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2014-04-25

「やるまいぞ、やるまいぞ」の狂言「附子」は水飴

自らを標榜してた弁当男子ならぬ「弁当ジイジ」を
先週あたりから返上してきた。

弁当といっても
あり合わせの食材で簡単に作ったおかず一品とご飯だ。
ただし少量のたんぱく質と野菜に
180gのご飯と最低限を考えてきた。
外食の塩分と量を考えると快適だった。それでも体重増加が(水分増加)多く
再び少食を念頭に置くと
夜の長~い晩酌では少食は狙えないし
朝はその日動くには欠かせないとすると
昼食を減らすことがベスト。

そんなことを考えていた時
若い医師で1日1食で活躍しているのを読んで
とりあえず1日2食をめざすことにした。
単純すぎるけど。

ただ急に1食減らすことは危険でもある。
低糖でカラダが動かなくなる可能性がある。
頭が働かなくなる。
なのでその医師も最初はひとかけらのチョコなどで補うことを勧めているが
われわれは出来たらカリウムを避けたい。
いろいろ考えているうちに
いつも愛用してるジャムを採用してみた。

パンにつけて食べる分にはいいが
さすがに単体だと甘すぎる。
それをハチミツに置き換えてみたら
ずいぶんいいものかもと納得。

使ってた瓶入りのだと
持ち運びできず透析後にとはいかないので
いろいろ探した。
安い中国産は使いたくないし
そばアレルギーなので蕎麦が極力混ざる可能性が少ない
できたら国内ものも避けたい。
スティックタイプもあったが
買うには高すぎて手が出ない。
それでこうなった。

そしておとといの
ふと冷蔵庫に
自家製パンを焼くために置いてある水飴を思い出し舐めてみた。

これが実に甘くもなく丁度いい。
水飴というとあの屋台の甘ーいアメを思い出すがそうではないのだ。

水飴は昔からある。
一休さんは有名だ。
ついでに思い出すのは狂言「附子」(ぶす)だ。
水飴の由来は知らないが
古典的狂言にあるくらいだから少なくとも室町時代にはあったことになるが
現在の水飴も同じかとググってみると
何やら化学の世界の製造方法が見える。
しかも無害化しているとは言ってるが
人に有害なショウ酸がふくまれるという。
ならば一休さんの和尚さんが手に入れたみずあめは現代ではないのかと
ググってみれば
そんな化学的製法とはちがう
麦芽や米から作る水あめが続々出てくる。
そうなんだ!
世には麦芽水飴や米水飴を
愛用している人が山のようにいるのだ。
もちろん料理に使ったりしているのだろうが。

透析患者の災害用の緊急食として
ジャムやハチミツはいいとされるが
この水あめも仲間にいれたいもんだ。

昨日口にした水あめは京都の店で作られたもので
還元水あめではなくともおそらく無色なので
麦芽や米ではないかも知れない。

麦芽水飴を街で探してみようと
スーパーをのぞいたらすぐにあった。
しかも安価。

水飴を少し調べると
カリウムは「微量」とありほぼないのだろう。
カロリーはといえば
小さじ1杯(5ml)で23カロリー。
グラニュー糖が15カロリーなので比べると
ややカロリーは多い。
ちなみにハチミツは21カロリーとほぼ同じ。

災害用そして一日2食としては適合とした。

ただし血糖値の高い人は避けるべき。
それにしても狂言「附子」では最後に
水飴を食べてしまった坊主が和尚に
「やるまいぞ!やるまいぞ!」(許しはしない)と追い込まれるが
貴重な食べ物だったのだろう。




2014-04-16

万感の思いの大粒の涙

先週末の土曜日に退職したKa-F。

わが輩お礼に心ばかりの赤ワインを贈り
記念写真も撮らせてもらい握手をして帰った。
そのあと仕事が終わり
スタッフとも病院とも別れることになり
思いが積もったのか
万感の大粒の涙だったそうだ。

と昨日若い技師Yが報告してくれた。

Kaは1ヶ月くらいしたら
また復職したいと言っていた。
そんなことなら退職しなくていいのでは
と聞いたら
腰も治したいし。
とは言っていたが
これも技師Yの想像には違いないが
腰痛がよほど辛いようでした
という。

家庭内で問題になったのか
あるいはスタッフ間での摩擦があったのか
想像はいくらでもできるが
退職の要因の真相は自分しか本当はわからない。
でも働きたくとも腰痛で辞めざるを得ないとは辛い。

