福島県の三春滝の桜は今週末満開だそうだ。
天気もいいという。
わが『百日回峰』は高川山975.7mの山歩き。
高川山は登ることをはじめた
一昨年2011年12月御岳山の次の倶楽部山行だった。
御岳山の長尾平で年末の忘年会をするというので
宴会に誘われて参加を決めたのはいいが
それまで山登りどころかハイキングすらしたことがない。
わずかに屋久島の縄文杉の写真をとりに行ったのと
八方池まで行ったくらいの経験。
透析導入したばかりのころは
1ヶ月近い入院生活での体力の低下もあり
精神的にもなぜこんなことになってるのだろうと
気持ちは落ちるで
まるでひきこもりだった。
いつまでも部屋に閉じこもっていてはだめだと
近くの公園までのウォーキングをしようとするも
なかなかでかけない。
なんとかでかけてふつうの大人の足で15分くらいの公園まで
倍の30分くらいかかった。
もともと透析導入になる10ヶ月くらいまえに
脳幹梗塞を引き起こし
幸いにも重度の後遺症は受けなかったものの
頭が不安定だった。
耳もいまでもジーと音がするのは残っているが
どうやら三半規管には多少の障害が残ったようなのだ。
三半規管はもちろんヒトの平衡感覚をとる器官なので
歩くのもときどきではあるが
ふらついたりまっすぐ歩けない。
そういう自信のない状況だったので
わずか15分の公園まで行って帰れるのかとも不安だった。
余談であるが
こういう歩くことに不安定な状況になってみてわかったことは
道路を歩く時に足元がふらついて
そんなことを想像できないドライバーのクルマに
容易に引っかけられる可能性があるという不安だ。
もちろん
足元が不安定なヒトは脳梗塞に限らないが
一見したところ
健常者であっても
どんな障害を持ってるかわからない。
ふつうに歩いていてもいつクルマの前にふらついて
倒れ込むかわからないのだ。
クルマの運転歴40年以上にして
改めて感じる潜んだ危険とでもいうのだろうか。
はじめてのウォーキングのときは
平衡感覚もそうだが
血圧が高く
今でも低くはないが160くらいのところ
180くらいあったので
いつ倒れるかわからない。
財布は忘れても携帯電話は忘れないようにしようと思った。
やがて30分かかったところが
20分になり15分になった。
しかも公園には大きな池があるが
その池を2周も3周もできるようになった。
数年はかかったかも知れないが。
筋肉は使えば使うほど衰えない。
その池の周りも走ってるヒトもいる。
やがて走ってみたい気も起こるようになったが
血圧の高さからまずは血圧を下げなければ
走れないだろうと不安はぬぐえない。
いつか富士山ではなくホノルルマラソンに行けたら
と漠然と思うようになった。
ホノルルなら透析も可能だし。。
そんなことを妄想しながらの
降って沸いたような御岳山での忘年山行の誘いだった。
もちろん皆より時間がかかり散々だったが
下山はケーブルカーだったので
2〜3日足が痛かったが回復し
これが自信になってしまい
これがあさってと同じ高川山だった。
忘年山行で時間がかかったことから計算し
秘策として
ふつうかかる時間の50%増しの時間がかかるとし
1時間近くまえの電車に乗って
先に出発しての先行。
ほぼ同時に頂上で倶楽部と合流できた。
そこまではよかったが
いざ下山となって途中で足が動かない。
御岳山はケーブルカーで下山したので
ある意味初めての下山経験。
腿の筋肉が限界に近づいて
足がまえに降ろせなくなってしまった。
「膝が笑う」とはこういうのをいうのだろう。
見かねた倶楽部の人たちが入れ替わり肩を貸してくれた。
山歩きでこの姿は一生忘れられないし
倶楽部の人には感謝なのだ。
昨年の年初の悲惨な高川山下山を経験し
改めて自分を試すトレーニングとしての
高尾山稲荷山コースの山歩きをしたころから
山歩きをしようというスタートになったといえる。
それから1年あまりだが
もうそんな悲惨な下山の心配もない。
衰えていた脚の筋肉も
三半規管を主としたバランスもかなり整った。
同じ「悲惨だった高川山下山」
「記念すべき高川山下山」をあすどうできるのか
やや楽しみなのだ。
やはりわが輩には「山歩きは延命装置」。