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2017-12-26

高カリウムになって死に際までいって

高カリウム(2017/12/25)について

■高カリウムの原因はいまとなってははっきり特定できることではないけれど、その後のシャント(透析に使う血管)の状況などから透析不足の可能性が出てきた。

■25日起床時に特段の変化は感じられなかったが、シャワーを浴びると
断続的に意識が遠くなり
手先が痺れる感覚を感じ下痢もあった。
このまま意識を失い取り返しのつかない可能性があったのでそれを避けるため
とにかく受診するか受診するかしないかはのちのこととして
病院の救急外来の待合室までは行こうとして
救急車でもよかったがタクシーを呼んで
運転手には意識がなくなったら病院の救急外来にお願いするように言付けた。

■待合室のソファに座っても
気が遠くなる症状は変わらず
股の筋肉も痺れたようになって
立ち上がるのが容易ではなくなったので
救急外来の受付に症状を伝え
受診を申し出た。
■しかし、ここでは(救急外来の受付では)判断できないから
総合受付にいくようにという返事。
意識が薄れたり足が痺れ歩けない状況でも
受診できないというのは救急外来ではないのではないだろうか?
結局足をひきずり総合受付に行くと
看護師の問診で医師と相談しますからという手続きを経て
腎臓内科の受付に行くようにいわれ
また足を引きずり腎臓内科の受付へ。
ここでまた看護師の問診で医師に相談しますといわれ
しばらくすると2時間後の診察ならできますと
伝えられ受付をすませたことになる。
「具合が悪くなったら、受付にいうように」とはいわれたが
意識がなくなってからは伝えられないという思いと
とても満席に近い待合室で2時間も座ってられないと判断し
とりあえず気分的にも落ち着くかと
透析センターのラウンジのソファーを借りることにして移動し
ひとりの看護師に声をかけてソファーに座ることができた。

■症状は変わるどころかむしろ酷くなり
普通に座っていられない。
その様子をべつの看護師が見つけ
高カリウムを心配して
看護師長と相談して腎臓内科や救急外来に連絡して
結果的に救急外来へ車いすで搬送してくれた。

■救急外来ではすぐに救命が来てくれ問診が始まった。
心電図をとると
「以前の心電図と違って徐脈」を伝えられた。
いちど対動脈弁置換手術を宣告され
その後結局はその手術はしないことになったということを伝えた。
その後、心臓は変化しているという自覚があり
自分なりに毎日のように観察してきていて
ここで心臓の徐脈を理由に
心臓にこだわって欲しくない
この手足のしびれも意識が薄れるのも
心臓の働きが原因ではないという自信はあった。

これから調べていきますと救命医。

しばらくして男性看護師が
点滴をします。
これから調べるといわれただけで原因もわからない治療としての点滴の必要性がわからず
「点滴はしなくていいです」と伝え
ここでいちおう意志をはっきりしておくために
「原因を突き止めるのに最後に必要であればいいですが、CTなどもしたくない」
というような内容も伝えた。

するとしばらくして救命医が
「手足のしびれをとるためにきたのでしょう」
という言い方で説得してきた。


■以前体調が思わしくない時
「透析センター」に相談で電話したことがあったが
相談に乗ってはくれなかった。
「救急外来に電話してください」といわれ
冷たい言葉を後日別の看護師に話したことがあった。
聞くところによると他の透析センターでは
基本的に何かがあった時
「まずその透析センターに来てください
透析患者はふつうのカラダではないので
わかってる透析センターへ搬送するように」
ということなのだそうです。

68歳の誕生日に死ぬというのも洒落にならない

きのうは68歳の誕生日だった。
しかし朝から体調が悪い。
めまいがする。
気が遠くなるようなことが繰り返し起こる。
このまま意識がなくなってはと思い
とにかくいつもの透析センターの病院の
救急外来の待合室まで行って
ソファーに座っているつもりで
タクシーを呼んだ。
タクシーの運転手に意識がなくなったら
その病院まで搬送してくれるように言付けして乗り込んだ。
意識はなくならなかったが
足先や股も容易には動かないような感覚に陥った。
それでもなんとか病院に到着。

