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2013-10-31

検証 正しい歩き方


あっという間に週末がこようとしてしまった。
日曜の倶楽部山行はのんびりし
山頂料理もいい形でできいいスタートだったが
そのあとが余り良くなく
ずいぶん気分も落ち込んだ日が続いた。
いつまでもそうも言ってられなく。



先日の山行でゆっくりできたので
いろいろ試してみるうちに
今さらながらわかったことがある。

平地ではそれほどでもないが
山歩きをすると決まって左足の付け根の
地面に当る関節部分が痛かった。
長い間
重いショルダーバッグを右だけで担いできたので
右足は鍛えられているが
山歩きで10キロ近いザックを背中に背負うと
今まで負荷がかかってなかった左足にも
均等に力がかかるので
左足が悲鳴をあげる。

さらにここからが大切なのだが
本来の正しい歩き方は
つまりは重心の位置が
最初に足裏のカカトに近い外側で着地し重心を降ろし
そのまま土踏まずの外側を移動し
指のある前方に移るのが正しいというのだ。

ところが外反母趾もそうだが
いきなり体重が足裏の前方にかかることで様々な変形や痛みになるようだ。
50キロの体重を一点で
いきなりは悲鳴をあげるのだ。

それを緩和するには
カカトから足先までの距離で
しかも外側を連続的に移動することで
和らげることがベストなのだ。

先日の日の出山行で意識して歩いた。
いつも痛くなった箇所は
登りも下りも問題なかった。
体重がかかる下山でもなだらかだったのもあるが
努めてカカトの外から前へと意識することで痛むことはなかった。

ただ重心が今までとは違うので
それにつれて使う筋肉も違うので
それぞれやや負担を感じた。

もっとも顕著だったのは
腰の痛みだった。
それも右腰だから不思議なものだ。
骨というフレームは
微妙にお互いを支え力を分散してることもわかる。

この方法がベストかわからないが
しばらく続けることにする。
今までとは違う重心の置き方なので
腰をはじめ脚の筋肉も
そしてフレームとしての骨も
その歪みが正されるには時間はかかる。

とにかく痛んだ左足が痛むことなく下山できる術が
また新しい山頂料理に挑めることになるかもしれない。
山専用のチタンなどにしたらと言われるかもしれないが
アルミ鍋もバーナーも食材もこだわっていて
いつも足の痛みとの兼ね合いなのだ。



写真=日出山行。

2013-10-26

1000mクラスの山を登っても 不整脈は起こらないのに

今週の不整脈は2勝1敗。

週3回の透析で2日間は不整脈は起こらなかった。
週半ばの木曜日の終盤
ぴったり4時間目がはじまろうとするときに
不整脈になった。
正確には期外収縮だが。

透析による除水量は3回ともほぼ同じだが
1回目の火曜日は基礎体重まで透析しなくて
大幅に残っていたので
体への負担はさほど大きくないことも考えられるが
木曜日も今日土曜日も基礎体重までの除水だったのに
木曜日は不整脈が起こって
今日は起こらなかった。
まったく法則性がわからない。
どんな要因で起こってるのか
探っているのだがわからない。

前回は山歩きで心臓も使ったあとだからというのもいえるが
確かではない。

これからも原因は探りたいとは思ってるけど
いえることは
不整脈が起こらないことは
ふつうの生活ができるということだ。

いままで透析の日は
朝出かけ透析をやって
そのあとも心臓ばくばくさせながら
買い物に行って
ショーケースを見上げると血圧が下がることを察知し
しゃがんだり。
帰宅するとすぐ眠りに入ってと
ほとんど透析に振りまわされている感覚だったが
不整脈がおこらないと
ショッピングもふつうにでき
帰宅後も寝ることもなく
仕事もできるのだ。

その心地よさを透析10年にして
わかるとはちょっと情けない。

ある意味不整脈に慣れてしまっていて
単なる動悸で
多少苦しいものなのだと
思い込んでしまっていた感がある。

酒と不整脈にしても
焼酎をよく吞んだ夜は不整脈が起こると思ってきたし
家飲みでは焼酎をロック2杯までにしようと決めたりしているが
昨夜も山の仲間と2軒で計5杯は飲んでいるのに
今朝は不整脈もなく爽快だったりと
なかなか解明されない。

1000mクラスの山を汗だくで登っても
不整脈は起こらないのに
4時間の透析はそれ以上の負担を心臓にかけているのかも知れない。
それでも起こらない人は起こらないので
心臓がわが輩にとってはもっとも弱いところなのだろうか。

しばらくこの不整脈=期外収縮のテーマは離せないことは確かだ。




山行ブログ「めざせ『百日回峰』」を更新。

山行ブログでは出かけた山をすべてを主に写真で掲載してきた。
そのデータを見ると
1年と11ヶ月つまりほぼ2年で50座(山の呼び方は座だそうだ)登ったことになっている。
いや実際登ったのではあるが
あまりその実感はない。

ブログの名称は最初に御岳山行に参加したとき
呼吸も乱れ疲れて目が回りそうなときに
ずいぶん前にテレビのドキュメントで比叡山延暦寺の住職が
千日かけて比叡山を駆けるという「千日回峰」のシーンを思い出したことによっている。
千日は遠すぎるので百日くらいにしようとこれも思いつきでつけたタイトル。
千日回峰の修行の前段階に百日回峰というのがあるそうだ。
いつまで続くかわからないと思っていたのが
山歩きを始めて2年経つ前に
その半分まで来てしまったと
ややご満悦ではある。

そしてなにより
山歩きが透析にはもちろんよいし
そうでなくても
筋肉、血流量、神経細胞のはたらき
すべてに働きかけることを実感してきて
これ以上のない「宝」を手にしたような気がする。

もちろん最初の1年くらいは
倶楽部山行に参加するのも
心拍力が皆についていかないので
少なくとも30分は早く単独で登ってきた。
山登りの朝は大概早いが
それより早い5時台の電車に乗ることは
けっこう精神力がいるものだった。

