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2018-12-30

タンパク質=リン=石灰化=動脈硬化=循環器系機能障害=死

タンパク質を取ればリンが発生する。
腎不全の場合
余剰のリンが排泄されなくて
血管壁などに溜まる。
溜まれば血管が細くなり
血流が悪くなる。
その最たるものは
ショートカットしてるからというのもあるが
現在のシャントがある左手で
すでに右手の半分の血流しかない。
この冬は指先が痺れる。
血流が悪い証明でもある。

老人性石灰化はもちろんあるので
誰でも起こることではあると
タカをくくっていた心理がある。
しかし腎不全を前に
タカをくくっている場合ではないと
思い直すことにした。
もちろんすでに石灰化は一定進んではいるが
その進行を緩慢にし遅らせることはできるだろう。

タンパク質を最低限にしなければならない。
これが厄介だ。
好きなマグロ刺しやトンカツ、レバ串などを
今の少なくとも半分にしなければならない。
同時にどれだけの効果があるのか不明だが
一応現代化学が推奨しているのを信じ
リン吸着剤のレナジェルと処方されている炭カルは必須だ。

来年のことをいうと鬼が笑うが
「石灰化対策」を一義にすることに。

2018-12-15

ケツまくって早死にするか

寒さもひとしおのこの時期
夏のような汗がでず
体重調整がほぼ出来ない状況である。

おまけに基礎体重が500g下がった。

今月の誕生日月の定期検査で
「大動脈弁狭窄症」は相変わらずあるとの診断。
1年前にその手術はしなくていいとなったけど
どういう理由でだろう。
もともとそんなに切迫した症状ではないことは確かだし
それ以降も低山ではあるけれど
山歩きは続けているし。
あえていえば
心臓の弁に不具合があって
送られる血液が不足してるくらいのことで
山登りする力が劣ってるくらいのことはあるのだろう。

その定期検査で
腹部エコーの検査があったが
あのお腹にゼリーを塗って
カメラを動かすのだけれど
一カ所痛いところがあった。
それが気になって気になってしょうがない。
たしかに手で触っても痛いのだ。
ガンかも知れないのだ。

もうひとつ
シャントの掃除をしてもらった他の病院の事後検査をしたが
指先の血流が悪いとの診断。
怪我をすると治らない可能性があり
石灰化が進んでるようだ。
血流が悪いから冷え対策だけでなく
怪我をしないように保護の意味で手袋の着用をするように
と医師にいわれた。
もともと山歩きも注意しないと
怪我の危険はいっぱいだ。

石灰化といえば
リンのコントロールだ。
リンの高い数値も無視をして
タンパク質をとってきた。
マグロ刺身・サカナ・焼き鳥・・・・
薬は一応飲んでるが
食事制限がまったく出来ていない。


さてどうするか。
もういいやと
ケツまくって早死にするか。



2018-12-03

感謝!感謝!感謝!

週末700g残して帰宅することになった。
今までこんなことはなかった。
あったとしてもせいぜい500gまでだったろう。
ほとんど絶望的で3日間ろくに食べることができないのかなどと
気が落ち込んでいた。

帰り際
看護師Sさんが静かに
しかし心を込めて
「頑張って」「頑張って」「頑張って」と
3回私の後ろ姿に声をかけてくれた。
頭の中が「体重」で一杯で
返事もろくにできず病院を後にした。

帰り道もこの3日間どうしようと思い悩むばかりだった。
するとあの静かなでも心を込めた
「頑張って」「頑張って」「頑張って」
が耳にくり返し響いた。
すると根拠もなく頑張ってみようという気になれた。
最低限の飲食をすれば可能ではあった。
それができないところに原因があるとすれば
まったく自分への甘えでもある。
食材も一切買わず帰宅しながら
繰り返し「頑張ろう」と思ったのだ。

きのうは731mの堂所山。
比較的低山でもあって
いつもビールを勧めてくれる輩も不参加で
山頂でもいつものように日本酒や焼酎などの瓶が並んだが
コップ一杯のビール以上は呑まなかった。
水分補給も真夏と同じように
水を凍らせてゴクゴクとはいかない方策。

結局いつものレベルで下山できた。
下山後はその反動と
いままでにない歩数30000歩の疲れから
少し呑みすぎはしたが
想定内のレベルに落ち着き
700g持ち帰りの難はクリアできたことになる。

