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2017-07-01

シチェドリン編曲の「カルメン」

今日は体調がいい。
除水3.4kgという週末の透析としては
体重増加が少ないのもあるが
きのうまで猛烈に痛かった腰の痛みが
今朝起きたとき皆無だったのが大きい。
もともと腰だけが痛いのでなく
後頭部までこわばっているのがわかる。

他のブログで書いたが
このところ足裏の体重の掛け方を
変えているので
それが腰へとあるいは背中へ後頭部へと
つながっているところに
負担をかけてる。

足の裏といえば
カラダの末端だけれど
その真反対の頭部まで影響があるのだ。
いやすべてがバランスをとって生きているといえる。

それはわかっていても
実際向こう脛が痛く
腰は痛い
背中が痛く
後頭部も張ったようになると
このカラダもうおしまいかと
思ってしまう。

その痛みがとれると
また生き返ったような気分になるから不思議だ。

生き返ったといえば
話は違うが
透析の4時間のあいだ
ノート・パソコンのハードディスク容量いっぱいに
入れているクラシックを聞いているが
その何倍かの部屋のパソコンから選んで入れている。
選んだからといっても4000曲だが。
その選ぶ方法が
自分が死んだときにBGMとして流して欲しい曲を
中心に静かな曲に焦点を合わせてきた。
「いつ死んでもいい」ようにと。

それが最近は静かなクラシックだけでなく
クラシックでも情熱的なあるいは激しい曲を
聞けるようになった。
おおげさにいうと以前は気持ちが棺桶を向いていた。
もちろん死ぬつもりではなく
考えることが多かったというにすぎず
聞こうとする曲目もその気分にあうものを選んでるに過ぎない。
だが
自然と激しさは避けるものなのだ。
そのときの心持ちがそうなのだから。
しかし
このところクラシックを離れはしないが
そのなかでもダイナミックなクラシックを
聞いている。
あるいは変化に富んでる選択といえる。

たとえば
ビゼーの「カルメン」は前から聞いていたが
シチェドリン編曲の「カルメン」などは
ずいぶん「遊んだ」「カルメン」で
面白い。
たまたま部屋で聞いて
きょうノートパソコンにも入れた。
透析センターのベッドで聞いても
「カルメン」をこのくらいアレンジしてくれると
楽しいのだ。
今までだったら聞けなかったかも知れない。
それが広がっているのを
改めて聞きながら
体調がいいのを感じるのだった。

あすは久しぶりの景信山山行。
先週の日曜日は
坪山山行で
パエリア料理を下準備もして
担いで駅までいったものの
どうにも体調が優れず
先輩に体調が悪いのを告げて
部屋まで引き返した。

なのでなおさら楽しみだ。
山頂料理は何にしよう。。


ちなみに「足裏の体重」について書き留めた「他のブログ」をリンクする