救急外来の待合室に座っていても
何度かめまいがする。
横になりたい。
横になるには受診しなければと
救急外来の受付を訪ねたが
総合案内にまわされ
結局腎臓内科の受付をすることになった。
受付をすると2時間後の予約となった。
しばらく待合室に座っていたが
とても普通には座ってられなくて
透析センターへ行ってソファーを借りることにして
いつ気絶してもなんとなく透析センターのほうが
安心できると移動した。
心配してくれた看護師がいろいろ手を尽くして
連絡してくれ救急外来に車いすで移動することにしてくれた。

まずは採血検査。
透析の針よりかなり細いのに痛い。
まあそんなのは冗談だが
緊急の採血検査で
カリウムが7.5
この数値はほとんど心臓が止まるといってもいい数値。
筋肉の収縮ができなくなる。
心臓も筋肉の塊。
足も手も痺れるのはあたりまえだ。
心臓が止まる寸前だった。

すぐ透析センターに運ばれ透析開始。
いつもの透析だが緊急を要しているのか
待つことなくすぐ開始。
開始して15分で手足のしびれが消えるのがわかった。
透析のすばらしさを直接感じた。

看護師も技師も早い処置でよかったと
喜んでくれた。
ほんと感謝。

それにしても中一日で
カリウムが正確には6.7だったわけだが
いったい何を食べたというのか
その緊急透析中
ずっと考えていた。
はっきりした原因を突き止めることは難しいが
いろいろ考えるに
どうやら山頂で仲間からいただいた「ホット薬膳赤ワイン」では
ないかという結論になった。
それ以外に思い当たるものはなく
そんなに多くは飲んではいなかったが
漢方的ないろいろな種子をいれた自家製ということだったので最も怪しい。


誕生日に死ぬというのも洒落にならない。
とにかく4時間の透析を終えた。
現金なもので
4時間の透析で身体が痺れていたものがとれ
カラダが完全復活。
今朝からほとんど何も食べていないことに気がつく。
しかも翌日も透析。

こうなると一人でも誕生祝いをしようという気になる。
幸い参戦してくれるという輩もあり
結局飲み潰れた。

今朝目が覚めると9時。
いつもなら透析開始してる時間で大遅刻。
とりあえず遅刻の連絡をしてタクシーを呼んだ。

透析開始と同時に血液検査。
カリウム5は高い。
きのう透析で3まで下がった血管内のカリウムだが
細胞内に取り込む余裕がなく
飽和状態であることは変わりないということらしい。
心臓が止まるカリウムの数値も個人差があるようだが
おおむね7が危険とされる。


救急外来を受診した人が
飲み潰れたというのは聞いたことがない
とスタッフの皮肉な言葉を聞けるのも
命があってのこと。
改めて間違いなく「死の危険」があったことを
証明してるようで
看護師や技師の話だと
高カリウムになってしまったよ」
と冗談のように話していた次の瞬間
逝ってしまったという例があるといわれると
ほんと昨日の
奇しくも誕生日に命拾いをしたことを
つくづく感じざるを得ない。










2017-10-28

今日で透析14年2190回。感謝!!


