしていようと思う。

まだ心臓エコー検査結果はでてないが
昨日の話では
夜間救急外来の際に採取した
血液培養検査でも
特別な最近は見つからなかった。
つまり肺炎の嫌疑はなくなった。

この数ヶ月の体調が悪いのは
原因はともかく
カラダのあちこちに余分な水が溜まったことによる。
このまま過ぎれば
確実に「心不全」や「呼吸困難」で
救急車で運ばれていたかも知れない。

次第次第にカラダの各部に水が溜まるのだから
徐々に苦しくなるので
ある一定の苦しさになったら
病院へ行く手を考えていたが
それはカラダがある程度正常さを保っている間のことで
バランスが崩れれば
一気に心不全で心臓が止まる可能性だってあるのだろう。

そんな状況の寸前に位置するのが
一日おきに出た高熱で
39度の発熱ともなれば
すでにカラダ全体がSOSなので
呼吸や心臓もいままでなんとかだましだまし
働いていても悲鳴を挙げる。

意識障害のように
頭が正常にははたらかない。

それでもこのままでは
狭く暑い部屋でのたれ死にをする
このままではこんばんこの部屋では
一晩超えられないと判断した。

後の経過を見ると
やがて高熱も落ち着いたことをみると
まあなんとかなったのかもしれないが
ほとんどパニック状態だった。
1人で生きていくことは
1人で死んでいくことでもあるので
それもよしとは思うが
人間はなにかあっても
やっぱり生きようとするのか
苦しいのがいやだから
それから逃れようとするのか。

高熱からは時間が解決した。
そして
夜間救急外来の仕事で
高熱の原因を血液検査やレントゲン撮影で
探る。

その血液検査では
BPNという数値が基準値が18とかが
なんと3000。
救急医も見たことがない数値という。
しかし
その後透析技師にいろいろ話を聞くと
BNPの数値は変動が激しく
4けたの数値も不思議はないという。

つまりカラダを動かし心臓に負荷が掛かれば
心臓は血圧を上げるための
レチン(正確ではないかも)などのホルモンを
出そうとし
反対に出し過ぎてはいけないので
同時にBPNという
それを抑えようとするホルモンが
放出される。

もしBPNを正確に計るとすれば
全くの安静状態にしてしばらくして計ることが
必要だというのに
ネット検索しても
そんな計測環境はなかなかでてこない。

今回のようにコアヒビターによる副作用の影響下にあって
心臓が冷静であるはずがない。

はじめて知った心臓から放出されるBPNは
とうぜんヒトの血圧を左右もしていることになる。

興味深いのは
このコアヒビター惨劇以前は
降圧剤を飲んで収縮時血圧160にするために
二種の降圧剤を飲んでいた。
ブロブレス1錠とニフェジピン朝晩1錠ずつ。
それを飲まないと220や230という血圧を
示していた。

その血圧がそのコアヒビター事件から
まったく降圧剤を飲まなくても
160前後になった。
まだ数週間だからこれからわからないが
なにかBPNのスイッチが入ったかのようである。
このままBPNが正常に働いていってくれれば
血圧で悩むことはなくなる。
まあ今までカラダが高血圧に慣れているので
カラダが正常な{160でも高いというヒトがいるが)血圧のもとで
慣れてバランスをとれるには時間がかかることかも知れないが。



余分な水。
いままでどちらかというと
カラダの水分は欠乏する傾向より
多少余分にあった方が良いという考え方があった。
心胸比も夜間救急外来でのレントゲン撮影をみると
ほぼ60%になっていた。

救急外来を訪れたときは
透析日で昼食こそ摂っているので
多少体重はふえてはいるものの
ほぼ基礎体重(ドライウエイト)。
いつも心胸比計測のためのレントゲン撮影時は
基礎体重から1キロ前後残っているので
最高と言えば最高なのだ。

どうしてこんなことになったのか
わからないことが多いが
全体としてこの数ヶ月
たしかに心胸比が大きくなりつつあったことはいえる。

とくに夏に入って
家飲みしかしなくなって
一升瓶をかかえこんでしまったことや
昼抜きで菓子で紛らわせ
晩酌のビールや焼酎にかけたのも事実だ。


不整脈。
いまも多少の不整脈はああるが
以前ほど苦しくはない。
おそらく
不整脈が苦しいというより
心臓や肺にまとわりついた余分な水が苦しかったのだろう。

いっそのこと
どこまで余分な水なのか
削ぎ落とすことをやってみたい気もする。


2年まえの脚の骨折時
病院と我が部屋の往復を
長女が何度かしてくれたが
退院もその後のリハビリも誰の手も借りず
1人でしてきた。
いまでも記憶にあるのは
松葉杖ではコーヒーカップひとつ
運べないことだった。
ただ狭い部屋なのでそれも可能と言えば可能だった。
マンションの目の前のムーバス停留所も
助かった。
松葉杖でデパートにいっても
きれいなデパートガールが車椅子をかしてくれること。
などなどそれらは『百日回峰』ブログに書いてきた。

