TBSテレビの「報道特集」でコロンビア大学のコロナに感染して
厳しい闘病生活を経て無事退院した加藤医師を取材してた。
そのきびしい後遺症を伝えていたなかで
血圧がふつうの半分くらいになり生死ををさまよい
後遺症として「足の指も壊死する可能性もある」
強い血圧のクスリも投与したという。
実際使用されたクスリが同じものかはわからないが
おそらく同じく私に投与された昇圧剤の「デボポン」だろう。
そして
加藤医師の詳しい後遺症の症状は伝えなかったが
「壊死」する可能性があったというのには驚きもした。
壊死はしなかったが
血豆のような異常な塊にこの3ヶ月間悩まされている。
一方で透析の主治医も看護師も
石灰化による動脈閉塞」を疑い
造影剤によるカテーテル検査をしろとかMRI検査を受けろとか
皮膚科に行くようにとか
いろいろなことを言われたが
実感としてそういうことではないだろうと
断固拒否をしてきたが
あるとき
循環器科の主治医に相談したとき
「歩いて血管が発達しなければ良くならない」のひとことに
なるほどと納得。
水を得た魚のごとく
看護師や主治医の毎回のように言われる「雑音」も無視し
自然治癒に任せると主張してきた結果
完全には完治はまだしてないが
痛くて歩けなかったのが
歩けるようになってきた。
看護師にも「負けた」といわせるほど良い方向にきてる。
あまり見にくい写真を掲載したくないが
小さいサイズで少しだけ。。
それにしても「壊死する可能性」が歩けるようになったのは嬉しい。
補足
4月2日に退院することができた。延べにすると15日間の入院。
2月の18日に最初の入院。それは数日後の21日に退院できた。
24日に再入院で救急の集中治療室のようなHUに入れられた。
病名は「うっ血性心不全」というもので「慢性心不全」のひとつの病態。
苦しくて病院に駆けつけ
レントゲンで肺炎の症状で肺は白い影があり肺炎。
最高血圧は50を下り酸素指数も低く命が危ない状況だと救命医から告げられ
今コロナ肺炎で話題になってる人工呼吸器を取り付けられた。
この人工呼吸器はくせもので強制換気で肺に酸素を送るもので
私の要領が悪いのかも知れないが
逆にとても苦しく、しかも喉が渇き
もう耐えられなく取り外すようにねがい出た。
救命医は血圧が低く命の保証もできない死んでもいいのですかと言ってきた。
「あとはモルヒネしかない」というような
体の悪い救命医でしたが
死ぬのにこんな苦しむのは嫌だと判断し
死んでもいいから外すようにねがいでた。
死ぬ土俵際だからこそいろいろ考えた。
駆けつけてくれた長女も「我慢しなきゃ駄目でしょ!!」と叫びました。
しかし最後は延命措置はしないという家族と病院との事前の合意を理由に強制換気の人工呼吸器を普通の鼻からの酸素マスクに変えさせ納得させ
最後に薬物などによる死への緩和治療をするにしても私本人の意思によることを家族と医師が合意し結果を見るまでもなく駆けつけてくれていた長女もハノイにいる長男とも相談しながら帰宅しました。
気がつくと救急病棟のベッドに寝かされていました。
今回の入院で驚いたのは
現代医学は遙かに進んでいて
今回私の命を救ってくれたのは
心臓の働きを上げるという名称は果物の実のような「デボポン」という薬の点滴でした。
昇圧剤というのか1時間にわずか0,1〜0,3mgという遅いスピードで
約10日間投与されたと思います。
血圧が上がってくると
デボポンを休止、休止するとまた下がる。
下がると点滴をする。
あるいはいくつかのほかの経口薬を試したり
点滴も左右の腕のあちこちに刺され
血管も石灰化で硬くなっていて
漏れたりで
悲惨な腕に変わりましたが
やっと10日目で血圧も安定し
晴れて退院となり
いまは最高血圧100を維持できるようになった。
考えてみれば50しかなかった血圧が倍の100です。
現代医学に後ろ向きだった私でも
認めざるを得ないところ。
とはいえ20日間ベッド生活で
しかも血圧低下での転倒をおそれ
歩行禁止とされていたため
脚の筋肉もげっそり落ちて
歩くことさえままにならない。
当初透析つきの入院施設への転院を勧められもしたが
断固帰宅を希望し自宅からの透析センターへの通院を希望した。
心配した主治医とスタッフは
透析から帰ると自宅に訪問看護師が待機
血圧などを計るなどをする態勢を作ってくれた。
長女は訪問医師や看護師が入れるようにと
短い準備時間にもかかわらず狭い部屋を
便利屋も使い整理してくれた。
いまや理想的な環境での退院後。
ただ落ちた筋肉には違いなく
ましてや「慢性心不全」に変わりなく
いつ命を落とすかわからない難儀な生活をゆっくり過ごすほかないと覚悟。
ひとつ余談ですが
とき折しも救急病棟での連日の点滴最中に、コロナ騒動で面会禁止のなかにもかかわらず、お世話になってる整体師が10年ほど生き別れだった21歳になる実娘から整体師(実娘の叔母)宛のスマホのコメントをわざわざプリントアウトしてナースステーションに届けてくれた。実娘は衰弱しつつある父親に今すぐ会う勇気はないとしながらも、その整体師のスマホに「我が儘なお願いですがお父さんに会って話すことがあれば、わたしがいま写真を撮ってることを伝えてくれると嬉しいです」
送ってくれた。その実娘による撮影の壮大な富士山の写真も添付されていた。
生死の境目まで行って救急病棟で連日の点滴で繋がれたままの私にとっての至極の言葉。
いまや孫は孫で高校に写真部を作ろうとしたり
実Mは写真を志向して祖母からプレゼントされた重い望遠レンズを担いで歩いているよう。
弱音を吐いてウッカリ死ねない。
三者での連続個展などの構想さえ浮かぶ。