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2017-07-21

エアコンの件

差し支えない程度に友人へのメールを再録しておく。


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おはようございます。
ちょっと参ってしまっていますので
お力添えをお願いしたいと思います。

じつはエアコンですが
エアコンをかけるとカラダに変調があるのです。
変調といっても半端なく苦しさを伴うものです。

エアコンは毎回の病院でも5時間近く
あるいは電車の中でもクルマのなかでも
いくつも経験していますが
冷えすぎで身体が痛くなることはあっても
通常問題はありません。

部屋のエアコンを入れたのが5月8日。
その時は一瞬入れた程度でそれ以降使っていません。
7月に入ってゆうべで四回目くらいだと思います。

最初のうちはエアコンに慣れていないからとか
「除水」の冷えすぎかと思っていました。
とにかく簡単に言えば
「喘息」が起こるのです。
そのうち窓を開けたままでのエアコンで
室外機からの熱風によるものかとも思ってもいて
それらに対応して
室温設定も高めの29℃とかも試したりしました。
しかし
きのうは夕方部屋の西日での灼熱をとるためエアコンを
かけたのですがゼイゼイ。

アナフィラキシーであることはまちがいないのですが
心臓の問題を一方で迫られている状況で
心臓機能が最悪になって肺呼吸が困難になってきているのかとも
頭によぎったりでただでさえ呼吸困難で
暑苦しく夜中じゅう深刻で寝られませんでした。

エアコンも古いのであれば
エアコンのフィルターの埃が舞うので
ハウスダストによるアナフィラキシーは十分考えられるところですが
新品でそれも考えられないと思います。
包装されていても倉庫での蓄積もあるのかも知れませんが。
ハウスダストといえば
扇風機をフルに24時間かけていても
そういった症状はまるで起こりません。
ではエアコンの何が起こしているのか
これを三菱重工に問い合わせても回答があるかどうか。
もう一つ
このエアコンには(SRK22TT)には
フィルターが「備長炭フィルター」と「バイオクリアフィルター」が
設定されています。
この2つのうちのどちらかが犯人なのか
「備長炭フィルター」は考えにくい?とかとか。

エアコンを使わなければ問題ないとは思いますが
大枚を払ってのエアコンで突き詰めたいし
万が一の暑さに使えないというのも。
ということでご相談したいのですが。
今朝も7時頃になると
呼吸困難も収束し心臓ではなかったと安堵しています。

2017-07-03

血圧が下がっている患者に食い下がる医師とはなんだ。

いつも140前後の血圧が
透析後半90まで下がって
とても正常に話もできる状況ではなく
頭も働かない状況なので
「議論」はしたくないというのを
繰り返し食いついてくる医師とはなんだ。

そもそも
透析開始時に当日の除水量を決めるに当たって
スタッフ(ベテラン技師と看護師)に
改めて相談した。
その日のドライウエイトまでの除水とすると
「3.4kg」。
しかし
最近の除水をみると
ドライウエイトにちかくなると
足が吊ったり帰宅時に血圧が下がり
景色が白くなることがある。
体調不良が次の日まで続くこともある。
先週などは日曜日に出かける予定だったのを
最寄りの駅まででかけたものの
取りやめたこともあった。

そのため透析の除水量について
週半ばは無理をしないで
ドライウエイトまで除水せず
300g程度残すようにお願いしてそうしてきた。

もちろん血圧低下や体調不良の原因が
ただドライウエイトの設定の問題だけではなく
除水量が4kg近く「除水量が多い」ことにもよるので一概に言えない。

その日(6月30日)は
はじめからドライウエイトまでいくことを避けて
300g残すことも選択肢としてあったが
体重増加が比較的少ないので
技師さんに
<どうしよう?>
と相談した。

<除水量が少ないのであえてドライウエイトまでを目標にして
もしこれで(血圧が)下がったら300g残す>
ということにしようかと話した。
技師さんも合意して
「これで血圧が下がったらドライウエイトの設定を考え直す必要があるのかもしれないね」
との結論でとりあえずはドライウエイトを目標として
透析は開始された。

しかしやはり
実際には4時間目に入ると血圧は下がり
汗さえ出てきた。
時間ははっきり憶えてないが
終了30分から40分くらい前に
血圧がいつも140あるのが90まで下がった。
90はいつも140ある血圧からいうと
意識が遠くなる水準だ。

とにかく除水を<とりあえず止めるように>お願いした。
同時に<300g残すように>お願いした。

しかし血圧を計った看護師は「医師に聞いてきます」の返答で
去ってしまった。
これは困るのだ。
90といえば
それ以上に急激に血圧が下がり
意識がなくなることもあるのだ。
しかも患者が除水を止めるようにお願いしているのに
単純に医師の判断を仰いるのは。

ふたたび看護師がやってきたので
強く
<とにかく除水を止めてください>
と要求した。
ここでやっと除水は中断してもらった。
医師は
「300g最後まで除水したい」と言っているとのことだった。

医師が来て
「いつも中二日の体重増加が多く
心臓に負担がかかる」
「心胸比も大きいので」

などと話し始めたので
血圧が下がった状態で
私はどうこう話す状況でなかったので

<今日の開始時の技師さんとの話で
下がったら300残すとしたのでそうしてほしい>

と改めてお願いしたが
話は止まない。
心胸比がどうのこうの
あるいは
体重増加が多いことが
300g残すことと今の状況の直接のテーマではないでしょう。

<心胸比がすべてではないでしょう>

というと
「あなたはなにを基準にするのですか」というので
私は簡単に

<血圧とかいろいろな状況でしょう。>

とても血圧が下がって朦朧としていて
自分なりの説明をする状況ではないし
すでに今日の除水量については技師さんと開始時に確認していたので

<とにかく いまは議論をしたくない>というと

「議論しなくてどうするのですか」
「私のいうこと 聞いています?」
と反論してくる。

<聞いています。>
<言ってることはわかっているけど
いまは議論したくない>

と繰り返すと
「私が言っていることを言ってみてください」
と食い下がってくる。
大学のディベートではないのだ。

「体重増加を抑える努力をしていますか」

これはなんですか?