透析センターでの穿刺や返血などの仕事の際も辛そうではあった。
腰痛は無理なく運動して治すのが一番
などとえらそうに話したことはある。
基本的にはそうだが
日々また腰に負担をかける業務が続いてる限り
そう簡単にはいかない。

それほどまでではなかったが
10年まえに透析をはじめた頃は
腰が痛くて朝ベッドから起きるのが辛かったとき
これはカラダを動かさなければならないと思いつき
定期的に最低でも週二回はウォーキングをするようになって
それをさぼると腰が痛いことに気がついた。
かといって毎日とはいかず
ウォーキングのコースを変えたりもしたが
だんだんつまらなくなって
思案していたときに山歩きの誘いがあってはまってしまったという経緯がある。
そこまで8年かかっている。

だがカラダがどう変化していくか
カラダとの会話が必須だろう。
このとき整形とか外科とかに頼る道を選ぶとより大事になる。
骨を削ったり異物を挿入すれば
一瞬は効果があるかもしれないが
カラダは痛む方向しかない。

1年2年と無理ない運動によって筋肉をつくっていくしかない。
無理ないとは感覚ではあるが
それはカラダとの会話しかない。

足も腰も生命を支える意味ではもっとも重要なのだ。
それを改善するために仕事を一時辞めることは必要なこと。


中腰の作業は辛い。
両膝を床について穿刺や返血をしていたKa-Fの姿を想い出す。
そんなことを忘れ最後の日
最後の返血を指名してお願いしてしまった。

なにより1年かかって2年かかっても改善すると信じて
また戻ってきてほしいと思う。
ただし酒の飲み過ぎにはご注意。。

Ka-Fが号泣した最後の日の有様を教えてくれた技士Yがひとこと
「いい瞬間にいました。ひとっていいな」



*写真=甲州高尾山で膨らんだネコヤナギ。







2014-04-12

行き届く?行き届かない?看護師の異動


3月4月は何かと異動が多い。
最たる異動は長男のロサンゼルスへの赴任だ。
わが輩も毎日が宙ぶらりんで生きてるようなもの。
たとえば
ちょっと油断すれば
カリウム過多で即
死にいたるギリギリで生きてる。
というか
ギリギリまで食べてやろうという魂胆なのだが。
なので
来週渡米することが決まってるので
成田で見送ることに決めている。

さて
透析センターのスタッフも入れ替わりが激しい。


先々週の土曜日に看護師のひとりKoが辞めた。
2時間近くの通勤時間だったのが
違う透析クリニックへ転勤。
近くなるのだろうと思えば
また同じくらい2時間かかるという。
まあパワフルなKoならば
2時間も問題ではないかもしれない。

もうひとりの看護師Waは
センターではもっとも若いはずだ。

以前はすべてが技師あるいは看護師が
穿刺から機器の操作
あるいは薬まですべて一人で行っていた。
回路のつなぎ方で死ぬことはないかもしれないが
大きなトラブルにつながらないとはいえない。

一度だけ時間単位の除水量が
予定していた800gより大幅に多い1400gに設定され
急激に80まで血圧が下がったことがあり
そのことで設定ミスが見つかったことがあった。
その時は技師も担当医師も
謝罪にベッドに来た。

人為的ミスは起こらないのでなく
起こることを前提にして
防止策を考えるのが当たり前。
だから
スタッフ一人で開始作業をするのは
不安になり
だんだんその作業を見て覚えてしまったほどだ。
もちろん見たからと言って限りある。

その後数年経って
ダブルチェックで行われるようになって
その不安はひとまずなくなった。

透析終了時の機器に入った血液を
カラダに戻すのも
以前は空気が入る寸前で
スタッフが止めるという方法だったので
間違って止める鉗子(ハサミのような形のクリップ)の操作ひとつで
空気が体内に入り死にいたることがあった。
その空気が生食水に置き換わり
機器もアラームが鳴るようになって
間違っても清水が血管に入るだけで
命に別条ないより安心な状況にはなった。

ダブルチェックになって
開始だけはスタッフが二人で行うようになったが
これはほんと患者として安心感を享受させてもらえるもの。
ところがこの若い看護師Waは
一人ではじめようとするのだった。

キャリアのあるスタッフなら
ある程度信頼もできるにだが
日常の作業を見てても
頼りない仕草が目立つ。
まあだからこそ一人ではじめてしまうわけで
患者としては緊張が走る。
ただ事ではないことになっては遅い。