きょうの透析で丸14年。
回数としては2190回。
で、こんな感謝のポストカードで
お世話になってる看護師やスタッフ・医師に
感謝を伝えた。


写真はモロッコの上空から撮影したもの。
数十年前のことで記憶が曖昧ではあるので
記録を調べてみた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1973 ナホトカ・ハバロフスク(旧 ソ連)東 ベルリン(旧東ドイツ)
1988 京(中国)1989 ジャ カルタ・バリ(インドネシア)
1990 ドニー~メルボルン(オーストラリア)/ク アラルンプール(マレーシア) 
1991 ンコク(タイ)ロ ンドン(イギリス)
1992 ルサイユ・パリ(フランス) 
1993 ポー トランド・ワシントンDC・ラクソン・ポツダム・ニュー ヨーク(アメリカ) ルセロナ(スペイン)タ ジール・フェズ・ラバト・マラケシュ・カサブランカ(モ ロッコ)パ リ(フ ランス)/シ ンガポール/フィ レンツェ・ローマ(イタリア)
1994 リー ル・ パリ(フランス)
1995 マレーシア(ランカウイ)コ ペンハーゲン(デンマー ク)
1995 ンコク(タイ)シ ンガポール 
1996 京・瀋 陽・広 州・上海・石 家荘(中国)
1997 ノルル(ハワイ)マ ニラ(フィリピン)
1998 ウル・慶州(韓国) 
1999 北・花蓮(台湾) 京(中国)バ リ(インドネシア)
2000 京(中国)
2002 海(中国)ロ ンドン(イギリス)ロ サンゼルス・サンフランシスコ(アメリカ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これを見ると
1993年だということになるから24年前で43歳。
アメリカのポートランド、ワシントンDC、ニューヨークなどの仕事のあと
パリでの仕事まで1週間くらいのインターバルがあったので
そのままパリに直行するのもナンだし
かといって東京にいったん帰るのも時間の無駄と考え
いろいろ考えた末
モロッコ旅行を考えたものだ。













といってもアメリカからモロッコへの直行便はなく
ヨーロッパからの便しかなく
いったんスペインのバルセロナ空港へ降りた。

スペインから船でモロッコに渡ることを考えていたので
スペインの滞在時間があまりなく
それでもせめてガウディのサグラダ・ ファミリアだけはと
思いつきのようにスーツケースを空港の片隅に置いて出かけた。
100年かけて完成するというサグラダ・ ファミリアの偉大さを
ひしひしと感じ空港に戻るとスーツケースがない。
もちろんチェーンキーを手すりにくっつけていた。
盗まれた
と思い込みガードマンに訴える。

スペイン語はもちろん英語もほとんど単語をつなげてくらいの語学力で
ここは必至に話してみる。
すると空港の別棟の倉庫のようなところに保管されていた。
爆発物かもしれないというような説明をジェスチャー交じりのスペイン語で聞いた。
今から考えればそれも至極真っ当だといえる。


無事手元に戻ったスーツケースを引いて
真新しく印象的だったバルセロナ空港をあとに首都マドリッドへ。
なぜだかバルセロナからマドリッドへの記憶があまりなく
列車だったのか飛行機だったのかも不明。
バルセロナ空港での出来事があまりにも衝撃的だったからなのかもしれない。

想像では空路だと思うが
マドリッドから地中海のジブラルタル海峡を渡る船を目ざして
列車に揺られた記憶がある。

その都市名も忘れたがジブラルタルだったか
朝早く列車の窓から見える点在する白い建物が印象的だった。
眠い目で見つけた港のカフェでの温かいエスプレッソが
カラダに染み渡った記憶が残っている。


地中海を渡る船なので
想像より大きめの客船だった。
海峡はその日は静かで揺れることなく
翌朝モロッコのタンジールに着岸。

タンジールでの記憶は鮮明にある。
なぜかといえば
お金はないので小さな絨毯をクレジットカードで買って
東京の自宅に送ることにした。
ところが帰国後クレジットカード会社から来た請求書は
一桁増えていた。
手書きの売上伝票では可能といえばそうだ。
もちろんクレジットカード会社まで出向き
事情を説明して解決した。
それからはクレジットの場合
用心するようにしたのはいうまでもない。

タンジールからフェズへバス。
フェズは落ち着いた街という印象だった。
インターネット情報があるわけではない時代で
もっぱら「地球の歩き方」だけで不安はあった。
「地球の歩き方」迷子という噂もあったが
おおむね迷うことなくモロッコ放浪ができた。
英語はもともとあまり話せないが
モロッコはフランス領だった関係上
英語では通じずフランス語だ。








