これだけブログも空白があると
やー
きっとお亡くなりにとか考えるものなんでしょうか?
残念ながらしぶとく生きておりましたが
ほんと御無沙汰です。
遅まきながら
あけましておめでとうございます。
年開けてやっと落ち着いたとでもいうのか。
元旦をお休みにするために
だいたいが透析日を振替するわけだが
体重増加の多い私にとっては
それこそが大きなイベントとなる。
だいたい週末の体重増加が
半端なく多く
昨日などはとうとう6.2kgという
もう救急車で運ばれてもいいくらいな
体重増加。
朝病院へ行くにも息が切れる。
そりゃそうでしょ。
体に6キロの水を抱え込んでいるのだから
肺の周りにもたぶついてることは必至。
駅の階段もいつもエスカレーターを傍目に
階段登るのだが無理。
こんなとき災害でも起こり
透析が一日ずれたとしたら
それでおしまいかもしれない
とつくづく反省した次第です。
もともとなぜ体重増が多いかと言えば
まっすぐ酒量につながる。
まだ家飲みしている場合はコントロールできやすいのだが
人と店で飲むとなかなか酒がすすんでしまうのだ。
もうひとつ
透析での除水量が増えても
堪えられるカラダになったことで
週はじめは多くても
週末までの3回の透析でゼロにすればいいという
妙な安心感ができてしまった。
階段登れなくなるような増加は別として
とにかく週はじめに
病院まで辿り着けば
あとは週末までにゆっくり除水すればいいとなってる。
救急車出動ならまだしも
6キロの水は心臓にも負担がかかる。
心不全である朝命を落としていた
ということにならぬよう
今年は念じよう。
さて
そんなわけでカラダ的には調子いい。
それはひとえに「山歩き」によることが大きい。
ウォーキングのようなカラダに負担がかからない運動では
カラダの衰えは防げないのではないかと思う。
むしろ
「ある程度負担と思えるような運動が心肺と筋肉を成長させる」
と思っている。
最近読んだ記事にも
最低1日20分
ジョギングよりもウォーキングにして
息が切れる程度の早足が長寿を保障する
という報告があった。
ましてや朝一番のジョギングは危険とのこと。
そりゃそうでしょ。
酒を飲まなくても朝の血液は水分が少なく
いわゆる「ドロドロ」。
血液が十分カラダをめぐる状態ではないのに
いきなり走っては駄目でしょ。
ということで
少し激しいかも知れないが
山歩きで筋肉が肥った足を見ながら
ここに多くの血液を貯めていると感じると
単純に元気になれるのだ。
実際血流量が多いと言うことは
カラダ的には悪い訳はない。
ただいえるだろうというのは
激しい運動をすれば
それだけ心臓に負担を掛けるので
心臓は肥大化するということだ。
よく分からない数値だが
心臓の「幅」は胸の「幅」の半分
つまり50%だというのが
昨日の検査報告では56.2%。
しかし、肥った相撲力士が50%でありえないし
長距離を走るマラソン選手もしかり。
目安といいながら
医師のガイドラインにはそうなっているのだろうけど
この「心胸比」を体重を決める指標とするところに無理がある。
ただ目安としてどう変化しているのかというところで参考にはなる。
だが医師があのぼやけたレントゲン写真に定規を当てて
計っているのだから誤差も考えると。。
この数ヶ月ブログをお休みしている間に
わが山歩きのタイトル(「めざせ『百日回峰』」)にして
100日を達成した。
骨折事故もあり中断もあったが四年かかった。
なによりそれを山行倶楽部のメンバーが祝福をしてくれた。
ひとつひとつの山行で
小生のカラダを気遣ってくれ
あるときは小生のザックの荷物をメンバーで分けて
持ってくれたりと
感謝に堪えない。
倶楽部山行に参加させていただいた最初の頃は
透析患者であることは秘匿しようと思っていた。
一度脳幹梗塞もし
貧血であり高血圧であり
血管の石灰化も散見されるというのだから。
「病人」ゆえで迷惑を掛けたくないというところで
最初のころ
まだ体力もない小生が
ましてや高校や大学の登山部に所属していた輩と
同じ隊列に同行できる訳もないとして
1時間早く起きてでかけ単独行で登った。
血圧計や血液酸素量の計測機器を
こっそりザックの中に入れて出かけたこともある。
だから
たとえ山頂に着いて合流しても
たまたま一緒になっただけで
小生がたとえ山行途中にカラダの故障が起こったとしても
倶楽部には関係ないよと
迷惑を掛けたくないと思っていた。
しかし
ある時小生のカラダのことも透析も知ってる倶楽部メンバーの友人が
告知してしまった。
もっともその友人が倶楽部に連れて行ってくれたのだから。
たしかそのころは単独行ではなく倶楽部同行で登っていた。
リーダーにも幹事にも気を遣っていただくことになってしまった。
今思うにたまたま偶然この倶楽部が「懐の深い倶楽部」で
参加させていただいてることに感謝している。
というより
現実は迷惑を掛けたくないと思っていたのが
内臓疾患でこそではないが
左足骨折という思いがけない事故で
また懐深い人たちを感じた次第。
100日記念として「山小屋泊の山行」さえ企画していただいた。
翌朝の下山時に参加いただいたメンバーの後ろ姿を見ながら
その山行しかり
山の歌も飛び出した前夜の嬉しい酒宴を思い浮かべ
目頭が熱いのを感じた。