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2018-01-29

山行は断念 公園巡り 16000歩





先々週のシャント血栓摘出手術から1週間余たっていろいろ少し落ち着いてきた。
落ち着いてくれると
山歩きが恋しくなる。
というより
カラダの筋力が落ちることが心配になる。

手術の際
終わり頃になって
メスが入った後を縫ってる医師に尋ねたかぎりでは
3週間くらいは山歩きは控えた方がいいのことだった。
その雑談の中で
医師が「山歩きが楽しい」のか聞いてきたので
「楽しいよりカラダのことを考えると登らざるを得ない」
というような返事をしたように記憶している。
すると医師は
「身体に悪いと言ったらやめる」のか聞いてきた。
つまり好きだから登るのではないかと
聞きたかったようだが
それに反して
「身体に悪いという場合はやめる」と答えたのだった。

よく考えてみれば
医師だろうが誰がなんと言っても
止めないだろう。
それは今のところ
「カラダに悪いなどと思うことがない」からだろう。

ことし元日に日の出山に登ったあと
すでに一ヶ月近くのブランクに筋力も落ちてるはず。
そろそろ危機感に苛まれ始める。
そこで400m位の極めて低山をひとり登ることを企画したが
東京は広い範囲で4年ぶりの大雪・積雪。
日にちが経っても解けない積雪どころか
アイスバーンになっていて
いまだに滑って転ぶ人もいる。
それを考えるとちょっと山にむかえない。
しぶしぶ公園巡りとした。
近くの公園をふたつ巡る。
その結果は。







2018-01-23

「血栓」



食事中だったら恐縮です。
先週金曜日(19日)に
無事シャント手術を終えた。

14年間使ってきたシャントも
ボロが出たというべきか
広い範囲で血栓が生じてきたことは
さきのブログでも書いた。
血栓による逆流で透析不足で
高カリウムをもたらし
命を落とすところだった。

「成長」してしまった「血栓」は
ふつうバルーン手術といって
穿刺してそのさきに風船のように膨らまして
開通させるのが主流だが
大きくなった血栓は
メスをいれなければ取り出せないようだった。

写真は大きさがわかりにくいが
じっさいには小ぶりの鷹の爪ほどあった。
直径7〜8mmはある。
しかも手術途中の執刀医に
「血栓をあとでみたい」と
申し出たため
写真はほぼ終了間近で「血栓の一部」で
この倍の量はあったといえる。

実際に見せてもらい驚くしかない。
これでは血液も滞る。
しかし血栓が溜まらない方法を聞いたが
この答えはなく
いずれまたできるという。

気持ちは二度とやりたくないところだが
そうもいかないようで覚悟か?

それよりも3週間は手術跡から出血した時のことを
考えて山歩きは控えるようにというのが痛い。



2018-01-17

高カリウムで「死に際」までいって思い返すこと

高カリウム(2017/12/25)について


■高カリウムの原因はいまとなってははっきり特定できることではないけれど
その後のシャント(透析に使う血管)の状況などから透析不足の可能性が出てきた。

■それに気がついたのは、ひとりのベテランの透析の技師Sだった。
通常血管から取り出した血液は
透析器の濾過を経てカラダに戻す。
穿刺位置はなるべく同じところにならないように
毎回ずらしているが
下になる穿刺から血液を取り出し
上でカラダに返す。
パターンがいまは2パターンで
<上腕と前腕パターン>と<前腕と前腕パターン>で
<前腕と前腕パターン>ではどうしても距離が狭い。

年の初めのこの狭いパターンで
開始時にどうしても透析機器から生理食塩水が
カラダに入るのだが
ふつうならばそのまま静脈にしたがって
心臓にもどっていくはずが
逆流して取り出す穿刺部分に透明の生理食塩水を
技師Sが見つけたのである。
一瞬のことだと思われる。
なぜなら一定の生理食塩水はカラダに入るが
その後は当然血液を戻すところだから。
その一瞬を見落とさなかった。

じつはこの逆流は単に穿刺位置が近いということで起こったわけ出なく
15年目に入った血管も傷みが激しく
肘あたりの血管が細くなって前腕に血栓が詰まりかけていることが分かった。
血栓で流れが悪くなって逆流したのだ。

