「透析」にとまどい「充電」と呼ぶことに。 鉄腕アトムがエネルギーをケーブルで注入するイメージに置き換えた。 二度目のシャント手術をし大動脈弁狭窄を宣告され大動脈弁置換手術を勧められるも拒否し、この4月には「うっ血性心不全」で入院して2ヶ月間入院をへて、今年透析17年目を迎えた。(無断転載禁止)
2016-11-24
富士山絶景山行
日本一の富士山絶景コースの河口湖畔の霜山山行はどうだったか。
とりあえず富士山がどうだったかは
現在作成中のブログに任せて
体力的とくに心臓はどうだったか。
この1300mある霜山山行のための
4日前の『低山愛でる』孫山山行が
功を奏したと言っていいのかもしれない。
もし孫山山行がなければ
無理だったと言える。
下吉田駅から新倉山・御殿山を経て
霜山に至るのだが
比較的アップダウンはないというものの
とくに最後の霜山山頂への
胸突き八丁は急登で
トラロープの連続だった。
トラロープはいうまでもなく
急登で滑落を防ぐもので
ふつうトラロープは
力を入れることなく
脚で登る差さえ程度で使うことが多いが
ほとんどの体重を腕の力で
引き上げたといってもいいくらいだった。
幹事は短い距離だとも言ったが
とても長く苦しいものだった。
見かねたOさんに
我がザックを取り上げられ
さっさと先に行ってしまった。
この苦しい急登を想定し
山頂料理の準備はもちろん無く
最低限の荷物で軽いはずのバッグで
この体たらくなのである。
透析後の帰り道
血圧が下がると
耳がつーんとなることがある。
電車がトンネルに入ると
つーんとなるのと同じで
苦しくなって立ち止まると
血圧が下がってるのが
回復するのを感じる。
いやそうではなく
多少でも高度が高くなるという理由もあるが
どちらかといえば
脚の筋肉へ血流が集中して
脳の血液が薄くなっていると思った方がいいのだろ。
もちろん脱水症状も
疑う必要はある。
透析患者は
体に余分な水を蓄えているようなものだからといって
油断はできない。
体にいくら水を蓄えていても
血管内の水分が急激に失われれば
とうぜん脱水状態になり
急激な血圧降下をもたらし意識不明にだってなるのだ。
ただ苦しい急登でも
休み休みいけば
どんな高い山でも登れるような気にはなれた。
時間がかかるのだ。
久しぶりの高低差400mに
長いトラロープの急登は
想定したとおり
苦しかったが
Oさんのサポートのお陰もあって
無事完結した。
霜山からの尾根伝いの下山ルートも
体の回復に寄与したのか
それほどの苦も無く
楽しい山行だった。
じつは山行翌日のきのう
ほぼ半日のデリーケートな立仕事だったので
それも危惧していたにもかかわらず
山行の後遺症の筋肉痛も現れず
無事だったことも嬉しい結末だった。
危惧ということでいうと
きのうの早朝5時過ぎに
パーン
パーン
という花火のような爆発音で
たたき起こされた。
まさか目の前の公園でこんな朝早くというか
彼らにとっては遊んでということになるが
また若い奴らの花火かと寝ぼけ眼でいると
その爆発音が止まないので
これは花火ではないと知る。
窓から見る限り
公園にも何も見えない。
セーターを羽織って
ベランダにでると
わがマンション隣接する小さな板金工場から
黒煙が吹き出しているではないか。
赤い炎も見える。
工場とわが部屋の間には2部屋と
駐車場への通路があるが
まずは退避の体勢だけはと
避難用のバッグを引っ張り出した。
パソコンのハードディスクは迷ったが
それはもう少し状況を見ることにして
マンションの廊下にでて
黒煙に近づくと
相変わらず連続して爆発があり
その中心は真っ赤だ。
爆発の破片が飛んできたら
危険と思いながら
数枚コンパクトカメラのシャッターを切った。
会話したことはないが
この板金工場ひとりで切り盛りしてるようで
夜中にも仕事をしていることがあるので
うっかり失火してしまったのかなどと
考えながら
その親父が心配だった。
やがて消防車が到着し
ホッとしてるとこんどは地震だ。
今日の仕事は重要な仕事で
すべてが中止になれば問題ないが
どうしても駆けつけなければならない仕事だったので
緊張したが
幸い茨城県震度3でおさまった。
その仕事も無事終えてゆっくりしての
翌朝の福島を中心とする震度5。
東京の揺れも大きく
とうとう来たかと思ったほどだ。