11月も今日が最後なので
心臓についての心胸比の変化をメモしておこう。
心胸比は胸幅の中の心臓の大きさである。
50%が基準とされる。
今月の心胸比は57.7%である。
看護師がコメント欄に先月との比較をメモしてくれた。
それに9月を併記してみると
9月の心胸比ーー63.4%
10月心胸比ーー58.5%
11月心胸比ーー57.7%
10月の心胸比は58.5%である。
この時の現実の体重は50.2kgであり
今月11月の体重は51.1kgである。
まあすべての数値の変化を
誤差の範囲内とすれば誤差の範囲内であるが
そうもいってられない。
いちおう数値にしたがった考え方を記そう。
体重数値の増加はほぼそのときの除水の状態で
水分が体内に1kg残っていると考える。
1kgの水分が残っているならば
一般的には心胸比は増えると考えられる。
しかし実際には1.2%減少しているのは
心臓が小さくなっていると考えられる。
つまり
実際の体重が変化なく
痩せたり肥ったりという変化がないという前提で言えば
1kgの水分が残っているにもかかわらず
心臓が小さくなっているということだ。
これは心臓自身が
縮んで締まっていることをいっているのではないだろうか。
まあ伸びたレントゲン写真の心臓を見ると
さあ心臓を元の姿にしたいという願望はある。
だが心臓は単純に風船ではないので
意志を持って機能しやすくなろうと
締まることもあると考える。
主治医はまだ心臓が大きく
基礎体重を下げて水分を抜きたいようだが
もうしばらくこのままで
心臓がどう変化するか見たいと考えている。
「透析」にとまどい「充電」と呼ぶことに。 鉄腕アトムがエネルギーをケーブルで注入するイメージに置き換えた。 二度目のシャント手術をし大動脈弁狭窄を宣告され大動脈弁置換手術を勧められるも拒否し、この4月には「うっ血性心不全」で入院して2ヶ月間入院をへて、今年透析17年目を迎えた。(無断転載禁止)
2016-11-30
2016-11-24
富士山絶景山行
日本一の富士山絶景コースの河口湖畔の霜山山行はどうだったか。
とりあえず富士山がどうだったかは
現在作成中のブログに任せて
体力的とくに心臓はどうだったか。
この1300mある霜山山行のための
4日前の『低山愛でる』孫山山行が
功を奏したと言っていいのかもしれない。
もし孫山山行がなければ
無理だったと言える。
下吉田駅から新倉山・御殿山を経て
霜山に至るのだが
比較的アップダウンはないというものの
とくに最後の霜山山頂への
胸突き八丁は急登で
トラロープの連続だった。
トラロープはいうまでもなく
急登で滑落を防ぐもので
ふつうトラロープは
力を入れることなく
脚で登る差さえ程度で使うことが多いが
ほとんどの体重を腕の力で
引き上げたといってもいいくらいだった。
幹事は短い距離だとも言ったが
とても長く苦しいものだった。
見かねたOさんに
我がザックを取り上げられ
さっさと先に行ってしまった。
この苦しい急登を想定し
山頂料理の準備はもちろん無く
最低限の荷物で軽いはずのバッグで
この体たらくなのである。
透析後の帰り道
血圧が下がると
耳がつーんとなることがある。
電車がトンネルに入ると
つーんとなるのと同じで
苦しくなって立ち止まると
血圧が下がってるのが
回復するのを感じる。
いやそうではなく
多少でも高度が高くなるという理由もあるが
どちらかといえば
脚の筋肉へ血流が集中して
脳の血液が薄くなっていると思った方がいいのだろ。
もちろん脱水症状も
疑う必要はある。
透析患者は
体に余分な水を蓄えているようなものだからといって
油断はできない。
体にいくら水を蓄えていても
血管内の水分が急激に失われれば
とうぜん脱水状態になり
急激な血圧降下をもたらし意識不明にだってなるのだ。
ただ苦しい急登でも
休み休みいけば
どんな高い山でも登れるような気にはなれた。
時間がかかるのだ。
久しぶりの高低差400mに
長いトラロープの急登は
想定したとおり
苦しかったが
Oさんのサポートのお陰もあって
無事完結した。
霜山からの尾根伝いの下山ルートも
体の回復に寄与したのか
それほどの苦も無く
