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2016-09-11

循環器科診療部長の診断

透析の主治医の勧めで
循環器科の受診を受けることになって
先週の9月8日に受診した。

朝一番9時の予約だったが
実際に受診で入室したのは
11時近かった。

わが輩は
もともと今までの症状とは違うのを
経過から言って
8月9日のコアヒビター投与からと
訴えてきた。
主治医はレントゲン写真の心胸比と
心臓や肺の画像から判断して
体重設定が甘く
余分な水分がカラダにあふれていると判断して
それ以降体重は3kg減らした。

もちろん体重設定を下げたことで
何かが変わったけれども
それでもある息苦しさに変わりがない。
主治医はこれまでの心臓エコー検査をみて
「あまりよくないので
循環器の受診を受けるように勧めたのだった。

診断は
「右脚ブロック」
「大動脈弁狭窄」
だった。

原因は「老化」とその診療部長はいう。

とつぜん「老化」で
「大動脈弁狭窄」がおこるものなのか。
もしたとえ「老化」がベースにあって
コアヒビターでの一撃が
そのきっかけになったことは
確かだ。

しかし
そんな原因を探っても
意味がないことだ。
あえて探すとすれば
もう一度「コアヒビター」を使ってみることになる。

それよりもいまは
右脚ブロックという「心房細動」と
「大動脈弁狭窄」にどう対処するかというところだ。

循環器科の流れは
すぐに
心房細動に対応する薬を処方し
(たしかアンカロン)
電気ショックを与える手術を施す。
心房細動が止まらないと
大動脈弁狭窄の手術は
できないとする。

いままでのわが輩の認識から言うと
この心房細動対応の薬物などは
成功率は極めて低いと
認識している。
それだけならいいが
思わぬ副作用で返ってくる可能性がある。
こんな薬で治るものなら
友人がなんどもカテーテルアブレーション手術を
何度もしなくてすむはずである。
とにかく薬の投与と
電気ショックでだめなら
次の手術ということで
次から次へと検査と手術が続くが
あたかも暗中模索の如しで
どれも成功する確証がないのと同じだろう。

そして
万が一心房細動が治療できたとして
待っているのは「大動脈弁狭窄」の大手術だ。

いまはどんな手術か説明はせず
とにかく心房細動を治すところからはじめることを
説明するが
いずれは心臓を開けて
心臓に三枚の人工弁を取り付ける
大手術になるのである。


その循環器科の診察で
電気ショックの予約をいれていいですか
にオーケーをすれば
ながーいながーい
通院と入院の生活が始まることは
目に見えている。

しかも
大動脈弁狭窄と判断している心エコー検査の数値は
2015年2月26日 18.8mmHG
2015年12月15日 41.6mmHG
2016年8月23日 ?

のみである。
山歩きで心臓を酷使し
心臓の変化をいつも感じながらを
している。
山から下山すれば数日
心臓は疲れを感じる。

さて2015年2月26日はわが輩は
山での骨折事故で
まだ再開してない状態で
疲労を感じる機会はないのである。
正常と言えば正常になるのは当然で
悪い数値が出る要因は
まず考えられない。

では2015年12月はといえば
2015-12-5ムギチロ903m(高低差640m)を
登っている。
その10日後の数値がそのまま信用できるのだろうか。

そんなことを考えて
まずはこのまま手術と検査と投薬の承諾を留保したということだ。


ひとつだけ
一週間くらいまえに南高尾山陵を歩いたときも
そのまえの相模湖・嵐山を歩いたときも
もっといえば
おととい仕事で重い機材を担いで地下鉄の階段を
上り下りしたが
どれもはじめは息が上がるが
しばらくすると
何もないかのようになるのはなぜだろう。
当分山歩きは封印しようという基本はあるが
この推移がなにか
これからのヒントになるような気がする。
もう少し「整体」を含めて
探ることにしようと考えている。

その上で
診療部長の言うように
「脳梗塞」になるというなら
それはやむをえない。
もう13年前に「脳幹梗塞」に罹っているからといって
免疫があるという訳ではないから
やはり御免被りたい。
むしろ自分のためより
それは家族のために避けたいので
用心深く毎日を過ごすしかない。


追記

酒量は減らしてはいるが
酒を呑むと
あるいはふとしたときに
心房細動を感じないことがある。
今回の様々なトラブルを
自律神経の乱れということもあるので
その点についても様子を検証することも
必要であり
この流れを食い止める一つのヒントでもあろう。



そしてその心は

「ヒトのカラダは、そのカラダに応じて修正していく」

という自己修正能力であり

「自己治癒力」である。

もちろん悪い態勢に安住すれば
突発的な事故や病気に陥るので
用心深く生活することを
自分のカラダのすべてに気を巡らせることは必要だ。