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2013-07-05

FOMAからスマフォへそしてFOMAへ

携帯電話はわれわれのようにリスクのあるものにとっては
必需品のひとつになる。

もっとも日常的に自己管理ができていて
体調が安定している場合は
健常者と同じなのだから
必要がないかも知れない。
まして都会に生活してる場合は
何かとヒトはいるものだ。

しかもたとえば意識がなくなってしまえば
携帯電話どころではない。
じっさい
街の中でこれまで3回も意識がなくなった。
そのうち1回は電車の中で意識が遠くなり
気がついたら女性に支えながら
駅のホームに運ばれていた。
あとは店の中だったので
店に迷惑をおかけし救急車出動ともなった。

どれも血圧が急激に下がったわけで
こういうときに思わぬ大きなケガをすると聞いているが
電車が混雑して身動きできないほどだったのが幸いし
床に倒れ込むまで時間があったようだ。


ヒトの往来がないところでも
一時的な血圧の降下は
しばらくすると戻るので
カラダを横にしてることで回復する。
怖いのは意識がなくなって
転倒して骨折したりするような怪我に結びついたとき
あるいはそのほかでも緊急事態はあるだろうが
そんなとき携帯電話が有効だ。

ましてや
わが輩は倶楽部で行くのはまだしも
低山ではあるがひとりで山歩きをする。
山中で通話できないところがほとんどだが
電波が届いてないエリアでも
GPSははたらくので
万が一の時を考えて
出かける前日には
登山予定コースを長女に知らせ
DOCOMOでの捜索方法を伝えている。




携帯電話は仕事で外に出ることが多く
電電公社のころからの初期のあの重い大きな時から使ってるので
23年の使用年数らしい。
現在のDOCOMOとなるが
最近までFOMAだった。
なんといってもDOCOMOの受信可能エリアはダントツで
時には山の中でも使える。

もともとパソコンはAppleなので
ipodtouchは早くから使ってきたので
DOCOMOからiPhoneが出るのをずっと待っていたが
消失するポイントもあり
とうとうしびれが切れて
DOCOMOのスマホなるものを購入した。

そもそもiPhoneをまねてタッチパネルにしたものだが
スマホなどというネーミングをして売り出した。
アップルを絶賛するわけではないけれど
アップルの精神にその企業意図にひとしく
人に優しくというコンセプトが
随所に感じられるのに
スマフォのアンドロイドなるものは
ただいままでアンログだったものを
無理矢理タッチパネルにしただけというのを感じる。
それはFOMAでも同じだが
形だけが移行してるだけで
使いにくいのは相変わらず。
もちろんそれはiPhoneに比べてであるが。


好き嫌いはあるのだからどうでもいいが
FOMAからスマフォに移して
何が問題かと言えば
バッテリーが1日持たないということだ。

いつも下山したら
メールを送ることで無事を伝えてきた。
先日の下山後
メールをしようにも完全にバッテリーは落ちていた。
再起動しても残ってないものは残っていない。

スマフォをもつ倶楽部の仲間に聞くと
みな山中では電源を切っているという。
バッテリーの待ち受け時間というのは百何時間とあっても
無線のwifiやGPSなど使用してないのを公称としているのだろう。

これでは
まったく宝の持ち腐れで
バッテリーを長くさせたければ使わないことに等しいっていうことは
矛盾していると思うのだが。
会社勤めや車利用が主なヒトは問題ないかも知れないが。

これに関してはiPhoneも同じことなので
せっかくスマフォに移行したのに
きょうFOMAにもどした。

もし検討されてるヒトがいたら
ご注意くださいと言いたい。
もしくは大きな予備バッテリーをご用意くださいと。
あ!とっくにスマホですか。