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2019-05-16

94歳の母親「この人誰」

昨日名古屋往復をしてきた。
今月20日で94歳になる母親が
先月転倒して入院。
その後心臓と腎臓が弱ってきて
胸水も溜まり
数日前にいつ逝っても不思議はないと医師から連絡があったと
面倒を看てきた妹からLINEが入った。

長女・長男も見舞いに行ってくれるというので
3人揃っての「小旅行」となった。

母親には我々が行くことも伝えてなくて
ちょうど昼ご飯の時間で
食事をするのも忘れるほどの喜び様だった。
「よう来てくれた」と孫の名前を連呼するはしゃぎ様だった。

私と母親は青春期からギクシャクしてきた。
私の側から言えば
母親の言うとおりにしない私を
頑として受け入れなかったことだ。
20歳に私は無言で家出をして
東京の専門学校に入学して
その後曲がりなりにもフリーでその職業を歩いてきた。
私に長女が生まれ家出して断絶していた親子の関係はやや修復されたが
その仕事に関する話題もなければ認める様なこともなかった。

その後10歳離れた私の長男が生まれると
「男系崇拝」の母親の愛情は孫であるその長男に注がれた。
自分の息子で達成できなかった生き様を
孫に
しかも男系であることで
溺愛してきた。
会うたびに孫に「一流企業のサラリーマンになること」を
蕩々と解いてきた。
それが「夢」なのだ。

孫はじっと聞いていた。
「父親の様になるな」ということも何度も聞こえてきた。
そして一流企業といえるかわからないが
いちおう夢であった企業サラリーマンに就いて
母親は満足だった。

ベッド越しに両手で
その長男を抱きしめる仕草を何度もする。
「会えるとは思わなかった」
「嬉しい!」と
4人部屋のほかの患者に迷惑がかかってるだろうほどの
大きな声でその嬉しさをかみしめる様に何度も連呼する。
「嬉しい!」と。

孫二人とは会話をしても
私とは話しない。
私と話さないのをみて
長女がわたしの名前を言って「わかる?」と
振ってみると
「この人誰だ?」と恍ける。
ちなみに認知症などまったくない。
「おまえなど認めたくない」と言わんばかりなのだ。

この先長くもないことは分かりながら
認めたくないという遺言を奥のだ。
長女に
「根が深い」と言わせる。