心を込めて看護師Sさんに感謝です。
「感謝!」「感謝!」「感謝!」





2018-11-02

透析16年目。循環透析は怖い。酔えば寝た記憶がない幸せな日々。



きのう
『充電』=透析の16年目が始まった。
15年のグリーティングカードを作り
病院の医師やスタッフに配った。
前々回の快晴の熱海裏の玄岳くろだけからの写真を背景に
ちょうど前回の日蔭本田山629mで山歩きが
190座となったので
そのリストを配したデザインに思いつきでしてみた。

登山など全く興味がなく
むしろ馬鹿にしていたのに
山歩きをはじめてたしか7年になる。
このところはほとんど毎週日曜日は
高い山低い山は別として山に登ってる。
看護師は「週末になると登ろうという血が騒ぐの?」と聞いてくるが
全くそうではなく
筋力が落ちることが怖い危機感恐怖感でしかない。
じっさい隔週になると
筋力の衰えを感じるのだ。
登るのが辛いというのもあるが
帰ってからの筋肉痛が違うことからわかるのだ。
それ故
毎週登ることは気力も努力も忍耐力も必要だけれど
何らかの命に関わる力になっていると信じ続けるしかない。
その結果
倶楽部山行計画の立案も
小生に任される形になってしまったが
倶楽部山行があってこそ
曖昧な理由でウダウダ部屋に留まることがない結果になってる。
そして今週も低山に登る。

15年目のこの1年はいろいろあった年だった。
もっとも記憶に鮮明なのは
生死の際まで行った出来事だ。
「循環透析」。
循環透析は良い意味ではない。
せっかく浄化した血液を
また浄化することで
一部の血液をグルグル循環して透析することで
カラダ全体の血液を浄化することなく
4時間の透析を終えて帰宅することなのだ。
4時間透析してもわずかな浄化で終えることなので
血液浄化できないに等しいのだ。

当然
もっとも危険なのは血液の「カリウム」だ。
カリウム数値濃度が高いままでいることは
心臓が止まる。
カリウム濃度が高ければ
筋肉は動かない。
止まる。
心臓は大きな筋肉の塊だから。

実際
透析日の次の日にもかかわらず
脚の筋肉や指先などが痺れ具合が悪かった。
普通であれば
寝込むのだろう。
だが小生は
病院の救急センターへ向かった。
まあそこからの病院の対応は悪く
対応通りの受診をしていたら
その途中で筋肉硬直で心臓が止まっていたが
透析センターのラウンジに向かったことで
看護師の機転で最初に拒否された救急センターに
車椅子で直行でき
すぐにカリウム濃度が高いと判断され
また透析センターに戻り透析開始となり
一命を取り留めたといっても過言ではない。

ふつうに透析していても
ある日その透析不備で死を迎える可能性があることを
身をもって体験したのだ。
スタッフはなんとはなく救急センターに向かった小生を
褒めてはくれたが
もし救急センターへ向かわないで
一日寝込んだりして死んでいく患者もいるのだと思うと
まったりとしてはいられない。
ましてやそうやって死んでいった患者の原因は
透析不足ということは本人もわからず
家族はさらにわからず
そしてスタッフもわからないまま
心不全で亡くなったということですまされることになるのだ。

責任論で言えば
透析を行ってる病院にあり業務上過失致死罪でもあるのだが
陽の目を見ないまま命が失われれば
訴えても元も子もないのだ。

この1年の記憶に新たのはつぎは
使っていたシャントの血管が詰まって
新しくシャント手術をしたことだ。
その結果連動して血流が変わって
新たに血管が詰まって
その開通手術をしたことだ。
そしてその血管がふたたび詰まりつつあるのだが
診察を受け再度の手術の負担を避け
その血管は諦めることになった。
全体として左手全体の血流が減少し
右手の半分の血流となり痺れる。
これは将来改善されることなく
悪化すれば指の壊死も覚悟のケースもあるのだ。
命があれば良いのだと
なかなか開き直れない今日この頃でもある。

