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2013-04-19

はじめて一年目の山歩きの検証

この1年の山歩きについてブログめざせ『百日回峰』に掲載したものを転載します。






山歩き1年の検証


山歩きを始めて1年余。一昨年末(2011年12月)に仕事仲間の友人から誘われた御岳山での山行倶楽部の忘年山行が山登りのデビューですが、それまで屋久島の縄文杉(標高1300m)白馬の八方池(1850m)くらいのわずかな経験しかないことからいえば身の程知らずのかなりムリな山行でした。倶楽部のメンバーが詩人や編集者、出版社社長、教授、研究者などというのにも魅力を感じていたのもあり、そこに酒宴というご馳走をぶら下げられて飛びつかないわけにはいかないし、しかも下山はケーブルカーで安心というので参加を決めたというものです。

縄文杉も八方池も登ったのは今から20年もまえのことであまり考えもせず体力的にも多少の無理も効く頃でした。それでも八方池などは難儀だった記憶があります。10年まえの2003年1月に脳幹梗塞を発症して以来カラダの各所に問題が発覚、その治療に専念するや、かたや体力の減退を日に日に感じていました。気持ちだけは負けたくないとウォーキングからはじめいずれはホノルルマラソンを、あるいは富士山をと夢だけはかろうじてありました。そんなときの忘年山行への誘惑でしたがもっとも危惧したのはやはり脳幹梗塞の影響でか三半規管に軽い障がいが残ったようで平衡感覚も不安定でときどきふらつくことでした。道路を歩いたりするとすぐ横をすり抜けるクルマのまえでよろけるのではないかという不安定感があり、山を登る最中にバランスを崩し滑落したりして自分が負傷をすることもさりながら友人や倶楽部に迷惑をかけることだけは避けたいと念ずるところでした。血圧も高く何かのはずみで不整脈が起こることもあったので救急搬送もごめんこうむりたいと思うものです。

経験が少ない山登りというのに加えてカラダとの相談をしながらの一歩一歩となり倶楽部が1時間半くらいの登頂が1時間以上遅れての到着となりました。登頂後も心拍は落ち着かなくとても宴会どころでなくほとんど会話もできないほどで、脚も痛く下山のケーブルカー乗場までのわずかな道のりも脚に感覚がないほどでした。「あしたはもっとひどくなって歩けないかも」と倶楽部のメンバーに揶揄された脚、たしかに2〜3日脚の痛みはありましたがすっかり元にもどると「脚は回復できる」と自信がついてしまい今後は「心肺力上げる」というテーマを意識することになりました。次の倶楽部山行まで20日間くらいあったので、忘年山行もシティーシューズでしたが一応チロリアンだったのですが倶楽部メンバーの助言で今後いつ山歩きを放棄するかわからなかったけれど登山用シューズを手に入れ、さらにウエイト10キロを足首につけて街を歩いてのトレーニングを試みました。わたくしにとってこの二本目になる倶楽部山行が昨年2012年の同じ高川山でした。

「心肺力」もまだこれから鍛えようとしているところだったので当然倶楽部のペースにはついていけないので、ふつうのペースに50%プラスした時間をシミュレーションして早い電車ででかけ単独で登ることにしました。企てはほぼ成功し登頂して10分後の倶楽部の登頂でした。この高川山頂上から撮影した写真がこのブログの背景です。心肺力を時間で解決しようとしたのは成功したものの、下山のことはほとんど考えていないことでした。忘年山行ではケーブルカーで下山してしまったのですからある意味初めての下山ということになり結果はそのとおり惨憺たるものでした。「上りは心肺力、下りは脚力」いきなりビンタを食らわされたような激しい下山で、もともと山登りといってもゆるやかなハイキングコースのイメージしかなく、体重を支える太ももの筋肉もまだ覚束ない状況でつぎの脚を前に下ろすと体重を支えられなく膝が折れてしまい谷側に転げ落ちるような恐怖感でまったく脚を出せなくなってしまった。筋肉は限界になり立ち止まることが多くなったわたくしを倶楽部の人たちは見かねてトレッキングポールを貸してくれたりかわるがわる肩を貸してくれたり比較的容易なルートに変更したりと迷惑を掛けたのでした。

今日の下山ルートは途中まで同じでした。ロープを使わなければならないような急な斜面もありたしかに楽なルートではありませんが、1年前のように膝が笑うような状況にはなりませんでした。しかも自分でも驚くことは、どの山行も下山するともうこれ以上はムリという限界に近く、帰りの電車の駅やホームの階段の上り下りに苦労し部屋に上がるマンションの階段を登るのも痛みを感じたのですが、疲労感はあるものの脚が痛くて登れないということもなく階段もなんの苦もなく上り下りできることでした。いままで最低二週おきには山を登ってきたのがこのところ川苔山、高尾山、そして高川山と毎週の山行になったことが功を奏したのかも知れないのですが、とりあえず1年間の成果で筋肉がついたと考えるほうが順当と考えるとちょっとした驚きでもあり感慨です。きょうの下山ルートは高川山からむすび山を経るルートでそれなりのアップダウンもあり距離も長い健脚コースでしたが余力さえありました。

