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2012-11-30

バリアフリーとトレッキングポール

『充電』をしてると
どうしても健常者に比べると
骨がもろいと言われる。

もともとは排尿で排出する
タンパク質消化の過程ででる廃棄物のリンが
どうしても過剰に
体内に残るからとされる。

どれほどもろいのかはわからないが
一応それを受け入れるとして
骨折したりすると
回復も遅く
その結果全体的なからだの調子も悪くなり
下降線をたどるようだ。

意外と階段のような大きな段差より
1センチ前後の敷居の程度による
「つまずき」が
大腿骨骨折などの大きな骨折に繋がるというのも
意外だ。

どちらにしても
転倒による骨折は避けなければならない。





山登りなどというのは
骨折の可能性からいうと
やめたほうがいいという結果になってしまう。

でも
それは可能性が大きいだけで
それに勝る全身的な効果は
代え難いと思っている。

わが通う病院のスタッフも
「え?山登り!」と
はじめは心配してくれた。

数回山に踏み入れたところで
その危険性は感じた。
山は都会のバリアフリーの思想から言えば
真逆で
自然はありのままに存在していて
むしろ危険のルツボに入り込む
といったほうがいい。
それを覚悟しなければならない。

山登りというのは
観光地化され管理された山道とは違うのだ。
滑落しようが転倒しようが
管理責任は誰にもなく
すべて自己責任と考えなければならない。


とはいえ
骨折などの事故はさける必要はある。

わが倶楽部のメンバーで
下山時に骨折しギブスで通勤したり
ねんざの経験を聞いている。

下山時は
どうしても前に出す足に
ふだん平地を歩く以上に体重がかかる。
その足がしっかりついていないと
体が前につんのめる。
小石ひとつでくじくこともあり
ころげおちていく不安さえ感ずることもある。

この前にかかる体重を
支えるのがトレッキングポールだ。


山登りを始めて1年になるが
当初買ったポールは
数回で壊れずっと使わなかった。
木の枝の代用ですごしてきたこともあったが
危険を感じるのと
倶楽部メンバーのスピードでの下山を考えると
どうしても必要だと感じてきた。

山の用品はしっかりしたものは
高価で躊躇もしてきたが
次の予定の山行計画をまえにして
LEKIというドイツメーカーのトレッキングポールを買った。
さてその効果は絶大だった。
倶楽部山行の下山ではいままで最後尾どころか
数回だがリュックを
持ってもらったりと
四苦八苦だったのが
多少ゆっくりだったが
倶楽部のスピードにつけた。

もちろん
足の筋肉がすこしづつ発達していることも
あるだろうけど
急な下山道でも
不安を解消してくれ
ポールに頼り切った。

翌日
ポールを握っていた手のひらや腕の
相当の痛み。
それは体重を支えていた証で
あらためてポールの威力を感じたもの。


これからも
このトレッキングポールに
お世話になりそうだ。

慎重にかつ大胆に。






2012-11-26

山登りの500g除水

きのうは倶楽部山行。


今回も朝出発前に下着姿で体重を計った。
そして、帰宅後また体重を計った。

山登りの間の摂取した水の量と食べたものの重量を計算してみた。


飲んだ水はおよそ1000ml=1kg
食べたものはおよそ500g


合計1.5kgの摂取したことになる。


出発前の体重55.5kg
帰宅後の体重55.7kg


ふつうなら1.5kg取り入れているので
57kgになるところが
帰宅後55.7kgということは

1.3kgが汗として出たということになる。
(ちなみに排尿はゼロ)

つまり
摂取した1kgの水はすべて汗として排出され
食事分の水分の一部(300g)まで体外に出たことになる。



ふだんの生活パターンで
水を一滴も飲まず
まるまる食事だけは蓄積するとした場合でも
500gは増えるところ。

水を一滴も飲まないということはないから
およそ500gはお得な除水となる。




おおよそ
真夏の暑さのなかでも
最近のように寒くなっても
山登りに飲む水は
ほとんど同量が汗で出て
それ以上にからだの細胞の中の水分も
500g程度体外に排出されることになる。