楽しい山行だった。
じつは山行翌日のきのう
ほぼ半日のデリーケートな立仕事だったので
それも危惧していたにもかかわらず
山行の後遺症の筋肉痛も現れず
無事だったことも嬉しい結末だった。
危惧ということでいうと
きのうの早朝5時過ぎに
パーン
パーン
という花火のような爆発音で
たたき起こされた。
まさか目の前の公園でこんな朝早くというか
彼らにとっては遊んでということになるが
また若い奴らの花火かと寝ぼけ眼でいると
その爆発音が止まないので
これは花火ではないと知る。
窓から見る限り
公園にも何も見えない。
セーターを羽織って
ベランダにでると
わがマンション隣接する小さな板金工場から
黒煙が吹き出しているではないか。
赤い炎も見える。
工場とわが部屋の間には2部屋と
駐車場への通路があるが
まずは退避の体勢だけはと
避難用のバッグを引っ張り出した。
パソコンのハードディスクは迷ったが
それはもう少し状況を見ることにして
マンションの廊下にでて
黒煙に近づくと
相変わらず連続して爆発があり
その中心は真っ赤だ。
爆発の破片が飛んできたら
危険と思いながら
数枚コンパクトカメラのシャッターを切った。
会話したことはないが
この板金工場ひとりで切り盛りしてるようで
夜中にも仕事をしていることがあるので
うっかり失火してしまったのかなどと
考えながら
その親父が心配だった。
やがて消防車が到着し
ホッとしてるとこんどは地震だ。
今日の仕事は重要な仕事で
すべてが中止になれば問題ないが
どうしても駆けつけなければならない仕事だったので
緊張したが
幸い茨城県震度3でおさまった。
その仕事も無事終えてゆっくりしての
翌朝の福島を中心とする震度5。
東京の揺れも大きく
とうとう来たかと思ったほどだ。
2016-11-17
心臓とののっぴきならぬ関係
500m足らずの低山を登った。
シャント手術後の
2週間のブランクはやはり辛い。
心肺力を必要とする登りは
当然休み休みの足運びとなる。
やはり次回の倶楽部山行は
この心臓では
とても参加できる余裕もないかもしれない
とつぶやきながら登ることになる。
かたや
透析の主治医も
「山登りはいいのかな〜」という。
循環器の診療部長の誤診のまえには
「こんな状況で山登りする人
聞いたことない」
と全面否定して
それを受けた透析センターの看護師も
しきりに山登りを止める。
循環器科の誤診が明らかになっても
それが変わらない。
大動脈弁置換手術の当面の手術は必要なしとしても
特段心臓機能がよくなったわけではない。
心房細動もあれば貧血だし
左心室の駆出率もボーだーラインに近いのも事実。
誤診だったという弁も実際には
透析主治医からは
「手術の必要なし」としか聞いておらず
「誤診」の言葉も聞いてはいない。
もし直接循環器の診断を受ければ
心臓の機能が低いことを説明され
山は止めるようにといわれるのは
明かだろう。
ふつうの人は山を登りながら展望を楽しみ
草木の佇みを愛でるのが中心だろうが
我が輩はいつも山を登りながらまずは
自分の心臓と向き合ってきたし
そういう循環器の医師の診断もあったので
ますます抜き差しならぬことになっている。
しかし
そんなふうに向き合っていくことは
必要なことではあるけれど
それで山歩きを中断するのでなく
むしろ心臓を適度に負担をかけながら
可能であれば治癒できればと思っているし
でなくとも
カラダがこのていたらくな心臓能力に
適応することを想定している。
きのう辛い登りで息を上げながら考えたことは
ふつうの人が息をあげずとも登れるのを
我が輩はフルマラソンを走っているかのように
息継ぎをしているのかもしれない
と思ったのだ。
で
それでいいのだろう
と思うのだ。
心臓や肺にかかる負荷は
ひとそれぞれ。
負荷がかかり継続できなければ
カラダは自然と休み止まる。
負荷は心臓や肺を鍛える。
それが求めるところの
自然治癒のスタート地点と信じているのだ。
「無理をしなければ」
心不全になることもない。
この「無理をしなければ」が
心臓とののっぴきならぬ関係だ。
2016-11-15
つぎの週末の日本一の富士山絶景コースに思案巡らす
今週末は倶楽部山行がある。