そしてまた喧噪のマラケシュへバス移動。
マラケシュは大きな市場が中心で
モロッコの大地の中央でもあった。
たしか小さなホテルに泊まった。
翌朝そのホテルから空港までのバスがなく
途中までであとは空港まで歩くことにした。
デカいスーツケースを抱えて
舗装もしてない砂利道を歩くことは
ハンパなく難儀だった。




時計をみながら間に合わないかと
へとへとになりながら歩いていると
一台のクルマが横付けしてきた。
片言の英語で
「空港へ行くのか?」
と乗るように言ってきた。
こういうときは通じるものなんだ。
感謝しながらスーツケースを載せ
助手席に座ると運転しながら話をしてくる。
どうやらこれから乗ろうとしている飛行機のパイロットのようだ。
たしかにクルマも車種は忘れたが
モロッコではトラックがほとんどなのに
上品な乗用車で人柄も温和で品があった。
パイロットといえばエリートだろう。

おかげで空港へ無事に着くことができ
丁寧にあいさつをして別れた。
クルマが朝の光に輝いていたのを今でも思い出す。

そんなに大きくない飛行機の窓際の席に身を沈めた。
離陸と同時に機体はらせん状に高度を上げていった。
そんならせん状に上がる航跡の飛行機は
航空ショー以外ではいまもってみたことがない。

らせん状に上昇する機体の窓からは
まっすぐモロッコの褐色の大地が見える。
必至にカメラのシャッターを切った。
その時の一コマがこの冒頭の
「ThankYou2190」
の写真。

いまでもあのパイロットの心意気で
撮影しやすいアングルで空港を飛び立ったのだと
いまでも確信しながら思い出す。








2017-07-21

エアコンの件

差し支えない程度に友人へのメールを再録しておく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

おはようございます。
ちょっと参ってしまっていますので
お力添えをお願いしたいと思います。

じつはエアコンですが
エアコンをかけるとカラダに変調があるのです。
変調といっても半端なく苦しさを伴うものです。

エアコンは毎回の病院でも5時間近く
あるいは電車の中でもクルマのなかでも
いくつも経験していますが
冷えすぎで身体が痛くなることはあっても
通常問題はありません。

部屋のエアコンを入れたのが5月8日。
その時は一瞬入れた程度でそれ以降使っていません。
7月に入ってゆうべで四回目くらいだと思います。

最初のうちはエアコンに慣れていないからとか
「除水」の冷えすぎかと思っていました。
とにかく簡単に言えば
「喘息」が起こるのです。
そのうち窓を開けたままでのエアコンで
室外機からの熱風によるものかとも思ってもいて
それらに対応して
室温設定も高めの29℃とかも試したりしました。
しかし
きのうは夕方部屋の西日での灼熱をとるためエアコンを
かけたのですがゼイゼイ。

アナフィラキシーであることはまちがいないのですが
心臓の問題を一方で迫られている状況で
心臓機能が最悪になって肺呼吸が困難になってきているのかとも
頭によぎったりでただでさえ呼吸困難で
暑苦しく夜中じゅう深刻で寝られませんでした。

エアコンも古いのであれば
エアコンのフィルターの埃が舞うので
ハウスダストによるアナフィラキシーは十分考えられるところですが
新品でそれも考えられないと思います。
包装されていても倉庫での蓄積もあるのかも知れませんが。
ハウスダストといえば
扇風機をフルに24時間かけていても
そういった症状はまるで起こりません。
ではエアコンの何が起こしているのか
これを三菱重工に問い合わせても回答があるかどうか。
もう一つ
このエアコンには(SRK22TT)には
フィルターが「備長炭フィルター」と「バイオクリアフィルター」が
設定されています。
この2つのうちのどちらかが犯人なのか
「備長炭フィルター」は考えにくい?とかとか。