しかし
今回のような外科ではない内臓関連のトラブルでは
骨折のように「機械的」にはいかないことを
つくづく感じた。
骨折してても頭ははっきりしている。
頭がはっきりしている限りは
「工夫」の連続だ。
が、
頭がいかれると
なにもできない。


もちろんいざとなれば救急車で
今回はまだ余裕があったので(!?)
タクシーを呼んだ。
無線タクシーは一度登録すると
いまはなにも話さなくても
マンションの入口まで横付けして待ってくれるから
便利だが。


自分ではどうにもいかないときだ。
一人暮らしでは何も判断できない。
それは自分が選んだ道だから
しかたないと諦めてはいるが。
それを再認識したのが
今回の事件だったのかな。




2016-08-24

怪我の功名に転じたい 心臓を養生すべし

想像で悪く考えることも
暢気に安易に考えることもできるので
あまり想像はしない方が良いのでさわりだけ。


昨日の心臓エコー検査と心電図検査を
もとに心臓専門医と透析主治医から
その診断が下される。

この数ヶ月の心臓や呼吸が重かったのは
心臓や肺、もちろん血管に
水がオーバーフローしていたからだ。
先週から昨日までに
体重を2kg下げた。

健常者にはわかりにくいが
体の余分な水分は
健康な人は排尿や汗で
排出できるが
慢性腎不全の透析患者は
汗こそ出るが
排尿ができないので
透析によって排出してもらう。

だがどれだけが余分なのかなかなか計りがたい。
血圧をみたり
心胸比といって胸幅の
肺と心臓の大きさをみたり
脚のむくみや
透析時の血圧下降や足が吊ることなどを
いろいろ加味しながら
基礎体重(通称ドライウエイト)が決められる。

その基礎体重をこの週までで
2kg下げて
カラダの中から
2リットルの水を抜いたということである。

そこでカラダはずいぶん楽になったという実感がある。
この数ヶ月
お腹が出てきた。
もちろんぜい肉がつき肥ることもある。
しかし
感覚としては「腹水」でも溜まってるのかも知れないとも
感じていた。
腹水はカラダが衰弱して
栄養バランスがくずれph濃度差がなくなり
浸透するというものだと思われるので
カラダの余分な水分が溜まっているのかもと
頭の中は行ったり来たりと
ぼんやり考えていたという訳だ。

そこに
コアヒビター事件が起こり
カラダはパニック状態になったが
カラダよりも意識障害の寸前のように
十分な思考ができず
ほとんど誰か助けてくれというところだった。
コアヒビターは
透析時にカラダの血液を
透析器に取りだして
血液内の不要な粒子=老廃物を
細かいフィルターで濾過し廃棄し
浸透圧の差によって
余分な水分を体外に出す際に
血液の作用によって
血液が凝固しないように作用させる血液抗凝固剤である。
ふだんはコアヒビターではなく
ヘパリン(通称)であるのが
他の部位での出血のために
急遽変更されてたまたま使用したものである。
透析は一日おきで
コアヒビターが使用された日に限って
高熱が出て
正常な判断ができないと考え
救急センターにタクシーを飛ばした。

このコアヒビターの副作用としての高熱は
確かだと思う。
この副作用についての病院側の対応については
言いたいことはあるが
今回は「怪我の功名」というべきか
これは想像だが
コアヒビターでの高熱で
救急センターでの肺のレントゲン撮影をしたが
3日後透析日にその件を申し出て
透析主治医がそれを診て
しかも呼吸が多少重いということを
告げたことで
肺の下端が白いのを認知し
カラダの水分が多いと診断
すぐ基礎体重の設定が下げられたという経緯であろう。
その日の透析は体重増加(水分増加)が多くて
以前の基礎体重までの透析だった。