単独行の理由にはもうひとつ
脳梗塞を経験しており
しかも心房細動の発作も不定期にある状態で
高血圧なので(そのころ190くらい)
山で何が起こるかわからなかったので
倶楽部山行として同行すると
倶楽部幹事やリーダーがやり玉に挙げられることになるので
それを避けるために
山頂で偶然会ったというシナリオにするためだった。
それも今年に入ってからは
やっと体に対してもそれなりの信用ができるようになり
筋肉量も心肺力もついてきたので
同行できるようになった。

それだけでなく
料理道具のバーナーやアルミ鍋、食材などをザックに入れ
山頂でなんちゃって料理までできるようになった。
もともとは
食事制限している身としては
吞むのも食べるのも厳しい制限なのだから
おいしいものを少しという発想から
山の上でも温かいものを食べたいという発想からだった。
とはいうものの
倶楽部山行ではない単独行では
コンビニのおにぎりのみではある。
やはり
作って皆に食べていただいてとりあえず喜んでいただけるのが
なんちゃって男の料理のかてではある。

レパートリーも1品ずつ増え
麻婆豆腐、コーンスープ、スープ餃子、パエリア、空芯菜の塩炒め、エビの醤油炒め・・・


おいしくはなくとも
いつも賞賛していただき
それで図に乗り続けることができている。
ときには食材や道具を分散して持っていただいたりと
いつのまにかかけがいのない仲間ができた。

もう100座(百日)記念の話が出ている。
まだまだ先でその頃命があるやいなや。







2013-10-24

透析で残した1.5キロを山歩きで「除水」まではよかったが

思いつきのように出かける山歩きはやはり危険が潜んでることを
思い知らされた。

前回の透析では
中2日の不摂生がたたって
1.5キロを残してしまった。
誤差がなければ1.7キロという予定だったが
200g余計に除水したということになる。

それでも1.5キロの積み残しは大きい。
まだ週はじめなので節制すれば
難しいことではない。

そもそも中2日の不摂生は
日曜日に予定してた倶楽部山行が
雨天で流れ
代替えで月曜日に晴れそうだったので
自主的に行こうとは考えていたものの
行き先も決まらず
結局うだうだと時間を潰し山へ出かけることはなかった。

そういう流れもあって
今週飲み食いを節制するのもやりきれないと考え
山歩きで「汗」=「天然の除水」をしようという前夜の思いつきだった。
もちろんこの2年近くのデータもあるからいえるのだが。

除水に関しては
いつも中1日の場合は体重増加3キロ半ばのところを今日は
2.6キロだったので想定通りだった。
もちろん基礎体重まで持っていけた。
下山後いつも通りくらいのビールと焼酎と多少のアテとご飯も食べた上での
ことなので
涼しくなって山での汗も控えめではあるが
2キロ近くの除水はできたと言える。


しかし昨日登ったのは
山梨県の鳥沢駅から登る高畑山982mと倉岳山990mで
梁川駅に出るというコースなのだが
以前たいして調べもしないまま候補としてファイルしていた
インターネットからのデータ。

もっとも重要のはずのタイムテーブルも
ネットに掲載されていたものをそのままメモし出かけた。

単独行の場合は写真もゆっくり撮影するし
心臓もそれほど鍛えられてはいないので
途中高畑山では小雨にも降られたり多少の誤差や遅れは考えてはいたが
朝でかけるもゆっくりとなり
おまけに朝の電車が踏切にクルマが立ち往生で一時停車というハプニングもありで
鳥沢駅に着いたのが10時だった。

それでもメモしたタイムスケジュールを信じていたので登り始めたが
どうやっても各ポイントまでメモした時間の倍近くかかる。

実際にわが輩が下山し梁川駅に着いたのは
日もとっぷりと暮れた5時半なので
時間を潰しながらとはいえ7時間。
これはかかりすぎではあるが
メモ上では3時間だった。
だから多少甘くも見ていた。

高畑山頂上についた時は
メモしたのはトレイルランだったかもしれないと思ったりしたが
調べてみたが一応あくまでハイキングのジャンルだった。
今日になって他のデータをみると
6時間20分というのがあって
わが輩の場合とほぼ合致した。

メモ通りにはいかないことを薄々感じながらも
倉岳山を断念して
ショートカットして下山する手もあったが
最後の尾根から降りるルートを一度登りで経験しているので
万が一日が落ちた時も覚悟して
予定のルートを辿った。
しかし
この下山ルートは沢を7〜8回横切ったりで
このところの雨で増水していたのでかなり苦労はした。
二つ目の頂上の倉岳山からは2時間半をほぼ休むことなく歩いたが
下山ポイントではほぼ真っ暗だった。
そこであと10mというところにきて
足元も見えず石か木の根で滑り
ザックがクッションになって
どこも打撲はないはずが
一夜開けて今朝になって左腕が痛くて上がらない。
シャンプーも着替えもままにならないのだ。
一瞬に変な力が入ったことで
ねんざのようなことになっているのだろう。

夕方になってやや回復してきたようにも感ずるが

つくづく山歩きのスケジュールは
余裕を持って
しかも自分で確かめる方法を会得すべしと思い知らされたという次第。

目下山歩きブログは鋭意製作中。

写真上=高畑山から倉岳山に至る途中の雨模様の尾根。写真中=高畑山頂上。
写真下=梁川の集落に出た頃は真っ暗。








2013-10-22

「アテ」がくせもの


透析のない日が二日続いて
その前日の透析後の体調がいいと
丸3日間健康的に酒も進む。

不整脈にもならずともなると油断。
雨模様でもっぱら家飲み。
外に飲みに出れば
金が絡んでくるので
多少何杯呑んだか意識するが
家飲みはどうしても曖昧になる。

もっとも行きつけの飲み屋は
ボトルが入ってるので
何杯呑んでも同じで
ボトルの減り具合を
眺めるだけだ。

そんなこんなで今日は最近にない
基礎体重から増加で5.7kg。

やはり6kg近いと
病院へ行くにも体が重い。
しかも月2回の定期血液検査で採血。
酒を飲んだといって
酒だけを飲むわけではなく
それにつれて「アテ」も増える。

この「アテ」がクセモノ。
当然炭水化物系ではあり得ず。
タンパク質であり野菜である。
ということは検査の結果では
リンの数値もカリウムの数値も高くなり
また看護師のお咎めをいただくことになる。



