ページ

2019-04-11

命を落とすとは そんな偶然といえるほどの瞬間なのだ。

前回の「忖度したんだよ」のブログ。
今日あたりはすっかり落ち着いた。
落ち着いてみると
週末の血圧が70台に下がり
両脚が吊るトラブルがそうなのか
原因はともあれ
シャント側の血栓が飛んで一時的にしろ血管が詰まり
シャント側の動脈に痛みが走った。
そこで整体的な対処をしたのだが
という整体的というのは
血流を良くするツボへの対処のことで
それが効果があったかどうかわからないが
そのまま寝てしまったところからは
夜中の件は落ち着いたといえる。

しかし再び朝目が覚めると同時に
同じ状況に陥った。
これも整体的な対処と同時に
熱めのシャワーをシャント側の肩に当てた。

「痛み」が血栓が詰まった信号で
われわれの知らない対処を
カラダが行っていることも考えられるにしても
生き延びたと言っていいのだろう。

そういえば
週末70台に血圧が下がったとき
そのあとに透析機のアラームが鳴って
機器が停止した。
技士が音を止めてなにやら対処していた。
その内容を聞いてみた。
なんと血液を体外に出す透析針に
血栓が詰まっていたのだ。
それは実際見せてくれた。
そのベテランの技士が
迷わず真っ先に針先の血栓を想定したことにも驚くが
体液全体が少なくなれば濃度が濃くなり
それだけ血栓が浮遊し詰まりやすくなることは
容易に想像できる。

月曜日と言えば中二日で
体液も多くなっているはずだが
濃度が濃くなり変化した血栓が
体液が増えなんらかのきっかけで
ふたたび浮遊を始めたとも考えられる。

ともかく
血栓が血管を詰まらせれば
悪ければ死に至る。
運が良くて
半身不随や話すことが出来なくなる。
そんな事例はよく耳にする。
週末のトラブルの日の夜中に2度も足が吊って
それがなかったら翌日倶楽部山行に参加していたが
もし山を歩いていて
血栓が飛んだりしたら大事になっていた。


運よく生還できたが
命を落とすとは
そんな偶然といえるほどの瞬間なのだ。

もちろん
可能な限り
体液量の設定など厳しく管理しているはずだが
それには限界があり
やってきた「死」は
甘んじなければならないのだ。