幸いその後先輩看護師がついて
トラブルも起こらなかったが
それ以降も
このWaの頼りなさには油断ができなかった。

その看護師Waが同じ病院内で異動で
突然ベッドに挨拶に来た。
「いろいろ行き届きませんで
  申し訳ありませんでした」
と言った。
挨拶としてはこれ以上なく
きちんとしていてちょっと驚いた。
いやこちらの気持ちが分かっていたのかとさえ思えるものだが
他の科に異動後も
「行き届いて」欲しいと思うばかり。

ついでにもう一人
「行き届かない」技師Oのこと。
何でも定年まで2年というスタッフの中でも最高齢。
透析の一からすべてを知り尽くしてるわけだが
それだからなのか患者とコミュニケーションをとらない。

それは別に求めるものでもないが
終了時ベッドに付いて返血の作業をすることが多かったが
というより開始の穿刺はしなかったが
ふつう「おつかれさまでした」というところ
何も言わず去って行く。
別にそれを求めているわけではないので
それはそれでいいのだが
不愉快なのは
作業をしながらため息をするのだった。
一挙手一投足ごとのため息。

これは聞きたくない。
レストランでスタッフが料理を持ってきてため息をするようなもの。
あるいは美容師がため息をしながら
カットをするようなもの。
最年長の役付きだろうが
病院のスタッフとしての立場がまるでない。
こういう大きな病院ですらとさえ思った。

他の技師に訴えた。
だが最年長の上司に言えるわけがない。
スタッフ長=看護係長にも何度も話した。
だがミーティングで漠然と
患者の前でため息ををつかない程度のことは話してくれたというが
当の本人が自分のことだと思ってないか
屁でもないと思ってるのか
それ以降も変わりなかった。

その最年長の技師Oは
誰一人にも挨拶もなく突然
他県のクリニックへ行った。
7、8年お世話になったが
そういう人に限って
挨拶もなく去るのだとつくづく思う。

いや  挨拶をするべきだと言ってるわけでも毛頭ない。

看護師も技師も素晴らしく
行き届いたスタッフのなかに
スタッフの一もわかってないのが
残念と思うしかない。

クラークMも救急部門に異動。
わが輩の山での料理にヒントをくれたりしてお世話になった。

いつか救急センターでお世話になりますと丁重にご挨拶すると
カリウムで運ばれないようにと釘をさされた。

そして今日もまた突然
今日が最後でご挨拶にきましたと
看護師Ka-F。



キャリアも長く絶大なる安定感があって
公私問わずくだらない話に付き合ってくれていた。
というよりKa-Fも酒が好きだったから
話があったといのかもしれないが
非常に残念。

とりあえず看護師がかかりやすい腰痛の治療のためのようだが
「それは重要なことだね」と伝えるしかない。
早く良くなるといいと思うばかり。


なにはともあれみなさん新しい環境でがんばってください。
お世話になりました。



*写真上=看護師Koは部屋中駆け巡るパワーの持ち主だった。
そういえば病院スタッフが出場した市主催のマラソンで走っていた。
*写真下=看護師Ka-Fは山での料理の相談すると
即座に明快な答えが返ってくるのが気持ちよかった。
自家製麻婆豆腐をご馳走できなかったことが心残り。。







2014-04-11

三週なかった不整脈が四週目にふたたび


何かうれしいといえば
透析3時間目から4時間目ころ
起こっていた期外収縮(不整脈)が
この3週間つまり9回起こってなく
今日で4週目に入って
第1日目の火曜日もその気配もなかったが
第2日目の木曜日はふたたび不整脈に見舞われた。
11回目で再発と言うことになる。

透析後半からの不整脈は
センターからの帰りみちでは呼吸が苦しく心臓はバクバク踊って
普段の半分くらいの早さでしか歩けない。
だいたい『充電』の帰りに病院から20分ほどかけて歩く。
日頃の食材をスーパーで物色していくのだが
それが苦しい。
タマネギやニンジンや豆腐などは切らさないので
いきおい買うことになるが
背中のバッグに詰め込んで電車に乗り
降りて10分程度歩くだけだが苦しい。
おそらく血圧が下がっているのだろう。

そこでどうしてこの三週以上不整脈が起こらず
木曜日に症状がでたか考えてみる。
当たらずとも遠からずで羅列してみる。

○1日の4時間の透析で木曜日は4.2キロを設定して結果誤差が生じて4.4キロ除水だった。
それまで3週間はじめは4.2キロもあったが4キロ以下にしてみたので起こらなかった。

