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2013-11-21

うっかり 10月末で10年経った『充電』1556回目ーその1

10年前の10月30日すでに3日間くらい
体を横にすると息苦しく
座って寝てたのがいよいよ座っていても呼吸困難になって
救急車を呼んだ。

救急車に運ばれて酸素呼吸器のマスクを口にされても
肺の中に貯まった水で空気が入る余裕がないので
呼吸困難はかわらずもがきはじめた。

救命士が病院を探し
これから12分くらいだからがんばるようにといわれた。
この12分が30分にも感じられたが
病院に着くとすぐ肺のレントゲン撮影で
肺が真っ白だといわれた。
腎不全で水が肺に溢れているのだ。

人工呼吸器をつけるとの問いかけに承諾した。
じつはその10ヶ月近く前にも
脳幹梗塞で救急車で運ばれたことがあったが
その時までいつも使う財布の中に
「万が一の際の救命措置はもとめません」
という内容の手書きのカードを認めていた。

これは生半可な現代医学への疑問からきているのではあるが
最初に運ばれた救急病院では
それを見て診療を拒否された。
いったん救急処置室に運ばれたものの
ふたたび救急車にもどされた。
その救急車の救命士はやさしかった。
そんな診療拒否の意志を明らかにしているわが輩を
それでも診てくれるところを探しますからね。
と、言われたことを憶えている。

しばらく探していただいたのだろう
幸いそこから30分くらいの東京都指定の救急病院が見つかり
とにかくベッドが用意された。
CTだったかMRIだったか忘れたが
脳幹梗塞と診断された。
しかもおそらく通常は脳梗塞の場合
血液を溶かす薬剤を投与されるのだろうが
それもなく安静で様子を見ていただけるという形になった。

それからもほぼ栄養剤の点滴だけを投与され
半月くらいして退院できた。
そこでの検査でどうも腎不全だということだった。
そのため大学病院を紹介されて2ヶ月くらい通院。
その後地元の病院で継続して慢性腎不全を加療することをすすめられ
通院をやめたが新しく紹介された地元の病院へは行かなかった。
その数ヶ月後がはじめの10月30日の呼吸困難だった。

生半可な現代医学への不信はあったのに
呼吸困難の現実のまえには
つまり死ぬか生きるかという選択の前には
そんなことは言ってられなかった。
素直に生きる選択をするものだ。

すぐさま全身麻酔をされ
それ以降は聞いた話だが
人工呼吸器の管が喉に差し込まれ
肺周辺に針を刺して貯まった水を外に出したようだ。

全身麻酔をされていてもその肺周辺に刺された針の痛みはあったようで
飛び跳ねた記憶だけはあった。
夜の9時ころに運び込まれたのが麻酔から目が覚めたときは
朝の9時ころだった。
それから透析室ではじめての透析をしたのだった。





つづきはあすに。



写真=脳幹梗塞、しかも診療拒否のわが輩を受け入れてくれた救急病院の搬送口。