そんなことを考えながら
毎回同じことを言ってるのも賢くなく
また明日も右往左往してるのはやりきれないので
またもや思いつきで低山に明日登ることにした。
たいして計画も立ててはいないが。
早速寝ることに。





2013-10-21

不整脈の起こらない焼酎4杯は2:8

せっかく先週最後の『充電』は良い感じで終えたのに
翌日予定していた倶楽部山行は順延。
静かに吞むしかないとしたら
今日までぐだぐだの生活になってしまった。

一日雨のきのうはもちろんだが
せめて今日月曜日はどこか山歩きをしようと思っていたにもかかわらず
怠惰な日曜日を過ごしてしまい
結局立案できなかった。

そろそろ紅葉がみどころになるので
そういうことにこだわると
なかなか調べきらない。



やや高低差がない山に決めていたのだが
それは30年くらい前に何回かクルマで撮影にでかけた紅葉のポイントの近くだったが
調べるうちに32カ所もクサリ場があるというコメントに愕然。

ただでさえ高所恐怖症で
クサリに頼らなければならないポイントが
32カ所ではまず無理だ。
クサリ場があるところには基本行かないことを決めている。

そんなロッククライミングまがいには
まったく興味が無く
クライミングだのもゲーム感覚で1回か2回は
街の中の施設でやるのはいいとしても
自然の岩を相手にするのにはまったく行きたいとは思わない。

ていうかできない。


そんな情報にめげて
きのうも焼酎をちびりちびりと開けてしまった。

焼酎と言えば
翌日の不整脈と黒色便の恐れだ。
だが
焼酎も4杯飲んだが
2:8くらいで吞んだせいか(水:焼酎)
恐れたことは今朝なにも問題なかった。

どうなってんだろう
このカラダ。

そしてきょうもまったく外出もせず
1日がすんでしまった。

FMを聞くことが多いのだけど
パソコンのiTunesには好きな曲のひとつ
ベートーベンの「田園」がすでに3バージョンの指揮者と交響楽団で入っているのに
きょうまたザンデルリングというドイツ人の演奏を聴きながら
パソコンに取り込んだ。

有名な「田園」だが
指揮者によってこうも違う解釈があるのだというところが興味深い。
いままではオーマンディ指揮のバージョンが好きだったが
今日のケルン交響楽団のはまどろっこしくなるほど
ゆったりしていて
だらだらしてた今日の状況にはどんぴしゃりだったかもしれない。

そんなことで一日はすんでしまったが
台風が目白押しでやってくるようで
倶楽部山行も順延で次の日曜日になったが
台風でおしやられる可能性があるので
自主的に「立案」しないと
カラダはドンドン鈍る。

今週のテーマはそれかな。。




*写真=数十年前に撮影の紅葉。



2013-10-19

透析で不整脈が起こらないと1日が快適がわかった 

やはり山歩きを予定する前の日はある程度の緊張感がある。
倶楽部山行となると別に誰にも強いられているわけではないけど
山の上で料理をしようとあれこれ算段をするので
ひとりで行くのでもいろいろ頭は働いているのだけど
さらにいろいろ考える。
季節柄の参加人数や気温によっての趣向など。。

あすの倶楽部山行は順延になった。
どこかホッとしながら用意した食材の消化方法を考えながら
じつは明日予定してた料理はほぼぶっつけ本番だった。
正確に言うと前々回に倶楽部ではじめて作った空芯菜の塩炒めに
あさりが入っただけなのでアレンジということになるかもしれない。

料理のことなど関心ない方は読み飛ばしてください。
前回の塩炒めではレシピに忠実にあらかじめ塩とサラダ油での湯通しをしていたのだけど
今回の空芯菜とあさりの鶏ガラスープ炒めではそれを省略してみることにしていた。

今日それを作りながらそのレシピにはニンニクも赤唐辛子もはいっておらず
それをどこでいれるかというテーマはあるにしても
直前に入れることにした。

ニンニクは焦げやすく温度が低い時点に
というと最初だから
レシピにはサラダ油はなかったが
サラダ油とニンニクと最初に同時に鍋に入れた。
焦げる前に赤唐辛子と酒を入れ
同時に鶏ガラスープの素。

あとはレシピ通りあさりを入れ
口が開けば空芯菜の根本の茎から葉へと。
あとは塩と胡椒で味付けで完成。

山歩きではこのあさりの重量が問題だが
400g程度はがんばろうとは思ってる。
このくらいの量では10人来れば2,3個ではあるが。



さて
きょうの『充電』は不整脈もなかったので
こんな余裕もあるというもの。

不整脈として(期外収縮)認識する前は
「動悸」と思ってきた。
除水量が多いのか体調なのかわからないまま
ほぼこの「動悸」を抱えながら週3回帰路について
帰宅後の睡眠で
あるいはまれにそのまま飲み屋に行って
その「動悸」を解消していたような気がする。

動悸はあってもいつか解消するからといって
とくに考えようとしてこなかった。
「動悸」といってる期外収縮は一度起こると
なかなか停まらないやっかいなくせもの。

ただ起こらないようにすると
とても快適な『充電』後が過ごせることが今日よくわかった。

そう想い起こしてみると
毎回じつは不整脈だったのかなと思う。

今日の透析では用心に用心で
いつも投げ出している脚も血流がいいことを保つために
毛布を掛け
3時間目が近づくにつれ
いつも起こしてるベッドをあらかじめ倒してフラットにし
パソコンのキーボード入力もしそうになってもせずで
終盤の時間帯を過ごしたら
不整脈(期外収縮も心房細動も)は起こらなかった。

終わったあとも駅までの15分程度の道のりもふつうだった。
いつも歩くと苦しくなるのでゆっくり歩いたりとテンポを考えながらだったのが
なにもない。
帰りに食材を買いに行くのだけれども
ショーケースの上の方を覗いていると
血圧降下でめまいがしたものだがそれもない。

