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2013-06-21

ばかばかしい!だが興味深い 200枚の等高線の貼り合わせ

『百日回峰』ならぬ山歩きは当初は単独先行だった。
なぜなら、経験が長いメンバーばかりの倶楽部での企画で
とてもついていけないことがわかっていたからだ。
当初と言っても昨年初めのことだが。
何もかも初めてで
しかも透析を受けている今
カラダにどんな変化をもたらすか未知だった。

ウォーキングは多少していたとしても
山を登る心臓やカラダへの負担は比べものにならない。
血圧も一般よりかなり高く
しかもその前年には
心房細動という不整脈の一種さえ発症することがあった。

エベレストを80歳で登頂した三浦雄一郎氏も
この心房細動を発症したと記憶している。
三浦氏はこれをカテーテルアブレーション手術で治すことを選択し
成功したようだった。

わが輩の場合は以前のブログにも書いたので
詳しくは省略するが手術を見送ったが
それでも発症することがなくなった。

だが
激しい運動とも言うべき山登りで
いつそういう症状が起こるかわからなかったので
もし起これば
倶楽部に負担を掛けるので
あえて別行動の単独で行動したのだった。
そして
せめて昼食という直会には参加させていただこうというのだった。

しかし、
このもくろみは不完全で
下山はどうするのだというテーマがあった。
すでに下山は登るときより心臓への負担は少ないという
誤った判断だった。

上りのほうがしんどいのは確かだが
下りも楽ではない。
エベレストとわが輩の低山とは比べものにならないが
エベレスト登頂したにもかかわらず
下山できなかった事例は数多く聞く。
疲労が積み重なった下山もこれも難儀なのだ。
三浦氏も重い脱水症状だったという。

じっさい下山後不整脈が起こったことが最初の頃1回だけある。
急な斜面をしかもバスの時間に間に合うように
ほぼ小走りに近いペースだったときに起こった。

ただこのペースもきつかったのも確かだが
昼食の直会でのアルコールもやや多かったように記憶している。

もちろん
その頃から比べれば
今では心臓も鍛えられてまず不整脈も起こることはなくなった。





さて単独先行について思い出していたら
長くなってしまったけど
単独先行でしかも
経験が浅いのでルートの下調べを綿密にして
しかも地図は1回目から
詳しい国土地理院の地図をプリントアウトして持参してきたことを
言いたかったのだ。

国土地理院の地図でも一般の地図でも同じだが
ある程度大きな地図になると
等高線はない。
かつて地方の村や街を尋ねるときは
3万分の1の地図を折りたたんで持って行ったものだ
書棚には30年前の古い地図が何枚も
そのまま折りたたんで入っている。

この等高線の入った地図を見てると
山並みや家並みがよくわかる。
迷っても脱出できる。
どうしても等高線が必要なのだ。

ひとつの山歩きのために
パソコンで等高線を表示できプリントできる縮小率の低い地図を
何枚ももっていく必要がある。
最近では単独行はないので
リーダーの知識と経験に頼ってることが多いが
ブログ『百日回峰』には
等高線が見える地図の一片一片を合成して
最後に添付することにしているので
相変わらず地図の貼り合わせだ。


狭い範囲内なら10枚くらいかも知れない。
ところが標高差が少なく長いルートの場合
何十枚にもなる。
最近の絶景富士を眺めることができた雁ヶ腹摺山で
50枚の地図をphotoshopで合成している。



富士山5合目山行の場合は
せっかくだからと位置関係をわかりやすく
降りた駅の富士山駅からタクシーに乗った道のりを含めたので
なんと200枚の合成となってしまった。
余りに大きいので
等高線もかすかにしか見えないかも知れないが
ブログには解像度を下げてアップしているが
手元のオリジナルがいつかまた生きることと信じてはいる。

それにしても
「ヒマ人」というなかれ
等高線の隙間を縫って歩くルートをたどるのは
想像をひろげるし
下山後でも登ったルートを辿りながら
ぼんやりと思い出すことに浸れるのだから。
・・やっぱりヒマ人か。






*写真上=雁ヶ腹摺山山行の地図の1片。
*写真中=雁ヶ腹摺山山行の合成した地図。下山ルートが延々長かった。
*写真下=富士山5合目山行の合成した地図。
     あえて頂上をいれたので大きな地図になって
     200枚の地図を合成。
     青がタクシーでのアプローチで赤が登山ルート。