山名を聞いても初めて聞く山なので
いつものようにネットで調べるしかない。
すると河口湖畔の富士山絶景ポイントだとわかった。
しかもうちの倶楽部の幹事は
どこの山も知り尽くしていて
ましてやこの季節は紅葉で
まず季節を外すことがない。
下吉田駅~新倉山~霜山(1307.1m)~天上山~河口湖駅。
さてどれほどの山で
どれほどの標高差であるのか
気になる。
このところまったく「低山愛でる」で
心臓トラブルがあって以来
シャント手術もあり
比較的高い山行は避けてきた。
シャント手術はいわば
「包帯もとれ」たが
心臓は健全とは言えず
左心房の駆出率
つまり心臓から全身に血液を押し出す力が弱い。
しかも貧血で血液の濃度
いってみればヘモグロビンがこれも薄い。
しかし
このところの心臓トラブルで
心臓に関する心臓エコーなどの検査結果の数値に
振り回されている。
駆出率にしても
以前からそう高くもなく
現状は以前と余り変わりない。
ヘモグロビンの濃度も
10から9.7くらいで
やや下がったかもしれないけど
変わりないといえば変わりない。
「心臓」も「使って治す」は変わりない。
のだが
ほんとうは「低山愛でる」で
様子を見たかったというのもあるのだが。
それよりも
この二週間低山すら登ってない筋肉の衰えのほうが
深刻と言えば深刻なのだろう。
ネットで見ていると
標高差は400mくらいで射程範囲ではあるが
いきなりのトラロープの急登ありとある。
しかし日本一の絶景ともあると
誘惑は避けられない。
低山愛でるでもよいから
昨日か一昨日登っておけばよかった
と反省しきり。
とにかくまだ数日あるので
考える余地はある。
この予定コースの終盤
平行してロープウェイもあるようだから
いざとなったら下りのほんの一部だが
その利用もあるなどとも。
あすの水曜日は天気良さそうだし。。
山名を聞いても初めて聞く山なので
いつものようにネットで調べるしかない。
すると河口湖畔の富士山絶景ポイントだとわかった。
しかもうちの倶楽部の幹事は
どこの山も知り尽くしていて
ましてやこの季節は紅葉で
まず季節を外すことがない。
下吉田駅~新倉山~霜山(1307.1m)~天上山~河口湖駅。
さてどれほどの山で
どれほどの標高差であるのか
気になる。
このところまったく「低山愛でる」で
心臓トラブルがあって以来
シャント手術もあり
比較的高い山行は避けてきた。
シャント手術はいわば
「包帯もとれ」たが
心臓は健全とは言えず
左心房の駆出率
つまり心臓から全身に血液を押し出す力が弱い。
しかも貧血で血液の濃度
いってみればヘモグロビンがこれも薄い。
しかし
このところの心臓トラブルで
心臓に関する心臓エコーなどの検査結果の数値に
振り回されている。
駆出率にしても
以前からそう高くもなく
現状は以前と余り変わりない。
ヘモグロビンの濃度も
10から9.7くらいで
やや下がったかもしれないけど
変わりないといえば変わりない。
「心臓」も「使って治す」は変わりない。
のだが
ほんとうは「低山愛でる」で
様子を見たかったというのもあるのだが。
それよりも
この二週間低山すら登ってない筋肉の衰えのほうが
深刻と言えば深刻なのだろう。
ネットで見ていると
標高差は400mくらいで射程範囲ではあるが
いきなりのトラロープの急登ありとある。
しかし日本一の絶景ともあると
誘惑は避けられない。
低山愛でるでもよいから
昨日か一昨日登っておけばよかった
と反省しきり。
とにかくまだ数日あるので
考える余地はある。
この予定コースの終盤
平行してロープウェイもあるようだから
いざとなったら下りのほんの一部だが
その利用もあるなどとも。
あすの水曜日は天気良さそうだし。。
2016-11-08
シャント手術で解ったことのひとつ
先のブログでも書いたが
ふつうシャント手術をするというとき
執刀医が失敗をしない限り
二カ所にメスを入れることはないだろう。
にもかかわらず
二カ所になったのは全くもって
自分のせいなのだ。
一カ所目が詰まった以前のシャント位置よりは
上ではあったがそれでもやや手首に近いところで
最終的にやり直した位置よりは
血管が細く