不整脈という症状だけでなく
けっこう実際には血圧降下を招いているんだということもそれでわかる。
歩きながら今まで
なにげに心臓には苦労かけていたのかもしれないとつくづく思った。

そう
これまでにもブログで書いたように
きっかけを作らない作戦はとりあえず功を奏したのかもしれない。

ということで
カラダ的には絶好調なのであすの倶楽部山行は行きたかったが
雨での中止。

こんやは「おとなしく」吞むしかない?
まあ基本はそうだけど
また新しいことを考えついてしまったし
山頂料理も新メニューを思いついた。
おとなしく吞んでると思いつくもの。。。














2013-10-17

うっかりで?またも不整脈

料理か不整脈の話しかないのか
と言われそうではあるが
今日も不整脈。

今日もいつものように体調も安定しての『充電』開始。
不整脈もなかでも期外収縮と心房細動が
わが輩の「近親者」だが
期外収縮は文字通り
本来リズム正しく動く振動が
トク・トク・トーーク・トクってな具合で飛ぶのだ。
ひとつやふたつ誰でも飛ぶことはあるそうで
珍しいことではないが
これが連続して起こると
トク・トクではなく
ドク・ドク・ドーーード・ド・ド・ドクと
まあ不快この上ない。

最近意識してみると
ビールのあとの焼酎(ロック)が3杯からがアブナイ。
夜中酔いがさめるころか
寝ていながら心臓が踊ってる記憶が残ってる。

それと4時間の透析の終盤3時間目がアブナイ。

そのアブナイのがわかっていて
やってしまった。

期外収縮も心房細動も
医学的にもハッキリした原因はわかってない。
わが輩の場合は
原因はわからずとも起こるキッカケは
薄々分かっているのだが
いい酒を4杯呑んでも起こらないこともあれば
毎回の透析ごとに起こるわけでもない。

今日は透析による除水量もそれほど
多くもない。
いつものようにほぼ完全にベッドを
起こして
カルテを置くテーブルに置かせてもらってるパソコンを起動して時間をつぶしていた。

3時間目も近づいて
カラダも疲れてくるとベッドを少しづつ戻す。

ネットを見る分にはあまり入力することはなく
簡単な入力はディスプレイに
キーボード表示してマウスで事すます。
マウスでの入力はまどろっこしいのはたしか。
それで起き上がってキーボード入力をすることもしばしば。

それがうっかり透析3時間目だということを忘れ
一瞬体を起こしてパスワードかなにかを手入力し
またベッドに戻した。

たったその一挙手で期外収縮がはじまった。

始まるのは何でもないキッカケだが
始まるともう止まらない。
ベッドをフラットにしてもらったり
透析を一時停止してもらったりしてもどうにもならない。透析は心臓にやはり相当な負担をかけていることがわかる。

もちろん誰もが不整脈を起こすわけではないが
心臓に負担をかけていることは同じだ。

今日は返血しても帰宅しても
期外収縮は止まらず
帰宅後の1時間くらいの睡眠でやっと平静に戻った。

キッカケを作らないのも大事なことだが
今のテーマはカラダが不整脈を起こさないように改善することで
それにむけて今日はある師に
長い手紙を書いた。

成果があるかどうかはわからないが
かねてから考えていたことなので
挑戦することに。
いずれご報告します。






2013-10-16

大豆からホンモノの「にがり豆腐」を作った

10年規模で最強台風襲来で大きな爪痕を残した。

伊豆大島には公私で2回ほど行ったが
尊敬する知人が自分の子どものたしかぜんそくの転地療法で
ずいぶん前に移住したことを聞いていた。
この台風で大島の中心地で亡くなった方もいれば
行方不明が数十人いるというので心配だ。


台風のあとはなぜか体調がいい。
大きな低気圧が近づくわけだから
傾向としてあまり体調がいいとはいえないが
遠ざかるにつれ気分も爽快になる。

そればかりではないが
材料も必要なものもきのうまででそろえたので
昨夜からはじめた「手作り豆腐」に挑んだ。

口に入るものはそのなりたちからいうと
食べるときは一瞬だが
食材の生産も長い時間が経っている。

豆腐にしても
スーパーで買えば次の瞬間に食できるわけだが
作るとなると一晩かかる。

前夜から材料になる大豆を水につけ
12時間(夏)から24時間(冬)で
大豆に水を含ませる。



これを砕くのだが
ミキサーであれば2分か3分の作業。
わが輩、あのミキサーの刃を掃除するのが苦手で使わない。
すり鉢でとネットでのアドバイスがあったので
そのつもりではじめたのだが
これが難儀だ。
ミキサーでは2分とあるのが1時間くらいかかっても
ムラがありつぶれてない大豆がゴロゴロ。

ここはいい加減に手を抜いたら
豆腐ができあがったあとにはヤマのようなおからができた。

子どもの頃の豆腐はおいしかった。
いつのまにかパックされ
にがりを使う豆腐などほとんどなく
あっても昔からの海水からとりだしたにがりはほとんどない。
にがりといっても塩化マグネシウムと塩化ナトリウムの一定の比率であれば
認められるという
なんだか知らないへんな基準があって
ほとんどが化学的に人為的に作られる。

本来のにがりは
「粗製海水塩化マグネシウム」と明記してあるという。
海水からのにがりは
塩化マグネシウム:塩化ナトリウム=8:1
なのだそうだ。

これを手に入れるだけでも難しい。
幸い街の豆腐屋にあったにがりにはこの銘があった。



あとはレシピ通りだが豆腐作りの
このにがりについてはけっこううるさいことが書いてあって
1ミリリットル2ミリリットルの単位の量と
温度が75℃だとかを
守らないと凝固しないそうだ。



それらもなんとかクリアし
出来上がったザル豆腐は想定してたよりおいしかった。
木綿豆腐を作るための木型がまだないのでザルになったが
このおぼろ豆腐と木綿豆腐のあいだとまろやかさもよかった。