山登りの効能のひとつがまた証明されたといえそう。





2012-11-24

ポカリスエットがいいのかアクエリアスがいいのか水がいいのか。

ポカリスエットがいいのか
アクエリアスがいいのか水がいいのかを
この夏
1600mの山登りを前に考えてみた。

透析患者にリアルタイムに問題になるのはカリウム過剰摂取。
1週間に1日おきが2回
日曜日をはさんだ中2日が1回の『充電』。
この中2日間のカリウムの蓄積で
死に至ることさえあるので
用心しなければならない。

山登りは私の場合
だいたいにおいてこの中2日の最中が多い。
しかも
倶楽部山行では
頂上で小宴会があって
持ち寄った料理に舌鼓を打つ。
とうぜん
カリウムを含む野菜や果物に注意が必要。

それとは別に
電解質を整えるというスポーツドリンクが
山登りには推奨される。

よく愛用されるポカリスエット、アクエリアスを比べてみた。
とくに暑い真夏は2000mlの水が必要となる。

ポカリスエット500mlにカリウムは100mg。
アクエリアス500mlにカリウムは40mg。

それぞれ2リットルすべてをスポーツドリンクで補うとすると
ポカリスエットは400mg
アクエリアスは160mg
ということになる。

ちなみに
焙煎したドリップなどのコーヒー1杯のカリウムは80〜130mg。

模範的な1日の摂取量は、2000mg。

どちらにしてもカリウムを避けたければ水がいいことになる。
どちらかといえばアクエリアスのほうが無難だ。
でなければ、ポカリならコーヒー4杯分のカリウムを覚悟して飲むだけだ。

カリウム過多は、透析患者は猶予なく心臓が止まる。
ちなみに1回4時間の『充電』で
カリウムは3000〜3500mgを除去するようだ。

ビールのおともの枝豆10さやでカリウムは136mg。
ちなみにビールは、350mlでカリウム120mg。

ついでにバナナ1本でカリウム620mg
さつまいも1本でも900mgと
透析患者にとっては
「危険な食べ物」になる。


2012-11-21

4時間の『充電』とインターネット

『充電』の4時間は長い。

ベッドは寝るものだ

しかも病気だから、、

とはいえ

朝起きたばかりなのに

午前中の『充電』で

寝てられるか!

第一、眠って治る病気ではないし

1日のうち4時間も何もしないで

寝てるわけにいかない。




『充電』が終わってからも

たとえでいえば

マラソンを走ったくらいの疲れを感じる。

マラソンは体を使っての疲労感だが

『充電』の疲れは

横になっているだけの疲れなので

マラソンのような

疲れたけどなにか感じる達成感や爽快感は

まったくない。

横になってる疲れではなく

あくまで3キロなり4キロなりの

体の中の水分を抜き取る結果の疲れは

なかなか説明しにくい。



とにかく『充電』が終わり帰ったあとに

1,2時間は寝てしまうのはどうしようもないが

『充電』の4時間になにかしたかった。


導入当時はとりあえず雑誌や本を読んでいたが

横になって読むというのは

意外と続かない。



クリニックなどではテレビが完備されてるが

わがお世話になってるセンターは

大きな病院で基本が救急ということらしく

自宅にいても昼間のテレビは見たい番組もないので

つけてはいないので

どちらにしてもテレビでは解決できない。



ふと考えたのは自室でやってることといえば

パソコンをひらいてインターネットだ。

さっそくノートパソコンを

サイドテーブルにおいていただき

ネットはwifiという武器で。

ベッドを起こしてもらってほぼ座った形で。

はじめはベッドをスタッフに手動で起こしてもらっていたのが

いまはリクライニングベッドとはいかないが

電動ベッドを回してくれて

自分でリモコンで調整して開始となる。


最近はスマフォが普及しそれもよしだが

実際両方ベッドの上で使っているが

あの小さな液晶よりはノートパソコンのほうが

疲れないので重宝している。


J-WAVEなど民放FMなどを

パソコンやスマフォで聞いていることもあるし

違法だと思うがテレビも見ることができる。


ごく最近知ったのはNHK-FMも

らじる*らじるとやらで聞けるのは

時間を使うことにかけてはひとつでも増えることは嬉しい。




2012-11-18

日曜朝の多めの紅茶

『充電』は火木土。
なので
土曜日から火曜日のあいだの
二日間の体重調整は
意識していないと
思いがけない増加になってしまう。

11月に入って
10年目の『充電』と書いたが
幸いこの日曜、月曜日の体重増加による救急車要請はなかった。

わが透析センターは救急病院でもあるので
周辺のクリニックに通う患者が
水分量の取りすぎで呼吸困難で運ばれるという。

その時対応に当たるスタッフで欠かせないのが
透析の技師だ。
救急センターには透析の技師さんがいるわけではないので
帰宅後もかならず夜間でも連絡がとれる当番がいるそうだ。
これもたいへんな仕事だ。
日曜だからといって酒を飲んで酔っぱらってはいられないのだ。
以前はそのころではもっとも確実なポケベルを
肌身離さずだったようだが
いまは当然携帯電話が欠かせない。

