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2014-04-16

万感の思いの大粒の涙

先週末の土曜日に退職したKa-F。

わが輩お礼に心ばかりの赤ワインを贈り
記念写真も撮らせてもらい握手をして帰った。
そのあと仕事が終わり
スタッフとも病院とも別れることになり
思いが積もったのか
万感の大粒の涙だったそうだ。

と昨日若い技師Yが報告してくれた。

Kaは1ヶ月くらいしたら
また復職したいと言っていた。
そんなことなら退職しなくていいのでは
と聞いたら
腰も治したいし。
とは言っていたが
これも技師Yの想像には違いないが
腰痛がよほど辛いようでした
という。

家庭内で問題になったのか
あるいはスタッフ間での摩擦があったのか
想像はいくらでもできるが
退職の要因の真相は自分しか本当はわからない。
でも働きたくとも腰痛で辞めざるを得ないとは辛い。

透析センターでの穿刺や返血などの仕事の際も辛そうではあった。
腰痛は無理なく運動して治すのが一番
などとえらそうに話したことはある。
基本的にはそうだが
日々また腰に負担をかける業務が続いてる限り
そう簡単にはいかない。

それほどまでではなかったが
10年まえに透析をはじめた頃は
腰が痛くて朝ベッドから起きるのが辛かったとき
これはカラダを動かさなければならないと思いつき
定期的に最低でも週二回はウォーキングをするようになって
それをさぼると腰が痛いことに気がついた。
かといって毎日とはいかず
ウォーキングのコースを変えたりもしたが
だんだんつまらなくなって
思案していたときに山歩きの誘いがあってはまってしまったという経緯がある。
そこまで8年かかっている。

だがカラダがどう変化していくか
カラダとの会話が必須だろう。
このとき整形とか外科とかに頼る道を選ぶとより大事になる。
骨を削ったり異物を挿入すれば
一瞬は効果があるかもしれないが
カラダは痛む方向しかない。

1年2年と無理ない運動によって筋肉をつくっていくしかない。
無理ないとは感覚ではあるが
それはカラダとの会話しかない。

足も腰も生命を支える意味ではもっとも重要なのだ。
それを改善するために仕事を一時辞めることは必要なこと。


中腰の作業は辛い。
両膝を床について穿刺や返血をしていたKa-Fの姿を想い出す。
そんなことを忘れ最後の日
最後の返血を指名してお願いしてしまった。

なにより1年かかって2年かかっても改善すると信じて
また戻ってきてほしいと思う。
ただし酒の飲み過ぎにはご注意。。

Ka-Fが号泣した最後の日の有様を教えてくれた技士Yがひとこと
「いい瞬間にいました。ひとっていいな」



*写真=甲州高尾山で膨らんだネコヤナギ。