次の透析日に透析をするまえのレントゲン撮影を
オーダーされた。

ふつうは
透析後に撮影するのが基準であるが
今回は透析前。
以前の基礎体重からプラス2.6kgの状態であるが
向かって右に
心臓が垂れ下がっているのを見ると
心臓が大きいとか
心胸比はどうのこうの(66%ー通常50%が基準)
というよりも
なんとも哀れである。

カラダの水分が多いことは確実だ。

考えてみれば
以前は多くても週に2回とか3回は
外の吞み屋に行ったかも知れないが
最近は家飲みばかりで
しかも
かならず以前の吞み屋で吞む酒量ほど吞んでいた。
それだけなら
水分が増えるだけだったので
透析で排出してもらえばよかったのが
無意識で水分(酒)の増加で増える体重が
増えないために
あるいは
食事を1回減らして(毎日ではないが)
「おいしく晩酌しよう」としているうちに
栄養も減って実質のカラダが痩せていたのかも知れない。
カラダが痩せれば
同じ体重ならば
水分が増えることに他ならない。

水分が増えただけ
心臓に負荷が掛かり
心臓は働かざるを得ない。

悲鳴をあげるだけならいいが
以前同じ透析センターの患者は
ある日センターに出てこなかった。
布団のうえで心臓が止まっていたのだ。
彼はまだ50歳前後だったと思うが
自分でも心臓が伸びきって
伸縮しないので
血圧(最高血圧)が上がらないといって
いつも更衣室のソファでぐったりしていた。

わが輩の場合は透析後頻繁に起こっていたが
いつもしばらくして
あるいは翌日には止まる心房細動(不整脈)が
そのまま続いたことだった。

なにかへんだ。
お腹は出てくるし
死ぬことすら頭をかすめる。
孤独死もいいかもと。

さて検査結果は近いうちわかるが
心臓を養生することは
しばらくは必至の命題だろう。
もともと右心房と右心室の間には
穴があるというし
それ以上に心臓血管にトラブルとかないことを祈るだけだ。





















2016-08-19

いまだにコアヒビターの影響下

これはあくまで実感的な感覚でしかない。

しかし
ものごとには「必要条件」と「十分条件」がある。
いくら否定しても
事実の前に否定はできない。
ところが現代医学の前には
「十分条件」だけが問われる。


今回のトラブルのきっかけはあくまで

1.コアヒビターの薬の影響である。


なんくせなのがコアヒビターの半減期が数分というのである。
しかし

2.製薬メーカーの添付文書にはけっして副作用の半減期も
数分であるとは書いていないし
副作用も本体と同じ半減期であるとはいえないだろう。

一生続く副作用も聞く。
なぜこんなことがいえるかといえば
あの高熱だけは次の日下がって
次に投与すると
また上がるということをくりかえし
当然投与を止めたら
上がるはずがない。
しかし
心臓に働きかけたBPNはなかなか下がらない。
おそらく今日現在一週間近くかかっても
完全には下がっていないと思われる。
それは血圧測定が不能のことが多いことからわかる。
もちろん不整脈でも
測定不能はあるが
おそらくそうではなく受け取れない脈なのだろう。

3.主治医のこの数ヶ月のうちに何かが起こった
という。何かっていうのはどういうことかと聞けば
心不全とかというが
とうぜん思い起こしても
そんな特別なことはないし
もちろん
知らないうちにということだってあるかも知れないが
目の前に
コアヒビターの大事件があったではないか。


とにかく
血圧測定がなんどと測定不能が続く。
5回に1回くらいか。
これから
どうカラダは「快方」に向かうのか。


ところで
一気に1kgも基礎体重を減らされた。
レントゲン写真の見方が悪いと言えば
悪いのかも知れないが
そして
たしかに水分も多少は多いのかも知れない
呼吸困難であわてた主治医が
考えることは基礎体重かもしれないが
そうではなくとも
やっぱりもう一度
コアヒビターの副作用としての呼吸困難を考えて欲しい。

























2016-08-16

もう透析もやめたい

明日もし天気がよくて
夕方の予定がなければ
相模湖の山に行こうというところ。
なんとも
憤懣やるかたない。
ただ単に数値をみて
「心不全」。
この先週からの状況を説明しても
何も聞かない。
まあ
それはいままでくりかえされたことだが。
くすりの副作用を
病院は認めてはいけない規律があるのだろう。
ただそれだけでならいいが
そのどさくさに紛れて
あれもこれも検査検査をさせる。
有意義な検査ならいいが
そのまえにこちらが薬の副作用といってること
その製薬会社が公表している副作用
重篤な副作用について
聞いたことがないという前に説明しろ。