そのぶん石灰化になりやすいのだ。
とはいえ
石灰化がすすんでる事実を
思い知らされた。
手術で針や糸が使えないというのだから。
表現は誇張しているだろうが
手術で糸や針を使えば
それだけ脆くなり
いずれ再手術もしなければならなくなり
縫合部にトラブルが起これば
その先の手や指の壊死も考えられるという
手術での医師たちの説明だった。
医師のおそらく十年近くの経験の中で
5本の指に入るほどの石灰化というのだ。
「血管がせんべいのようだ」
これはけっこうショックだ。
石灰化といわれているのに
心臓エコー検査だ。
心臓の石灰化は何度も主治医に言われている。
大いにたかをくくっていた部分がある。
透析患者は血液内のバランスが
健常者に比べて格段に悪い。
週3回の透析器による調整では追いつかないのだ。
タンパク質は教科書的にいうと
血液や筋肉を作るもとだ。
だがタンパク質が消化されると
リンが老廃物として残骸が残る。
直接リンが多く含まれている食事もある。
なかなか日常的には認識が難しいが
しらす干しやプロセスチーズ
鰯や卵黄がその筆頭だ。
(100gあたりの比較)
カラダのリンとカルシウムは
拮抗状態を保っているという。
体にリンが増えると
カルシウムが増えてくるのだ。
骨からカルシウムを放出するという。
結果的に骨のカルシウム量が減り脆くなり
血管を漂うカルシウムは
血管壁にくっついて硬化してしまう。
これが難儀な「石灰化」というわけだ。
骨密度も低下し血管や心臓が
脆くなり手術の医師の言うように
「せんべいのように」なるのだ。
それを食事制限と薬服用で
少しでも健常者に近づけようとするわけだ。
巷では「老いたら米をやめ肉を食え」などという
断糖タンパク質長寿法なるものも流布されているが
こと透析患者には全く無理なのだ。
一時試みたこともあるが
跳ね上がるリンの数値のまえに
あえなく敗北だったのだ。
とはいえ
酒のつまみはどうしてもタンパク質がいける。
得てして家飲みが多くなって
焼酎を一杯注ぐと同時に
アテを一品というパターンになってしまった。
当然摂取する水分も増え
同時にリンの数値を上げてきた。
その都度主治医は注意を促してきたが
なかなか顧みることができないできた。
さてコアヒビター騒動で明らかになった胸水のおかげで
5キロの基礎体重設定の減量もあった。
また騒動以前から下がりつつあった血圧が
降圧剤なしで130〜140まで下がり
体にとっては血圧が下がってきたのはいいことだが
以前降圧剤なくて220で
降圧剤で180くらいで
透析時もその血圧を背景に
5キロの除水ができていたと思われる。
それが4キロすら除水ができなくなって
毎回終盤足が吊ったり
血圧が100以下になるという
苦しい状況が生まれてしまった。
無理が利かなくなったというのが実感。
これらを防ぐのは簡単なことではあるが
「酒をやめる」ことでだ。
しかしこれがなかなか。。
この数日
どこまですればどこまでセーブできるのか
頭の中は混乱している。
まったく酒をやめるのは無理としても
セーブしなくては
石灰化と除水の血圧降下は
免れえない。
石灰化は一度なったら
改善されることはなく
進行を止めることくらいしかできないという。
石灰化をとめるのは文字通り
もはや絶体絶命と考えねば
心臓が止まる結果になる。
タンパク質は一般的に過剰摂取。
それはおいしいというだけで
どうしても手が出るというもの。
かといって野菜にシフトすれば
いまでもカリウムの数値は低いと言えず
これ以上高くなれば
即死ということもある。
とにかくここからいえることは
食事と酒量の絶対量を減らすしかないのだ。
そして
日常的に食べていた卵はやめる。
いわし・たらこ・しらすも避ける。。
まぐろ・あじも比較的リンが多いので
頻度を少なくする。
リンの多い食品と、食品のリンの含有量一覧表
ふつうシャント手術をするというとき
執刀医が失敗をしない限り
二カ所にメスを入れることはないだろう。
にもかかわらず
二カ所になったのは全くもって
自分のせいなのだ。
一カ所目が詰まった以前のシャント位置よりは
上ではあったがそれでもやや手首に近いところで
最終的にやり直した位置よりは