このさきどうするかと聞かれればまだ未知だが
木型は目星をつけているので
少なくもすり鉢だけの砕く過程は避けるため
刃を気にしなくていいミキサーを探さなければならない。

さてこの山のようなおからをどうしたものか。
もともとおからがあまり好きではないが
しかも大豆のつぶつぶがまだまだ残っているのだが。
どこかでおいしいおから料理をごちそうになった記憶はあるが思い出せない。









2013-10-15

不整脈がない快感

世の中連休と言ってもいつもと同じ「中二日」。

この『充電』の生活のペースに入る前は
ほとんど休日などの連休は仕事だった。
だいたいが毎日決まった時間に決まったところに行くという生活は
『充電』がはじまって40年ぶりくらいのこと。
つい昨年はじめまではほとんどがクルマ移動だったので
最近になってやっと朝のJRの駅の人の流れに乗れるようになったばかり。

とにかく前から人が来ると
どうかわしたらいいのか戸惑う。
朝のラッシュのピークは終わってるのかもしれないが
8時台でも改札を出てくる人の流れと
入ろうとする人の流れを読むのがけっこう難しい。
もちろん
その時間帯に電車に乗っての仕事もあったが
あまりそんなことを考えたことがなかった。
おそらく何人かに迷惑をかけながら
歩いていたのだろう。

いまはそういうことを考える余裕があるが
透析導入の頃は入院生活なども経て
体力が落ちて2キロくらいにある公園までいくのも
自信がなかった。
脳梗塞をしたのもあったし
脚力が落ちているのもあって
まっすぐ歩く自信がなかった。

その点
クルマはけっこう助けてくれた。
それが昨年になって山歩きを始めてそんな不安もみじんもなくなった。
もちろん山歩きでは街を歩くのとはまったく違い
360度に力がかかる。
それだけに細心の注意を払う。

一度事故を起こしたら
そのふりだしに戻るのだ。
起こしたら起こしたで
ふりだしからまた始める用意はあるけれど
ダレもそんなことはしたくない。



仕事が無く『充電』もない日は
まったく出かけない。
食材が無くなっても我慢してやりくりし
せいぜい出かけるのは焼酎を買いにコンビニくらいだ。

こもっていた連休明けの『充電』。
きょうはその終盤も心臓の「期外収縮」も起こらなかった。

終盤なるべくベッドを横にしたくらいで
何も意図的にしてないので
不整脈がなかったその理由はわからないが
終わって帰る段になって
台風の予兆の寒い雨もあまり苦にならなかった。
目的の買い物があって街を歩きながら
不整脈をいつも動悸と思いながら
歩いていたんだなと想い起こしながら
あれは改めて不快で苦しいと
なんとかしなければと思った。

もちろん薬を処方されているので
飲めばいいということもいえるが
対症療法なので
できるだけ根本的な改善がしたいところ。

だからといって
カテーテルアブレーション手術を望んでは毛頭無いので。。



ああ、そうそういままで1日の除水量を4.2キロ以下としていたのを
きょうから4キロ以下としました。
それで不整脈が起こらなかった可能性も。。






2013-10-11

蕎麦屋の店主が蕎麦アレルギーって

秋というのに記録がないという真夏日で
『充電』をするものにとっては嬉しい夏日。
カラダの水分も汗で出るという他力本願でやってきた夏は
「多少飲んでもいい」という習慣が抜け切らなく
秋口は水分をとりすぎる。
わが輩の場合は水分はすなわちビールか焼酎なのだが。

季節の変わり目で水分摂取の転換をしなければならないのに
これほど暑いとまたビールが呑めるというもので
今日は酒の宅配で急遽焼酎を取り寄せ
酔っぱらうという状況。

酔いながらブログを書いてもいるので
誤報はお許しを。


わが輩は「蕎麦アレルギー」なのだが
それはどうやら想い起こせば子どもの頃から。
たしかなことはわからない。

子どもの頃は蕎麦はあまり食卓に出てこなかったし
家がそれほど豊かでなく食堂や蕎麦屋に行く機会も
なかったように思う。

ただ小学校に上がる頃に
お寺の縁日で饅頭を食べて
はき出した記憶はある。

蕎麦に思い当たる記憶としては
もっとも古い記憶で
それ以降もそういう状況は無いと考えていた。

しかし
しばしば起こっていた喘息があった。
寝ると起こる喘息。
カラダを起こすとラクになり
外に出ると回復していた。

20歳くらいになってある時饅頭を出されて
口に入れた途端
口の中がイガイガになって吐き気がし
しばらくすると下痢をした。

20歳にもなると感覚的な判断力が増したのか
饅頭が原因だとわかる。

何の饅頭かと聞くと
「蕎麦饅頭」という。

ここではじめて
子どもの頃に拒否反応があったお寺の縁日で食べた饅頭が
「蕎麦饅頭」だと想像できつながった。

20歳とは遅すぎるのかもしれない。

そうするといろいろな記憶の断片がそのように説明できる。
中学の修学旅行では
例のごとく枕投げがあった。
いまでは蕎麦枕はなかなかないかもしれないが
50年も前は蕎麦しかない。

枕投げは
まるで蕎麦を部屋中まき散らしているようなもの。
もちろん
わが輩はヒューヒューと喘息で一睡もできず
それからは「旅」というものが喘息を生み出すという錯覚も埋め込まれて
これから大人になって外泊ができるのだろうかと
疑いを持つようになった。

時間は飛ぶが
大人になって仕事に忙しく駅蕎麦屋で
うどんを食べたり焼きそばを食べたりする。
焼きそばは蕎麦ではなく小麦粉だ。
にもかかわらず
食べるとかならず手や足に発疹がさっとできることを体験する。

このころから蕎麦アレルギーを確信するようになった。
遅すぎるのは確かだが。

地方の民宿に泊まると
息苦しくなる。
古い民宿はそのころになっても(いまでもかも)
蕎麦枕でとくに枕投げをしなくても
部屋に蕎麦が粒子のように蔓延していれば同じなのだ。