さらに食い下がって来るのを避けると

「こちらのいうことを聞いてもらわないと腎臓内科の医師として治療できない」
とまで言う。

<最終的に決めるのは患者でしょう>
というと
再び
「私の言ってることをきいてないでしょ」

こちらは心拍数も上がり不整脈も起こっている状態。
患者を問い詰めたいのですかと言いたい。
こちらは命がかかっていて
そんな医師のディベートに興味はないのだ。
医療の中に「ディベート」を持ち込んで欲しくない。
論破したいとでも思っているのですか?
患者なんて簡単に論破できることは明白でしょう。
医学知識上は幼いのですから。
「ディベート」はインフォームドコンセントとは
無縁のものでしょ。
なにを錯覚しているのか
「ディベート」で挑んでくる医師と
信頼関係が持てるのでしょうか?

きょうの開始時に技師さんと確認しているので
ここで改めて議論したくないと
再度言ってるのに
捕まえて離さない執拗な緊急性のテーマがあるのでしょうか?

週末ドライウエイトに近くなると血圧が下がり
先週の土曜日も300g残して帰ったので
とにかく今日は300g残すことをお願いすると

「データを見ても血圧は下がってない」

という反論だけが返ってくる。
足が吊ったり帰宅時に血圧が下がったり
翌日まで体調不良であることもデータ化してるのでしょうか?
もっともそれらは申告しているだけなので
医師にとっては信用するに値しない「データ」なのかもしれないですが。
自分の理論が唯一完璧としか思っていないのでしょうか。

300g残して帰宅させると
危険な事態になるとでもいうなら
そういう説得も必要があるのかも知れないが
前回も(前回は全体の除水量が多くなるので残すことにした)残して帰宅したというと
「データ」だけを見てその必要はないとでもいわんばかりで
血圧は除水中断で少し戻ったにしても
300gの除水を強行して意識不明に陥ったら
あとで「データ」を書き直せばいいとでも思っているのでしょうか?

この稿に結論めいたことはありませんが
あえて言うなれば

<インフォームド・コンセントの形成について勉強し直して欲しい。>

そのように改める意思があるなら反省して欲しい。


                             








2017-07-01

シチェドリン編曲の「カルメン」

今日は体調がいい。
除水3.4kgという週末の透析としては
体重増加が少ないのもあるが
きのうまで猛烈に痛かった腰の痛みが
今朝起きたとき皆無だったのが大きい。
もともと腰だけが痛いのでなく
後頭部までこわばっているのがわかる。

他のブログで書いたが
このところ足裏の体重の掛け方を
変えているので
それが腰へとあるいは背中へ後頭部へと
つながっているところに
負担をかけてる。

足の裏といえば
カラダの末端だけれど
その真反対の頭部まで影響があるのだ。
いやすべてがバランスをとって生きているといえる。

それはわかっていても
実際向こう脛が痛く
腰は痛い
背中が痛く
後頭部も張ったようになると
このカラダもうおしまいかと
思ってしまう。

その痛みがとれると
また生き返ったような気分になるから不思議だ。

生き返ったといえば
話は違うが
透析の4時間のあいだ
ノート・パソコンのハードディスク容量いっぱいに
入れているクラシックを聞いているが
その何倍かの部屋のパソコンから選んで入れている。
選んだからといっても4000曲だが。
その選ぶ方法が
自分が死んだときにBGMとして流して欲しい曲を
中心に静かな曲に焦点を合わせてきた。
「いつ死んでもいい」ようにと。

それが最近は静かなクラシックだけでなく
クラシックでも情熱的なあるいは激しい曲を
聞けるようになった。
おおげさにいうと以前は気持ちが棺桶を向いていた。
もちろん死ぬつもりではなく
考えることが多かったというにすぎず
聞こうとする曲目もその気分にあうものを選んでるに過ぎない。
だが
自然と激しさは避けるものなのだ。
そのときの心持ちがそうなのだから。
しかし
このところクラシックを離れはしないが
そのなかでもダイナミックなクラシックを
聞いている。
あるいは変化に富んでる選択といえる。

たとえば
ビゼーの「カルメン」は前から聞いていたが
シチェドリン編曲の「カルメン」などは
ずいぶん「遊んだ」「カルメン」で
面白い。
たまたま部屋で聞いて
きょうノートパソコンにも入れた。
透析センターのベッドで聞いても
「カルメン」をこのくらいアレンジしてくれると
楽しいのだ。
今までだったら聞けなかったかも知れない。
それが広がっているのを
改めて聞きながら
体調がいいのを感じるのだった。

あすは久しぶりの景信山山行。
先週の日曜日は
坪山山行で
パエリア料理を下準備もして
担いで駅までいったものの
どうにも体調が優れず
先輩に体調が悪いのを告げて
部屋まで引き返した。

なのでなおさら楽しみだ。
山頂料理は何にしよう。。


ちなみに「足裏の体重」について書き留めた「他のブログ」をリンクする