いやもう忘れたい。
後日書く気力があれば
記そう。

2016-08-14

脳ミソを右往左往させる体温39度は コアヒビターが原因だ

けさは久しぶりに涼しい。
寝起きもいい。
すると一瞬にして先週の暑さの中で連続して起きた
いまわしい出来事がひとつのことに爽快に総括された。


昨日の救急センターでの体温は、39度だった。
昨日は透析日で当然朝から透析をしてきた。
なにごともなく血圧も特に高くも低くもなく
ただいつもの心房細動とはちがう不整脈が
感じられた程度だった。

駅前の回転寿司をほおばり
帰宅する頃にはだんだん
息苦しい。
いつもの不整脈とはやはりちょっと違うことを
感じながらもとにかく部屋に帰って
とにかく一寝入りした。
こんなようなことが今週は続くのは
今週の暑さにも耐えられなくなった
このカラダの衰えなのか
もうおしまいかなと
寝入った。

起きると何かへんだ。
部屋が暑いのは確かだが
額に手を当てても熱があるような気がする。
なぜか
数日前にも体温計で計ったが
エラー表示が繰りかえされた。
こんな状況ではこの一晩で命取りになるかもしれないと
直ぐ近くのコンビニに熱っぽいカラダで
体温計を探しにいった。
あいにく今手元にある体温計はオムロンで
どうも使いにくいこともあって
買いたくはなかったが
かといってやや離れたスーパーまで行く余裕はなかった。

部屋に帰って直ぐ計ってみると 

38.5度のたしかな体温。

部屋は暑いし
38.5度の体温をもてあまし何か対処しないと
ほんとうに死ぬことになるかも知れない。
そう考えたら
まずは涼しい病院の救急センターで診察を受けた方が
この38.5度の発熱の対処もしてもらえる
いや本来なら診察を受けるために
すぐにでもでかけるだろうというところで
一泊入院を覚悟で
ただでさえ重いバッグに多少日用品を詰め込んで
タクシーをスマホで呼んだ。

タクシーが冷房が効きすぎていたら
御免だなと思いながら
8分ほどできたのに乗り込むと
いや最適の車内の温度。


救急センターに着き受付を済ませると
すぐにトリアージの診察。
体温は38.9度。
部屋で計ったより高い。
そのころはまだほとんど急患もいなくて
すぐに診察室に呼ばれた。

若いH医師がいろいろ問診。
怪我ではないので
症状だけで原因を探るのは難しいのは
たしかだが
いつの診察もどこか的がはずれ
勝手なシナリオやイメージをもつ印象だ。

症状としては

発熱
呼吸困難
不整脈(心房細動)

くらいだ。

どちらかというと
わが輩の見立ては

9日を最高にして
(特に夜の)酷暑による熱中症。

であったが
このH医師は内臓にいきたかったようだ。
まずは血液検査をしながらエコー検査。
エコー検査ででてくるまえに
「でかい胆石」や「心臓に穴が開いてる」
などとこちらからいうと多少戸惑った様子。
なにかまったくぼやけた
プリントアウトした胆石が原因かもと。

そんなこんなででてきた血液検査。
異常値は

CRPーー4.46 (通常0.29以下)
BNPーー1842.9(0〜18.4)


それに加えてH医師のシナリオからいうと

正常範囲なのにやや高いというのが

・白血球ーー74 (38〜85)


われわれ透析患者は毎月検査を受けて
検査結果を見ていること知っているのだろうかと
思ってしまう。
「白血球74」は毎月見ているのです!!


この「異常値」を理由にレントゲン撮影をして
レントゲンではなかなか見えないことがあるので
CT撮影もする必要があるかも知れませんと
「説明」する。




■ちなみに帰宅後調べたものだがこうある。

■CRP
・crpが1~10mg/dlと検査結果が出た場合→中等度上昇。
可能性として考えられる病気は、細菌感染症、悪性腫瘍、心筋梗塞、関節リウマチ、血管炎、サルコイドーシス、クローン病、潰瘍性大腸炎、リウマチ熱、外傷、活動期の免疫不全症、心不全、SLE、外傷、手術後感染症。
・crpが10mg/dl以上と検査結果が出た場合→高度異常。
可能性として考えられる病気は、敗血症などの重症感染症、急性膵炎、細菌性心内膜炎、細菌性髄膜炎、血管炎症候群ベーチェット病、白血病など血液系悪性腫瘍、Castleman病。

■BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドで、主として心室から血液中に分泌されるホルモンです。強力な水・ナトリウム利尿作用、血管拡張作用を有しており、心室に負荷がかかると分泌され、交感神経系およびレニン・アンギオテンシン系を抑制して、それらのホルモンと拮抗的にはたらいて心不全などの病態を改善させます。


透析では
毎月心臓の大きさを計るためにレントゲン撮影を
決められているが
できるかぎり放射線被曝を避けるため
測定価値からいって
一カ月おきでも十分として
お願いしているほどなので
ましてやCTなどは論外でしたが
今月はレントゲン撮影もしてないので
レントゲン撮影は許諾した。

上がってきたレントゲン画像が
透析で撮った先月の画像と並べられて
説明された。

・左肺下に影がある。肺炎の疑いがある。
・右肺にラインがあり、水が溜まっている。


なぜかわが輩には信憑性が全く感じられない。
わが輩が
ラインにしても途中で途切れてる
といえばH医師は
そうみえないこともないですね
である。
当然CT撮影をしてより詳しく検査を
といってくる。

こうやってCT撮影までいって
なにかまた影があると
こんどはMRI。
そんなこんなしているうちに
なんどかの被曝のうちに
真性の病気に罹るというものだ。


レントゲン画像が出てきた頃は
すでに救急センターに来てから
3時間たってる。
どんどん体温も下がっていることがわかるし
カラダ全体もよくなってる。

ので様子見で帰宅を申し出た。


陽も落ちいつもの病院の庭の夜の風景を眺めながら
タクシーを待った。

夕方のあのとても落ち着いてはいられない
右往左往した自分はなんだったのだろうと
思い出していた。
まだ微熱はあるが
数時間で下がったのも
そして
あの高熱はなんだったんだろうと
とにかく一段落したことを
感じながら迎えのタクシーに乗り込んだ。





何も食べないのもと
めったに口にしないコンビニのカレーライスを買って
食べなべながら寝た。



一夜明け完全に平熱だ。
しかもこの夏にしてみれば涼しい。

今週のあの暑さはなんだったんだろうと
思い返していたとき
とつぜん妙に一致する
「ある異常な暑さ」で
それは暑さではなく
熱がカラダの中から出ていたのを
暑さのせいでわからなかったのだと
一瞬にして閃いた。

そして
それはこの週透析で初めての薬を使った日で
しかも投与のすぐではなく
約5時間〜6時間経ってからの
「ある異常な暑さ」だったのだ。

それは短時間でその効力が消えるという
血液抗凝固剤のコアヒビターだ。


使用開始すぐなら
発熱してもふるえがきてもわかりやすいが
なぜか半減期が短いはずなのに
半日たってからの副作用だ。

9日の夜に入ってから無性に暑い。
とても我慢できない。
それは
水浴びをしても追いつかない。
そのはずで
カラダの内部からの発熱だから。
部屋の温度34度は夜寝る気温ではないことは
重々認めているがやってきた。
年取って無理が利かないのか
とも思った。

それもこれも単なる猛暑ではなく
コアヒビターのなせる副作用だと
昨日の体温を測ったところから
解決したような気がする。

コアヒビターの副作用を掲載してみる。

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コアヒビターの主な副作用

*報告されている副作用のうち、その中で相対的にあらわれやすいとされるもの
出血傾向 、 そう痒感 、 嘔吐 、 発熱 、 胸部不快 、 黄疸 、 下痢 、 好酸球増多 、 悪心 、 発疹 、 皮膚そう痒感 、 筋肉痛 、 胸部不快感 、 高カリウム血症

起こる可能性がある重大な副作用

*一般に発生頻度が低く、臨床現場において医療関係者が遭遇する機会が少ないものもあるが、場合によっては副作用の発見が遅れ、重篤化する可能性があるもの(頻度不明のものも含まれる)
アナフィラキシー様症状 、 肝機能障害 、 関節痛 、 胸痛 、 血管炎 、 紅斑 、 食欲不振 、 ショック 、 頭痛 、 全身倦怠感 、 低ナトリウム血症 、 動悸 、 疼痛 、 発赤

上記以外の副作用

*上記以外に報告されているもの
意識障害 、 紅潮 、 高尿酸血症 、 呼吸困難 、 しびれ 、 腫脹 、 頭重感 、 喘鳴 、 冷汗 、 腹痛 、 不整脈気管支喘息様発作