だから地方に行ったら
ホテルに泊まりたい。
どんな田舎で旅館や民宿が風情としてぴったりでも
ホテルに泊まりたいと思ってきた。

旅館・民宿の蕎麦枕の確率は高いからだ。
かといってホテルが安全かといえば
安ホテルは蕎麦枕だ。

どちらにしても
蕎麦枕らしいときはとにかくまき散らさないように
そっと布団の下に入れて高さの恩恵だけ受け入れて
なるべく蕎麦枕と同じ空気を吸わないようにするのだ。

このブログにまえにも書いたかもしれないが
オーストラリアに仕事で行ったとき
英語がたどたどしいのでかろうじてわかった
「pancake」をレストランで注文して
一口食べてしまったら
即刻吐いて下痢もひどかった。
どうしてかと冷静になって
メニューをみたら
「by Buckweat」とつながっていた。

辞書を開いて「Buckweat」が「蕎麦」であることを知る。
いわば「蕎麦のパンケーキ」なのだ。

オーストラリアはちょうど日本と季節が反対で
日本で蕎麦が穫れないときに栽培した蕎麦が
日本にどんどん輸出されてると
あとで聞くことになる。

それからは粉ものを食べるときは注意をすることにした。

実家にはいまだに蕎麦枕がある。
安易に酔って寝ることは御法度ではある。

最近まで胡椒には見た目に量が多いように見えるための増量剤に
蕎麦が使われていて
多量の胡椒を使う中華料理も要注意だった。
最近では焼きそばやうどんのパッケージには
「同じラインで蕎麦を作っている」などの標示があるので
目安とはなる。


きのうのツイートで蕎麦好きが蕎麦屋を探しているうちに
ある蕎麦屋の店主が蕎麦アレルギーになって
天ぷら屋に様変わりしていたという。

蕎麦アレルギーはたとえば祖父や祖母が食べ過ぎて
隔世遺伝でわが輩に襲いかかったなどと勝手に理解していて
後天的な蕎麦アレルギーは聞いたことがなかったので驚いた。

アレルギーは正確には解明されていなくて
花粉アレルギーにしても
ある日突然というように後天的に(といいきれないが)
症状が現れることがあるのだから
あっても不思議はないが
その蕎麦屋の店主は過剰摂取したのだろうか?

ちょっと一度あってみたい気にもなった。
関西というからなかなかむずかしいかも。


「わが輩 蕎麦と女のそばのアレルギー」と言ってます。


*写真=フォロアーのツイート。









2013-10-10

カリウムが低すぎても心臓は悲鳴を上げる

心臓の話を技師Sとしていた。

ひとつ新しい知識を得た。
もちろん可能性の話だが
カラダのカリウムが多ければ
筋肉が動かなくなるが
したがって最も致命的には心臓が動かなくなるが
反対に少な過ぎても
筋肉が収縮しなくなるという。


特に透析の場合は
カラダにやや貯まったカリウムを
一定の水準までカラダの外に出すので
4時間の透析の間に
カリウムのバランスが変化してるということだ。

もちろん正常に透析機器が働いていれば
排出しているカリウムが下がりすぎることはないのだが。

技師の仕事は機器が正常に働いているのをチェックするわけだが
ここからはわが輩の推論。

カラダのほうは
このカリウム濃度の変化について行ってないのではないかというのが
わが輩のシロウト判断なのである。
その結果の期外収縮つまり不整脈。

透析によって一時的なカリウム低下(正常値であっても)に
カラダが反応しているというのではないか?
しかもいつも血液検査では
カリウムの数値はいつも看護師から小言を言われるほど高いので
そこから急激に4時間で正常値と言われる水準まで強制的に下げるわけだから
心臓も戸惑うことがあるのではないかと思うのだ。

血管内の血液のカリウム濃度は
基準値は3.5ー4.5ということになっている。
透析終了時はカリウムおおかた3台だが
細胞内はそれよりはるかに濃度が高く
時間が経つまでもなく
細胞から浸透してやや上がって
それと同時に期外収縮も消滅するという想定なのだ。

だからと言って
すぐには不整脈が起こらなくなるわけでもないし
毎回多い除水量が原因ということも考えられる。

実際ここまで透析中に書いたのだけれど
3時間半のころやはり期外収縮がはじまった。
しかし、カラダががんばったのか
慣れたのか透析終了時には返血する前に
おそらく期外収縮は消えた。

どちらにしても
カリウム摂取量と水分摂取量は関わりがあり
どちらも今よりも控えるようにいわれてるので
どちらも努力目標にするした上で
再度考える必要ありということになる。




2013-10-09

『百日回峰』ブログアップしました

台風も逸れ
といっても東京はですが
30℃近い気温に乗って夏の汗をかいた布団を干し
シーツを洗い
先日の富士山お中道巡りの散策では膨大な写真を撮ってしまい
整理しながらブログをアップ
NHK-FMのクラシックを取り込み
焼酎をとりあえず4杯吞んだところで
今日やることを一段落しながら。

ブログはあまりにも脈絡無く撮影した結果
整理に窮する。
楽しかったことがブログになっていればいいかなと
ほとんどすべての写真をアップした。

なかなか実際の感動と写真の表現は異なる。
実際の風景のなかで見たものは見たもので
写真で表現することは別ものであり
ひとつにまとめようとすると
実際の感動は邪魔になることもある。

表現上の最高と実際の感動を行き来することで
なにが写真で表したいかが次第に煮詰まる。
その行き来はとても疲れる。

なのでいつもその行き来をエスケープしてるのかもしれない。
今回はもっとそうかもしれない。

そういいながら
1枚でも2枚でも前に出したい写真があればおもしろい。
なんとなく
そんな写真はあったような気がする。




2013-10-08

五合目まで往復7時間のクルマの運転と紅葉がはじまった富士山

40年以上のキャリアの自動車運転免許。
しかも20歳半ばには一時タクシーの運転もしたので
堂々の?二種免許。

調子に乗ってレンタカーでの富士山大沢崩れ行の運転手をかって出た。
二種免だから金取るよという冗談を言いながら。
おとといの話しだが。。
大沢崩れとは富士山を遠くから見ると
西側にヒダになって見える山肌が崩れ落ちているところ
縁まで行く片道3時間の散策コース