もう一つ
血圧が降圧剤を飲んでも160〜180あり
飲まなければを試してみたが
220という数値の記憶がある。
その血圧がコアヒビターという抗血液凝固剤投与のきっかけで
降圧剤を飲まなくても120〜130に下がったことだ。
あまりに急激な「正常化」だが
いまや生活のベースとなった「整体」が
その効果を発揮してきたと思っている。
この数年は「解毒」といって
発疹のような形で
カラダの毒素を排出している。
透析でカラダから毒素は出してることになるが
カラダが完全に機能していても
毒素が残り大きな病気につながり死に至り
ましてや透析では残留毒素は多いことになる。
ゆえに
「排毒」は普通なら終わることがあるそうだが
慢性腎不全では「排毒」は続くそうだ。
その最中に起こったコアヒビター騒動で
ともあれ血圧は平均的な健康状態になった。
心房細動や不整脈も整体である程度コントロールできるようになった。
もちろん山歩きも
心臓を使うことで
その自己修正能力が発揮されていることにもよるが
そのためにも山歩きの必要性を痛感するものなのだ。
ともかく
整体が生活のベースになってることが
気持ち的にも支えとなっていて
整体に出会ったことに感謝するばかりだ。


酒量もやや減り
酔えば寝た記憶がない
まあ幸せと言えば幸せな日々で迎えられた16年目だ。





2018-10-20

心胸比59%

心胸比とはCT撮影で測定する
胸の横幅と心臓の横幅の比率である。
心臓が大きいとはなかに含まれる水分が多いとされ
ドライウエイト〔基礎体重)を下げられる。
50%が基準である。

『充電』では一応大きな指標である。
しかし
医師やスタッフに問うと
大きな指標ではあるけれど
絶対の数値ではないことを説明する。
医師のなかには教条的にこの数値を
振りかざしドライウエイト(基礎体重)を
替えようとしてくる。
ガイドラインからいえばそうかもしれないが
50%であれば安心かと言えば
あるいは60%であれば水の量が大きいかと言えば
そうではない。

わが輩の場合
毎月CT撮影はただでさえ放射線量が高いので
もちろん医学は安全の範囲内というがその保証はないし
ガンになったとしてもCTの放射線によるかどうかは
結果的にだれもわからない。
これがいまの医学で
だれも責任をとらない。
であれば稚拙ではあっても自分なりの知識で
避けられるものは避け最小限にするのがいい。
それで隔月にしてもらっている。
2ヶ月あるとカラダの変化もある。
60%だった心胸比が65%になってはいないかと
不安も生まれる。
しかも体重増加が通常の患者よりはるかに多く
基礎体重のプラス4Kgはあたりまえで今週は5kgである。

それにしても5kgの水はカラダのどこにあるのか
医師だってどこに溜まってるんだろうとわからない。
心臓や血管のなかだけに5kgの水が含まれるわけがない。
心胸比というのも心臓や血管に溜まってるという前提の話なのに。

もちろん肺や細胞や腹膜や消化管など可能性は考えられる。
肺に水が溜まれば呼吸困難になる。
救急車で搬送という事態にもなる。
幸い体重増加=水の量は多いが救急車のお世話になったこともないし
呼吸困難にもなったことはない。
いや一度だけ
『充電』導入するまえに運ばれて即導入という結果になったわけである。

今回心胸比59%で61%ということで
やや太ったという評価となるが
実感はこの夏の暑さのなかでの山歩きで
痩せて引き締まったという感があるが
それも曖昧なものである。
少なくともすぐさま呼吸困難を生むような状況ではないといえ
やや安堵ということになる。


2018-08-14

足趾伸筋腱炎そくししんきんけんえん


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透析センターで『充電』開始を待っていると
看護師の係長がベッドに近づいてきて
ある整形の医師と親しく
「先日の足の痛みを聞いてみた」という。
どうやら酒宴での酒のツマでもあったようだが
それはともかく
その医師の話だと「足趾伸筋腱炎」のようだというのだ。
この聞き慣れない専門用語をネットで調べてみた。

自分なりに前日の多大な荷物を担いだのが原因だと
結論づけていたが
この症状の原因を読むと
たしかに納得できた。
しかも
足のアーチが腱を圧迫していることの説明を読むと
いままで足の体重のかけ方に問題があると
常々感じていた矢先のことで
その確信すらもつことができた。

