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2016-03-23

無二の山行倶楽部に感謝

苦しい山であるほど
その山を登れる好運に感謝する。

先日の山行は髙柄山733m。
標高わずか700mくらいの低山の中の低山。
高尾山559mより若干高いくらいだ。
スタート地点が高尾山であれば
京王高尾駅が標高190mで高低差369m。
髙柄山は
四方津駅が標高235mで高低差498m。

なので登りはかなり急登ではあったが
なんとか登れた。
しかし
余程のことがない限り
二度と登りたくはない。
というのが
この髙柄山の下山ルートに選ばれたのが
JRでいうと一駅隣へのルート。

距離が長いのとくりかえすアップダウンに
へこたれた。
その半分くらいが
広がるゴルフ場を迂回する形でのアップダウンで
ゴルフの玉を打つ音が
腹立たしい。

小生を気遣ってくれる
倶楽部のリーダーに
「あとの電車でゆっくり帰るから
置いていってください」
とつぶやいたくらいだった。

リーダーは
「それは怒られるぞー」
と受け流してくれた。

リーダーも幹事も
いつも重いザックを気遣ってくれ
今回も食材やコンロや水を
手分けして倶楽部のメンバーに
分散して持ってくれている。

だいたい
こんな柔なカラダで
山頂で料理をしようという発想が無理なのは
わかっている。

倶楽部のメンバーは食材を持たされ
バーナーやボンベを持たされ
おいしいかおいしくないかわからないような
趣味的に作った料理を
食わされいい迷惑だろうと思う。

だが
最近は山行の前日までの数日が
山頂料理のメニューを考案するのが
日課となってしまって
透析の4時間があっという間に過ぎていく。

そうやって考えれば
その透析で管を繋がれて
身動きできない4時間を
山行倶楽部が支えてくれていることにもなる。
それ以前に
ふつうの山行倶楽部であれば
参加自体病気を理由に
入会拒否だろう。
そこは
わがインテリ山行倶楽部にあっては
リーダーも幹事もメンバーも
寛容であった。
そのことがいま
山歩きが続けられている大きな要素なのだろう。
ひとりで続けられたかといえば怪しいし。


倶楽部に参加したすぐは
腎不全で合併症もあるなど
みじんも口にしなかったが
今となっては
周知の事実で
恐縮ながら十分過ぎる配慮をしていただいている。

ふつう合併症もあり
透析で体力を消耗した上で
その次の日に
山歩きなどしないだろう。

しかし
腎臓は機能していないとはいえ
透析に疲れてなにもしなかったら
体力はまっすぐ落ちていくし
ただでさえ合併症やリスクをもっていて
衰えをすすめるはずであると
考えたわが輩なのである。
その結果が吉と出るか凶とでるかの答えは
将来に任せるしかない。

おそらく
医師もスタッフも家族も
聞かれれば
ウォーキング程度にして
山歩きなどには消極的な意見になるだろう。

もちろん
カラダに良いという信念があっても
逆効果も考えない訳ではないので
じっさいにはカラダの変化については
ずいぶん慎重にきた。
しかし
そんな心配とは逆に
むしろ
カラダが良い方向にむかっていることに気がつく。

山歩きは
健常者でも苦しい。
まして
腎不全による貧血というリスクをもっている故
ゼイゼイ!!
足が痛くて動かない!!
という場面に遭遇する。
しかし
立ち止まると
また歩ける。
心臓は血液の酸素を他の人よりは
ゆっくりかもしれないが
確実に送ってくれている。

ただひとついつも考えることに
その過酷な仕事を心臓にさせているのは
心肺力を保つ意味ではいいと思っている。

少なくとも透析による血圧低下や不整脈のリスクは
なくなってきているが

それだけ心臓の壁
つまり心臓の筋肉は
厚くなり肥大することだ。

それもたしかに肥大するのかも
わかってはいない。

「心臓肥大」という言葉があるが
それは病気なの?
といいたいがはっきりいえない。
その人の生活にあった心臓の作りに
なるのではないかと思うのだ。

ましてや
現在の透析治療のなかで
体重は人為的に決められる。
医師の責任で
いろいろな視点から決められるわけだが
その大きな指標が
心胸比だ。

つまり胸幅のなかの心臓幅が50%がベストだという。

昨日
医師から
前々月56%だったのが57%となって
心臓が大きくなったといわれた。
つまり
体内の水分が多くなっている
といわれているのである。

もちろん
医師も機械的にそれをもって体重を下げるとはいわなかったが
激しい運動をしている心臓肥大の場合
どうかんがえたらいいのかが
わが輩には現在的なテーマだ。