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2016-03-10

1本のメールから始まった

ある大手新聞社系の雑誌の担当者から
写真掲載の依頼のメールが1カ月近く前に来た。



メールを送ってくれた若い編集者に会ったときに聞くと
小生の写真集が書庫にあって
それをみて今回の特集に採用したいということだった。


同じ編集部署の以前知人であった輩は
小生の写真展写真集の記念パーティーの
呼びかけ人にもなっていただいて
小生の写真集をその雑誌編集部の書庫に
入れていただいていたのだったろう。

なにはともあれ
うれしいことで
一挙16ページを小生の写真で飾ることになるのだ。
いや写真だけでなく文章もだ。

写真はおおかたすでにある写真を使うので
狭い部屋のストック写真を探すため
荷物をひっくり返しゴミ屋敷と化し
編集担当者に送る。

すると
即座に構成案の添付したメールが届く。
こちらにも一応構成案の代案などがあったりするので
送り返すと
またすぐその小生の案にしたがった構成が送られてきた。

ところが
小生も写真のプロであっても
編集は見よう見まねみたいなものでシロウト。
結局
早々と編集者案に戻させてもらう旨を伝えると
もう終電近い夜遅くにも拘わらず
その構成でのラフレイアウトが送られてくるのだ。
仕事がとにかく早い。

ラフレイアウトが決まると
そのページの本文の字数が指定されてきた。
そうなのだ。
文章も小生が書くことになったのだ。
打ち合わせに編集部に行った時に
文章も書きますか?
というので
書けるとも書けないともはっきりしてなかったが
自分の写真に筋違いの文章が入る可能性を
想定してとにかく
曲がりなりにもたどたどしい文章でも
中身は確かなものを伝えたいと
「書いてみます」
と言い放った。

それが苦労の始まりだった!?
なかなかとっかかれなかった。
単に写真の内容を解説するのでなく
じつは撮影のハウツー特集だったからだ。
もちろん
有名な写真家のグラビアがあって
その隅のハウツーなので
ちょっと引け目があって
一瞬ためらいもあったが
編集者の小生の写真を採用したいという
熱い写真を見る視線に動かされた結果だ。

また20代からの親友に
芥川賞を狙い続けている元広告代理店の部長がいて
いざとなったら
助けてもらおうなどと
甘い考えもあった。
さらにいえば
万が一の場合は
アンカーライターの妹がいる
などと援軍の準備はできた。

原稿の締め切りには猶予はあったが
当初ほかのことで時間がゆっくりとれず
頭の中では文章が渦巻いていた。

その忙しさも一段落して
書き始めると
意外にもすらすら書けた。
いやパソコンだから打てた!?
頭の中でグルグル文章をイメージしていると
ああ もう書けないかも
と混沌としたり無力を感じていた。
おまけに頼みの綱の親友は
最近のインフルエンザ罹患なのか
救急車で搬送されたというメールが来るし。

それでも書き始めると
意外に書けるものだった。
書き上げて親友に校正してもらった。
幸いなのか無理を押してなのか
病床なのかはわからないが
とにかく小生の稚拙にも意図した内容は
まるまる尊重してくれ
感謝している。
なので
内容について良くも悪くも
小生に責任があるので
発売が楽しみである。

編集部にその原稿を送ると
ほぼそのままでオーケーがでた。
今度はキャプションだ。

これは難儀だった。
短いので端的に書く内容が限られる。
写真の内容解説のキャプションを
主に書いた。
それほど写真に
そして被写体を大事にしたかったからだ。
案の定
担当者はその特集の意図を強調してきた。
それでも控えめに
一行でもハウツーを入れてください。
と。
それはそうだろう。
編集意図はそうなのだから。

それは想定していたことではあったが
俄然筆をとる気力がなくなってしまった。
もちろん
小生が書いたキャプションに
ハウツーは入れる努力はして入っているが
微妙に内容解説に重心は入っている。
開き直った小生は
そのままその親友に投げた。

親友はさすがプロの元編集者。
みごとに返してきてくれた。
わがままな内容解説にこだわる小生の気持ちも汲んで
そしてまたほんとうに
担当者の言う「ハウツーを一行でもいれてください」
の意図を叶えてくれました。
その原稿もほぼそのまま担当者に了承され
最終的な文章も完成。

あとは印刷されたのを校正するのを待つだけだ。


改めて
写真を見いだしてくれた編集担当者と
親友Sに感謝するばかり。