いままでも20年も30年も加重負荷の大きい荷物を背負ってきた。
そしてシューズはずっと「チロリアン」だった。
「チロリアン」とは固い登山靴のタウン版みたいなものだ。
したがってシューズの底もどちらかというと固くて平である。
靴底を張り替えたり修理したりで何足も履いてきたシューズも
この5・6年で軽くていいだろうと
それほど考えもせずスニーカーにした。
それが問題の出発点のようだ。
スニーカーは靴底が柔らかい。
それまでの固くて平らな靴底に慣れていたのが
柔らかくなって足がシューズのなかで定まらないのだ。
だんだん蜘蛛の足のように
指に力が入るようになって
このところずっと問題を感じてきた。
おととい山を歩いたが
とくに意識してみたが
下りは別にして上りに関しては
指を立てるようなことはほぼなかった。
やはり高価だけれども「チロリアン」に替えることが
必要かと思っていたところに
看護師の「足趾伸筋腱炎」の話だった。

チロリアンをスニーカー・タウンシューズにしたことで
足のアーチへの加重が変わった。
ある意味では
アーチが大きくなったといえる。
その結果
大きな荷物を担いだことによって
足の指の関節と腱との摩擦が大きくなったと考えられる。

とにかく
足がシューズの中で泳いでいるのが
すべての原因だろう。
よくシューズは大事というのは言われているが
足趾伸筋腱炎を経てますます痛切に感じる。

酒のツマかもしれないが
看護師が整形の医師の話を
話してくれたことに感謝。


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以下の引用は
https://www.gtuber.com/433.html#_-11

6.足趾伸筋腱炎
(そくししんきんけんえん)
親指から甲になぞっていく線上に痛みを感じます。
親指が多いですが、他の指にも起こることがあります。
スポーツをしていなくても老若男女だれもが可能性があります。
症状・原因
足趾伸筋腱炎は、よく起きます。
足の甲は、足にかかる重さや衝撃をやわらげるためにアーチ状になっています。
実際に、親指から甲の中央になぞっていくと、少し飛び出している部分があります。ここはアーチのために少し角度がついているので、関節の端と端が誰でも少し角張っています。
そして、この角張っている所の上に、親指の「腱(けん)」が通っています。
(腱とは、骨と筋肉をつなぐ細長いスジのようなものです。)
靴がこの部分を圧迫する形でできているので、腱が炎症を起こして痛みます。
さらに、加齢によって自然とこの関節がさらに飛び出してくることがあり、さらに圧迫されて痛みます。
また、ハイヒールの履きすぎで足が「ハイアーチ型」になっている人も圧迫されやすく、痛みやすいです。
同じことが足の指全部に起こる可能性があるので、下図の赤線上が痛む可能性があります。
治し方
シップやクリームで様子を見たり、甲を圧迫しない靴にします。
きつすぎる靴はもちろんですが、ゆるすぎる靴も足が靴の中で動きすぎて腱が炎症を起こすこともあるので、ちょうどいい靴を選ぶことが大事です。
骨の変形などで飛び出しが強い場合は、手術で飛び出した部分を削ることもあります。
再発防止方法
甲を圧迫しないサイズのあった靴を選ぶ。

2018-08-07

足に過大な負荷で歩けなくなった件

先週3日(金曜日)横浜美術館まで仕事だった。
久しぶりに重い機材のバッグを担いで
背中にはノートパソコンとケーブルなどを詰めたバッグ。
自宅からは慣れない乗り換えがいくつもあって
1時間半くらいかかった。
時間がかかるのはいいが
とにかく重量はあった。
それと近年にない暑さのなかで
乗り物に乗ってる間はいいものの
乗り換え時は暑い。
地下道でもホームでも冷房はかけているのだろうけど
効いてはいない。

仕事自身はけっこう神経を使う内容だったが
それほど重力を伴うものでもなかった。
帰宅後
日付が変わる頃になって
右足の甲が激痛。
右肩でバッグを担いでいたので
原因は重いバッグだとわかったが
次の日になって
激痛で歩けない。

とうぜん『充電』に出かけなくてはならないが
とうてい駅の階段も上れないと判断して
タクシーを呼ぶことにした。
足を引きづりながらの透析センターについて
体重計に乗りながら改めて足を見ると赤くやや腫れていた。
看護師が心配し担当の医師と相談
結局まずは触診。
医師は骨ではなく筋を痛めたと診断したが
念のためレントゲン撮影ということで
またレントゲン撮影室まで引き釣りながら往復。
骨折はしてないとの診断。

