練馬区の救急病院を退院するとき
友人のすすめで阿佐ヶ谷の「うさぎやのどら焼き」を
お礼にスタッフのかたに届けた。
病院でお礼とか考えなくてもいい時代。
いやむしろ断られるのがふつうかもしれない。
もちろんどら焼きが万札だったり金塊だったりしたことが
過去にはあったことだろう。
それがふつうのことだったがいまはそういう習慣はひかえるようになってきたが
実際はどうだかわからない。
父親も大学病院で最後は亡くなったが
金塊までは無理だろうがいくらか包んだ時代だった。
しかし、金一封で医療が左右される時代は終わっていても
いや左右はされていなくとも習慣だったのかもしれない。
自分の息子や娘のようなスタッフに家族のような手当てを毎日
10年もお世話になっているのことに
どら焼きくらいのお礼は問題ない。
役不足だろう。
ほんとうはテレビで放映された成城石井のチーズケーキを
予定していたが
先日店頭でいくつかほしいといったところが
いまは品薄で一人1本でお願いしますと言われ
多店舗に行けば売り切れで断念。
10年のお礼がふたたび「うさぎやのどら焼き」になってしまった。
きょうは『充電』はないがあえて「充電」がない体調のいい日に
そのお礼を届けに「通院」した。
手紙をつけるつもりだったが
写真入りメッセージカードをつけることにして
午前中はそのカードを作ることで時間は過ぎたが
午後予約していたうさぎやに出かけたのだった。
この1年
やはり経済的な問題がいちばんだった。
一日おきの『充電』は通常の仕事はできない。
それでもなんとか経済基盤を確保したことは大きい。
次に『充電』では睡眠をとることで
血圧が急激に下がるので寝ないようにしてきたのだが
それでも体は動いていないので
朝ベッドの上で起きると腰が痛いということがあった。
なので運動が必要と考えるもなかなか実行に移らなかったが
最低でも1週間に1日くらいは1時間くらいのウォーキングをめざした。
ウォーキングの効果はもちろん過小だけれど
腎不全には効果的な水分の消耗もあるが
それよりもカラダ全体が動き始める実感を得ていた。
そして、難しいことを考えていたわけではないけれど
頂上での忘年会+御岳山山行に参加したものの
体力的に悲惨な状況に陥ったことで
そのリベンジからはじまった山歩きがもうすぐ2年となる。
その当初から続けている山行ブログのプロローグに書いたのは
「私にとって山歩きは延命装置」だ。
スポーツでも趣味でもなく
まさしく延命装置と思っている。
延命装置を確保したことも大きい。
これもあまり考えることなくブログに命名した「めざせ『百日回峰』」が
先回で53日に達した。
倶楽部山行のリーダーも倶楽部で百日目に何かしようと
いまから言っていただいて励ましてくれる。
もちろんいまや腎不全で『充電』をしていることも
理解していただいてのこと。
この倶楽部の方々にはこの『充電』ブログの存在は知らないが
ほんとうにいい仲間に紛れ込んだと感謝している。
前回の雨上がりの山行で倶楽部メンバーの何人かも尻餅をついたが
そういうわが輩も同じ。
いまだに尾てい骨が痛い。
かつて4時間の『充電』を自分のなかでもてあましていたが
いまや生活の当たり前のひとつになってしまっている。
尾てい骨の痛みくらいならまだしも
脚の骨折などがおこらないように細心の注意をしているが
いまはそれがもっとも避けたいこととなっている。
いつもこのブログにお付き合いしていただいてる皆さんにも感謝します。
みなさんのアクセスもコメントもまたひとつの励みにもなっています。
いまは不整脈が大きなテーマではあるが
考えながら「知恵と工夫」で乗り越えることができればと思う。
写真=どら焼きとは似つかわしいカード。「Thank You for 10years. 1556times」