そして1ヶ月にどのくらい呼び出されるのか聞いたが
1〜2回あるとのこと。

このエリアにどのくらいの患者がいるのかわからないが
まちがえれば死に至る体重増加をして
運ばれる患者が確実にいるのだ。
技師さんは
「お願いだから、運ばれないようにしてください」
という。
携帯電話を日曜日も終日酒を飲まずに肌身離さずだけでなく
当然遠方にも出かけられない技師さん。
せめて夜中に緊急の出勤という事態は避けたいのは当然。

われわれの体重管理はつまるところは
自己管理だが
この呼吸困難で運ばれる患者さんに
ある傾向があるという。
運ばれてくる患者さんの通ってる病院やクリニックが
同じであるということのようだ、

つまり
クリニックや病院によって
患者さんの体重に対する「さじ加減」が
まちまちで
その加減がゆるいところの患者さんの搬送が多いということだ。
なかなか他のクリニックや病院の体重管理の様子はわからないが
自分の体重管理はベストだと思い込まない方がよいということだ。

水分量が多くなって肺にまで水があふれ
呼吸困難になって
すぐさま死ぬことはないと思うが
とにかく苦しい。
もちろん他に疾患があれば
私の場合、
時として心房細動が起こったりがあるので
死に至ることもあるので避けたい。

といいながら
私のペースは
火曜日には1キロ残して帰り
木曜日に500g残し
土曜日に0gにして基礎体重に。

日曜日はそういう意味では
もっともホッとしてゆっくりできるのかも。
「気持ち思いっきり」食べて飲んで
月曜日は調整!と。

朝の紅茶もほんの少しいつもより多め。

2012-11-16

ウォーキングから山登りへと

101歳の現役医師の日野原重明さん。
毎日の出かける前の体操を欠かさないという。
考えようでは
筋肉は使わず大事に温存してたほうが
体の筋肉にはいいのではと思うものだが
いくつかの現実が証明してるように
使わないと衰える。

私もあいだが10ヶ月近くあるものの
脳幹梗塞と透析導入に至った緊急入院で
9年前ベッドに横になってることが多かった。
起きててもパソコンに向かって
座ってることが多かった。

このまま人生終わりかと
頭によぎった。
1日おきに『充電』に費やしていたら
人並みの人生の半分しか生きてることにしかならないと
こころで嘆いた。

血圧が不安定なのもあるのか
あるいは
脳幹梗塞以来の
耳元でつねにサーサーという音がすることに関連して
三半規管に異常があるのか
時として歩いていてふらつきがあって
出不精になりがちだった。

いすに座ってる姿勢もよくないようで
腰への負担を感じ
部屋に閉じこもってると
いいことはないとウォーキングに努めた。
まずはじめは部屋から2キロくらいにある公園を
目標とした。

最初はこの2キロが不安で
行ったはいいが帰れなかったらどうしようなどと
考えた。

『充電』のあとはとても
ウォーキングはできるわけはなく
体がつらい。
それはいまでもそうだ。
『充電』の除水量が多いときなどは
翌日まで引きずる。
なので
ウォーキングも
願わくば『充電』がない日に1日おきにと思うのが
実際には
週1回くらいに留まった。

それを続け
次第にマラソンにでてみたい
ホノルルマラソンがいいかも
などと夢のようなことを妄想するようになった。

それが1年前の山登り出会いから
1ヶ月に最低2回の山登りとなった。
私の山登りのブログ「めざせ「百日回峰」」には
「山登りは延命装置」とした。
じつに実感なのだ。



101歳の日野原さんの健康法をメモ的に記しておきたい。

・出かける前の欠かせない体操

・特に糖質、デンプン質を制限しつつ、体力維持に必要なタンパク質と、脂肪のない肉、豆腐は十分にとり、ビタミンも十分に補っている。ビタミンB中の葉酸はブロッコリー、その他緑の野菜に多く、長寿のビタミンと言われている。

