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2012-10-30

『充電』10年目に入る



1日おきに『充電』のため病院へ行くのだが
毎年この時期になると
『充電』の入院患者が増える。
寒くなって発汗もおさえられ
体に水が溜まりやすくなり
あるいは
『充電』予備軍が壁を越えざるを得なくなる。
私もこの時期に『充電』導入せざるを得なかった。


9年まえ
2月に脳幹梗塞に襲われ
救急病院で腎不全と診断され
紹介された日本医大の腎臓内科に通院していたものの
5月に地元の病院を紹介され
吉祥寺のA病院へ行くことになっていたにもかかわらず
日本医大へも行かず
そのままふつうの生活を続けていた。

しかし、10月の末になって呼吸困難になった。
呼吸器系のアレルギーで
苦しいのは子供の頃からあったので
回復するものと思い込んでいた。
しかし、だんだん苦しさは増して
カラダを横にすると
苦しくて呼吸ができないほどだった。
それでも子供の頃にも
座ると楽になったという経験から
寝ずに座っていた。
1日、2日と耐えた。
とうとうとう呼吸が苦しいのを通り越して
できなくなってきた。

夕方、救急車を呼んだ。
救急隊員に事情を説明すると
すぐに受け入れ病院を探してくれた。
酸素吸入器のマスクを充てがわれるが
酸素が入っていかない。
それはそうで
病院に搬送されてすぐにレントゲン撮影を施されたが
肺の周りがたっぷり溜まった水で白く
かすんでいる画像を見せられた。
空気だろうが酸素だろうが
肺が水に覆われ入っていかないのは当然。

救急隊員はM病院まで15分くらいだから
頑張るように励ましてくれたが
息絶え絶えで
酸素マスクもなぜか外したくなった。
それでも血中酸素がたしか80%まで回復したから大丈夫
の声を聞きながら
短いようで長い12分後、病院の救急センターに搬送された。

レントゲン撮影後
すぐ全身麻酔がかけられたものの
水がたっぷりの血液を抜くための胸に刺された針の痛さで
一瞬カラダが跳ねた記憶がある。
あまりに緊急の場合
とりあえず血液を抜くということらしい。

翌朝、全身麻酔から覚めて
この期に及んでも『充電』を躊躇する気持ちがあったのを
応急処置を施してくれた心臓内科のS先生がその意を理解し
透析をして10年でも20年でももう少し生きていたらどうですかといわれ
深い眠りは麻酔のせいだが
あたかも生き返ったかのようだったので
断る理由はなかった。

JRの電車の中で血圧が急に下がり気を失い
気がついたらホームで介抱されていたというアクシデントはあったが
幸い大きな事故などもなく
10年目を迎えられることを感謝したい。

ちなみに1394回目。