エアコンを使わなければ問題ないとは思いますが
大枚を払ってのエアコンで突き詰めたいし
万が一の暑さに使えないというのも。
ということでご相談したいのですが。
今朝も7時頃になると
呼吸困難も収束し心臓ではなかったと安堵しています。

2017-07-03

血圧が下がっている患者に食い下がる医師とはなんだ。

いつも140前後の血圧が
透析後半90まで下がって
とても正常に話もできる状況ではなく
頭も働かない状況なので
「議論」はしたくないというのを
繰り返し食いついてくる医師とはなんだ。

そもそも
透析開始時に当日の除水量を決めるに当たって
スタッフ(ベテラン技師と看護師)に
改めて相談した。
その日のドライウエイトまでの除水とすると
「3.4kg」。
しかし
最近の除水をみると
ドライウエイトにちかくなると
足が吊ったり帰宅時に血圧が下がり
景色が白くなることがある。
体調不良が次の日まで続くこともある。
先週などは日曜日に出かける予定だったのを
最寄りの駅まででかけたものの
取りやめたこともあった。

そのため透析の除水量について
週半ばは無理をしないで
ドライウエイトまで除水せず
300g程度残すようにお願いしてそうしてきた。

もちろん血圧低下や体調不良の原因が
ただドライウエイトの設定の問題だけではなく
除水量が4kg近く「除水量が多い」ことにもよるので一概に言えない。

その日(6月30日)は
はじめからドライウエイトまでいくことを避けて
300g残すことも選択肢としてあったが
体重増加が比較的少ないので
技師さんに
<どうしよう?>
と相談した。

<除水量が少ないのであえてドライウエイトまでを目標にして
もしこれで(血圧が)下がったら300g残す>
ということにしようかと話した。
技師さんも合意して
「これで血圧が下がったらドライウエイトの設定を考え直す必要があるのかもしれないね」
との結論でとりあえずはドライウエイトを目標として
透析は開始された。

しかしやはり
実際には4時間目に入ると血圧は下がり
汗さえ出てきた。
時間ははっきり憶えてないが
終了30分から40分くらい前に
血圧がいつも140あるのが90まで下がった。
90はいつも140ある血圧からいうと
意識が遠くなる水準だ。

とにかく除水を<とりあえず止めるように>お願いした。
同時に<300g残すように>お願いした。

しかし血圧を計った看護師は「医師に聞いてきます」の返答で
去ってしまった。
これは困るのだ。
90といえば
それ以上に急激に血圧が下がり
意識がなくなることもあるのだ。
しかも患者が除水を止めるようにお願いしているのに
単純に医師の判断を仰いるのは。

ふたたび看護師がやってきたので
強く
<とにかく除水を止めてください>
と要求した。
ここでやっと除水は中断してもらった。
医師は
「300g最後まで除水したい」と言っているとのことだった。

医師が来て
「いつも中二日の体重増加が多く
心臓に負担がかかる」
「心胸比も大きいので」

などと話し始めたので
血圧が下がった状態で
私はどうこう話す状況でなかったので

<今日の開始時の技師さんとの話で
下がったら300残すとしたのでそうしてほしい>

と改めてお願いしたが
話は止まない。
心胸比がどうのこうの
あるいは
体重増加が多いことが
300g残すことと今の状況の直接のテーマではないでしょう。

<心胸比がすべてではないでしょう>

というと
「あなたはなにを基準にするのですか」というので
私は簡単に

<血圧とかいろいろな状況でしょう。>

とても血圧が下がって朦朧としていて
自分なりの説明をする状況ではないし
すでに今日の除水量については技師さんと開始時に確認していたので

<とにかく いまは議論をしたくない>というと

「議論しなくてどうするのですか」
「私のいうこと 聞いています?」
と反論してくる。

<聞いています。>
<言ってることはわかっているけど
いまは議論したくない>

と繰り返すと
「私が言っていることを言ってみてください」
と食い下がってくる。
大学のディベートではないのだ。

「体重増加を抑える努力をしていますか」

これはなんですか?