長年同じような
あるいはそれ以上の荷物を担いできたが
こんなことは初めてで戸惑った。

次の日は自らが立案した山行企画だったが
とてもそれどこではなく
そのコースを熟知しているだろう仲間にメールして
お願いするしかなかった。
赤く腫れてはいたが
その日痛みは和らいで無理をすれば山行にも参加できそうではあったが
おとなしくしていることにした。

それから今日は2日経ってるので
痛みはほぼ収まった。

なんだったんだろう。
石灰化と関係あるのだろうか?
老化なのだろうか?
骨粗しょう症?
看護師に聞いてもわからない。






2018-06-21

シャント図をみて「おぞましい」

透析技師が自分たちの穿刺しやすくするため
周知のためのイラストを転載させてもらった。
はじめてエコー検査を元にしたイラストだが
自分では分かっているつもりのシャントの流れを
客観視してみるとおぞましい。

わかりにくいが
個々に描かれている血管はすべて静脈で
左中よりしたの
血管を横断しているマークの位置で
腕の深部に流れている動脈から
表面に近い静脈の血管に接続している。
ここをシャントというのだが
なぜこんなことをしているかというと
透析するために血液をカラダから取り出すのだが
毎回腕の深部の動脈に穿刺する訳にいかないので
浅い静脈に動脈の血液を流し込んで
血液を採りだしているのである。
透析に使うことで
あるいは心臓からの動脈の血液の流れで
シャントは発達して太くなる。

しかし
シャント部で血液の流れを無理矢理変えているので
当然腕全体の流れは変更を余儀なくされ
血栓もできやすく
今年のはじめ溜まった血栓を取り出す手術もすることになって行ったが
2〜3ヶ月でふたたび血栓は血管を塞ぐようになった。
別の病院へも駆け込んで
診察を受けたが
透析しているいつもの医師と同じ見解らしく
血栓が詰まって流れなくなっても
しようがないという判断をくだされた。

それがこの図の××××の部位だ。
穿刺には使えないと判断されてから
1ヶ月近くなるが細々と流れているようだ。
いつか流れが止まるのを待っているようなものだ。
この流れと関連しているかどうかは判然とはしないが
当然腕の血液の流れを恣意的に変えてることになるので
血流は悪く指先が痺れる。
前回血流量を計ってもらったら
シャントがない反対側の半分だった。
では
これに対して医学的ななにか対応処置があるかといえば
何もないに等しいのだ。
これは驚きでもある。
血流が悪くて壊死するような状況になると
シャントを解消したりするようなことをいうが
そういう末期的になるまでは講ずる方策はないようなのだ。
だから
指先が痺れようがそれは初歩的といわんばかりなので
温めて緩和しなさい
ということなのだ。
これも「悲しい」。
むざむざと自分のカラダが朽ち果てていくの見てるしかないと思えば
それもおぞましい。 
まあ
そうなった時のことを考えていると
酩酊ばかりなので忘れることにしようとは思う。




2018-05-01

心臓の違和感がなくなったのと引き替えに血管閉塞

1月に血栓が詰まりかけた部位を手術で取り除いたのは記憶に新しい。

もともと詰まりやすいV字のような形状の箇所で
その甲斐もなくこんどは完全に詰まってしまって
使えなくなった。
この数週間
指先の痺れが酷く
医師にも訴えていたが
様子を見ていきますの返事だけだった。
すでにその時
閉塞していたかも知れないが
対処していれば救済できたかもと思えば
医師に頼ることだけで
良い方向には行かないことを物語ってる。

まあこれからでも回復できるかも知れないので
整体的対応は続けてみようとは思う。

せっかく心臓の違和感がなくなって
喜んだばかりである。
2ヶ月前には極端に不安だった。
大動脈弁置換手術を宣言された経緯があるので
それが現実になったのかとも思っていたが
前々回の百蔵山山行が
けっこう厳しいコースだったにもかかわらず
脚の筋肉が辛いというのはあったが
心臓に違和感がなく
これは暖かくなったからなのかとも思っていた。
そして今週初めの花咲山でも
ひどい「藪こぎ」だったにもかかわらず
心臓に不安はなかった。
むしろ脚力にも自信ができた。
この変化がホンモノであればと思う。

