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2013-01-16

青森下北半島〜東京都庁

週末の新年会の会場探しは
難航の末一件落着。

エビスビールはアサヒビールに。
日本橋は新年会時季で満席続出で神保町に。
個室はなし。
ただ北陸の旨いもんが救いになるとよい。


きのうから
大島渚の訃報が伝えられている。

話しはさかのぼるが
雲仙普賢岳火砕流の年だから
1991年に友人が
青森下北のマグロで有名な大間から
東京都庁まで走ると言いだした。

彼はオーストリアで開催した
シドニー〜メルボルン1000kmウルトラマラソンに参加し
カットオフタイムで
途中リタイアを余儀なくされた。

そのリベンジで
青森から東京が同距離というので
5月に走るから手伝って欲しいという。



オーストラリアでは
キャンピングカーとスタッフが伴走し
寝る時間も削って
きびしい時間制限で走るのだ。

日本でも同じ形態でやりたいというので
わが輩は資金を集めスポンサーになってもらい
スタッフを集め
キャンピングカーを無償で借り
マスコミへの広報をと奔走した。
そのころはニュースステーションといっていたが
15日間くらいの密着取材で
ちょっと珍しく長い15分間を
あるいは各局のニュース報道でも
放映,掲載していただいたので
記憶にある方もあるやいなや。

そのときに
スタッフとして手伝ってくれた
早稲田大学の探検部のメンバーに
大島新という頼もしい限りの男性がいた。
それが大島渚の次男ということだった。
それ以降会ってないが
フジテレビを退社し
フリーディレクターとのこと。

立派に仕事をされているようで
心強いが
偉大な父親の死を痛む姿が浮かぶ。

つつしんでお悔やみ申し上げます。



ちなみに
青森から東京を走った友人は
その後
鹿児島〜東京(1647km)と
鹿児島〜北海道宗谷岬日本縦断
を果たした。