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2013-09-16

台風 思い出す父親

「体調完全復活」と看護師に宣言した途端に
その日の心房細動の発症と
ほんと思うようにならないカラダ。

それも先週までで
今週は復活以上に「絶好調」!!
であってほしい。

とくに今週は自ら作ったイベントがあるので
体調は最高でありたい。
このイベントについては完遂できたら
またお知らせするとして。

台風が日本を襲っている。
京都の桂川が橋まで水位が上がって
もう溢れんばかりの映像が
テレビで放映されている。
京都は何度も行ったが
こんな桂川は見たことがない。



愛知県の豊橋に上陸したらしいが
台風というと
小学生の頃に同じ愛知県の名古屋市に上陸した
伊勢湾台風(1959年)の記憶がある。
台風にどう対処しなければならないか
子どもながらに父親の動きは
いまでも憶えている。

上陸予定の前の晩に
雨戸を閉めるのだがさらに横帯のように
鉄骨とボルトで家本体に固定するのだ。
雨戸はそのころだから
木製がほとんどだったと思うが
そんなにりっぱなものではなかった。
なのにそれほどまでに頑丈に固定するのがはじめわからなかった。

端っこの雨戸を少し開けて外の様子を見ていると叱られた。

このところの東関東の竜巻の被害を見ていると
屋根が飛んだ映像がときどき流されるが
竜巻と台風とは多少違うのは確かだが
親父は
窓が壊れ強い風が家の中に入ると屋根が飛ぶから
家の中に風を入れてはいかん
と言ってた。

それからはマンションには雨戸がないことが多く
一瞬屋根がないことを忘れて
不安になることがしばしばだった。


伊勢湾台風の時
それほど大きな川ではないが
名古屋市内を流れる堀川が溢れた。
我が家も堀川に近く
堀川の川沿いにあった木工所に積んであった
大きな原木の丸太が我が家のコンクリート塀に
ぶつかる音がした。

父親は床下浸水がはじまると
畳をはがし始めた。
畳の下の板もはがし床下が見える状態で
勉強机を部屋の中心に運び
その上にはがした畳を積み始めた。

床上まで浸水した頃には
すべての畳は勉強机の上に避難していたというわけである。

妹とふたりは押し入れの上の段に上げられた。
その後二階建ての隣家に避難した。

台風が去って名古屋港湾に近い地域では大きな被害が出て
5000人が亡くなった。
我が家は港からは離れていたので
床上10cm程度ですんだが
その後通学路を歩くとあちこちで廃棄された畳が積んであって
父親の機転に感心したものだった。

それでも床下を乾かしたり浸水はやっかいなものだった。

父親はすべてにおいて冷静で理性的な人だったが
50代で亡くなり
親不孝のわが輩は
かろうじて孫に会わせることくらいしか何もできなかった。





*写真=NHK(国土交通省提供)
10時前に氾濫したとの報道。