血管が細く
そのぶん石灰化になりやすいのだ。
とはいえ
石灰化がすすんでる事実を
思い知らされた。
手術で針や糸が使えないというのだから。
表現は誇張しているだろうが
手術で糸や針を使えば
それだけ脆くなり
いずれ再手術もしなければならなくなり
縫合部にトラブルが起これば
その先の手や指の壊死も考えられるという
手術での医師たちの説明だった。
医師のおそらく十年近くの経験の中で
5本の指に入るほどの石灰化というのだ。
「血管がせんべいのようだ」
これはけっこうショックだ。
石灰化といわれているのに
心臓エコー検査だ。
心臓の石灰化は何度も主治医に言われている。
大いにたかをくくっていた部分がある。
透析患者は血液内のバランスが
健常者に比べて格段に悪い。
週3回の透析器による調整では追いつかないのだ。
タンパク質は教科書的にいうと
血液や筋肉を作るもとだ。
だがタンパク質が消化されると
リンが老廃物として残骸が残る。
直接リンが多く含まれている食事もある。
なかなか日常的には認識が難しいが
しらす干しやプロセスチーズ
鰯や卵黄がその筆頭だ。
(100gあたりの比較)
カラダのリンとカルシウムは
拮抗状態を保っているという。
体にリンが増えると
カルシウムが増えてくるのだ。
骨からカルシウムを放出するという。
結果的に骨のカルシウム量が減り脆くなり
血管を漂うカルシウムは
血管壁にくっついて硬化してしまう。
これが難儀な「石灰化」というわけだ。
骨密度も低下し血管や心臓が
脆くなり手術の医師の言うように
「せんべいのように」なるのだ。
それを食事制限と薬服用で
少しでも健常者に近づけようとするわけだ。
巷では「老いたら米をやめ肉を食え」などという
断糖タンパク質長寿法なるものも流布されているが
こと透析患者には全く無理なのだ。
一時試みたこともあるが
跳ね上がるリンの数値のまえに
あえなく敗北だったのだ。
とはいえ
酒のつまみはどうしてもタンパク質がいける。
得てして家飲みが多くなって
焼酎を一杯注ぐと同時に
アテを一品というパターンになってしまった。
当然摂取する水分も増え
同時にリンの数値を上げてきた。
その都度主治医は注意を促してきたが
なかなか顧みることができないできた。
さてコアヒビター騒動で明らかになった胸水のおかげで
5キロの基礎体重設定の減量もあった。
また騒動以前から下がりつつあった血圧が
降圧剤なしで130〜140まで下がり
体にとっては血圧が下がってきたのはいいことだが
以前降圧剤なくて220で
降圧剤で180くらいで
透析時もその血圧を背景に
5キロの除水ができていたと思われる。
それが4キロすら除水ができなくなって
毎回終盤足が吊ったり
血圧が100以下になるという
苦しい状況が生まれてしまった。
無理が利かなくなったというのが実感。
これらを防ぐのは簡単なことではあるが
「酒をやめる」ことでだ。
しかしこれがなかなか。。
この数日
どこまですればどこまでセーブできるのか
頭の中は混乱している。
まったく酒をやめるのは無理としても
セーブしなくては
石灰化と除水の血圧降下は
免れえない。
石灰化は一度なったら
改善されることはなく
進行を止めることくらいしかできないという。
石灰化をとめるのは文字通り
もはや絶体絶命と考えねば
心臓が止まる結果になる。
タンパク質は一般的に過剰摂取。
それはおいしいというだけで
どうしても手が出るというもの。
かといって野菜にシフトすれば
いまでもカリウムの数値は低いと言えず
これ以上高くなれば
即死ということもある。
とにかくここからいえることは
食事と酒量の絶対量を減らすしかないのだ。
そして
日常的に食べていた卵はやめる。
いわし・たらこ・しらすも避ける。。
まぐろ・あじも比較的リンが多いので
頻度を少なくする。
リンの多い食品と、食品のリンの含有量一覧表
2016-11-03
シャント手術最中医師曰く「トラブルがありました」
昨日のシャント手術。
シャント手術は当然透析導入の際に一度やってるので
イメージが分かっているせいか
手術前に緊張することもなく余裕がある。
手術用のあの宇宙船のような形をしたライトの下に