・30歳の体重と腹囲維持、増加は1割程度に

・肺炎予防… 上手な呼吸法、マスターを
建物の中や駅のエスカレーターを用いず、階段を急ぎ足で、一段一段を、吐いて、吐いて、吐いてと3連続で吐息して、あと一息吸気し、それを繰り返して

・うつぶせ寝… 腹式呼吸で胃腸の運動円滑に



2012-11-13

舛ノ山関の48%とは

先週のテレ朝の報道ステーションの特集。
舛ノ山関も知らなければ
野球も相撲も日頃見ないので
チャンネルを変えようとしたら
心房中隔欠損症という文字が目に入ってきた。

ぼんやり見てたので
確かなことではないが
心臓の働きが
同じ20代の人の半分だという数値が48だった。
これが血中酸素48%だとしたら
日常でも苦しいのに相撲などできるのだろうかと注目した。
まだ『充電』をはじめてなくて
救急車で運ばれたとき
酸素マスクをして80%だったが
それでも苦しくて搬送の12分間が長く感じられた。
血中酸素が48%ならば
すでに苦しくて苦しくていられないので
これは違うのでなんであろうと。

舛ノ山は20秒以内で勝負を決めなければならないと言っていた。
それでも取り組みが終わったあとの呼吸は苦しそうだ。
水に溺れるように苦しいそうだ。
取り直しの一番があったけど
すでに’息絶え絶えの状態の取り直しは
勝負にはならない。

心房中隔欠損症といって
心臓の左右の心房のあいだの壁に穴が空いてる状態のようだ。
ふつうは酸素を蓄えた血液が肺から左心房に返ってきて
左心室から全身に供給されるのが
心房に穴が空いてることで
その一部が右心房から右心室を経由して肺に戻ってしまうのだ。

本来の筋肉などに酸素を供給する血液が十分に循環できないので
短時間で息切れになるのだ。

この48という数字はおそらく心臓の駆出率といって
左心室に貯めた血液が
拍動した時に収縮して
どのくらいの割合の血液を送り出すことができるかといういわば
心臓というポンプの能力を示す数値
のようだと考えられる。
もちろん100%ってことはあり得なく
通常55~80%が正常値とされているようです。

実は『充電』の患者は定期的に心エコーの検査をしていて
「EF」という数値で表されているので
自分の心臓のポンプ能力のひとつを知ることはできるのだ。

我が透析センターで数年前に
まだ50歳前後の患者が亡くなった。
朝登院しても辛そうだった。
「もうダメだよ」と更衣室の長椅子で横になっていた。
血圧も90くらいだと言っていた。

しかし、問題はいつも体重増加が6kg前後あることで
毎回スタッフに指摘指導されていたが
体重増加は変わらなかった。
タクシー運転をしていたので
体への負担も大きかったかもしれないが
同業の患者のいうことには
ビールの飲み過ぎということらしい。
『充電』も毎回通常4時間のところ5時間だった

心臓を風船にたとえると
基礎体重から増加が6kgが続くと
縮むことができてた風船も伸び切った状態で戻らなくなってしまう。

血圧も上がらず
先ほどの駆出率も下がる。
亡くなる直前は40%を切っていたという。
ちなみに調べてもらって私は76%だということを
はじめて知った。

もちろん体重増加だけが
心臓に負担をかけていたとは言い切れないが
少なくとも原因のひとつには数えられるので
体重増加にも新エコー検査の「EF」にも
改めて心したいと思う。

2012-11-08

「万里の長城」遭難と山登り

中国の万里の長城へは3回ほど行ってる。

1回目はもう20年くらい経ってるが
初めての中国だったので
万里の長城も感慨深かった。
外敵から守る城壁としては
スケールが大きい。

いくぶん観光化され
欧米人の観光客を
多く見かけた記憶がある。
やたらとフィルムを売るテントが目立ち
それがほとんどがFujiFilmで
最近ではデジタルが普及して
あまり見かけない「写るんです」が
チャイニーズの包装で並んでいた。