この1年、ついこの間まで1時間近く単独先行してちょうどだったわたくしの脚もようやく人並みに近づけたと言えるのかも知れません。日頃から「筋肉は使えば使うほど衰えない」と実感してきたのですが、それどころか「還暦を過ぎても筋肉は鍛えれば鍛えるほど強くなる」を体感したのが1年後の同じ高川山だったことにも感慨を憶えるものになりました。暖かい倶楽部にも感謝です。



自分で驚く脚力の変化

【検証1】登りのタイム比較してみた
【検証2】ザックの荷重比較してみた
【検証3】下山の脚力比較はどうだったか



【検証1】登りのタイム比較してみた

2012年1月      2013年4月
初狩駅     8:00         9:15 
15分>        <25分
登山口     8:30         9:50
15分>        <20分
男坂女坂分岐  8;45         10:10 
55分>        <30分
男坂女坂合流  9:40         10:40
30分>        <15分
高川山頂上   10:10         11:00


<115分>       <100分>

*後半の男坂女坂分岐あたりから消費時間の差が出たことになります。


【検証2】ザックの荷重比較してみた

2012年1月      2013年4月
2kg         9.5kg

*前回のザック荷重は記録がないが最低限の水、おにぎり4、カメラ、レインコート程度。
*今回出発前ザック重量  9.5kg
*主な内容   水 2kg(2リットル)、バーナー690g、ガスボンベ300g、アルミ鍋530g、麻婆豆腐食材(豆腐600g・下ごしらえ200g)、おにぎり3 300g、カメラ260g、レインコート,トレッキングポール600gなど。

おそらく,ザックの重量が増すにつれ脚への負担が大きくなり中途半端な歩き方をしていたため,左足に異変が起こってくるようになった。仕事の関係と習慣で30年以上つねに右肩にかなりの重量のバッグを掛けたり,右手で支えてきた結果、カラダを支える重心が右足に偏っていたと思われる。想像ではあるが右足6:左足4くらいのバランスではないかと思われる。日常生活ではほとんど意識することがないが、そのことで右足は左足よりやや強くなってると思われる。しかし、9キロほどのザックを担ぐと最初の時期はまだしも右足に重心を掛けたことでは耐えられなくとくに不安定な山道で支えようとすると左足にも応分の負担がかかることになる。その悲鳴が左足に来たのがこの半年くらいに感じた左足の付け根を中心とした痛みだったと解する。その対応として立ち仕事も街中を歩くのもいままで右足にかかってたと思われる重心を意識して左に移すようにした。歩く時はほとんど右足に加重しないように他人が見ればケガでもしてるのかというようにばったんばったんというほどに歩き方を意識した。
もうひとつ、山歩きの基本的なことではあるが足の裏全体でばたばたというほどに使い指先に力を入れない習慣を意識した。これは勝手な憶測だが、私のマンションの部屋の上の階の住人の歩き方が響いて迷惑でばたばたと足音が響くのを胡散臭いと思っていた時、これはひょっとしたら上の住人は山歩きをするのではないかと思い始めた。自分の歩き方と比べてどうしてあれほどの響きになるのかと考えるうちに山歩きではあれが必要なのかもと思ったのである。この2点を意識しての数ヶ月でしたが、一ヶ月まえの御前山山行では悲鳴を上げていた左足が今回の高川山山行ではその経過の真意はわからないが、まったくといっていいほど痛むことがなかった。数ヶ月の経過の中で単純に鍛えられたのかも知れないが、この安定感も腰の筋肉のバランスも良くなったのか長いむすび山経由の下山も苦もなく降りられたと考える。

【検証3】下山の脚力比較はどうだったか

前回高川山の下山ルートはわたくしの状況をリーダーが判断し急遽優しいルートに変更し大月駅への予定を富士急田野倉へ降りた。降りた登山口から田野倉駅まで市街をやや歩くのだが筋肉痛で脚がしびれるようで動かなかった。
今回ははるかに傾斜が急な斜面をロープを頼りに下るルートでむすび山まではほぼ初狩駅から大月駅までに匹敵するほどに長くアップダウンの繰り返しで倶楽部のほとんどが音を上げた。それでも疲れは感じるものの脚が動かないという感覚はない。下山後の駅のホームの階段も苦痛もなくふだんと同じように上がることができた。下山直後の駅の階段を昇ったり降りたりする感覚は,毎回脚の使用度、疲労度でずいぶん異なるがいままでおおよそはやっとの思いで上がる状態だったのがふだんと同じように脚が上がるというのが予想できないことだった。単純に筋肉が少しずつついてきたのもあるかもしれないし三週連続の山行だったのもあるかもしれないが、今回脚が腰がカラダ全体が飛躍的にひとつ上のステージに立ったと実感できたのである。