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赤字は程度の差こそあれあった自覚症状。

救急センターでのCRPの数値が高いのも
びっくりするほどのBNPの数値も説明がつくはずだ。

それは肺炎だのいうよりまえに
コアヒビターだろう。

ネット上でざっとみたが
直接的な関連の説明はなかった。
ネットで報告や認知されている情報は
もちろん一部で
コアヒビターとBNPとの関係で
誰もが研究しているか疑わしいのだ。
製造メーカーは情報があっても
副作用の項目でのひとことに終わるだろうし
結局
自分のカラダが
研究し検証しなければならないのだ。


悪いことばかりでもない。
おそらくコアヒビターの影響で
血圧が安定していることだ。
心臓のレニンなどの
血圧を上げるホルモンを抑制している可能性があるので
血圧は上がらない。

コアヒビターをやめれば
また高血圧が始まるだろう。



まだ確定的ではない側面があるが
これでいままでの血液抗凝固剤ヘパリンにもどして
何ごとも起こらなければ
なにもなかったかのように
スタッフはふるまうのかもしれない。
しかし
確定的ではないことでも
想像力で確信は生まれようものならば
それは
そう説明もして欲しいが
透析センター
来週どう対処するのだろう。。







2016-08-07

降圧剤と不整脈

つぎからつぎに体調管理についてのテーマがでてくる。

これから書く以外にも
もっと重要なことがあるけれど
それは次回以降ということにして。



先週はじめ主治医に
「透析終盤、血圧が下がり
帰宅後の生活がふつうにできない」
と訴えると
「では、終盤血圧を上げる薬を使いましょう」

一見あたりまえのように
納得しそうになってしまうでしょう。
これがいまの医療の落とし穴で
薬の副作用を薬で修正しようとしても
それぞれの薬の主張は異なるので
体はそれに応えられなくなるのです。

私の場合、
毎朝食後、降圧剤を飲んでいるのです。
主治医はそんなこと知っていると思います。

つまり
朝の降圧剤の半減期は5時間くらいだと思います。
だから
もっともその降圧剤が効くのが
ちょうど透析後半の時間帯なのです。
そこで血圧を上げる薬をいれましょうと
言っている訳で
下げる薬と上げる薬を多少の時間差はあれど
飲み合わせるということは
よくないのは当然で
上げる薬を弱めるなり
休薬するなりするのが当然ではないでしょうか?

透析後半に下がるのは他にも要因があるので
一概にはその降圧剤が原因とはなかなかいえないのですが
主治医の血圧を上げる薬を投与しましょうか
という提案に先週一週間(といっても3日間だけれど)
小生自ら朝の降圧剤をやめて透析に挑みました。
そして後半の時間帯になりましたが
血圧降下もなく
なんと不整脈も一度もなかったのです。
これが一週間体験することができました。

いままで
基礎体重の設定(ドライウエイトという)が低くて
透析後の水分量が少なくて血圧が下がるし
足が吊るし不整脈が起こる。
あるいはカリウムの取りすぎが
急激に透析でカリウム除去するので
不整脈が起こるとも想定した。

しかし
基礎体重よりかなり多い状態で終盤をむかえても
血圧降下ははげしく不整脈も必ず起こる。
先々週は
食事制限を厳しくしてカリウムを低くしての
透析開始にしても不整脈が起こる。
さあどうしたものかというところで
この降圧剤の休薬で問題が解決してしまったのです。

最近部屋で血圧を計ることはなかったのだけれども
緻密に計ってみると
この降圧剤によって
午前11時ころで130である。
小生の血圧は問題あるといえども
160〜180くらいないと生活らしい生活ができない。
130ではむかむかして
いまにも不整脈がおこる気配なのである。

休薬するとおよそ血圧210前後なのである。

解決策としてはこの210を
160〜180くらいにすることである。
そういう降圧剤はないのだろうか?