ツアーコースを一巡し
帰りのバスをめざして下山中に
突然、今きたルートの後方で
パーンという拳銃のような破裂音が鳴り響いた。

単発で続くことがなかったので
何かの作業音を聞き違えたのかと思っていると
警官らしき制服の中国人が駆け上がってきた。
なにか出来事があったのは確かだったが
バスの発車時間が迫っていたので
そのまま帰ってきた。
日本に帰国したら新聞に小さな記事になっていた。
若い男女が万里の長城から飛び降りたとあった。
若い二人が心中をした理由はともかく
万里の長城の旅を違った印象づけてしまった。


さて
今回の万里の長城での遭難事故で死亡者がでた。
もちろん同じ万里の長城でも
私が訪れたことはない万里の長城だが
相変わらずツアー会社が
マスコミに叩かれる一方、
警察に家宅捜索を受けている。


もちろん
私の山登りはまだ1年も経っていないので
大先輩に聞く機会があったら聞いてみたいが
山登りには常に危険が同居してるのを前提に
すべて自己で責任を負い
すべて自己で完結する
のが基本だと考える。

日ごろ『充電』していての2000m近い山登りは
それなりに体調管理に気を使う。
『充電』の日はどうしても血圧が下がりがちで
その翌日も安定しているとはいえない。
その上に私には時として
心房細動の不整脈が起こることがある。
山登りは病院には報告はしてるので
注意深く観察はされてるとは思うが
看護師や医師は積極的には薦めてはいない。
駄目とはいわないまでも
むしろブレーキをかけられる。
私の場合、血圧も不安定でおおむね高い。

『充電』をやっていようがやっていまいが
滑落やルートを見失うことの危険はいつもある。
そのうえ『充電』をしてるかぎり
シャントといって
腕の静脈がショートカットされ動脈化されてるので
滑落などで腕を損傷すれば
出血すれば通常より多くなることが予想される。
リスクは大きい。
だがすべて自己管理、自己責任、自己完結と思ってる。

私が旅した観光地のような管理された万里の長城があれば
かなりきついトレッキングと謳わなければならないような
今回の万里の長城があるように
山登りも多くが林業を営む個人の山を
我々は「山登り」と称して
土足で上がらさせていただいている。
山道は整備されてるところもあるが
崩れ落ちてるところもあり
ましてやルートが消えたり間違えれば
「やぶこぎ」といって道なきを歩くこともある。
実際にこの1年間に単独行では何度かある。
山によっては一部その地主が
有料にしているところもあることを耳にするが
その場合でも滑落したからといって
地主は管理責任を問われるのだろうかと思う。


最近ツアーでエベレストを登った知人がいるが
話を聞くと1人に1人のポーターがついて
ごく安価で行けるという。
もし遭難したらガイドはその責を問われるべきだろうか?

今回の万里の長城のツアーは
ダウンジャケットとフリースで生還したとあるが
ほかの帰らぬ人になった3人は
どういう防寒だったのだろう?
やはり防寒の準備が足らない印象だが
では万全の防寒で死亡事故が防げたかというと
それは誰もわからない。
またツアーのメンバーのひとりの体力的低下によって予定が
多少遅れたという報もあるが
これも責を問う筋でもないだろう。

山の危険は、
私が登るような低い山でも同じで
滑落や遭難に最大限至らないようにしたいし
不可抗力の場面を迎えない最大限の準備をするところから
山登りは始まっている。

2012-11-06

ケガに消毒無用

この『充電』ブログも怪しいものだが
ツイッターは最近ご無沙汰になりがち。
そのツイッターのフォロアーのこんなツイートがあった。
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【透析している人に聞きたい】
昨日
返血時 動脈を消毒し止血後
消毒セットのパックを床に落とした男性看護師
新しいのを取りに行く様子も無く
何も言わないまま消毒しないで
静脈を止血
以前その看護師に鉗子で挟まれ軽くゴメンだけの事も>_<
消毒しないで止血って有りますか?
初めての経験でした…
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この話ですぐ頭に浮かんだのが

昔はケガをすると消毒液を塗るのがいいのか
親のツバがいいのかという選択は別にして
オキシドールがいいのか
マキュロン(マキロン)がいいのか
それともヨードチンキがいいのか
迷ったりしたことを思い出した。

