皆生きるということをテーマにして生きてるようなものなのに
また
友人が若くして命を絶った。
きのう友人である出版社社長から突然電話をいただいた。
「ご存じですか」と
いやな予感。
その社長とふたりで
東京から千葉の誉田という駅まで
たしか一昨年の暮れだったかに
出かけたことがあった。
亡くなった彼はまだ40代と思うが
一流会社のコンサルタント部門で活躍していたが
心身症で通院したり休職してることを
その社長に電話してきた。
その話を聞いていて内容が
かなり深刻だという印象だったので
すぐ翌週くらいだったか
何もできないが
その社長と3人で会うことにした。
夕暮れに誉田駅にクルマで迎えてくれた姿は
比較的元気そうだった。
普段だったら赤提灯でもいい関係だったが
ことがことだけに
ファミリーレストランに座った。
彼はシステム手帳に詳細に発病や
使った薬を記録していて
詳しく説明してくれた。
彼とは寝食を共にして
地方に出かけたことも何度もあり
いろいろな議論もしたこともあった。
大学の哲学科を出ていて
物事を突き詰める傾向はあったが
それが彼自身を
追い詰めたかも知れない。
その理路整然としてるところがわが輩にとっては
かえって興味の対象だったのだが。
レストランで2時間近く話しをして
大きな異変も見ることはできず
少しシフトしてスポーツでもと考え
彼の好きなサイクリングをぜひにと最後に伝えて別れた。
その後
わがブログ「めざせ『百日回峰』」を見てくれてたのか
お礼と行動をうらやむ手紙が届いた。
その手紙が最後だった。
今その手紙を探しているが
見つからない。
社長の話では
昨年の11月逝去の知らせがきただけで
自ら命を絶ったかどうかはいまのところ
定かではない。
だが
どちらにしても
この数年苦しんだとを思うと
悔やまれる。
彼も20代で意気揚々としていた時に
酒を酌み交わしながら議論したことが懐かしい。
伊豆下田で二人で吞みすぎて
終電に間に合わず
下田駅のホームのベンチで寝たのも
つい最近のようの思い出される。
おつかれさまでした。合掌