2016-07-11

脱水の危険は カラダから300gの水分が失われると

本格的な夏だ。
われわれ透析患者から言えば
少しでも汗でもなんでも
水分がカラダから抜ければ
この上ない喜びとなる。

健常者の場合は
体重の5%の血液のうち
その10%が失われると
脱水症状を警戒しなくてはならない。

この血液の10%って
だいたいどのくらいか
計算してみた。

わが輩の基礎体重は(通称「ドライ」という)
現在55kgなので
血液量は計算上は5%は
2.75kgということになる。

ここから10%の水分が失われると
脱水症状の危険というのだ。
計算上0.275gということになる。
多めに計算しても
わずか300gの水分を失うと
脱水症状なのだ。

健常者は水を飲んでいても
とうぜん排尿があるので
水分が多くは溜まることがないので
この300gを失うことがないように
断続的に水分を補給する必要がある。
わずか300gは
ペットボトル1本よりやや少ない程度なのだ。

山登りをすると
半端ない汗が出る。
わが輩のように排尿がないので
飲む水分と汗で出る水分が計算しやすいが
食事での固形部分は
わずかなので(おそらく100gいかないと想像)
真夏はおよそペットボトル2本を飲み
1000ccつまり1kg近い水分を摂取するが
帰宅後体重を計ると
まったく同じということが
何度かある。
つまり
汗で約1kgの水分が失われるということだ。

だいたい山登りは透析日の次の日なので
すでに1kg程度の水分が
カラダに蓄積されているので
この1kgを使い切らない
余程のことがない限り
脱水症状に陥ることはない訳だが
健常者の場合は
この蓄積がない場合は
300gを失わないように
水分補給をしなくてはならないこととなる。





2016-06-19

「ベーキングパウダーの成分カリウムを制限する必要」?

パンをいろいろ作ってきたが
その流れで蒸しパンを最近作る。

パンは強力粉でありイースト菌であり
蒸しパンは薄力粉でベーキングパウダーを使う。

朝の忙しい時間に
蒸しパンは簡単で都合いいとばかり
多用してきた。

イースト菌とベーキングパウダーの違いを
ぼんやりインターネットで見ていたら
思いがけないフレーズが眼に入ってきた。

ベーキングパウダーの成分カリウムを制限する必要があり」

ベーキングパウダーの代用に
重曹をつかうというくだりででてきた
このカリウムの制限。

さっそくカリウムの食物の含有量表を見ると
だいたい食物100g中の含有量は身近なものでいうと

ほうれん草(生)   690mg
ゆでほうれん草  490mg

100gはなかなか食べることはない。
ふつう一束200gといわれる。
いつも1本か2本を茹でる。
およそ30gである。
なのでカリウム量は約150mg。

ではベーキングパウダーはというと100g当たり

ベーキングパウダー 3900mg

である。
びっくりする数字であり
しかも含有量表のトップにあると
いかにもびっくりする数字だが
まず100g使うことはない。


せいぜい使うのは1gだから39mgなので心配はない。


ただベーキングパウダーの成分には
アルミフリーを選んだとしても
コーンスターチや
酒石酸(しゅせきさん)やクエン酸、リン酸カルシウム等が
添加され
問題が多い添加物が含まれているので
これからは避けたい。


実際ベーキングパウダーを使うホットケーキなどは
ふつうの食パンに比べれば
カリウムが多いというのは
そういうことなのだろう。


やはりイーストを天然酵母で
強力粉をグルテンフリーに試行錯誤かな。。


2016-05-31

不整脈はカリウム濃度の変化が原因?

カリウムと不整脈が関係しているとは初耳。
もっとも体感的には
透析の後半でなる不整脈に
何らかの関係は感じていていて
何かしら調べようと思っていて
そのままにしてしまっていた。

今朝の回診で
「不整脈の原因にもなります」
12年も透析しているのに
一度としてそういう言葉は
聞いたことがない。

もともと不整脈の原因は
複雑で明確なものはないとされている。
なので自分なりに
不整脈になる時の
法則性を探し続けてきたことは
確かだった。

こういうふうに考えてきた。
わずか4時間の透析で
血液中のカリウム濃度を
急激に下げることで
一般的な基準値2にするわけで
ほぼ透析前後で
3分の1にするわけなのだ。
こんな急激な変化に
カラダが反応しないわけがないのだ。

ただ考えたのが
自分のカラダはカリウムが高いことに慣れてしまっていて
一般の人の基準値が
合わないのかもしれない
という仮説を立てていた。
かといって
カリウムを透析で少し高い状態に
残してくださいとはいえないし
さらに食事制限が厳しくなるわけで
それはないとぼんやり考えていた。

もともと
カリウムとナトリウムの電位差で
微妙な電流を起こすことで
心臓筋肉に電気ショックを与えて
収縮を繰り返しているわけだから
その一方のカリウム濃度が
透析で変化しているわけで
心臓の筋肉収縮に影響を
与えると考えるのは
至極当然だ。

