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2016-08-28

骨折のように「機械的」にはいかない内臓疾患

今月入ってからの体の変調も
やっと落ち着くとこに落ち着いて
カラダが元に戻ったような
感覚がある。

迷走する大型台風が来襲するまえに
山歩きのリハビリをしたいところだが
重い空をみると
今日はおとなしくしていようと思う。

まだ心臓エコー検査結果はでてないが
昨日の話では
夜間救急外来の際に採取した
血液培養検査でも
特別な最近は見つからなかった。
つまり肺炎の嫌疑はなくなった。

この数ヶ月の体調が悪いのは
原因はともかく
カラダのあちこちに余分な水が溜まったことによる。
このまま過ぎれば
確実に「心不全」や「呼吸困難」で
救急車で運ばれていたかも知れない。

次第次第にカラダの各部に水が溜まるのだから
徐々に苦しくなるので
ある一定の苦しさになったら
病院へ行く手を考えていたが
それはカラダがある程度正常さを保っている間のことで
バランスが崩れれば
一気に心不全で心臓が止まる可能性だってあるのだろう。

そんな状況の寸前に位置するのが
一日おきに出た高熱で
39度の発熱ともなれば
すでにカラダ全体がSOSなので
呼吸や心臓もいままでなんとかだましだまし
働いていても悲鳴を挙げる。

意識障害のように
頭が正常にははたらかない。

それでもこのままでは
狭く暑い部屋でのたれ死にをする
このままではこんばんこの部屋では
一晩超えられないと判断した。

後の経過を見ると
やがて高熱も落ち着いたことをみると
まあなんとかなったのかもしれないが
ほとんどパニック状態だった。
1人で生きていくことは
1人で死んでいくことでもあるので
それもよしとは思うが
人間はなにかあっても
やっぱり生きようとするのか
苦しいのがいやだから
それから逃れようとするのか。

高熱からは時間が解決した。
そして
夜間救急外来の仕事で
高熱の原因を血液検査やレントゲン撮影で
探る。

その血液検査では
BPNという数値が基準値が18とかが
なんと3000。
救急医も見たことがない数値という。
しかし
その後透析技師にいろいろ話を聞くと
BNPの数値は変動が激しく
4けたの数値も不思議はないという。

つまりカラダを動かし心臓に負荷が掛かれば
心臓は血圧を上げるための
レチン(正確ではないかも)などのホルモンを
出そうとし
反対に出し過ぎてはいけないので
同時にBPNという
それを抑えようとするホルモンが
放出される。

もしBPNを正確に計るとすれば
全くの安静状態にしてしばらくして計ることが
必要だというのに
ネット検索しても
そんな計測環境はなかなかでてこない。

今回のようにコアヒビターによる副作用の影響下にあって
心臓が冷静であるはずがない。

はじめて知った心臓から放出されるBPNは
とうぜんヒトの血圧を左右もしていることになる。

興味深いのは
このコアヒビター惨劇以前は
降圧剤を飲んで収縮時血圧160にするために
二種の降圧剤を飲んでいた。
ブロブレス1錠とニフェジピン朝晩1錠ずつ。
それを飲まないと220や230という血圧を
示していた。

その血圧がそのコアヒビター事件から
まったく降圧剤を飲まなくても
160前後になった。
まだ数週間だからこれからわからないが
なにかBPNのスイッチが入ったかのようである。
このままBPNが正常に働いていってくれれば
血圧で悩むことはなくなる。
まあ今までカラダが高血圧に慣れているので
カラダが正常な{160でも高いというヒトがいるが)血圧のもとで
慣れてバランスをとれるには時間がかかることかも知れないが。



余分な水。
いままでどちらかというと
カラダの水分は欠乏する傾向より
多少余分にあった方が良いという考え方があった。
心胸比も夜間救急外来でのレントゲン撮影をみると
ほぼ60%になっていた。

救急外来を訪れたときは
透析日で昼食こそ摂っているので
多少体重はふえてはいるものの
ほぼ基礎体重(ドライウエイト)。
いつも心胸比計測のためのレントゲン撮影時は
基礎体重から1キロ前後残っているので
最高と言えば最高なのだ。

どうしてこんなことになったのか
わからないことが多いが
全体としてこの数ヶ月
たしかに心胸比が大きくなりつつあったことはいえる。

とくに夏に入って
家飲みしかしなくなって
一升瓶をかかえこんでしまったことや
昼抜きで菓子で紛らわせ
晩酌のビールや焼酎にかけたのも事実だ。


不整脈。
いまも多少の不整脈はああるが
以前ほど苦しくはない。
おそらく
不整脈が苦しいというより
心臓や肺にまとわりついた余分な水が苦しかったのだろう。

いっそのこと
どこまで余分な水なのか
削ぎ落とすことをやってみたい気もする。


2年まえの脚の骨折時
病院と我が部屋の往復を
長女が何度かしてくれたが
退院もその後のリハビリも誰の手も借りず
1人でしてきた。
いまでも記憶にあるのは
松葉杖ではコーヒーカップひとつ
運べないことだった。
ただ狭い部屋なのでそれも可能と言えば可能だった。
マンションの目の前のムーバス停留所も
助かった。
松葉杖でデパートにいっても
きれいなデパートガールが車椅子をかしてくれること。
などなどそれらは『百日回峰』ブログに書いてきた。

しかし
今回のような外科ではない内臓関連のトラブルでは
骨折のように「機械的」にはいかないことを
つくづく感じた。
骨折してても頭ははっきりしている。
頭がはっきりしている限りは
「工夫」の連続だ。
が、
頭がいかれると
なにもできない。


もちろんいざとなれば救急車で
今回はまだ余裕があったので(!?)
タクシーを呼んだ。
無線タクシーは一度登録すると
いまはなにも話さなくても
マンションの入口まで横付けして待ってくれるから
便利だが。


自分ではどうにもいかないときだ。
一人暮らしでは何も判断できない。
それは自分が選んだ道だから
しかたないと諦めてはいるが。
それを再認識したのが
今回の事件だったのかな。