逆流がもたらす結果は
限られた少量の血液を繰り返し透析するだけで
濃縮されるもののカラダ全体の血液の濾過ということからいえば
「透析不足」をもたらすものだった。

なんと恐ろしいことではないか。
4時間の透析時間を終えても
カリウムは減っていないことになる。
その状態で帰宅して食事をすれば
高カリウムになる。

毎回穿刺位置を変えているので
年末の誕生日高カリウム症状の際も同じだったと
断定はできないが
その可能性が高いことは想像できる。

では透析機器にそういったセンサーは
備え付けられていないのかと聞けば
ひとつは人為的に調べる機能はあるが
いつもいつもチェックすることはないという。
またもうひとつは
同じ血液を繰り返し透析すれば
ドロドロに濃縮されそれに反応することはあるという。
しかし多少の反応があっても
濃縮が原因だけではなくカラダの体勢や血圧でも
アラームは鳴るので
気がつくのは「ヒト」でしかないようだ。

技師Sが気がつかなければ
同じ状況をふたたび迎えていたかも知れないと思うと
「ヒト」の力
が極めて重要だと考えさせる。

■誕生日高カリウム症の際も何度思い返しても
自分はカリウムを食べ過ぎたという自覚もなく
他の理由があると信じていたが
看護師Kはひとり心配してくれていた。
「高カリウムになっちゃったよー」といってた患者が
目の前で心臓が止まって逝ってしまったという。
それを心配してくれた看護師Kが
待ち時間2時間だったのを車いすで
救急外来に連れて行ってくれた。

そこでカリウムの数値が7.5と高いことが判明し
またふたたび透析センターにもどって緊急透析をすることとなった。
緊急透析を初めて15分で
手足やカラダの痺れが薄れていくのを感じ
ああ 生き延びたんだ
と感じざるを得なかった。

看護師Kが機転を利かしてくれなかったら
透析センターのラウンジで
命を落としていたのだろう。
そして血栓の詰まりで血液が逆流していたのを
見落としていれば
同じ高カリウムを繰り返していたとみると
この二人は命の恩人。

ありがとう。





2018-01-08

難儀の連鎖



年末の高カリウム騒動は
(12月25日に高カリウムで手足が痺れ意識が薄れ病院に駆けつけていつ心臓が止まっても不思議はない状態ですぐ透析をして一命を取り留めた)
看過できるものではないが
当初はいろいろ考えても高カリウムの原因が分からなく
結果的に「薬膳赤ワイン」くらいしか思い当たるものがなく
「犯人」とされた。

しかし今年に入って
シャント(透析用の血管)が狭くなってることが判明。
それによって穿刺の位置によっては
(カラダから血液を取り出す針の穿刺とカラダに返す穿刺)
浄化された血液がカラダを巡らないまま
透析器に取り込まれている事象が発生し
せっかく透析しても浄化されていない血液は
そのままとなった。
ほんの一部しか浄化されなくて
帰宅した可能性があるというのだ。
これではカリウムも除去できないで
多少の食事でのカリウムで高カリウムとなる。

月1回は透析機器のチェックになる
事後の血液検査もしているが
毎回というわけではない。
もちろん透析の機器にはアラームなどのセンサーはあるが
今回のようにほぼ循環ができていない場合は
アラームもなるというものの
不完全な中途半端な循環ではアラームが鳴らないこともあるという。

というわけで血栓で狭くなってる血管を
先日エコー画像で医師が診た。
結論的には血管という「水道管」の「掃除の手術」が必要となった。
年の初めから難儀なことだ。
昨年10月で14年にもなり
使いすぎた血管も悲鳴をあげるといったところだ。

医師の説明でも
この血管の掃除は簡単な手術ではなく
「できたらしたくない」という。
「どうしてもしなくてはならない手術」という意味の説明ではあろうが
できたらしたくない医師に任せるのでなく
いまやシャント手術の専門センターがあり
日本でも屈指の病院が
なんといつもの通院途中にあるという。
今週木曜日(11日)に診察を受けることになり
そのまま午後の手術となる予定。
もっとも日帰り手術ではあるが。

いろいろ考えても
透析のレールをあるいている以上
避けられない手術として甘んじるしかないのだろう。