あの赤いマキュロンは大げさだから
オキシドールがめだたないからいいとか
何の根拠もない選択をしてきた。

しかし
いまのケガの治療方法は
洗い流し
空気に触れさせ
かさぶたを作る
なのである。
消毒液はオキシドールもマキュロンもイソジンも不要。

私の個人的な好みの話ではなく
大きな救急病院の看護師に確かめた話なので
一応今の治療だといえる。

なぜそういうことになってきたかについては
私は医学専門家でもなく
家庭の医学程度なので信憑性はないかも知れないが
消毒液自身が血液の成分を壊し
体が持ってる自然治癒力としての
血液の防御作用を妨げるということだろう。

あのかさぶたの中で
怪我をして破壊された皮膚を修復しているのは血液なのだ。

もうひとつ
ヒトの皮膚にはバクテリアが住んでいるという。
そのバクテリアとの関係も
怪我を治す働きをしているとも考えられ
消毒液はそれらのヒトが持ってる自己治癒力をも
消毒して壊してしまうということだと思う。

であるなら
親のツバはまだしも
自分のツバが一番近道かも知れない。


だが、といっても
われわれ『充電』の世界では消毒は必要だ。

小さな静脈での怪我のような場合は
傷口での攻防は可能だが
われわれの静脈は静脈であっても
ほぼ動脈化してるので
穿刺の穴からのウイルスなどが侵入すれば
即座に心臓に向かうことになる。

ただし一旦針を抜き止血できた時には
むしろ消毒液は不要だというのが
わが病院での方針のようで
カットバンをするときには
もう消毒はしません。

それにしても
鉗子で皮膚を挟むなんて
あまりにひどい医療ミスだ。

2012-11-05

続 チータは最後まで精悍(せいかん)だった

たぶん。
今夜が峠だと思う。
悲しい。


前回のブログをアップしたその日
私はいつものように週最終の『充電』が
終わったころにこうメールがあった。

前日
チータは見た目にもうつろだったが
庭に出すと隅まで歩いて排便をするほどだったので
回復を期待し帰ってきたが
「峠」だという印象は同じだったので
『充電』が終わり次第
駆けつけたかったけど体が動かない。


週末の『充電』は基礎体重までもっていかなければならない。
今週末の体重清算は
ちょっときびしいものがあって
4.5キロの除水は大きい。
除水量が大きいほど
帰ってからの睡眠の質が異なり
心地よい睡眠がぐったりした辛い睡眠となるのだ。


ぼんやりしていると
とつぜんの携帯電話。

「チータが逝ってしまった!」

駆けつけると
まだ温かさの残るチータは飼い主に抱かれていた。

その日も自宅から数百メートルにある小さな池のほとりまで散歩したという。
なぜかチータは
散歩は好きだった。
ひととおり散歩して帰ってきても
いつも玄関を入ろうとしない。
飼い主の仕事の都合で
何度か私もウォーキングがてら散歩をしたが
体が瀕死の状況だったのに嬉しそうだった。




さすがに帰りは
ちょっとした坂道で登れなかったようだが。

でもチータはベッドで急にむっくり起きたと思ったら
大きく息をしたあと
逝ってしまったようだ。
飼い主の友人にとっても
間違いなく自然死であり大往生だと思えることが救いだ。



その翌日になる昨日、
荼毘に付したが
立ち会った霊園の住職が言うには
とくに柴犬系は
無理をしてでもあるじに
いいところを見せようとするらしい。
チータも飼い主に十分過ぎるほど尽くし、
友人も感謝のきもちで
見送ることができ
チータは輝く星になったに違いない。


チータは最後まで精悍だった。










2012-11-03

チータと尿毒症




友人の愛犬チータは16歳。
よく人間の80歳90歳といわれる。

今年の6月頃、食事を食べなくなり
1週間くらい続いたので
病院へ行った。

ヒトと同じで血液検査を受けたが
クレアチニンが「6」。
クレアチニンはわれわれ『充電』をしてるものには
一度はくぐってきた関所みたいなもので
腎臓機能に働き具合を探る数値。

ヒトの腎臓が普通に働いている状態を「1」とし
腎臓機能が何らかの原因で落ちて
「7」の前後になると
『充電』=透析を薦められる。

私の場合
脳幹梗塞で入院したときにはじめての血液検査で
たしか「5」か「6」くらいで
チータのその6月頃のクレアチンは「6」なので
同じくらいに腎臓機能は落ちていたということになります。