○透析による除水は1日4.2キロ〜3.8キロの幅はあるが体に残して帰る残量は
火曜日は1.1キロであり木曜日は0.7キロとわずかであるが異なる。

○電磁波が心臓のパルスに影響を与えてないとはいえないので電磁調理器を先月末頃から使用を控えてきた。
使ったとしても弱火から中火のみとした。

○精神的に非常に落ち着いていたがちょっとしたトラブルが前日の水曜日にあって
ストレスを抱えていた。

○整体的な処置で和らぐことはあっても止まるところまではいってない。
火曜日も木曜日もあまり差はないように思う。

たしかに3.8キロの除水でも起こることはあったことを考えると
単にひとつだけの原因ではないようにも思える。
いくつかの条件がそろえば起こると考えるのがいいのだろう。
この三週間基本的に除水4キロをめざしてきたが
今週初めの火曜日では4キロだったにもかかわらず
木曜日は4.2キロ設定で結果4.4キロを除水してることが
大きなきっかけであると考えるのが自然なのだろう。

先週は週半ばに倶楽部企画ではないが
仲間と山行したおかげで
体重増加が抑えられたので除水量も4キロ以下だった。

そう認めていてもなかなか体重増加を減らすことができない現実が
やはり不整脈=期外収縮の最たる的なのだ。

どこでどう食べるのを吞むのを減らすか。それが問題だ。
それより週一度は山歩きをするのがもっとも効果的な抑制策かも。

さて
あさっては雨で中止が多かった倶楽部山行。
桃の里を眺めながらの甲州高尾山ということだ。
それほど高くない尾根歩きで楽しみだが
『男の料理三昧』は新鮮な春の野菜を中心としたブロッコリーのクリームシチューとした。
イメージトレーニングだけはできてるのだが。



追記

さてさて
ほんとうは書きたかったが最初にアップロードしたときには
書かなかったことを追記。

不整脈の原因のもうひとつの可能性は
『福島原発の放射能によるセシウム」である。
この可能性はとくに東京在住で
しかも次の朝
あの生暖かい風は放射能ではないかという錯覚であって欲しいものを浴びてる。
セシウム137は心臓細胞に蓄積しやすいことが報告されている。
その結果
心筋障害、不整脈につながる。

ベラルーシ人というチェルノブイリの放射能汚染での死因トップは
心臓疾患系の疾患なのだ。

現在毎月と決められている定期的なレントゲン撮影を
二ヶ月に一回とお願いをして間引いている。

もしセシウム由来の不整脈=期外収縮としても
それに向き合うしかない。
もちろん食材も水も極力これ以上増やさないことを探し
体の免疫力を増やし体がむしばまれるのを遅らすしかない。
これからの時代は
このセシウムによるカラダ攻撃をはねとばさなければならないことがテーマ。









2014-04-04

心が痛む「マイルが欲しい」

一昨日は生藤山(960.3m)連行山(1016m)を歩いた。

その前々日
行きつけの居酒屋に行くと山行倶楽部のひとりのYが吞んでいた。
というか事前に「吞みませんか周知メール」がYからあって
もし全員参加していると4,5人になるはずだったが
みな都合が悪かったようだ。
わが輩も月曜日は透析日「中二日」なので体重を増やしたくないので
ウォーキングをして行かないつもりで欠席メールを返信していたが
部屋に帰るとちょっと吞みに行きたい誘惑に駆られ出かけた。

その倶楽部の先輩Yと吞んでるうちに
そろそろ山歩きをしないとカラダが鈍るので
「翌々日に山に行くぞ!」と宣言すると
そのYも「いっしょに行きますか」という。
Yは歩くのが遅いわが輩を後でサポートしてくれ
ある時は山行途中でもバランスを崩し
滑り落ちようとするわが輩をマフラーを握って支えてくれたりと
お世話になるばかり。
それなら○○さんにも声かけようという。
△△さんも。
と話の嵩が増え倶楽部の常連にメールすることにもなった。

結局はわが輩を含めて4名になった。
それもひとりは倶楽部の山行予定をすべて立てていただいている幹事O。
もうひとりは単にfacebookに告知しただけで
山梨県上野原駅まえのバス停で待っていた今売れっ子のイラストレーターT。
もうひとりの居酒屋でこの話を盛り上げたYはといえば
前日母親の急用でドタキャンのメールがあった。

なのにドタキャンがまたしてドタキャンで
遅れてくるというメールが幹事Oにあったという。
中央線の上野原駅からのバス便は1日にそう頻繁ではないので
タクシーで向かうという。
このYは人一倍義理堅い性格で
わが輩に気を使ってのことだと思うと
かえって恐縮もする。