さらに食い下がって来るのを避けると

「こちらのいうことを聞いてもらわないと腎臓内科の医師として治療できない」
とまで言う。

<最終的に決めるのは患者でしょう>
というと
再び
「私の言ってることをきいてないでしょ」

こちらは心拍数も上がり不整脈も起こっている状態。
患者を問い詰めたいのですかと言いたい。
こちらは命がかかっていて
そんな医師のディベートに興味はないのだ。
医療の中に「ディベート」を持ち込んで欲しくない。
論破したいとでも思っているのですか?
患者なんて簡単に論破できることは明白でしょう。
医学知識上は幼いのですから。
「ディベート」はインフォームドコンセントとは
無縁のものでしょ。
なにを錯覚しているのか
「ディベート」で挑んでくる医師と
信頼関係が持てるのでしょうか?

きょうの開始時に技師さんと確認しているので
ここで改めて議論したくないと
再度言ってるのに
捕まえて離さない執拗な緊急性のテーマがあるのでしょうか?

週末ドライウエイトに近くなると血圧が下がり
先週の土曜日も300g残して帰ったので
とにかく今日は300g残すことをお願いすると

「データを見ても血圧は下がってない」

という反論だけが返ってくる。
足が吊ったり帰宅時に血圧が下がったり
翌日まで体調不良であることもデータ化してるのでしょうか?
もっともそれらは申告しているだけなので
医師にとっては信用するに値しない「データ」なのかもしれないですが。
自分の理論が唯一完璧としか思っていないのでしょうか。

300g残して帰宅させると
危険な事態になるとでもいうなら
そういう説得も必要があるのかも知れないが
前回も(前回は全体の除水量が多くなるので残すことにした)残して帰宅したというと
「データ」だけを見てその必要はないとでもいわんばかりで
血圧は除水中断で少し戻ったにしても
300gの除水を強行して意識不明に陥ったら
あとで「データ」を書き直せばいいとでも思っているのでしょうか?

この稿に結論めいたことはありませんが
あえて言うなれば

<インフォームド・コンセントの形成について勉強し直して欲しい。>

そのように改める意思があるなら反省して欲しい。


                             








2017-07-01

シチェドリン編曲の「カルメン」

今日は体調がいい。
除水3.4kgという週末の透析としては
体重増加が少ないのもあるが
きのうまで猛烈に痛かった腰の痛みが
今朝起きたとき皆無だったのが大きい。
もともと腰だけが痛いのでなく
後頭部までこわばっているのがわかる。

他のブログで書いたが
このところ足裏の体重の掛け方を
変えているので
それが腰へとあるいは背中へ後頭部へと
つながっているところに
負担をかけてる。

足の裏といえば
カラダの末端だけれど
その真反対の頭部まで影響があるのだ。
いやすべてがバランスをとって生きているといえる。

それはわかっていても
実際向こう脛が痛く
腰は痛い
背中が痛く
後頭部も張ったようになると
このカラダもうおしまいかと
思ってしまう。

その痛みがとれると
また生き返ったような気分になるから不思議だ。

生き返ったといえば
話は違うが
透析の4時間のあいだ
ノート・パソコンのハードディスク容量いっぱいに
入れているクラシックを聞いているが
その何倍かの部屋のパソコンから選んで入れている。
選んだからといっても4000曲だが。
その選ぶ方法が
自分が死んだときにBGMとして流して欲しい曲を
中心に静かな曲に焦点を合わせてきた。
「いつ死んでもいい」ようにと。

それが最近は静かなクラシックだけでなく
クラシックでも情熱的なあるいは激しい曲を
聞けるようになった。
おおげさにいうと以前は気持ちが棺桶を向いていた。
もちろん死ぬつもりではなく
考えることが多かったというにすぎず
聞こうとする曲目もその気分にあうものを選んでるに過ぎない。
だが
自然と激しさは避けるものなのだ。
そのときの心持ちがそうなのだから。
しかし
このところクラシックを離れはしないが
そのなかでもダイナミックなクラシックを
聞いている。
あるいは変化に富んでる選択といえる。