クルマの運転は去年はじめ
ちょうど山歩きを始めた頃に
それまで乗っていたクルマを廃車して
歩くことを中心にすることにするまで
仕事にも『充電』の通院にも毎日していた。
そのクルマは10年以上経っていて
国産車でなく車検に費用がかかりすぎるというのが
ほんとのところではあったが。

だからクルマ社会どっぷり浸かっていたので
運転はあまり心配なかった。
しかし、レンタカーの予約まではよかったが
よく考えれば8人もの人を
しかも友人ではあるが家族ではない人を乗せたことはなかったことに気がついた。
ニュースでは高速道路上の事故も頻繁に伝えている。

まあそれでもそんなに考え込むほどではなかったが
前夜は運転手は遅刻できないというのもあって
なかなか寝付けなかった。

もちろん大沢崩れ行のメンバーには
免許保持者がいるので心配はなかったのだが。


行きはJR三鷹駅で皆を迎え予定の約2時間半で目的の富士山五合目「御庭」に着いた。
今回の大沢崩れ行はほぼ高低差は無くあっても100mくらいなので
運転をかってでたいきさつもある。
これが1000m近いいつもの高低差の山歩きのあとの往復の運転となると
ちょっと考えるところ。
山歩きのあとは
透析をした翌日である『充電』の身だしカラダの疲労も考えるが
とくにブレーキを踏む足の感覚に保証ができないので躊躇もする。
それでも片道3時間
往復で6時間歩いたあとなので油断はできないが。

レンタカーにしたわけは
5時30分の下山終バスを気にすることなく
ゆっくりするためで
オフシーズンの下山の終バスは前回の富士山行でも難題だった。
終バスに間に合わないと
1万数千円の出費となってしまうからだ。


下山時刻に追われることなく
「富士山中腹にて富士山の雄大さに出会う」ことができた。
大沢崩れの脇の三注神社の狭い境内を占拠しての昼ご飯で
相変わらず麻婆豆腐をつくった。

しかも五合目あたりが限界森林で
紅葉を眺めながら富士山頂上を見ることができる御庭は最高だった。


さて4時過ぎに帰路に着いた。
ここまでは予定通り。
高速道路の渋滞は想定していたが
事故や故障車のせいで
ほぼ大月手前から小仏トンネルまで
40km近いノロノロ運転は予想以上。

スバルラインを降りたときに
運転免許保持者のメンバーを含めて
車内でビールを吞むのをよしとしてしまったので
どうあってもあとはひとりで運転しなければならないのだ。

4時間かけて都内に入り
レンタカーを返却したときには
カラダ的にも不整脈も起こらず
事故にも巻き込まれず
無事メンバー送り届けよかったと胸をなで下ろした。
倶楽部リーダーの計らいもあり
親しいメンバーのひとりYさんと地元の飲み屋で打ち上げ。

いつもなら山歩きのその「除水効果」で
カラダの水分が減っているので
多少余裕でビールも呑めるというものだが
大沢崩れ行はあまり汗もかいてないので
「除水」も期待できず
ビールも自制するしかなかったが
ふたりで多いに話にも酔った。


変化に富んだ富士山の表情と平坦な「お中道」で
写真も整理しきれないほど撮ったのでいずれブログに。


写真=富士山御庭から頂上を見上げる。








2013-10-05

脈が飛んでる!!「期外収縮」というらしい

また新しい専門用語をひとつ憶えた。

心電図など昔は皆同じに思えたし
興味もなかったが
そんなときに心電図や心臓の話を聞いても
右から左で心電図さえ見ようとしない。

なので拒否反応のお方は今日はスルーをどうぞ。


透析中の心臓の拍動の変化は以前から感ずることがあった。
それもしばしばだ。
4時間の透析時間の3時間目に
動悸がしていた。
しかし
通常の動悸ではない。
拍動が飛ぶのだ。
通常が2拍子としたら
ときどき3拍子になったり4拍子になったり
なかったりと。

それは例の心房細動とはまた違う感覚なのだ。

心房細動とは違う感覚ではあるが
認識違いで同じ心房細動かもしれないということもある。
先日のように
血圧計では検知できない心房細動があることを知ったので
自覚なんてもっと信用できないかもしれないので
今日も3時間目に心臓に違和感がはじまったので
簡易心電図をつけてもらった。

たまたま取り付けた瞬間は
異常はなく自分でもそうだったが
しばらくするとまた違和感。
心電図を見せてもらうと
心房細動の特長のf波はでていなかったが
脈が不規則で
次のスパークをするべきところがスパークせずに
省略して次に行っているのがところどころ。

やがてそれが繰りかえされるようになった。
1時間くらいのあいだの心電図の変化を並べて比較してみた。

一番上と一番下が正常な心電図。


*12時58分 (透析4時間目)違和感があったが心電図を取り付けたときは異常はなく正常。


*13時20分 実感と同じでときどき脈が飛んでドン,,,ドンと脈が強いことがある。


*1334分 (返血時)脈がつながって飛んでることを感じる。


*13時52分 (透析終了時)正常に戻った。



心電図は簡易ではあるが信用できると思うが
カラダで感じてることと
心電図が表していることが実感できて
こんなことをさせてくれることをスタッフに感謝したい。

この定期的にスパーク(といっていいのかわからないが、わが輩的な表現)するべきが
飛んで不規則なのを「期外収縮」というのだそうだ。

いままでの体感的にはこの期外収縮が続くと
わが輩の場合は心房細動に発展するのだろうと推測する。


今日の場合
はじめに期外収縮を感じ始めた頃から
それまで起こしていたベッドを平にし
頭を下げることで心臓の負担を和らげることによって
心房細動にまで発展せず
これまで透析後に
家に着いて一寝入りして起きるまで続いたのが
終了時には正常に戻った。
もちろん帰宅後も症状は出ず
いつも不快で寝てしまうのが
今日はパソコンに向かう余裕もある。