明るくそして
ひんやりした手術台に横たわるときは
少しだけ緊張する。
執刀医と補助の?医師の二人と2人の看護師で
手術が始まる。
さすが手術室でメスを入れられるときは
やや構える。
メスが走る感覚はいやなものだが
局部麻酔なので頭は働いて
メスを入れる部位以外は普通だ。
むしろ麻酔薬を最初に打つ穿刺が痛む。
ポップなCDがうっすら聞こえる。
医師同士がささやきながら会話をしているが
なかなか聞こえない。
しばらくして執刀医が
「トラブルがありました」という。
え!なんか失敗して
動脈を切り損じたとか
何かあったのか?とどきっとする。
すると
事前に説明されていた予定の部位では
シャントが作れないという。
その部位の動脈が石灰化で
医師が言うには
「血管がせんべいみたい」で
シャントを作るために
切ったり縫合しても
むしろ血管が壊れる可能性が高いというのだ。
作ってももろいシャントを作っても
トラブルで手や指が壊死することもあり
腕を切り落とさなければならないことにもなりかねない
というのだ。
ああ
我が輩の血管はもう石灰化でボロボロなのだ
とつくづく思わざるを得ない。
ではシャントも作れなければ
透析もできず先は短い
と一瞬考える。
絶望的。
医師の説明が続く。
予定の部位は石灰化が進んでるけど
少し心臓に近いより太い動脈を使って
シャントを作ろうと思うという。
つまりもう一カ所メスを入れるということだ。
そうか
腕の先に行くほど血管は細くなり
流れが緩慢になり
石灰化しやすいのだ。
もちろん希望があるなら
二カ所目だろうが喜んで承諾するしかない。
手術のリスタートだ。
また麻酔薬の痛い穿刺があって
メスが入れられながら
手術台の宇宙船の光源をにらみながら
「どうしてこんなことになってるのだろう」
と心でつぶやく。
手術台の体は疲れを感じている。
CDから流れる曲がいつのまにか
ベートーベンの「田園」だった。
看護師にボリュームを上げることをお願いした。
我が輩のパソコンには2000を越える曲は
収めてある。
その80%がクラシックで
透析中もまずクラシックを聴いてる。
そのうち20曲くらいを選定し
我が葬儀あるとすればその際はそれを流してほしいと
「終い支度」として文章にしている。
「田園」はその中には入ってはいないけど
手術台で横たわり
流れてくる音符を聞いてると
なにか我が輩の葬儀の状況に近いな〜
と感じることができる。
それを医師につぶやいたら
医師は「不吉な」と笑って応えてくれた。
いやいや手術も終盤だからこういうことが言えると弁解した。
2時間15分手術台に固定されていたものの
なんとか無事に生還。
いまは縫合した糸も抜く必要もないようで
以前のように包帯などでの固定もなく
透明なシール状の保護材を貼られ
出血もなく即退院だった。
13年前のシャント手術の経験からいうと
その夜
しくしくと傷口が痛んで
痛み止め薬をもらった記憶があった。
今回も痛み止めを処方されたが
まったく痛みはなく翌日を迎えられたことは幸いだった。
シャント手術は当然透析導入の際に一度やってるので
イメージが分かっているせいか
手術前に緊張することもなく余裕がある。
手術用のあの宇宙船のような形をしたライトの下に
明るくそして
ひんやりした手術台に横たわるときは
少しだけ緊張する。
執刀医と補助の?医師の二人と2人の看護師で
手術が始まる。
さすが手術室でメスを入れられるときは
やや構える。
メスが走る感覚はいやなものだが
局部麻酔なので頭は働いて
メスを入れる部位以外は普通だ。
むしろ麻酔薬を最初に打つ穿刺が痛む。
ポップなCDがうっすら聞こえる。
医師同士がささやきながら会話をしているが
なかなか聞こえない。
しばらくして執刀医が
「トラブルがありました」という。
え!なんか失敗して
動脈を切り損じたとか
何かあったのか?とどきっとする。
すると
事前に説明されていた予定の部位では
シャントが作れないという。
その部位の動脈が石灰化で
医師が言うには
「血管がせんべいみたい」で
シャントを作るために
切ったり縫合しても
むしろ血管が壊れる可能性が高いというのだ。
作ってももろいシャントを作っても