たとえば
ビゼーの「カルメン」は前から聞いていたが
シチェドリン編曲の「カルメン」などは
ずいぶん「遊んだ」「カルメン」で
面白い。
たまたま部屋で聞いて
きょうノートパソコンにも入れた。
透析センターのベッドで聞いても
「カルメン」をこのくらいアレンジしてくれると
楽しいのだ。
今までだったら聞けなかったかも知れない。
それが広がっているのを
改めて聞きながら
体調がいいのを感じるのだった。

あすは久しぶりの景信山山行。
先週の日曜日は
坪山山行で
パエリア料理を下準備もして
担いで駅までいったものの
どうにも体調が優れず
先輩に体調が悪いのを告げて
部屋まで引き返した。

なのでなおさら楽しみだ。
山頂料理は何にしよう。。


ちなみに「足裏の体重」について書き留めた「他のブログ」をリンクする

2017-06-29

足が吊る 呼吸はゼイゼイ

ゆうべは何度も足が吊った。
もっとも足裏の重心の掛け方を
意識して変えてる最中なので
足に余計な負担が掛かってることはたしかだが
3回も4回も起こると
単なる疲労ではない。
と判断。
しかもゼイゼイと呼吸が
いつもと違う。
考えられるのは「カリウム過多」。
なんども夜中に起きてそう判断した。
たしかに夕べはなんだかんだと食べ過ぎた実感がある。
この1ヶ月近く昼食を抜く手で
夕飯を充実させてきた。
といっても晩酌の焼酎のアテで増える体重を
押さえる方策ではある。

夕べは
・きゅうりスライス
・もずく
・大根おろし
・ポテサラ
・ほうれん草のおひたし
・ナスと豚肉のみそ炒め
・マグロの刺身
・トンカツまるまる1枚
・ご飯

水曜日は週半ばで体重調整に余裕があるということで
このところ食べ過ぎの傾向にあった。
食べ過ぎはまだしも飲み過ぎには注意しようとしていた矢先だ。

夜中に足の吊るのをケアしながら
このゆうべの「飽食」を頭のなかで描いていた。

このままであれば翌日の透析に駆け込めば
多少ゼイゼイしていても
心臓が止まることはないかも知れない
とも思ったが
朝4時だがとりあえず
病院の待合室か救急外来に
申し出なくとも待機しようかとも考えた。

その前にカリウム吸着剤の「ケーキサレート」を飲んで
代謝を進めると聞いていた「砂糖」を
山盛りのスプーン1杯を口に入れた。

するとゼイゼイも収まり
足が吊る様子もなく
それ以降ぐっすり眠ることができた。

ケーキサレートの吸着度がどれほどのものか
解らないが
そしてまた「砂糖」の代謝推進力は計り知れないが
透析センターで調べてくれたカリウムは5.7だった。

これは通常中2日のレベル。
カリウム7前後で
心臓が止まると言われている。

あのゼイゼイは肺機能が落ちていたわけで
体重増加つまり肺に水が貯まることも考えられるが
体重を計った限り直接的な原因とは考えにくく
心臓の機能低下が原因と考えられる。

しばらく食事の構成を考える必要がありそうだ。

2017-06-06

1ヶ月ぶりの不整脈

最近のブログを見ると
ちょうど一ヶ月前に不整脈が起こらなくなったことを
記している。

先週の透析にて
体重増加が思いがけなく多くて
つまりは焼酎の飲み過ぎではあるのであるが
木曜日(6月1日)に除水を
4.3kgに設定してもらった。

このところ除水はなるべく4kgを越えない3.8kgを
基準にしてきた。
3.8kgからしても500g多いわけで
カラダへの負担は大きい。

そして案の定
透析後半3時間目くらいから血圧が下がり始めた。
透析開始前に150前後あった血圧は
110に下がった。
血圧が下がっただけでなく
不整脈が起こってきた。

