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2013-03-31

看護師はホステスだよね

なかなか流れるようにツイートされるのを
ひとつひとつ見ることができない。

でもたまたまアクセスしてみてると
はっとするような
ツイートに出くわす。
なるほどな〜と目からウロコだった。
一応ツイッターに著作権があるので
コメントの主は@minamayachinです。
そのままコピペさせていただきました。

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看護学のベースは社会学です。
医学のベースは自然科学。
以前にもツイしましたよね。
勘違いされているんですが、
看護学は医学をベースに発展したものではないのです。
要するに医学の手下ではない。
社会学なんですよ。
だから理論も質的なものがベースで
なかなか説明しにくい分野でもあるのです。」
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以前病院のスタッフと話したことがあった。

「看護師も技師もホステス、ホストだよね」
と技師がつぶやいた。

こうやって1日おきかも知れないけど
看護師、技師と同じ空間同じ時間
一緒にいると患者はなにが心地よいかと
敏感になるというものだ。わがままでもある。

看護師 技師はそんな患者を安心させてくれ和ませてくれる。

もちろん医学的な根拠のあるベースがあっての話だが
わずかな時間でも看護師やスタッフの優しい言葉で
どんな困難な病でも癒される気がする。

以前 ある機会があって
地方の病院を訪ねホスピスの看護師に会うことがあった。
ガンを宣告され
ある意味では行く末を覚悟している患者と接するホスピスの看護師。

もちろん選ばれた看護師だ。
その立ち振る舞いはどんな看護師の頂点だと思った。
患者と同じように「死」と向き合わなくてはならない。
それは想像を絶することだと思った。
「死」を宣告されたヒトと寄り添うことは
全人格的な姿だと思わざるを得なかった。

それから10数年経って
『充電』でお世話になるようになって
ホスピスとまではいかなくても
いろいろな患者がいるなかで
ある意味患者のこころの支えでもあり
またサンドバッグでもある。



じっさい最初の頃は
1日おきの『充電』という透析に
なぜ来てるのだろうと思ったことが何度かある。
朝 病院に近づくといつもそう考えていた。
だが
同時に仕事とはいえ
毎回笑顔で待ってくれてる看護師たちが支えになった。
こんなどうでもいいような自分の命を支えてくれるために
寒い朝も暑い朝も早い時間に待っていてくれるって
なんのため?と考えた時があった。

一人で生きてるのではないというのは
こういうことなんだろうと感じるようになって
ホステスのように和ませてくれてる看護師たちに敬意を感じるようになった。
30近いあるベッドにはいろいろな患者がくる。
わが輩を含めてわがままな患者もいれば
不安でしようがない患者もいる。
腎不全だけではなく「生きること」との対峙もしながらの姿は
ホステスではなくまぎれもない「白衣の天使」なのだろう。


もちろん透析センターは入院患者の重症の患者もいるが
ホスピスではない。
わが輩もいまのところ「健康」だが
もし命がこれまでという時
家族や親しい知人と同様
いまの看護師たち技師たちに囲まれて
最期を迎えたいと思うのは時期尚早かもしれないがそうだ。


*写真上-ホスピスの看護師のミーティング
*写真下-透析1000回目(2010年)に看護師Kaが書いてくれたカード