トラブルで手や指が壊死することもあり
腕を切り落とさなければならないことにもなりかねない
というのだ。
ああ
我が輩の血管はもう石灰化でボロボロなのだ
とつくづく思わざるを得ない。
ではシャントも作れなければ
透析もできず先は短い
と一瞬考える。
絶望的。
医師の説明が続く。
予定の部位は石灰化が進んでるけど
少し心臓に近いより太い動脈を使って
シャントを作ろうと思うという。
つまりもう一カ所メスを入れるということだ。
そうか
腕の先に行くほど血管は細くなり
流れが緩慢になり
石灰化しやすいのだ。
もちろん希望があるなら
二カ所目だろうが喜んで承諾するしかない。
手術のリスタートだ。
また麻酔薬の痛い穿刺があって
メスが入れられながら
手術台の宇宙船の光源をにらみながら
「どうしてこんなことになってるのだろう」
と心でつぶやく。
手術台の体は疲れを感じている。
CDから流れる曲がいつのまにか
ベートーベンの「田園」だった。
看護師にボリュームを上げることをお願いした。
我が輩のパソコンには2000を越える曲は
収めてある。
その80%がクラシックで
透析中もまずクラシックを聴いてる。
そのうち20曲くらいを選定し
我が葬儀あるとすればその際はそれを流してほしいと
「終い支度」として文章にしている。
「田園」はその中には入ってはいないけど
手術台で横たわり
流れてくる音符を聞いてると
なにか我が輩の葬儀の状況に近いな〜
と感じることができる。
それを医師につぶやいたら
医師は「不吉な」と笑って応えてくれた。
いやいや手術も終盤だからこういうことが言えると弁解した。
2時間15分手術台に固定されていたものの
なんとか無事に生還。
いまは縫合した糸も抜く必要もないようで
以前のように包帯などでの固定もなく
透明なシール状の保護材を貼られ
出血もなく即退院だった。
13年前のシャント手術の経験からいうと
その夜
しくしくと傷口が痛んで
痛み止め薬をもらった記憶があった。
今回も痛み止めを処方されたが
まったく痛みはなく翌日を迎えられたことは幸いだった。
2016-11-01
14年目の『充電』は波乱幕開け
透析導入は10月30日で
11月で14年目となる。
その14年目の初日の透析。
いつも穿刺のするまえに
スタッフがシャントの音を聴診器で確認して
穿刺となる。
ところが
「私の耳には聞こえないから
他のスタッフに聞いてもらいます」
という。
シャントとは
腕の中心部にある動脈を手術によって
表面に近い静脈と結合してショートカットして
静脈の流れを動脈くらいの流れにし
そこに穿刺をして血液を体外にとりだし
腎臓代わりの透析機を通して
水分および老廃物を濾過するのだが
流量が増して太くなった血管のことを
シャントというのだ。
そのシャントは
血液が流れると動脈のように
ドクドクと脈音がするのが
看護師の聴診器には聞こえないというのだ。
つまり血管が詰まってるということだ。
主治医が駆けつけてくれる。
なにかしたと聞かれていくつか思い出した。
前日はなんとなく痛みがあった。
というより
それよりさかのぼること一週間前の日曜日に
腕をつかまれ
あ まずい
と思ったことがあった。
相手は好意だったのだが
シャントがあるなんて知らず。
その後先週はいつもの3回の『充電』でも問題なく
しかもあえてちょっと違和感があるから
看護師にシャント音を確かめてもらったほどだったが
いつも通りという返事だった。
そして一昨日の低山山行最中
またシャントに違和感があった。
違和感というより痛みといったほうがいいかもしれない。
一昨日は血圧が下がっていたような感覚もある。
耳がツーンとなって
声が出ないことがしばしば。
考えてみれば血圧低下は
シャントにとっては流れが悪くなって
シャントが詰まる可能性が高まる。
詰まって時間が経ってない場合は
ある程度揉めば詰まりが取れると言うことだった。
今となってはどうしようもない。
穿刺をする血管がない。
どうするのだろうと聞く。
14年目にしてシャントが詰まるのも初めてなら
その状況での透析も初めて。
動脈は腕の奥の中心部を流れている。
その深部に針を刺すのだという。