心臓が自己修復をしたのかもしれないと期待が高まる。
もちろんその「継続してきた山歩き」と「継続してきた整体」が
大きな力になっているのはいうまでもない。

週末は1300mの鶴ヶ鳥屋山だが
心臓の回復が試される。

2018-01-29

山行は断念 公園巡り 16000歩





先々週のシャント血栓摘出手術から1週間余たっていろいろ少し落ち着いてきた。
落ち着いてくれると
山歩きが恋しくなる。
というより
カラダの筋力が落ちることが心配になる。

手術の際
終わり頃になって
メスが入った後を縫ってる医師に尋ねたかぎりでは
3週間くらいは山歩きは控えた方がいいのことだった。
その雑談の中で
医師が「山歩きが楽しい」のか聞いてきたので
「楽しいよりカラダのことを考えると登らざるを得ない」
というような返事をしたように記憶している。
すると医師は
「身体に悪いと言ったらやめる」のか聞いてきた。
つまり好きだから登るのではないかと
聞きたかったようだが
それに反して
「身体に悪いという場合はやめる」と答えたのだった。

よく考えてみれば
医師だろうが誰がなんと言っても
止めないだろう。
それは今のところ
「カラダに悪いなどと思うことがない」からだろう。

ことし元日に日の出山に登ったあと
すでに一ヶ月近くのブランクに筋力も落ちてるはず。
そろそろ危機感に苛まれ始める。
そこで400m位の極めて低山をひとり登ることを企画したが
東京は広い範囲で4年ぶりの大雪・積雪。
日にちが経っても解けない積雪どころか
アイスバーンになっていて
いまだに滑って転ぶ人もいる。
それを考えるとちょっと山にむかえない。
しぶしぶ公園巡りとした。
近くの公園をふたつ巡る。
その結果は。







2018-01-23

「血栓」



食事中だったら恐縮です。
先週金曜日(19日)に
無事シャント手術を終えた。

14年間使ってきたシャントも
ボロが出たというべきか
広い範囲で血栓が生じてきたことは
さきのブログでも書いた。
血栓による逆流で透析不足で
高カリウムをもたらし
命を落とすところだった。

「成長」してしまった「血栓」は
ふつうバルーン手術といって
穿刺してそのさきに風船のように膨らまして
開通させるのが主流だが
大きくなった血栓は
メスをいれなければ取り出せないようだった。

写真は大きさがわかりにくいが
じっさいには小ぶりの鷹の爪ほどあった。
直径7〜8mmはある。
しかも手術途中の執刀医に
「血栓をあとでみたい」と
申し出たため
写真はほぼ終了間近で「血栓の一部」で
この倍の量はあったといえる。

実際に見せてもらい驚くしかない。
これでは血液も滞る。
しかし血栓が溜まらない方法を聞いたが
この答えはなく
いずれまたできるという。

気持ちは二度とやりたくないところだが
そうもいかないようで覚悟か?

それよりも3週間は手術跡から出血した時のことを
考えて山歩きは控えるようにというのが痛い。



2018-01-17

高カリウムで「死に際」までいって思い返すこと

高カリウム(2017/12/25)について


■高カリウムの原因はいまとなってははっきり特定できることではないけれど
その後のシャント(透析に使う血管)の状況などから透析不足の可能性が出てきた。

■それに気がついたのは、ひとりのベテランの透析の技師Sだった。
通常血管から取り出した血液は
透析器の濾過を経てカラダに戻す。
穿刺位置はなるべく同じところにならないように
毎回ずらしているが
下になる穿刺から血液を取り出し
上でカラダに返す。
パターンがいまは2パターンで
<上腕と前腕パターン>と<前腕と前腕パターン>で
<前腕と前腕パターン>ではどうしても距離が狭い。

年の初めのこの狭いパターンで
開始時にどうしても透析機器から生理食塩水が
カラダに入るのだが
ふつうならばそのまま静脈にしたがって
心臓にもどっていくはずが
逆流して取り出す穿刺部分に透明の生理食塩水を
技師Sが見つけたのである。
一瞬のことだと思われる。
なぜなら一定の生理食塩水はカラダに入るが
その後は当然血液を戻すところだから。
その一瞬を見落とさなかった。

じつはこの逆流は単に穿刺位置が近いということで起こったわけ出なく
15年目に入った血管も傷みが激しく
肘あたりの血管が細くなって前腕に血栓が詰まりかけていることが分かった。
血栓で流れが悪くなって逆流したのだ。