ヒトの場合は、
たんぱく質などの食事制限を始めながら
『充電』へ移行する準備をすることになる。
私の場合は「エスケープ」してふつうの生活をしていて
半年近くに呼吸困難で救急車のお世話になっての透析導入だった。
「5」か「6」のクレアチニンの数値は
ここまではゆっくりだったかも知れないが
急激に悪化するので注意して下さいと
エスケープする前の医師にはいわれていて
実際その通りになった。

愛犬チータは6月頃の食事拒否も
数回の栄養点滴などで何とか持ち直し
飼い主の努力もあって暑い夏を越せた。

しかし、10月に入ってふたたび食事を受け付けなくなった。
飼い主の仕事の都合で代わりに私が病院へ連れて行った。
医師はよくこの暑い夏を越せたねと驚いていた。
クレアチニンは「8」近くなっていた。

クレアチニンの数値が悪いからといって死ぬわけではないが
ヒトが食事制限をするように
犬の場合はおそらく本能的に食事を受け付けなくなり
老廃物の尿素窒素などが体に溜まっていき
尿毒症の結果にならないようにしている。

動物病院での説明は栄養点滴が主な治療で
・入院して治療を受けるか
・通院して治療を受けるか
・自宅で飼い主が点滴をするか
という選択肢を提案され
経済的なこともあるが自宅で愛情を注ぎたいという気持ちから
自宅点滴の道を選んだ。

選んだのはいいが
愛犬に点滴の針を穿刺するのは勇気のいること。
で、その任を私が仰せつかって1週間前無事果たせた。
1日おきに『充電』で太い針を穿刺されてはいても
なかなか刺すとなると
これはまた緊張するもの。

その後1週間ぶりのチータは
いくぶんやせ細った。
いちどの呼吸も大きく、
数が少なくなっているような気もする。

チータの姿は
遅くも早くも
『充電』やっていようがいまいが同じだが
自分のすがたとダブル。

いつかは訪れる別れが
チータにとっても飼い主にとっても
安らかな感謝の気持ちに包まれて迎えられることを祈るばかり。


「だめだ!急激に」のメールに
「いっぱい優しくしてあげて」と返した。




*写真は回復した7月頃のチータ。

*チータはこの日飼い主に看取られ亡くなった。
「チータは最後まで精悍だった」




2012-11-01

「モダンタイムズ」

『充電』の隣のベッドの女性は
足腰が弱いのか弱視なのか
正確な理由はわからないが
通院はご主人が手を引いてする。



どこかに書いたことがあるが
去年まで1日おきの『充電』の通院を車を使っていて
ある交差点で時々見かけた親子がある。

以前は女性一人だった。
小さな交差点なので
歩道も狭い。
彼女は民家の塀をさぐりながら
次にクリーニング店のガラスウインドウを手で確認し
交差点に入いるという手順が常だった。

こんな門外漢に言われたくないだろうが
あまり要領がいいとは言えなかったので
ハラハラしながら信号待ちをして
最近失明したのだろうかなどと
失礼なことを考えていた。

それから1年くらい経ったときに
母となって背中に乳児を背負って
信号のある交差点を横切る光景を見た。
子どもを授かったのだ。

全盲ならば一人でも交差点を渡るのは
難儀きわまりない。
腎臓はともかく
我々のような目に関しては
大きな障害がないものには全く想像がつかない。
それが幼い我が子を背負って
やはり一人の時と同じように
民家の塀の次は
クリーニング店のガラスウインドウに助けられながら
交差点を渡っていた。

どこへ行くかは想像もできないが
家でもどう育児をしているのだろうと
これも想像できない。
背中に乳児を背負い塀を頼りにたどたどしく渡る光景は
ますます子どもへの愛情を
感じさせるものでした。

2年くらい経って
そのことも忘れかけてた頃
同じ交差点でぼんやり信号待ちをしていると
2、3歳くらいの子どもが親を引っ張って横切る姿が目に入った。
はっと数年前の光景が想い起こされた。
あの背中の子はこんなに大きくなって
母親に手を貸しているのだ。
ふつう「母親が子どもの手をひく」ではなく
子どもが母親を導いているのだ。
こんな小さな子が。

われわれに想像できない母と子の深い絆を感じるのみだ。



『充電』のお隣さんの帰る姿は
いつもチャップリンの「モダンタイムズ」のラストシーンのようで
ほのぼのとして嬉しいもの。
今日もふたりは手をつなぎゆっくりと「おつかれさん」。