一義的には水分の摂取が多く除水量が多いのが原因ではあるが
ベッドを横にするだけでも
心臓には優しく
それ以降の状況も悪くならないようだということのようだ。
これは対症療法としては
とても大事なことに思われる。

脈が飛ぶというのは心房細動と同じく不快なもの。
それがなく時間が過ごせるというのは幸せなものだから。

暴走しはじめた心臓に優しくすればそれ以上暴走しない。



さて山歩きの時も頂上へ登り切ったときや下山時にしばしば
この期外収縮は起こってる実感はある。
これも心房細動には発展するわけではないので
問題はないと思うが
どういう状況が自分の心臓に起こっているのか
今日の心電図で少しわかったことで
一種の心配ごとも解消したような気がする。

有意義な「勉強」だった。


2013-10-04

あさっては富士山大沢崩れ散策

あさっては有志での富士山。



といっても頂上をめざすのでなく
大沢崩れという山梨側から見ると
ヒダになっているいわば谷をめざす。
五合目から片道3時間。
高低差はあまりないが
先日の富士山本八合目までで
高所恐怖症を自覚してしまったわが輩は
けっこう身構えている。
なんせそういう「谷」を越えるのだそうだから。

今回は下山の終バスが決まってるのもあって
あえてレンタカーでのアクセス。
わが輩は20代に1年だけタクシーの運転手をしてたので
免許も一応二種普通免許で
山行スケジュールやらレンタカー予約で
今週は過ぎた。

すべてが完了したが
天候だけが未定。
明日は雨模様だがあさっては基本曇りで晴れに展開予想。

レンタカー予約なのでキャンセルはしたくなく
豪雨でもない限り決行なのだが
万が一の雨天での代替え目的地を考えねばならぬ。
皆は温泉をめざしているようだが
それも考えねばならぬ。

呑み会のコーディネートは一生懸命するのだが
どうも温泉関係は。。

直会の手料理も考えなくては。
久しぶりに麻婆豆腐かな。。



写真=西湖からの富士山。

2013-10-02

「豆腐の日」なのだそうだ

倶楽部山行の日曜日から3日も経っているのに
やっと脚の痛みや疲れがとれたところで
グダグダの時間もこれまでとしたい。

一日おきの透析4時間のうち3時間目になるといままでも
脈が速くなることはしばしばあったが
透析をしてある意味
脱水状態に向かっているので
心臓がそれに負けじと働いていると思ってきた。

それは正しいと思うが
この数週間の状況で
その時に心房細動が起こっているのではないかという
疑念が生まれ
きのうも同じ症状だったので
看護師に触診で脈を診てもらったら
やはり飛んでるとのことだった。

心房細動もそれくらいなら
「脈が速く、動悸がする」
程度だが
症状が進むと正しい拍動がないので
酸素が正常に送れなくなり
呼吸が苦しくなるが
それほどまでになったことがないので
見過ごしてきたのかもしれない。

かといって
心房細動を大騒ぎすることもないと考える。
心房細動のリスクはもっとも大きいのは
血栓が飛んで末端で血管を塞ぐことだ。
結果、
脳梗塞や心筋梗塞になることが一番危険というわけだ。

ただ透析中は血液がドロドロにならないように
抗凝固剤を血液の中を回っているので
まず大丈夫と言っていいと思うので問題はないだろう。

心房細動の原因はこれまで何回も触れてきたけど
神経的なものもあるが
物理的な負担もあるのかもしれない。
日曜日の標高1200mの山行は
心臓にとってもラクなことではないので
足の筋肉が疲れているように
心臓も疲れているのだろう。



だからといって
脚が疲れるなら山歩きをやめたらという方向性ではないように
心臓が負担を感じてるからといって
山を登るのはやめたほうがいいとはならない。
脚と心臓が同じではないかもしれないが
脚の筋肉痛があるが
時間が経って痛みが治り
脚の筋肉は鍛えられそれ以前より筋肉が作られるのと
同じように
心臓の筋肉は鍛えられるだろうという
迷信のような信念だけれど
まんざら宗教的でもないと思う。

透析センターの同じ患者と話すと
わが輩のような山歩きは論外
普段歩くのもわが輩のようにはできない
というご本人は
初めてセンターに来たときは
もと会社でピッチャーで4番バッターと
自慢話ばかりをしていたが
いまは歩幅がそのときの半分くらいで
能のすり足のようになっている。

ほかにどこも悪いところはないのに
自分で自分の体力を
「そんなことできない」と決め込んで
どんどんマイナス方向に向かう。

脚が衰えれば
上半身だけが活発に動くことがあるわけがなく
カラダ全体が活性化されず
代謝も悪く
透析ベッドでも2枚も3枚も毛布を要求する。
もちろん免疫力もなくなり
ほかの病をいただくことになることは
目に見えている。

まあ
なかなかそういう人が気づくことは
難しいとは思うが
折を見て話す。


さて自分のことに話を戻すと
やはり基本に戻って
体重増加を減らす=水分調整を少しだけきびしく
が必要だといえる。
なんせ週はじめは4キロ除水なので。。



今日は10月2日。
「豆腐の日」なのだそうだ。
いまのスーパーの豆腐はおいしくない。
子どもの頃に食べた豆腐もそうだが
30年もまえに
盛岡から2時間の山奥の牛飼い農家で
牛の冬の保存食事として秋に作る豆腐の味が忘れられない。




豆腐の日を機に
「おいしい豆腐」を自分で作ることを決意。
まえにも宣言したっけ?
いや今度は確かな。。


















写真上=これまでにない急な斜面を下山の本仁田山。
写真中=岩手県牛飼い農家。作った豆腐をかまどの神に捧げる。(1981年)
写真下=できたばかりの豆腐を焼いて冬の間の牛のタンパク質となる。(1981年)






やっとのことで山歩きブログをアップした。
「富士山よりきつい」 本仁田山  - ブログめざせ「百日回峰」