逆流がもたらす結果は
限られた少量の血液を繰り返し透析するだけで
濃縮されるもののカラダ全体の血液の濾過ということからいえば
「透析不足」をもたらすものだった。

なんと恐ろしいことではないか。
4時間の透析時間を終えても
カリウムは減っていないことになる。
その状態で帰宅して食事をすれば
高カリウムになる。

毎回穿刺位置を変えているので
年末の誕生日高カリウム症状の際も同じだったと
断定はできないが
その可能性が高いことは想像できる。

では透析機器にそういったセンサーは
備え付けられていないのかと聞けば
ひとつは人為的に調べる機能はあるが
いつもいつもチェックすることはないという。
またもうひとつは
同じ血液を繰り返し透析すれば
ドロドロに濃縮されそれに反応することはあるという。
しかし多少の反応があっても
濃縮が原因だけではなくカラダの体勢や血圧でも
アラームは鳴るので
気がつくのは「ヒト」でしかないようだ。

技師Sが気がつかなければ
同じ状況をふたたび迎えていたかも知れないと思うと
「ヒト」の力
が極めて重要だと考えさせる。

■誕生日高カリウム症の際も何度思い返しても
自分はカリウムを食べ過ぎたという自覚もなく
他の理由があると信じていたが
看護師Kはひとり心配してくれていた。
「高カリウムになっちゃったよー」といってた患者が
目の前で心臓が止まって逝ってしまったという。
それを心配してくれた看護師Kが
待ち時間2時間だったのを車いすで
救急外来に連れて行ってくれた。

そこでカリウムの数値が7.5と高いことが判明し
またふたたび透析センターにもどって緊急透析をすることとなった。
緊急透析を初めて15分で
手足やカラダの痺れが薄れていくのを感じ
ああ 生き延びたんだ
と感じざるを得なかった。

看護師Kが機転を利かしてくれなかったら
透析センターのラウンジで
命を落としていたのだろう。
そして血栓の詰まりで血液が逆流していたのを
見落としていれば
同じ高カリウムを繰り返していたとみると
この二人は命の恩人。

ありがとう。





2018-01-08

難儀の連鎖



年末の高カリウム騒動は
(12月25日に高カリウムで手足が痺れ意識が薄れ病院に駆けつけていつ心臓が止まっても不思議はない状態ですぐ透析をして一命を取り留めた)
看過できるものではないが
当初はいろいろ考えても高カリウムの原因が分からなく
結果的に「薬膳赤ワイン」くらいしか思い当たるものがなく
「犯人」とされた。

しかし今年に入って
シャント(透析用の血管)が狭くなってることが判明。
それによって穿刺の位置によっては
(カラダから血液を取り出す針の穿刺とカラダに返す穿刺)
浄化された血液がカラダを巡らないまま
透析器に取り込まれている事象が発生し
せっかく透析しても浄化されていない血液は
そのままとなった。
ほんの一部しか浄化されなくて
帰宅した可能性があるというのだ。
これではカリウムも除去できないで
多少の食事でのカリウムで高カリウムとなる。

月1回は透析機器のチェックになる
事後の血液検査もしているが
毎回というわけではない。
もちろん透析の機器にはアラームなどのセンサーはあるが
今回のようにほぼ循環ができていない場合は
アラームもなるというものの
不完全な中途半端な循環ではアラームが鳴らないこともあるという。

というわけで血栓で狭くなってる血管を
先日エコー画像で医師が診た。
結論的には血管という「水道管」の「掃除の手術」が必要となった。
年の初めから難儀なことだ。
昨年10月で14年にもなり
使いすぎた血管も悲鳴をあげるといったところだ。

医師の説明でも
この血管の掃除は簡単な手術ではなく
「できたらしたくない」という。
「どうしてもしなくてはならない手術」という意味の説明ではあろうが
できたらしたくない医師に任せるのでなく
いまやシャント手術の専門センターがあり
日本でも屈指の病院が
なんといつもの通院途中にあるという。
今週木曜日(11日)に診察を受けることになり
そのまま午後の手術となる予定。
もっとも日帰り手術ではあるが。

いろいろ考えても
透析のレールをあるいている以上
避けられない手術として甘んじるしかないのだろう。