「ダイレクト穿刺」
痛そー
と体中に力が入ってしまう。
全くの手探りではなく
エコー画像を見ながらの穿刺。
体は構えたが
いつもの穿刺と同じくらいの痛みだったので安堵。
さて潰れたシャントはどうするのかというと
詰まったところを避けて
作り直すことになる。
看護師の話によると
ふつう病床が満床のことが多く
その場合いったん
肩にカテーテルを挿入することになり
カテーテルを経由して透析をするというのだが
看護師が言うには
「運がいいね。ベッドが空いているなんて」。
ということで
即入院かつ手術ということになった。
透析センターからそのまま病棟へ入院。
シャント手術は当然13年前にやってるので
良くも悪くも構えてもしようがないので
気持ち的には余裕がある。
病院の食事はおいしくないのは定評で
ましてや透析食は一番おいしいところを
抜いてあるようなイメージ。
案の定
ぬるい・まずい・少ない。
で
売店に行って買い出し。
病院食をまずいといっておきながら
ジャンクな菓子やカップラーメンに
ちょっと後ろめたさを感じながら。
11月で14年目となる。
その14年目の初日の透析。
いつも穿刺のするまえに
スタッフがシャントの音を聴診器で確認して
穿刺となる。
ところが
「私の耳には聞こえないから
他のスタッフに聞いてもらいます」
という。
シャントとは
腕の中心部にある動脈を手術によって
表面に近い静脈と結合してショートカットして
静脈の流れを動脈くらいの流れにし
そこに穿刺をして血液を体外にとりだし
腎臓代わりの透析機を通して
水分および老廃物を濾過するのだが
流量が増して太くなった血管のことを
シャントというのだ。
そのシャントは
血液が流れると動脈のように
ドクドクと脈音がするのが
看護師の聴診器には聞こえないというのだ。
つまり血管が詰まってるということだ。
主治医が駆けつけてくれる。
なにかしたと聞かれていくつか思い出した。
前日はなんとなく痛みがあった。
というより
それよりさかのぼること一週間前の日曜日に
腕をつかまれ
あ まずい
と思ったことがあった。
相手は好意だったのだが
シャントがあるなんて知らず。
その後先週はいつもの3回の『充電』でも問題なく
しかもあえてちょっと違和感があるから
看護師にシャント音を確かめてもらったほどだったが
いつも通りという返事だった。
そして一昨日の低山山行最中
またシャントに違和感があった。
違和感というより痛みといったほうがいいかもしれない。
一昨日は血圧が下がっていたような感覚もある。
耳がツーンとなって
声が出ないことがしばしば。
考えてみれば血圧低下は
シャントにとっては流れが悪くなって
シャントが詰まる可能性が高まる。
詰まって時間が経ってない場合は
ある程度揉めば詰まりが取れると言うことだった。
今となってはどうしようもない。
穿刺をする血管がない。
どうするのだろうと聞く。
14年目にしてシャントが詰まるのも初めてなら
その状況での透析も初めて。
動脈は腕の奥の中心部を流れている。
その深部に針を刺すのだという。
「ダイレクト穿刺」
痛そー
と体中に力が入ってしまう。
全くの手探りではなく
エコー画像を見ながらの穿刺。
体は構えたが
いつもの穿刺と同じくらいの痛みだったので安堵。
さて潰れたシャントはどうするのかというと
詰まったところを避けて
作り直すことになる。
看護師の話によると
ふつう病床が満床のことが多く
その場合いったん
肩にカテーテルを挿入することになり
カテーテルを経由して透析をするというのだが
看護師が言うには
「運がいいね。ベッドが空いているなんて」。
ということで
即入院かつ手術ということになった。
透析センターからそのまま病棟へ入院。
シャント手術は当然13年前にやってるので
良くも悪くも構えてもしようがないので
気持ち的には余裕がある。
病院の食事はおいしくないのは定評で
ましてや透析食は一番おいしいところを
抜いてあるようなイメージ。
案の定
ぬるい・まずい・少ない。
で
売店に行って買い出し。
病院食をまずいといっておきながら
ジャンクな菓子やカップラーメンに
ちょっと後ろめたさを感じながら。