不整脈の原因はいろいろある。
今回の場合は
除水量の多さは明らかである。
心臓に負担をかけたのは明らかで
そのストレスが自律神経に影響を及ぼしたといっていいのだろう。

透析を終わっての帰り道も
血圧が下がっていることがわかる。
何度も意識が遠のく。
ひょっとした次の瞬間
倒れるかもしれないという状況だった。

とにかく自分のカラダを支えるのに
精一杯で部屋まで帰った。

その不整脈は3日間は続いた。
幸い4日目の倶楽部山行の日は
ずいぶん楽になっていたが
完全には消えていなかったので
少し心配もしたが
6日目の今日は
無事下山していまは不整脈も消えた。

この不整脈勃発から消えるまでの流れは
記憶に留めたい。

物理的な負担が心臓にかかっても
心臓にはストレスとなって
正常には拍動できなくなり
不整脈となる。
もちろん精神的な動揺も
心臓はストレスとなるが
今回は違うようだ。

透析では毎回物理的なストレスをかける。
もちろん体重増加を減らすことが
優先されるべきテーマであるが
なかなかそうはいかない現状だ。

きょうも基礎体重からいえば
プラス5.4kgだが
除水は4kgを越えない方針を厳守。
よく考えれば4kgの水がカラダに貯まっているわけだし
それを4時間で抜くという技をしているんだ。
カラダが良く耐えてくれてると
つくづく思うところだ。

2017-05-04

不整脈が起こらなくなった

この半年くらいまたブログ更新を怠っていた。
いろいろなことは考えていても
記そうと思ってパソコンを開くほどではなかったとでも言っておくことにしよう。

でも画期的なことが起こった。
もっともこの2〜3年丹念に整体をしてきた。
整体は受け身で整体師にすべて任せるのでなく
治療はどちらかというと
自宅で自分で整体をするのが主で
治療院での治療はもちろん自分でするのとは
比べものにならない「威力」があるものの
自宅で自分でする「整体」の指導を受けるのだ。
それを続けてきて
全身の発疹はその結果でもあった。
それもそろそろ落ち着き初めてきたら
なんと期外収縮やときに心房細動が発症していたのに
ほぼ完全に完治した。

もともと不整脈は自律神経や脳脊髄の神経系と関係が深く
精神的なものとも密接なもの。
その神経系なものはわが受けてる整体の本道なので
治るのは当然ではあるのだ。
治療による
また自分で行う整体によるカラダの変化は
そんな一朝一夕に期待できるわけではない。
カラダが何十年もの毒素を溜め込んできた
それを吐き出すのに時間はかかるのだ。
そう2〜3年はかかった。

途中「大動脈弁置換手術」をすぐにでもするように
医師に言われたこともあったが
それも自分なりのイメージやカラダがもつ自己回復力を信じ
拒否をしてここまできて
不整脈が起こらなくなったことは
素直にうれしい。

友人の一人は来週不整脈の手術と称して
「カテーテルアブレーション手術」を行う。
我が輩も何度か勧められてきたが
心臓内の電極を焼き切るという乱暴な発想に
ついて行けなく
そこを整体的な治療へとカジをきった。
もともと神経系の原因が大きい不整脈を
勘違いも甚だしい電極をなくせば起こらないという
現代医学が考えそうな薪を大ナタで
割るような手法では不整脈は治らない。
じっさい1回2回の手術ではなおらなく
再手術の声を聴くことが多い。

整体というと
指圧でなにが変わるかと思いがちであるが
筋肉をもみほぐすのと違って
神経の流れを整えるのである。

とにかくここにきて
不整脈が起こらなくなったのは
カラダ全体の流れが以前よりよくなった証拠でもあるのだ。
カラダが軽くなって
精神的にも落ち着いてきたともいえる。