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2014-11-23

倶楽部山行での料理


最近にはじまったことではないが

倶楽部山行で料理を作ることがやみつきになる。
もともと料理などできなかったけれど
この透析がはじまって
厳しい食事制限を強いられるようになった。
とはいえなかなか守ることはできず
10年経ったいまだに常にリン数値は高いし
カリウムもぎりぎり命がある状態だ。

数値オーバーの原因は
もちろん食べなければという部分もあるが
食べたいという部分もある。
ざっくりいってしまえば
野菜などの食物繊維やビタミン類は食べるようにしているし
タンパク質は食べたい部分ということになる。

居酒屋で吞めばだいたいタンパク質が多い。
否、食堂やレストランでも同じだ。
それでも中華料理は野菜を選択することは
かなりできる。

そんな食事事情だが
セシウム汚染や農薬汚染
保存剤まみれのコンビニ惣菜を検討すると
自分で食材を選び自分で作ることのほうが
経済的でしかも少しは安心できる。

そうなると
おいしいもんが食べたくなる。
よく考えれば生きるのも病気になるのも
毎日の食事が大元。
もちろんデング熱やインフルエンザなど外からの攻撃はあるが
それに抵抗できるのは
いまや薬品メーカーの特効薬ではなく
カラダの中にある免疫力しかない。

そして免疫力を育てるのは
食事と運動しかないと思えると
この食事はやっぱり生命の根幹。
そして透析という厳しい食事制限をきっかけに
毎日の食事のバランスを考えざるを得ない。

最少量で最大の栄養を考えることは
有能な栄養士でもなかなか難しいと思う。
なぜなら最大の効果というのが
実際には手探り状態だから。
論議はいっぱいあるが
だれもそれ以上のことがないと言えない。
いつまでたっても自分が考える最高の時点で
考えていくしかない。

そうやって
食事のメニューを考えると
いつまで経っても明解な答えは出ないにしても
考えは果てしない。

1人の毎日の食事はそうだが
山でヒトに食べていただくのはまた別だが
料理メニューを考えることは
すでにはまってる。
おもしろい。

とはいっても
誰に教えてもらう訳でもないので
手探りだ。

たとえばパエリアを作る。
もともとそこでパエリアを作るというのは
どこかでおいしいのを食べたという舌の記憶がよみがえり
食べたいとか
このあいだ食べたパエリアくらいなら
自分で作れるのではないかというのが出発点。

そこからパエリアの検索でひっかかるネット上のレシピを
10も20も読み解くと
そのレシピの「意味」がわかる。
それがおもしろい。
春だから菜の花を入れたいとか
イタリアンパセリをそこで入れるのはなぜかとか
料理は全部頭を使っているのでとにかくはまる。

だが部屋での毎日の食事は
考えるのは半分で毎日同じものにして
あと半分をある程度応用できるようにしている。
バランスをとるのが楽だからに過ぎないが。

その逆で倶楽部山行では
作りたいものを食べたいものを作ろうとしている。
みんなに食べてもらえれば「怖くない!」でなく
自分一人で食べるとなかなか数値オーバーの結果を生むものも
少し食べるなら食事制限範囲内におさまるというもの。

そういう意味では
作りたいメニューはいっぱいうまれる。
ただザックに担いで行ける範囲内という制限がなかなか厳しい。

次回来週末はなににするか
思いつきで
チーズリゾットがいいかなとか。。
今夜はそう思ったりするのだ。