話は寄り道にずれるが
現代医学というのは
そういう多岐にわたる分析もせず
一途に
不整脈はアブレーション・カテーテル手術という
股や腕から挿入したカテーテルを
心臓まで差し込んで
その上に心臓の壁の
電極を焼き切る大手術を
あたりまえのように勧める。

このブログでも何度もいってきたが
三浦雄一郎にしても
80歳でエベレストを登頂するに当たって
4度も心臓手術をしている。
高校時代からの親友も
先日2度目のアブレーション手術で入院した。
全部が全部不整脈の「治療」ではないかもしれないが
そのうちのいくつは
アブレーション手術だ。
医師から話されたときは
70〜80%の成功率といったと記憶している。
つまり
何でもかんでも手術というのが
誤った現代医学だといいたい。


さて話をもどすと
カリウム濃度の変化が不整脈の原因と仮定し
少なくとも透析前後の落差を縮める案を
採用せざるを得ない。
意図的にギリギリまで摂食してきたわけで
それを削ることは簡単だろう。
まあ野菜などを減らすことは
残念ではあるが。。

2016-05-24

三浦雄一郎の「80歳にもかかわらず その強い人生への目標の明確さ」

きょうは『充電』を昨日にずらして
仕事で三浦雄一郎氏の講演に出かける。
三浦雄一郎は誰でも知っているように
つい最近80歳でエベレストを登頂した。
そのときの様子をNHKで放映していたので
ブログに書き留めたことがあった。

「80歳にもかかわらず その強い人生への目標の明確さ」

学ぶことは多い。

「老いてこそ 挑め」

その姿はわが輩の「めざせ『百日回峰』」に
多くのエールを送った。
目標こそが人生の糧であり
まさしくカラダを激しく使う山登りは
そのカラダを維持する健康の糧であろう。

改めて今日は三浦雄一郎の人生への強い意志を感じてこよう。

2016-04-28

66歳にして「男子会」

というより「じじい会」だろう。
3年か4年ぶりになるか
久しぶりにゆうべは
40数年まえの専門学校時代の仲間との呑み会。
そのころからグループ名までつけて
当初は研究会として何かしらしてた記憶がある。
その当初のメンバーはいまだに
事あるごとに集まり
または呑み会である。

透析で体重制限=食事制限している身にも関わらず
夕べは思いっきり呑んだ。
とはいえ頭の中では体重計算を
してのことだが。
それよりも呑み会の会場になった
狭い洋風居酒屋は
とにかくわれわれの大きな話し声だけが
占拠してしまった。

最近では「女子会」がストレス解消の場として
だれにも認知されているが
その気持ちの一端がわかったような気がする。

ただでさえ66歳にもなると
人と会う機会も少なくなる。
ましてや4時間近くしかも
周りに迷惑になっていることに
気をとめることなく
とりとめもなく大声で屈託ない話が続いた。
あまりにうるさい故に?
となりのテーブルの客は
赤ワインのボトルを途中まで飲んで
われわれに「良かったら飲んで下さい」と
言い残して退散した場面もあった。
 
明けて今日
体重も想定内の増加でほっとするところだが
それよりも深酒すると
不整脈が起こりやすいにもかかわらず
不整脈どころか
すこぶる快調なのが嬉しい。

今回の雑誌への掲載は
「遺産」だ!!
とメンバーのひとりが言う。
じつはわが輩も
これからどれほど命があるかわからないが
いつ死んでも残せるものができた
と内心思ったものだ。

「極貧のなかで貴重な遺産」 になったか。。

今日は透析日だが
前回は血圧の急降下で
通常160の血圧が90まで下がって
袋はぎは強烈に吊り
汗は出るし意識が薄れたりすると
いつ死んでもということも
あながち空想ではなく
想定内のこととしてとらえなくてはならない。

それだからこそ
今日そして明日を
コツコツと精一杯くらすしかないと
つくづく思うところ。。




2016-04-24

一挙掲載















一本のメールから始まった

先日のカメラ雑誌への写真掲載依頼。
その掲載誌が送られてきた。

写真の仕事上では
入稿したあと
できるかぎり「色校」に立ち会ってきたが
今回は編集者からの連絡もなく
写真雑誌としては一流というか最高の雑誌なので
まちがいはないと踏んで
あえてこちらからも問い合わせはしなかった。

送られてきた掲載誌は
その想像を裏切るものではなく
完ぺきだった。
あたりまえといえば
あたりまえ。

ここに添付するのは
スキャンしたものをならべるだけなので
できたら書店で購入するか
立ち読みして頂きたいもの。