週3回の透析で2日間は不整脈は起こらなかった。
週半ばの木曜日の終盤
ぴったり4時間目がはじまろうとするときに
不整脈になった。
正確には期外収縮だが。
透析による除水量は3回ともほぼ同じだが
1回目の火曜日は基礎体重まで透析しなくて
大幅に残っていたので
体への負担はさほど大きくないことも考えられるが
木曜日も今日土曜日も基礎体重までの除水だったのに
木曜日は不整脈が起こって
今日は起こらなかった。
まったく法則性がわからない。
どんな要因で起こってるのか
探っているのだがわからない。
前回は山歩きで心臓も使ったあとだからというのもいえるが
確かではない。
これからも原因は探りたいとは思ってるけど
いえることは
不整脈が起こらないことは
ふつうの生活ができるということだ。
いままで透析の日は
朝出かけ透析をやって
そのあとも心臓ばくばくさせながら
買い物に行って
ショーケースを見上げると血圧が下がることを察知し
しゃがんだり。
帰宅するとすぐ眠りに入ってと
ほとんど透析に振りまわされている感覚だったが
不整脈がおこらないと
ショッピングもふつうにでき
帰宅後も寝ることもなく
仕事もできるのだ。
その心地よさを透析10年にして
わかるとはちょっと情けない。
ある意味不整脈に慣れてしまっていて
単なる動悸で
多少苦しいものなのだと
思い込んでしまっていた感がある。
酒と不整脈にしても
焼酎をよく吞んだ夜は不整脈が起こると思ってきたし
家飲みでは焼酎をロック2杯までにしようと決めたりしているが
昨夜も山の仲間と2軒で計5杯は飲んでいるのに
今朝は不整脈もなく爽快だったりと
なかなか解明されない。
1000mクラスの山を汗だくで登っても
不整脈は起こらないのに
4時間の透析はそれ以上の負担を心臓にかけているのかも知れない。
それでも起こらない人は起こらないので
心臓がわが輩にとってはもっとも弱いところなのだろうか。
しばらくこの不整脈=期外収縮のテーマは離せないことは確かだ。
山行ブログ「めざせ『百日回峰』」を更新。
山行ブログでは出かけた山をすべてを主に写真で掲載してきた。
そのデータを見ると
1年と11ヶ月つまりほぼ2年で50座(山の呼び方は座だそうだ)登ったことになっている。
いや実際登ったのではあるが
あまりその実感はない。
ブログの名称は最初に御岳山行に参加したとき
呼吸も乱れ疲れて目が回りそうなときに
ずいぶん前にテレビのドキュメントで比叡山延暦寺の住職が
千日かけて比叡山を駆けるという「千日回峰」のシーンを思い出したことによっている。
千日は遠すぎるので百日くらいにしようとこれも思いつきでつけたタイトル。
千日回峰の修行の前段階に百日回峰というのがあるそうだ。
いつまで続くかわからないと思っていたのが
山歩きを始めて2年経つ前に
その半分まで来てしまったと
ややご満悦ではある。
そしてなにより
山歩きが透析にはもちろんよいし
そうでなくても
筋肉、血流量、神経細胞のはたらき
すべてに働きかけることを実感してきて
これ以上のない「宝」を手にしたような気がする。
もちろん最初の1年くらいは
倶楽部山行に参加するのも
心拍力が皆についていかないので
少なくとも30分は早く単独で登ってきた。
山登りの朝は大概早いが
それより早い5時台の電車に乗ることは
けっこう精神力がいるものだった。
単独行の理由にはもうひとつ
脳梗塞を経験しており
しかも心房細動の発作も不定期にある状態で
高血圧なので(そのころ190くらい)
山で何が起こるかわからなかったので
倶楽部山行として同行すると
倶楽部幹事やリーダーがやり玉に挙げられることになるので
それを避けるために
山頂で偶然会ったというシナリオにするためだった。
それも今年に入ってからは
やっと体に対してもそれなりの信用ができるようになり
筋肉量も心肺力もついてきたので
同行できるようになった。
それだけでなく
料理道具のバーナーやアルミ鍋、食材などをザックに入れ
山頂でなんちゃって料理までできるようになった。
もともとは
食事制限している身としては
吞むのも食べるのも厳しい制限なのだから
おいしいものを少しという発想から
山の上でも温かいものを食べたいという発想からだった。
とはいうものの
倶楽部山行ではない単独行では
コンビニのおにぎりのみではある。
やはり
作って皆に食べていただいてとりあえず喜んでいただけるのが
なんちゃって男の料理のかてではある。
レパートリーも1品ずつ増え
麻婆豆腐、コーンスープ、スープ餃子、パエリア、空芯菜の塩炒め、エビの醤油炒め・・・
おいしくはなくとも
いつも賞賛していただき
それで図に乗り続けることができている。
ときには食材や道具を分散して持っていただいたりと
いつのまにかかけがいのない仲間ができた。
もう100座(百日)記念の話が出ている。
まだまだ先でその頃命があるやいなや。