3人で先行することになったが
先の大雪はまだところどころ踏み跡を見失わせるほど残っていて
ルートがしばしば見つからない。
それでもわれわれはなんとか尾根までの予定のルート半ばまで来た。

後発のYは国内の百名山を登り二百名山も達成するのも時間の問題なくらいの
山歩きの達人なので心配はしていなかったが
そろそろわれわれがルートを見失った地点と想像されるころ
携帯電話で説明した。
が、説明が悪かったのか
それともすでに見失った地点を越えていたのか
違うルートでしかもダッシュしたらしく
目標の山頂の軍刀利神社(ぐんだり)山宮に着いたらすでにYの姿が。
先を越された。

途中携帯電話を話す声が聞こえたり
Yが鳴らす熊よけの鈴も山間から聞こえ
同じルートで登ってるかと想定していた。




山宮は900mを越える山頂にある神社としてはりっぱな軍刀利神社。
なんでも11世紀ころ建てられたというので
辺りの信仰を集めているようだ。
その名のごとくいくさの神様らしく
ルート途中の本殿の境内には
大きな長刀が象徴するようにたっている。
下山ルートの小社にも木製の刀が祀られていた。



4人だけの山行もまたいつも列をなしての山行とはひと味違う。
勝手なわが輩の思い込みかもしれないが
より私的な下世話な話ができる。



そのなかで多少余裕ができるようになった下山時
家族の話をした。
以前このブログにも愚痴のようなのを書いたとおり
長男は転勤でロサンゼルスに赴任することになったことを話した。
そしてその長男が命名したのだが
その彼女とわが輩の長女とわが輩を含めて
facebook上で非公開(秘密)のグループ(SummitG4)をつくって
お互いフォローしていることを話したら
若い40代?の売れっ子イラストレーターすら驚いたようだ。
新しいfacebookの形だとか。


その非公開グループを通じて
先週神楽坂という長男らの生活圏の成田とわが輩や長女の居住地の中間地で
壮行会を敢行した。




そこで聞いたのがその翌日入籍し
1年後くらいに結婚式を挙げたいという。
前回のわが輩は愚痴ブログ以降何も言ってこなかったが
着々と事は進んでいたことに
驚いたと同時に改めて二人が幸せになって欲しいと思った。



山行メンバーからは子どもらと一緒に酒が呑めるなんて
と言う声が聞こえた。
「俺ら親とも子らとも吞んだことなんかない」

長女にはわが輩の孫に当たる一人娘がいるが
グループに一度も連れてきたことはないので
純粋のSummitではある。

もちろん親らしいこともしてないこのわが輩は子ども二人に感謝している。
そして彼女がそれに付き合って2時間近い電車で出かけてくれることに
それらを下山途中の世間話に使いながら
ちょっと自慢げなわが輩を感じたものだ。

わが輩の予想はおそらくこれから海外赴任が続くと思うが
自分が生きること
二人で生きること
そして子どもが(孫だ!)できることを
ますます実感していって欲しいと思うばかりだ。

山行途中の休憩所では『充電』の話にも至った。
倶楽部メンバーのほとんどが透析をしていることは知るに至っているが
実際の姿を知る由はない。
でも話し方も悪いのもあるがなかなか「透析」を伝えることは難しい。
「合併症」を説明するに至っては
自分でも分かっていないような気になる。
10年以上1500回以上の透析で穿刺したぶっとい針が3000以上の
腕を見せたが
そんなことで伝わるモノではない。

「見た目なんともないようですよね」
「透析してる人が山歩きをしてるなんてきっとはじめてですよ」
たしかにそうかもしれない。
試行錯誤で透析していてもしてなくとも
カラダに必要なことを最低限しているという意識しかないのではある。
いやむしろ
昨日吞んだ酒の体重増加を山歩きで解消しようというふてぶてしい考えなのだ。
あとの効果は余禄だとくらいなのかもしれない。


いい仕事をしたい。それは実現できるかわからないが
それが実現できれば「一生懸命」生きてるといえるかもしれない。



さて
いまは嫁といった方が良いのか分からないが
やっぱり彼女。
その神楽坂での壮行会二次会でいま何が欲しい?という問いに
彼女の「マイルが欲しい」に心痛む。





*写真上=軍刀利神社拝殿前。
*写真中2=軍刀利神社小社。奥の院のカツラの大木。
*写真下2枚=SummitG4。神楽坂中華料理。